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== 経歴 ==
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バーニー・フュークスは、[[1932年]]10月29日、[[イリノイ州]][[オファロン (イリノイ州)|オファロン]]に生まれた<ref name=WP20090919>Adam Bernstein “[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/18/AR2009091803542.html Bernie Fuchs, 76, Dies; Illustrator Defined Mid-Century Era]” ''[[ワシントン・ポスト|The Washington Post]]'' 2009年9月19日付, 英語, 2009年9月20日閲覧.</ref>。彼は、父親のいない貧しい境遇の中で育った。トランペット奏者になることを夢見ていたが、高校を卒業した夏に工場の事故で右手の指3本を失ったため、断念した。そこで彼は新たな道を求め、正規の美術教育を受けた経験は無かったが、美術の世界で身を立てることを決意、事故の[[補償金]]で[[ワシントン大学 (セントルイス)|ワシントン大学]]に入学し、[[1954年]]に卒業した。
バーニー・フュークスは、[[1932年]]10月29日、[[イリノイ州]][[オファロン (イリノイ州)|オファロン]]に生まれた<ref name=WP20090919>Adam Bernstein “[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/18/AR2009091803542.html Bernie Fuchs, 76, Dies; Illustrator Defined Mid-Century Era]” ''[[ワシントン・ポスト|The Washington Post]]'' 2009年9月19日付, 英語, 2009年9月20日閲覧.</ref>。彼は、父親のいない貧しい境遇の中で育った。トランペット奏者になることを夢見ていたが、高校を卒業した夏に工場の事故で右手の指3本を失ったため、断念した。そこで彼は新たな道を求め、正規の美術教育を受けた経験は無かったが、美術の世界で身を立てることを決意、事故の[[補償金]]で[[セントルイスワシントン大学]]に入学し、[[1954年]]に卒業した。


フュークスの最初の仕事は、 [[デトロイト]]にあるニュー・センター・スタジオ(''New Center Studios'' )の自動車広告のイラストであった<ref group="注">ニュー・センター・スタジオは、初めはフィッシャー・ビル(''Fisher Bldg.'' )にあった。後にペノップスコット・ビル(''Penopscot Bldg'' )に移転した。</ref>。スタジオのオーナーは、アート・グリーンウォルド(''Art Greenwald'' )だった。1950年代から60年代を通じて、デトロイトで最も規模が大きく最も成功を収めたスタジオだった。イラストレーターは、他にシック・アルバートソン(''Chic Albertson'' )とドナルド・シルヴァースタイン(''Donald Silverstein'' )が所属していた。フュークスは、非凡な才能ですぐに認められ、グリーンウォルドに大きな利益をもたらした。彼は、デトロイトに移った2、3年のうちに、デトロイトの自動車会社専門スタジオ「ジ・アート・グループ」(''The Art Group'' )を立ち上げた。1950年代末、[[コネチカット州]][[ウェストポート (コネチカット州)|ウェストポート]]に移り、『[[マッコールズ]]』、『[[レッドブック (アメリカの雑誌)|レッドブック]]』、『[[レディーズ・ホーム・ジャーナル]]』、『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』などの雑誌のイラストを手掛けるようになった
フュークスの最初の仕事は、 [[デトロイト]]にあるニュー・センター・スタジオ(''New Center Studios'' )の自動車広告のイラストであった<ref group="注">ニュー・センター・スタジオは、初めはフィッシャー・ビル(''Fisher Bldg.'' )にあった。後にペノップスコット・ビル(''Penopscot Bldg'' )に移転した。</ref>。スタジオのオーナーは、アート・グリーンウォルド(''Art Greenwald'' )だった。1950年代から60年代を通じて、デトロイトで最も規模が大きく最も成功を収めたスタジオだった。イラストレーターは、他にシック・アルバートソン(''Chic Albertson'' )とドナルド・シルヴァースタイン(''Donald Silverstein'' )が所属していた。フュークスは、非凡な才能ですぐに認められ、グリーンウォルドに大きな利益をもたらした。彼は、デトロイトに移った2、3年のうちに、デトロイトの自動車会社専門スタジオ「ジ・アート・グループ」(''The Art Group'' )を立ち上げた。1950年代末、[[コネチカット州]][[ウェストポート (コネチカット州)|ウェストポート]]に移り、『[[マッコールズ]]』、『[[レッドブック (アメリカの雑誌)|レッドブック]]』、『[[レディーズ・ホーム・ジャーナル]]』、『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』などの雑誌のイラストを手掛けるようになった

2016年6月28日 (火) 13:28時点における版

バーニー・フュークスBernie Fuchs1932年10月29日2009年9月17日)は、アメリカ合衆国イラストレーター。本名はバーナード・レオ・フュークス(Bernard Leo Fuchs )という[1]広告芸術雑誌イラスト、アメリカ郵便切手シリーズ等の肖像画で知られている。2013年春に、伝記の出版が予定されている。

経歴

バーニー・フュークスは、1932年10月29日、イリノイ州オファロンに生まれた[2]。彼は、父親のいない貧しい境遇の中で育った。トランペット奏者になることを夢見ていたが、高校を卒業した夏に工場の事故で右手の指3本を失ったため、断念した。そこで彼は新たな道を求め、正規の美術教育を受けた経験は無かったが、美術の世界で身を立てることを決意、事故の補償金セントルイス・ワシントン大学に入学し、1954年に卒業した。

フュークスの最初の仕事は、 デトロイトにあるニュー・センター・スタジオ(New Center Studios )の自動車広告のイラストであった[注 1]。スタジオのオーナーは、アート・グリーンウォルド(Art Greenwald )だった。1950年代から60年代を通じて、デトロイトで最も規模が大きく最も成功を収めたスタジオだった。イラストレーターは、他にシック・アルバートソン(Chic Albertson )とドナルド・シルヴァースタイン(Donald Silverstein )が所属していた。フュークスは、非凡な才能ですぐに認められ、グリーンウォルドに大きな利益をもたらした。彼は、デトロイトに移った2、3年のうちに、デトロイトの自動車会社専門スタジオ「ジ・アート・グループ」(The Art Group )を立ち上げた。1950年代末、コネチカット州ウェストポートに移り、『マッコールズ』、『レッドブック』、『レディーズ・ホーム・ジャーナル』、『スポーツ・イラストレイテッド』などの雑誌のイラストを手掛けるようになった

フュークスは、1998年発行のアメリカの4枚の切手のイラスト制作も引き受けている。切手のイラストは、フォーク・ミュージシャンハディ・“レッドベリー”・レッドベターウディ・ガスリーソニー・テリージョシュ・ホワイト)だった。また、アラン・シュローダー(Alan Schroeder )作の『ラグタイム・タンピー』(Ragtime Tumpie )や『カロライナ・シャウト!』(Carolina Shout! )など、いくつかの絵本のイラストも制作している。

また、フュークスは、ジョン・F・ケネディリンドン・ジョンソンジェラルド・R・フォードジミー・カーターロナルド・レーガンアメリカ合衆国大統領や、モハメド・アリアーノルド・パーマージャック・ニクラステッド・コッペルキャサリン・ヘプバーンオスカー・チャールストンらスポーツ選手や著名人の肖像画も描いている。

2009年9月17日、食道癌により、コネチカット州フェアフィールドにある療養施設で死去[2]、76歳であった。

受賞歴

バーニー・フュークスは、史上最年少の若さで米国イラストレーター協会の殿堂入りを果たした[3]

1991年、フュークスは、アメリカン・スポーツ美術館兼資料館によりスポーツ・アーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

1989年、フュークスがアラン・シュローダー(Alan Schroeder )と共作した児童書『ラグタイム・タンピー』(Ragtime Tumpie )が、アメリカ図書館協会推薦児童書に選定された。また、国際読書学会のティーチャーズ・チョイス(Teachers' Choice、「教師たちが選んだ児童書」の意。)にも選ばれた。二人は、1994年の絵本『カロライナ・シャウト!』(Carolina Shout! )も共作している。

家族

バーニー・フュークスは、高校時代の恋人であるアンナ・リー・ヘッセ(Anna Lee Hesse )と結婚した。二人は、シンシア(Cynthia )、デレク(Derek )、エリーズ(Ellise )という3人の子供を育てた。

脚注

注釈

  1. ^ ニュー・センター・スタジオは、初めはフィッシャー・ビル(Fisher Bldg. )にあった。後にペノップスコット・ビル(Penopscot Bldg )に移転した。

出典

  1. ^ Adam Bernstein “Bernie Fuchs, 76, Dies; Illustrator Defined Mid-Century EraThe Washington Post 2009年9月19日付, 英語, 2013年6月30日閲覧.
  2. ^ a b Adam Bernstein “Bernie Fuchs, 76, Dies; Illustrator Defined Mid-Century EraThe Washington Post 2009年9月19日付, 英語, 2009年9月20日閲覧.
  3. ^ Leigh Dorrington “Artist's ArtistAutomobile Quarterly volume.48 number.4(2008年第4四半期).

参考文献

関連項目

外部リンク