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「春風亭柳朝 (5代目)」の版間の差分

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2016年6月8日 (水) 02:03時点における版

5代目 春風亭 柳朝しゅんぷうてい りゅうちょう
本名 大野 和照
生年月日 1929年10月29日
没年月日 (1991-02-07) 1991年2月7日(61歳没)
出身地 日本の旗 日本・旧東京市芝区新橋
師匠 5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)
名跡 1. 蝶花楼小照(1950年 - 1951年)
2. 林家正太(1952年 - 1953年)
3. 林家照蔵(1953年 - 1962年)
4. 5代目春風亭柳朝(1962年 - 1991年)
活動期間 1950年 - 1951年、1952年 - 1991年
所属 落語協会
主な作品
付き馬
宿屋の仇討

5代目春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929年昭和4年〉10月29日 - 1991年平成3年〉2月7日)は、旧東京市芝区新橋出身の落語家。本名、大野 和照(おおの かずてる)。生前は落語協会所属。出囃子は『さつまさ』。

経歴

旧制正則中学在学中に、志願して海軍衛生兵として入隊。

その後は職を転々とし、1950年3月5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)に入門し、小照を名乗る。翌1951年に一旦は転職するも、翌1952年に再入門し、林家正太を名乗る。翌1953年5月、二つ目に昇進し、照蔵に改名。1962年5月、真打に昇進し、5代目春風亭柳朝を襲名する。

亭号が「春風亭」になったのは、師匠が「林家正蔵」の名跡を7代目正蔵の遺族である初代林家三平より一代限りの条件で借り受けていたことから、三平を配慮して自分の弟子が真打に昇進した時は他の亭号に変えさせていたためである。「春風亭」の名跡は落語協会にもあったが、8代目春風亭柳枝没後封印されていた。そのため師匠は日本芸術協会(現:落語芸術協会)会長の6代目春風亭柳橋に面会し、柳朝を名乗ることの了承を得た。

1960年代テレビラジオでも顔を売り、7代目(自称5代目)立川談志3代目古今亭志ん朝5代目三遊亭圓楽と共に「落語若手四天王」と呼ばれた[1]

1972年5代目柳家小さん落語協会会長に就任すると同時に、同協会専務理事に就任。後に常任理事に就任した。

1980年、2番弟子の春風亭小朝が36人抜きで真打昇進。このことは当時の大ニュースとなり、柳朝は押しも押されもせぬ大幹部となる。

1982年1月、師匠彦六と死別。同年12月には脳梗塞に倒れ、高座復帰も叶わぬまま、1991年2月7日に死去した。享年61。

人物

CD・DVD

CD

NHK落語名人選
  • NHK落語名人選 46 五代目 春風亭柳朝(1993年、ポリドール) - 収録演目:『つき馬』『佃祭
  • NHK落語名人選 99 五代目 春風亭柳朝(1996年、ポリドール) - 収録演目:『天災』『大工調べ
日本伝統文化振興財団
なごやか寄席シリーズ
  • なごやか寄席シリーズ 五代目 春風亭柳朝 1(2010年、USMジャパン) - 収録演目:『井戸の茶碗』『船徳』
  • なごやか寄席シリーズ 五代目 春風亭柳朝 2(2010年、USMジャパン) - 収録演目:『蛙茶番』『品川心中』
  • なごやか寄席シリーズ 五代目 春風亭柳朝 3(2010年、USMジャパン) - 収録演目:『粗忽の釘』『道具屋』
  • なごやか寄席シリーズ 五代目 春風亭柳朝 4(2010年、USMジャパン) - 収録演目:『寝床』『火焔太鼓
昭和の名人〜古典落語名演集
  • 昭和の名人〜古典落語名演集 五代目春風亭柳朝 一(2010年、キングレコード) - 収録演目:『錦の袈裟』『浮世床』『掛け取り』
  • 昭和の名人〜古典落語名演集 五代目春風亭柳朝 二(2010年、キングレコード) - 収録演目:『三味線栗毛』『寝床』『船徳』『義眼

DVD

関連書籍

一門弟子

※一時的に師匠彦六没後、まだ二つ目だった弟弟子林家時蔵を預かるが、自身の病状の悪化により、初代林家木久蔵(現:木久扇)門下に移籍させる。

脚注

  1. ^ 命名したのは矢野誠一と言われる(吉川潮『戦後落語史』新潮新書、24ページ)。柳朝の病気引退後、8代目橘家圓蔵が取って代わる。一部に柳朝の現役時から圓蔵(当時は5代目月の家圓鏡)を挙げる人もいた。

出典

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN458212612X
  • 古今東西噺家紳士録