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2016年6月8日 (水) 01:33時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1988年8月26日(36歳) |
身長 体重 |
181 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト2巡目 |
初出場 | 2010年5月27日 |
年俸 | 1,030万円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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佐藤 賢治(さとう けんじ、1988年8月26日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現役時代の愛称は「サトケン」。
来歴・人物
プロ入り前
2004年に横浜高校に入学。当初は投手であったが後に外野手に転向した。甲子園に2度出場している(2006年春と同年夏。前者は優勝、後者は一回戦敗退)。同校の2学年上に涌井秀章と石川雄洋が、同学年に福田永将、下水流昂、西嶋一記が、1学年下に高濱卓也が、2学年下に土屋健二と倉本寿彦が所属していた。このうち土屋とは後に日本ハムでチームメイトとなった。
2006年のプロ野球ドラフト会議(高校生の部)で、強肩と左右に打ち分ける打撃を評価した千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名され、入団する。
ロッテ時代
2007年には、イースタン・リーグ公式戦75試合に起用。打率は.196だった。
2008年からは、二軍のレギュラーに定着。同年には、イースタン・リーグ公式戦で、打率.220という成績を残した。しかし、在籍中には、一軍公式戦への出場機会がなかった。
日本ハム時代
2010年5月7日に北海道日本ハムファイターズへ移籍した。同球団で当時外野手が不足していたことによる無償トレードだったため、移籍直後の同月27日には、対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)で一軍デビュー。金剛弘樹から代打で適時打を放ったことによって、一軍初打席・初安打・初打点を記録した。また、6月2日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)に「7番・右翼手」として一軍公式戦初の先発出場を果たすなど、一軍で9試合に出場した。
2011年には、一軍公式戦8試合の出場で、7打数1安打(打率.143)を記録した。
2012年には、移籍後初めて、一軍公式戦への出場機会がなかった。シーズン終了後には、一軍監督の栗山英樹から「来年(2013年)ダメならユニホームを脱がす」と通告されるとともに、三塁手としても起用することを明かされた[1]。
2013年には、春季キャンプで三塁の守備に挑戦[2]。開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦では、5月30日までに42試合の出場で打率.309、3本塁打という好成績を残した。翌31日に自身2年振りの出場選手登録[3]を果たすと、6月2日の対横浜DeNAベイスターズ戦(旭川スタルヒン球場)で一軍初本塁打。スタメンに起用された9月10日の対オリックスバファローズ戦(札幌ドーム)では、4打席4安打で一軍初の猛打賞を達成するとともに、チームの勝利によってヒーローインタビューを初めて経験した[4]。ちなみに、実戦で三塁を守ったのは、この年のイースタン・リーグ公式戦2試合だけであった[5][6]。
2014年には、一軍公式戦で自己最多の44試合に出場。4月13日の対埼玉西武ライオンズ戦では、本拠地・札幌ドームでの一軍初本塁打を放った[7]。シーズン通算では、一軍で自己最多の3本塁打・12得点を記録したが、打率は.196にとどまった。なお、この年には、2歳年上の一般女性と結婚している[8]。
2015年には、春季キャンプ中の2月13日に、前述の結婚と第1子(長女)の誕生を発表[8]。しかし、シーズン開幕後は一軍公式戦16試合に出場しただけで、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[9]。
日本ハム退団後
2015年11月10日にシートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加したが、7人の投手に対して、6打数無安打1四球という結果に終わった[10]。さらに、NPBを含むプロ野球他球団への移籍に至らなかったことから、現役を引退。引退後は、一般企業に就職している[11]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 日本ハム | 9 | 18 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 |
2011 | 8 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
2013 | 38 | 108 | 91 | 9 | 22 | 3 | 1 | 2 | 33 | 15 | 1 | 1 | 4 | 0 | 12 | 0 | 1 | 28 | 2 | .242 | .337 | .363 | .699 | |
2014 | 44 | 114 | 107 | 12 | 21 | 4 | 1 | 3 | 36 | 9 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 38 | 2 | .196 | .225 | .336 | .562 | |
2015 | 16 | 29 | 28 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 0 | .214 | .241 | .250 | .491 | |
NPB:5年 | 115 | 276 | 251 | 25 | 52 | 8 | 2 | 5 | 79 | 30 | 1 | 2 | 7 | 0 | 17 | 0 | 1 | 91 | 4 | .207 | .260 | .315 | .575 |
- 2015年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2010年5月27日、対中日ドラゴンズ1回戦(石川県立野球場)、7回表に増井浩俊の代打で出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、7回表に金剛弘樹から右前適時打
- 初先発出場:2010年6月2日、対広島東洋カープ4回戦(札幌ドーム)、7番・右翼手で先発出場
- 初本塁打:2013年6月2日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(旭川スタルヒン球場)、2回裏に三嶋一輝から中越2ラン
- 初盗塁:2013年9月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、4回表に二盗(投手:田中将大、捕手:嶋基宏)
背番号
- 57 (2007年 - 2010年途中)
- 69 (2010年途中 - 同年終了)
- 52 (2011年 - 2015年)
脚注
- ^ 栗山監督「佐藤脱がす、三塁手やらせる」日刊スポーツ(2012年12月13日)
- ^ 日本ハム佐藤がプロ7年目でサード挑戦日刊スポーツ(2013年1月22日)
- ^ 【日本ハム】佐藤1軍で「貢献したい」日刊スポーツ(2013年5月31日)
- ^ 【日本ハム】佐藤、初猛打賞で初お立ち台日刊スポーツ(2013年9月10日)
- ^ 2013年度 北海道日本ハムファイターズ 個人守備成績(パシフィック・リーグ)
- ^ 2013年度 北海道日本ハムファイターズ 個人守備成績(イースタン・リーグ)
- ^ 日本ハム佐藤賢1号「感触も会心」日刊スポーツ(2014年4月13日)
- ^ a b 日本ハム佐藤賢1号「感触も会心」日刊スポーツ(2014年4月13日)
- ^ 来季契約について北海道日本ハム公式サイト(2015年10月2日)
- ^ “合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ 『日刊スポーツ』2015年12月29日付特集記事「さよならプロ野球」
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 佐藤賢治 - NPB.jp 日本野球機構
- 佐藤賢治 (@kenjisatoh52) - X(旧Twitter)