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2016年6月7日 (火) 23:05時点における版
群馬ダイヤモンドペガサス #67 | |
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2012年11月23日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
東京都練馬区 (出生地は徳島県阿南市) |
生年月日 | 1993年4月2日(31歳) |
身長 体重 |
185 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2011年 ドラフト9位 |
初出場 | 2012年10月5日 |
最終出場 | 2012年10月8日 |
年俸 | 520万 (2014年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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伊藤 拓郎(いとう たくろう、1993年4月2日 - )は、群馬ダイヤモンドペガサスに所属するプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
徳島県阿南市生まれ、東京都練馬区育ち。小学2年から野球を始める。大泉西中では東練馬リトルシニアに所属、3年時にAAアジアチャレンジマッチ日本代表に選出される。
帝京高に進学すると、1年時春から公式戦に登板。背番号18でベンチ入りした第91回全国高等学校野球選手権大会の敦賀気比高戦の9回2死からリリーフとして登板し甲子園デビューを果たすと、最速147km/hを記録。続く3回戦の九州国際大附高戦では148km/hを記録して、中田翔が持っていた1年生の最速記録を更新した。秋からは背番号11を背負いながら主戦となり、春の第82回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦の神戸国際大附高戦と2回戦の三重高戦で2試合連続で完投勝利する活躍でベスト8入りを果たす。
2年になるとスピードを追い求めるあまりにフォームを崩し、制球が乱れるようになる。さらに、夏に背筋痛に苦しみ伸び悩んだ[1]。同じくして、帝京高の投手コーチが退任し、投手を指導できる人物がいなくなったこともあり、このころから伸び悩む。夏は東東京予選5回戦で国士舘高に6-14でコールド負けを喫した。
その後も調子は上がらず、3年時春の都大会では初戦敗退を喫する。一転、夏は球速へのこだわりを捨て緩急で勝負することを決意し[1]、東東京予選準々決勝の修徳高戦では7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録[2]。決勝の関東一高戦では9回1失点の完投で甲子園出場を果たした[3]。第93回全国高等学校野球選手権大会では、初戦で大谷翔平がエースの花巻東高戦で先発し4回途中5失点で降板したがチームは8-7で勝利する。2回戦の八幡商業高戦では、定評のあった打撃を生かすため先発は後輩の投手に託し一塁手として出場した。チームは3-0とリードし9回表の守りにつくも、1死から連打を浴び1点を返された直後に逆転満塁本塁打を打たれ3-5で敗退した。結局マウンドに上がることはなかったが試合後はホームランを打たれた後輩や1年時から苦楽をともにした松本剛を笑顔で慰めた。野球部の2学年先輩に原口文仁、1学年先輩に山崎康晃、2学年後輩に石川亮がいる。
2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズからドラフト指名最後となる9位で指名を受け、11月22日に契約金1000万円、年俸450万円(金額は推定)で契約した。背番号は67に決定した。高校の同期である松本剛も、北海道日本ハムファイターズから2位指名を受けた。
横浜・DeNA時代
2012年には、10月5日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、同日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に救援投手として一軍デビュー。一軍公式戦には、この試合を含めて2試合に登板した。
2013年以降は一軍公式戦への登板機会がなく、2014年10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]。通告後には、2度にわたって12球団合同トライアウトに参加。NPB加盟球団からの獲得オファーがなかった一方で、11月22日には、BCリーグの富山サンダーバーズが伊藤の獲得に乗り出すことが報じられた[5]。12月2日に、自由契約選手としてNPBから公示[6]、同月27日には、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスが伊藤の獲得を発表した[7]。群馬への入団に至った背景には、DeNA時代のチームメイトで、当時群馬のシニアディレクターを務めていたアレックス・ラミレスからの勧めがあったという[8]。
BCリーグ・群馬時代
2015年には、リーグ戦29試合に登板。6勝6敗、防御率4.81という成績を残した。シーズン終了後の11月10日には、前年に続いて、12球団合同トライアウトへ参加している[9]。
選手としての特徴・人物
最速148km/hのストレートと鋭いスライダーが武器[10]。潜在能力を高く評価されていて、打撃センスも抜群[11]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | DeNA | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | 9 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.50 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | 9 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.50 |
記録
- 初登板:2012年10月5日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に長野久義から空振り三振
- 初ホールド:2012年10月8日、対広島東洋カープ24回戦(横浜スタジアム)、3回表に2番手で救援登板、1回無失点
独立リーグ時代の成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
完 投 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 群馬 | 29 | 0 | 6 | 6 | 0 | .500 | 389 | 88.0 | 98 | 5 | 29 | 7 | 64 | 8 | 5 | 49 | 47 | 4.81 | 1.44 |
通算:1年 | 29 | 0 | 6 | 6 | 0 | .500 | 389 | 88.0 | 98 | 5 | 29 | 7 | 64 | 8 | 5 | 49 | 47 | 4.81 | 1.44 |
背番号
- 67 (2012年 - )
脚注
- ^ a b “帝京・伊藤、激動の2年5ヵ月が終わる”. デイリースポーツonline (2011年8月14日). 2012年6月13日閲覧。
- ^ “帝京のプロ注目エース伊藤 7回参考ノーヒッター!”. スポニチ Sponichi Annex (2011年7月28日). 2012年6月13日閲覧。
- ^ “帝京・伊藤 最後の夏に156球完投!復肩V”. スポニチ Sponichi Annex (2011年8月11日). 2012年6月13日閲覧。
- ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
- ^ “【BCリーグ】DeNA戦力外の伊藤、富山が獲得に動く”. スポーツ報知 (2014年11月22日). 2015年1月8日閲覧。
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 群馬球団公式サイト (2014年12月27日). 2015年1月8日閲覧。
- ^ “戦力外伊藤が群馬へ ラミからラブコール”. nikkansports.com (2014年12月22日). 2015年1月8日閲覧。
- ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ “【横浜9位】伊藤拓郎 素材はピカイチ 高1の時の輝き取り戻せるか?”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月27日). 2012年6月13日閲覧。
- ^ “プロ野球ドラフト会議”. 横浜ベイスターズ (2011年11月25日). 2012年2月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 伊藤拓郎 - NPB.jp 日本野球機構