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2016年6月7日 (火) 23:24時点における版

うしごめ ただひろ

牛込 惟浩
生誕 (1936-05-26) 1936年5月26日
東京府東京市足立区
死没 (2016-04-09) 2016年4月9日(79歳没)
国籍 日本の旗 日本
別名 タッド
出身校 早稲田大学法学部
職業 MLBアナリスト
著名な実績 大洋ホエールズ外国人選手獲得
肩書き 横浜ベイスターズ顧問
任期 - 2000年
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牛込 惟浩(うしごめ ただひろ、1936年5月26日[1] - 2016年4月9日)は、東京府東京市(現東京都足立区出身の元プロ野球スカウトで、最後はMLBアナリストである。愛称は「タッド」。

来歴

1955年-1959年に家業の牛乳販売業に従事し、1963年早稲田大学法学部卒業後、同年入学した日米会話学院の院長から、1964年2月に大洋球団の通訳アルバイトを紹介をされ受諾。ディーン・ストーンの通訳アルバイト終了間際に、平山菊二(当時スカウト部長)から継続雇用を打診され、1964年4月に株式会社大洋球団(現横浜DeNAベイスターズ)に入社[2]

通訳から始まり、二軍・一軍マネジャー、広報を経て、渉外担当に就任[2]

スカウトとしてクリート・ボイヤージョン・シピンフェリックス・ミヤーンカルロス・ポンセジム・パチョレックロバート・ローズグレン・ブラッグスら、ホエールズ・ベイスターズで活躍する外国人選手を次々と獲得に成功する。

1992年に理事就任[1]、顧問を経て2000年1月退社。同年MLBボストン・レッドソックスの極東スカウトに就任。

近年はMLBアナリストとして、SKY PerfecTV!TBSのMLB中継の解説や執筆活動を展開していた。

2016年4月9日、敗血症のため死去[3]。79歳没。

実績

獲得した選手のうち、ミヤーン、パチョレック、ローズが首位打者、ポンセが本塁打王、ポンセ、ローズが打点王を獲得して打撃三冠を制し、またボイヤー、シピン、ローズはゴールデングラブ賞を受賞(パチョレックは阪神移籍後の1992年に受賞)しており、牛込が外国人スカウトとしていかに眼力が高かったかを証明している。

外国人選手獲得に当たっての留意事項としては、「海外(主にアメリカ)での数字は当てにならない」「自己PRビデオは(良い場面しか出ていないので)参考にならない」「性格の悪い選手はダメ」があった。

著書

  • 『プロ野球 成功するスカウト術』
  • 『サムライ野球と助っ人たち 横浜球団スカウトの奮闘記』
  • 『サムライ野球と助っ人たち 旅日記編』

など

脚注

  1. ^ a b 牛込惟浩『サムライ野球と助っ人たち 旅日記編』三省堂、1996年 ISBN 4385357188
  2. ^ a b 牛込惟浩『サムライ野球と助っ人たち 横浜球団スカウトの奮闘記』三省堂、1993年 ISBN 4385355169
  3. ^ “MLB評論家 牛込惟浩さん死去”. デイリースポーツ. (2016年5月4日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2016/05/04/0009050145.shtml 2016年5月4日閲覧。 

外部リンク