「白井幹夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Bamboo-take-take (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業 |
||
92行目: | 92行目: | ||
[[Category:1950年生]] |
[[Category:1950年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
||
[[Category:東京都出身の人物]] |
[[Category:東京都区部出身の人物]] |
||
[[Category:日本のキーボーディスト]] |
[[Category:日本のキーボーディスト]] |
||
[[Category:THE HIGH-LOWSのメンバー]] |
[[Category:THE HIGH-LOWSのメンバー]] |
2016年6月8日 (水) 02:01時点における版
白井 幹夫 | |
---|---|
出生名 | 白井 幹夫 |
別名 | ミッキー |
生誕 | 1950年5月31日(74歳) |
出身地 | 東京都港区芝 |
ジャンル | ロック |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | キーボード、ピアノ |
活動期間 |
1989年 - 1995年 (THE BLUE HEARTSサポート) 1995年 - 2003年 (THE HIGH-LOWS) 2005年 - 2008年 (THE BIG HIP) |
公式サイト | 白井幹夫商店 |
白井 幹夫(しらい みきお、1950年5月31日 - )は、日本のキーボード奏者。2009年から日本初のダイブキーボード奏者として、活動の幅を広げる。
ロックバンドめんたんぴんに在籍し、浅川マキ、南正人&RIVERのバックメンバーとしても参加。その後、THE BLUE HEARTSのサポートメンバーとしてツアーに帯同。解散後、THE HIGH-LOWSに正式メンバーとして加入。2003年に脱退後、2005年に梶原徹也(元・THE BLUE HEARTS)とTHE BIG HIPを結成。2008年からはソロ活動を東京中心に行い、セッション活動も精力的に行っている。
略歴
THE BLUE HEARTS時代
- 杉浦逸生の紹介により、サポートメンバーとして、参加。
- 5月3日 - 「ON TOUR1989」にてツアー初参加。
- 6月21日 - シングル「青空/平成のブルース」にてCD初参加。
- 11月21日 - 真島昌利のソロアルバム夏のぬけがらに参加。
- 突然の解散宣言により、THE BLUE HEARTS解散。
THE HIGH-LOWS時代
- ブルーハーツ解散後、真島昌利に新しいバンドをやらないかと誘われ、参加する。
- 7月13日 - 大阪城野外音楽堂でのライブをもって脱退。
- 脱退後はソロ活動を行いつつ、セッション等にも精力的に参加。
THE BIG HIP時代
- 11月11日 - 2nd ALBUM『赤道直下』発売(当初はライブ会場・公式サイトでのみ販売。2008年4月23日より全国レコード店で発売開始)
- 10月18日 - 東京・新宿JAMでワンマンライブ、これをもって一旦活動休止。
人物
- 愛称は「ミッキー」。甲本ヒロトは「ハートブレイカー白井さん」「ミスター・モザイク」と呼ぶことも。
- ピアノは独学で、「ギターのコードをそのままピアノで弾いただけ」とインタビューで答えている。
- ライブでは、毎回のようにピアノの弦を切っては弁償している。
- 白井いわく、ピアノとは弾くものではなく叩くもの・ダイブする踏み台とのこと。
趣味・嗜好
- サッカーが大好きで、高校時代にFWとして、神奈川県選抜に選ばれたこともある。
- 阪神タイガースの大ファン。ハイロウズ在籍時にタイガースの鉢巻きをしてHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに出演した。
- 松田聖子の大ファンでもあり、音楽番組でサインをねだって松田聖子から「本番中にサインをねだられたのは初めて」と言われた。
- とにかくお酒が大好きで、ライブハウスで演奏する際には片手ビールスタイル(通称:片ビー)を崩さない。
エピソード
- ダウンタウンのごっつええ感じのTEAM FIGHT出演時、ボールが顔面を強打してトレードマークのサングラスを壊した。
- 東京ディズニーランドにて、演奏の経験がある。
- めんたんぴん在籍時に、日本全国を周り、初めて日本にライブツアーという形式を完成させる。
- 太陽族の曲でピアノ参加、THE-ZIPPERZと、元ザ・マスミサイルのドラム竹村忠臣とセッションなど、ブルーハーツに影響を受けたとされるバンドともセッションを行うなど幅広く活動している。
- ハイロウズ脱退後、音楽プロデューサー、ディレクター話が数多く来たが、全て断り、「俺は一生プレイヤーで生きていくと」宣言。それは実行されている。
- THE BIG HIP時代にはフジロック・フェスティバルで真島昌利をゲストに、THE HIGH-LOWS以来のセッションを行う。