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2016年6月8日 (水) 00:24時点における版

かなやま まさひで

金山 昌秀
生誕 金 昌秀(キム・チャンス、김창수[1]
(1962-09-08) 1962年9月8日(62歳)[1]
東京都江東区[1]
国籍 大韓民国の旗 韓国(その後日本の旗 日本に帰化)
職業 IMM JAPAN創立者
ディレクター
ニューヨーク子宮内膜症センター所長
米国産婦人科学会認定専門医
ニューヨーク・マウントサイナイ医科大学生殖医学科臨床助教授
ジョンズ・ホプキンス大学 大学医学部病理学客員研究員[2]
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金昌秀
各種表記
ハングル 김창수
漢字 金昌秀
発音: キム・チャンス
日本語読み: きん・しょうしゅう
ローマ字 Kim Chang-su
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金山 昌秀(かなやま まさひで、出生名:金 昌秀(キム・チャンス、김창수)、1962年9月8日[1][3] - )は、IMM JAPAN創立者。現在の名前は1979年6月19日帰化したことによる[1]

概要

東京都江東区出身[2]。父親・母親ともに在日韓国人。姉は金山梨花。また4歳年下の弟がいる。

17歳の時にクリスチャンとなる[2]ウィスコンシン大学医学部、メイヨークリニック医学部大学院を卒業後、産婦人科医となる[2]。その後ニューヨーク子宮内膜症センターを開設[2][4][5]。2006年以降は子宮内膜症不妊症分野において全米でトップドクターとして選ばれ続けている[2][5]。また医療改革委員会の顧問を務めている[5]傍ら、宣教師としてイエス・キリストの証人として世界各国の教会、聖職者から招待を受けて各地で講演会を開いている[2]。さらに2011年に発生した東日本大震災以降は日本へも度々訪問している[5]

脚注