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「三笑亭笑三」の版間の差分

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2016年6月8日 (水) 01:40時点における版

三笑亭 笑三さんしょうてい しょうざ
本名 斧田 道男
生年月日 (1925-10-28) 1925年10月28日(99歳)
出身地 日本の旗 日本東京都新宿区早稲田
師匠 8代目三笑亭可楽(1946年 - 1955年、1958年 - )
2代目三遊亭円歌(1951年 - 1958年)
名跡 1. 三笑亭可寿美(1946年 - 1950年)
2. 3代目柳亭春楽(1950年 - 1955年)
3. 三遊亭歌風(1955年 - 1958年)
4. 三笑亭笑三(1958年 - )
活動期間 1946年 -
所属 日本芸術協会(1946年 - 1955年)
落語協会(1955年 - 1958年)
日本芸術協会→落語芸術協会(1958年 - )
受賞歴
文部省芸術祭奨励賞(1964年)
備考
落語芸術協会相談役

三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ、1925年10月28日 - )は、東京都新宿区早稲田出身の落語家。本名、斧田 道男(おのだ みちお)。

所属は日本芸術協会より落語協会へと移籍した後、1958年2月以降は再び日本芸術協会(現:落語芸術協会)に在籍し、同協会相談役。出囃子は『並木駒形』。

来歴

旧制早稲田第二高等学院在学中に学徒動員

終戦後、新作落語で一世を風靡した2代目三遊亭円歌に憧れて落語家になろうと決意する。しかし、仲介してくれた人物(人形町の芸者置屋)が紹介してくれたのは8代目三笑亭可楽(日本芸術協会所属)だったので、そのまま可楽に入門した(1946年4月)。入門時に「円歌師匠の落語『呼び出し電話』を聴いて落語家になろうと思いました」と可楽にはっきりと伝えたところ、可楽は笑いながらその無礼をも許し、「三笑亭可寿美」という名を与えた。これは、円歌の前座名「三遊亭歌寿美」にちなんだ命名であった。

1950年5月、二つ目昇進、3代目柳亭春楽を襲名。その後、可楽と日本芸術協会(当時の会長:春風亭柳橋)とのあいだでトラブルが発生し、可楽は自ら高座を休演、同協会から脱退寸前となる。笑三はそのあおりで一時期廃業をしていたが、可楽の計らいで憧れの円歌(落語協会所属)のもとに預けられ、落語協会に移籍した(1955年11月)。円歌門で与えられた名は「三遊亭歌風」。2代目三遊亭歌奴(現:3代目三遊亭圓歌)は兄弟子にあたる。

1958年2月、可楽門および日本芸術協会に復帰、「三遊亭笑三」を名乗る。1961年4月に真打昇進し、亭号を変更して「三笑亭笑三」に改名。

1964年文部省芸術祭奨励賞を受賞。

2012年現在も健在で、いまなお寄席に出演する落語芸術協会の最長老の一人である。江戸東京博物館の音声ガイドも担当している。

人物

芸名

  • 「三笑亭笑三」という芸名の由来は、回文になるからである(三遊亭遊三の命名と同じ)。そこから「上から読んでも下から読んでも『三笑亭笑三』」のキャッチフレーズで売り出す。

ネタ作家として

  • 初代林家三平牧伸二にギャグやネタを提供していたことがある。特に盟友・三平のブレーンとして才を発揮し「おもちも入ってベタベタと、安くてどうもすいません」(「渡辺の即席しるこ」コマーシャル)などの名ギャグを多数生み出した。初代三平のギャグの「よし子さん」は笑三の妻の名前からきているといわれている。

脚本家として

趣味人として

  • 幅広い趣味人として知られる。とりわけ、映画製作や漫画・イラストに関しては「玄人はだし」。
  • 現存する放送局所有以外での初代林家三平の映像は、ほぼすべて、笑三が私的に撮影していたものである。落語家や芸人仲間を出演させた自主映画を何本も制作したり、寄席での仕事の傍ら、足しげくフィルムセンターでの上映に通っていた邦画通でもある。
  • イラストレーターとして、長年浅草演芸ホールのパンフレット表紙絵を手がけた。
  • DTPもワープロもない時代に、落語芸術協会の機関誌『寿限無』をたった一人で作成していた。著書も数冊出版している。
  • カメラも趣味。
  • かつては熱烈な日本社会党支持者で、社会新報への協力も続けていた。

テレビ出演

弟子

  • 弟子を取ることはなかったが、実子や実孫が「小笑三」「笑坊」として独演会の高座で開口一番を務めたことはある。

得意ネタ

時事漫談ないし新作落語を高座でかける場合が多いが、まれに古典落語も演じる。

新作落語・改作落語

古典落語

外部リンク