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2016年6月8日 (水) 01:21時点における版
コロムビア・トップ | |
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本名 | 下村 泰 |
生年月日 | 1922年5月6日 |
没年月日 | 2004年6月7日(82歳没) |
出身地 |
日本 東京府東京市浅草区 (現東京都台東区) |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
最終学歴 | 北辰電機・青年学校 |
コンビ名 | コロムビアトップ・ライト |
相方 | コロムビア・ライト |
芸風 | 漫才 |
活動時期 | 1946年 - 2003年 |
過去の代表番組 |
『昭和歌謡大全集』 『おじゃまんが山田くん』(声優として) |
他の活動 |
タレント、俳優、 声優、国会議員(参議院) |
親族 | 下村彰宏 |
下村 泰 (コロムビア・トップ) しもむら ゆたか | |
---|---|
生年月日 | 1922年5月6日 |
出生地 |
日本 東京府東京市浅草区 (現東京都台東区) |
没年月日 | 2004年6月7日(82歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
前職 | 漫才師 |
所属政党 | 第二院クラブ |
称号 | 勲二等 |
選挙区 | 全国区(比例代表区) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1974年7月7日 - 1995年7月7日 |
コロムビア・トップ(1922年5月6日 - 2004年6月7日)は、日本の漫才師、漫談家、政治家。参議院議員。 本名、下村 泰(しもむら ゆたか)。勲等は勲二等。東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)出身。三男は俳優の下村彰宏。
人物
「青空一門」の総帥。漫才協団(現:漫才協会)を率いて「トップに嫌われては東京の漫才師としては生きられない」と言われる程の勢力を誇った。議員活動としては「あゆみの箱」活動、障害者福祉などの分野に取り組んだ。議会内では必ず和服を着ていた。
1994年3月に当時の細川護煕首相と会食した際、首相が「辞めたい」とこぼした事を報道陣に暴露し騒然となる。細川は一ヶ月後退陣に追い込まれた。
最晩年は癌を患いながらも死去する数ヶ月前までラジオに生出演するなど仕事への執念を見せた。
懐メロ番組の司会も多く務め、「昭和歌謡大全集」ではご意見番として出演し、「年忘れにっぽんの歌」では途中何度か間はあるものの、1968年から2000年まで通算30年以上司会を務めている。
一度テレビ番組の企画で同じ政治家の浜田幸一と「コロムビア・トップ・ラスト」で漫才をやった事がある。また、晩年は内海桂子と共に漫才を行うこともあった。
1990年の夏、笑点に出演した時のこと。大喜利の第3問で「田舎にいる母親(司会者)が、息子(大喜利メンバー)へ『お前、帰って来なさいよ』と言うので、答を返す」というお題が出た。このお題に林家こん平が「母ちゃん。政治家というのはね、夏休みを返上して国民のために働くのが務めなんだよ。笑点出て、漫談やっている暇なんか無いんだよ」と答えたところ、舞台の袖にいたコロムビア・トップが鬼の形相で飛び出して来た。トップは一拍の間を置いた後、こん平を突き飛ばし、座布団を全部取り上げて下がった。大喜利への乱入という前代未聞の椿事に場内は大爆笑。当時の司会者だった五代目三遊亭圓楽は「よく言った!!こん平さんに座布団5枚!!」と締めた。
第二次世界大戦前からの野球ファンで、東京巨人軍を贔屓にしていた。
略歴
- 1940年(昭和15年) 北辰電機・青年学校卒業。
- 1942年(昭和17年) 陸軍加藤隼戦闘隊員に入隊。
- 1946年(昭和21年) 復員後抑留先に池田喜作と漫才コンビを組み、青空トップ・ライトとしてデビュー。
- 1950年(昭和25年) 池田の死去に伴い、鳥屋二郎とコンビを組み直す。芸名は変らず青空トップ・ライト。
- 1952年(昭和27年) コロムビアレコードと契約し、コロムビア・トップ・ライトに改名。時事、風刺漫才で活躍。
- 1974年(昭和49年)7月 第10回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、参議院議員に初当選(その後、3期17年6ヶ月務める。第二院クラブに所属)。
- 1980年(昭和55年)6月 第12回参議院議員通常選挙に出馬するも落選。9月 テレビアニメおじゃまんが山田くんスタート。主人公、山田よしお役を2年間にわたって演じた。
- 1983年(昭和58年)6月 第13回参議院議員通常選挙に出馬するも次点で落選。12月に野坂昭如が第37回衆議院議員総選挙出馬に伴う自動失職により繰り上げ当選。
- 1989年(平成元年)7月 第15回参議院議員通常選挙に出馬し、3期目当選
- 1995年(平成7年) 東京都知事となった青島幸男の後を引き継ぎ、第二院クラブ代表になるが、7月の第17回参議院議員通常選挙では落選。同年、勲二等旭日重光章を受章。
- 1998年(平成10年)7月 第18回参議院議員通常選挙にて再び落選。これを期に政界引退。
- 2004年(平成16年)3月、親交の深い島倉千代子の歌手生活50周年記念パーティーに出席し、自身の強い希望で乾杯の音頭を取る。これが生前、公の場に出た最期となった。生前最後のテレビ出演は同年3月放送の、レギュラー出演していた「昭和歌謡大全集」(テレビ東京)だった。
- 2004年(平成16年)6月7日午後8時31分、呼吸不全にて死去、82歳没。 墓所は目黒区東光寺。死後に正四位に叙された。