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2016年6月7日 (火) 23:25時点における版
鵜沢 尚信 | |
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生誕 |
1895年8月10日 日本 東京府東京市 |
死没 | 1980年9月19日(85歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1916 - 1946 |
最終階級 | 陸軍中将 |
除隊後 | 全日本銃剣道連盟会長、全国戦友会連合会会長 |
鵜沢 尚信(うざわ なおのぶ、1895年(明治28年)8月10日 - 1980年(昭和55年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
本籍千葉県。鵜沢総司陸軍大佐の息子として東京市で生れる。開成中学、陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を優等で卒業し近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。
1928年(昭和3年)3月、教育総監部付勤務となり、教育総監部課員を経て、1931年(昭和6年)5月から1933年(昭和8年)7月までドイツ駐在。1931年8月、歩兵少佐に昇進。1933年8月、近衛歩兵第2連隊大隊長となり、教育総監部課員に異動し、1935年(昭和10年)12月、歩兵中佐に進級。1937年(昭和12年)8月、第2軍参謀に転じ日中戦争に出征。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し教育総監部第1課長となる。1940年(昭和15年)7月、歩兵第61連隊長に着任し宜昌作戦などに参加。1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級、歩兵第130旅団長に就任し太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)12月、第17独立守備隊長に発令され、1943年(昭和18年)3月、陸軍戸山学校長に就任。1944年(昭和19年)6月、香港占領地総督部参謀長に転じ、同年12月、第23軍参謀長を兼務。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、翌月、第129師団長に就任。恵州、淡水の警備に当たり終戦を迎えた。1946年(昭和21年)5月に復員。
戦後、全日本銃剣道連盟会長、全国戦友会連合会会長を務めた。
著作
- 『鵜沢尚信私記』非売品、1988年。
- 『陸軍戸山学校略史』私家版、1969年。
親族
- 妻 鵜沢秀子(医師・志村棟作の娘、志村正三の妹)