「ノート:吉田松陰」の版間の差分
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::::::その頃日本にテロリズムの概念は輸入されてませんし、吉田松陰はテロの概念とは異なる思想に基づいて行動してます。--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2016年6月29日 (水) 01:20 (UTC) |
::::::その頃日本にテロリズムの概念は輸入されてませんし、吉田松陰はテロの概念とは異なる思想に基づいて行動してます。--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2016年6月29日 (水) 01:20 (UTC) |
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:::::::そんなことはありません。[[小関三英]]がナポレオン伝を翻訳して何十年たってると思ってるんです?[[高野長英]]が兵学書を何冊訳していたと思ってるんです?それらは写本で多くの大名旗本に広まってます。そして佐久間象山に師事した吉田松陰はそれらに触れる機会もありました。松陰がテロリストかどうかはともかく幕末にテロの概念が無いなんてことはない。--[[特別:投稿記録/58.90.60.122|58.90.60.122]] 2016年6月29日 (水) 01:35 (UTC) |
:::::::そんなことはありません。[[小関三英]]がナポレオン伝を翻訳して何十年たってると思ってるんです?[[高野長英]]が兵学書を何冊訳していたと思ってるんです?それらは写本で多くの大名旗本に広まってます。そして佐久間象山に師事した吉田松陰はそれらに触れる機会もありました。松陰がテロリストかどうかはともかく幕末にテロの概念が無いなんてことはない。--[[特別:投稿記録/58.90.60.122|58.90.60.122]] 2016年6月29日 (水) 01:35 (UTC) |
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::::::::つきまといはやめてください。ナポレオンや兵学書をテロとみなす独自な主張はここまでにしてください。--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2016年6月29日 (水) 01:46 (UTC) |
2016年6月29日 (水) 01:46時点における版
当時の古文書・原書によると「吉田松蔭」と表記されているのが一般的です。
これは文部省常用漢字編纂による影響に拠る処が大きく願わくば【吉田松蔭】と表記をお願いしたいです。
この写真は、松陰ではないと、渡辺こうぞうがいっています。確定していないはずです。
上記の箇所を修正した者です。 「真偽は明らかになっていない」という以前に、そもそも「近代日本人の肖像」は「掲載した肖像の一部には絵画を撮影したものが含まれています。」(ご利用について | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/contents/rights.html )と書いてあるように、この「写真」も絵画を撮影したものと言わざるを得ません。試みに、同時代に撮影された横井小楠の写真と見比べると、松蔭の写真の画質があまりに綺麗すぎるのが分ります。あと、松蔭の羽織のシワのあたりを見ていただくと絵画であることが分かると思います。
吉田松蔭(拡大画像) | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/217_1.html
横井小楠(拡大画像) | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/345_1.html
こういった肖像画を写真に撮って複製するのは、いわゆる「御真影」(ファイル:Meiji tenno1.jpg - Wikipedia http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Meiji_tenno1.jpg )にも見えますし、また旧家の仏間に掲げられている物故者の「写真」などもその一例です。
本来「写真」は、photographの翻訳語だけではなく、伝統的な用法では「肖像画」を意味しましたから、『近世名士写真』という表現も絶対的に否定は出来ませんが、なんとも紛らわしいところです。ちなみに、この写真を広瀬豊が渡辺蒿蔵に見せたのなら、彼もこの「写真」ということばに引っかかったクチなのでしょう。--だるまストアー122.132.59.136 2010年7月13日 (火) 01:18 (UTC)
「尊攘派のテロリズムや対外侵略のイデオローグという見方も近年多い」との記載は、そのような見方があるのかもしれませんが、中立性を欠いた偏った見方で、その具体的根拠も明らかでない上、吉田松蔭に対する一般的な評価ともかけ離れているように思われるので削除しました。再掲を望むのであれば、最低限出典を明記した上で、表題部分ではなく、目次に「評価」などの項目を設けて記載してください。--Shu-miya7070 2010年5月18日 (火) 13:19 (UTC)
テロリストという評価自体が一般的ではありません。歴史学者でもない一部の作家が、個人の価値観から主張している内容です。これが学界の定説なっている、あるいは歴史学を専門とする学会や博士がそういう主張をしているのならともかく、ただの作家による個人的な主張です。--Doom2111(会話) 2015年9月1日 (火) 09:46 (UTC)
- 話題となった著作であり(現在もamazonでベストセラー)明治維新や吉田松陰を客観視する材料として記載すべきと考えます。私もこの著作は読みましたが、学者の本ではないにしろ、明治維新を否定的にとらえる本は珍しく、考えさせられるところはありました。坂本龍馬の記事に司馬遼太郎の人物評価が記載されてあったとしても、問題にはならないと思います。--G0mao(会話) 2015年10月3日 (土) 05:01 (UTC)
司馬遼太郎の人物評価を挙げてますが、ハッキリ言って、これは人物評価ではなく政治的意図を含んだレッテル貼りです。この本は私も読みましたが、所々に著者の政治思想を絡めた主張があり、参考文献の書かれていない主張もあるなど、学術的な資料だとは思えません。いくら売れたのかは知りませんが、作家のレッテル貼りをそのまま書く必要はないと思います。「吉田松陰を批判する作家もいる」という文面ならまだしも、定説でもないテロリストという別称をそのまま載せ、そのレッテルを貼っているのが学術誌・学者ではなく作家であることも伏せているのでは、記事の閲覧者に吉田松陰はテロリストという印象を与えようとしているようにしか見えません。やはり評価の定まっていない個人の主張は取り入れないほうがいいです。--Doom2111(会話) 2015年10月16日 (金) 11:59 (UTC)
- テロリズムとは「何らかの政治的目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと」とのことですね。正当な政治的手段を用いずに、幕府首脳の暗殺という暴力に訴えた吉田松陰はテロリストの定義にあてはまります。明治維新にかかわる反幕府の活動家たちはほぼ全員、テロリストの定義にあてはまるのでは?しかし、日本におけるテロリストという言葉は、日本赤軍やIRA、イスラム原理主義者のような、現代に限定してた集団を指すことが多いので、違和感を感じるのかもしれませんが、定義通りに受け取れば、吉田松陰も久坂玄瑞もテロリストであると思います。--G0mao(会話) 2015年10月17日 (土) 13:23 (UTC)
- WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるをお読みください。いわゆるトンデモ本に書かれている個人的主張を記すのはやめてください。WP:NOTSOAPBOX#ウィキペディアはプロパガンダ宣伝の手段ではありません--ぽてから(会話) 2016年6月20日 (月) 19:11 (UTC)
- 吉田松陰(松下村塾含む)の行為がテロリズムではない理由を教えてください。客観的で、納得できる回答を頂けるのであれば、編集は行いません。--G0mao(会話) 2016年6月28日 (火) 13:33 (UTC)
- 吉田松陰のいた時代には、テロリズムという概念は生まれていません。吉田松陰は、テロリズムの価値観によって行動していたわけではありません。それは、彼自身の著作からも明らかです。現代人が勝手に今の価値観でいろいろ言ってるだけの、いわゆるトンデモ本の類にはいる主張を書かないでください(トンデモ本を批判しているわけではありません。非常に売れているということは大変結構。ただし、百科事典に歴史評価を書けるだけの本ではありません。)いちいち、戦争で負けた側の国の元首に「戦争犯罪者である」などと書いたらおかしいことはわかりますよね。それは、後世の人間が勝手に本で書いてる場合はあるかもしれませんが、百科事典に記すべき評論であるとはなりません。--ぽてから(会話) 2016年6月28日 (火) 16:44 (UTC)
- テロリズムの概念は古くからあり近代テロリズムの概念はフランス革命時にはありますよ。実際、ジョーイローニンによるテロは欧米では広く報道されています。オールコックは東禅寺襲撃事件というテロを実際に経験していますし、このときの実行犯の一部が坂下門で安藤老中を襲撃していますね。幕末の天誅行為がテロでないというのはさすがに無茶でしょう。で、吉田松陰がテロリストかといえばそれはどうでしょう?大きなことを言っても実際には何もやってないんだから。周囲も相手にしていないし。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:10 (UTC)
- その頃日本にテロリズムの概念は輸入されてませんし、吉田松陰はテロの概念とは異なる思想に基づいて行動してます。--ぽてから(会話) 2016年6月29日 (水) 01:20 (UTC)
- そんなことはありません。小関三英がナポレオン伝を翻訳して何十年たってると思ってるんです?高野長英が兵学書を何冊訳していたと思ってるんです?それらは写本で多くの大名旗本に広まってます。そして佐久間象山に師事した吉田松陰はそれらに触れる機会もありました。松陰がテロリストかどうかはともかく幕末にテロの概念が無いなんてことはない。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:35 (UTC)
- つきまといはやめてください。ナポレオンや兵学書をテロとみなす独自な主張はここまでにしてください。--ぽてから(会話) 2016年6月29日 (水) 01:46 (UTC)
- そんなことはありません。小関三英がナポレオン伝を翻訳して何十年たってると思ってるんです?高野長英が兵学書を何冊訳していたと思ってるんです?それらは写本で多くの大名旗本に広まってます。そして佐久間象山に師事した吉田松陰はそれらに触れる機会もありました。松陰がテロリストかどうかはともかく幕末にテロの概念が無いなんてことはない。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:35 (UTC)
- その頃日本にテロリズムの概念は輸入されてませんし、吉田松陰はテロの概念とは異なる思想に基づいて行動してます。--ぽてから(会話) 2016年6月29日 (水) 01:20 (UTC)
- テロリズムの概念は古くからあり近代テロリズムの概念はフランス革命時にはありますよ。実際、ジョーイローニンによるテロは欧米では広く報道されています。オールコックは東禅寺襲撃事件というテロを実際に経験していますし、このときの実行犯の一部が坂下門で安藤老中を襲撃していますね。幕末の天誅行為がテロでないというのはさすがに無茶でしょう。で、吉田松陰がテロリストかといえばそれはどうでしょう?大きなことを言っても実際には何もやってないんだから。周囲も相手にしていないし。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:10 (UTC)
- 吉田松陰のいた時代には、テロリズムという概念は生まれていません。吉田松陰は、テロリズムの価値観によって行動していたわけではありません。それは、彼自身の著作からも明らかです。現代人が勝手に今の価値観でいろいろ言ってるだけの、いわゆるトンデモ本の類にはいる主張を書かないでください(トンデモ本を批判しているわけではありません。非常に売れているということは大変結構。ただし、百科事典に歴史評価を書けるだけの本ではありません。)いちいち、戦争で負けた側の国の元首に「戦争犯罪者である」などと書いたらおかしいことはわかりますよね。それは、後世の人間が勝手に本で書いてる場合はあるかもしれませんが、百科事典に記すべき評論であるとはなりません。--ぽてから(会話) 2016年6月28日 (火) 16:44 (UTC)
- 吉田松陰(松下村塾含む)の行為がテロリズムではない理由を教えてください。客観的で、納得できる回答を頂けるのであれば、編集は行いません。--G0mao(会話) 2016年6月28日 (火) 13:33 (UTC)
- WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるをお読みください。いわゆるトンデモ本に書かれている個人的主張を記すのはやめてください。WP:NOTSOAPBOX#ウィキペディアはプロパガンダ宣伝の手段ではありません--ぽてから(会話) 2016年6月20日 (月) 19:11 (UTC)