「はな子」の版間の差分
→経歴: やや二重表現 |
一部出典の表記ガイド#年月日・時間に反した日付表記を修正 |
||
9行目: | 9行目: | ||
[[1947年]]に[[タイ王国]]で生まれた。タイでの名前は「カチャー」<ref name="thai">[http://www.thaiembassy.jp/rte1/index.php?option=com_content&view=category&id=52&Itemid=229 タイの象] 5-8 「人気者のはな子 1-4」 在京タイ王国大使館</ref>。 |
[[1947年]]に[[タイ王国]]で生まれた。タイでの名前は「カチャー」<ref name="thai">[http://www.thaiembassy.jp/rte1/index.php?option=com_content&view=category&id=52&Itemid=229 タイの象] 5-8 「人気者のはな子 1-4」 在京タイ王国大使館</ref>。 |
||
[[File:インドから送られたインディラ。.jpg|thumb|150px|right|インドから送られたインディラ]] |
[[File:インドから送られたインディラ。.jpg|thumb|150px|right|インドから送られたインディラ]] |
||
「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、[[1949年]][[8月22日]]にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、[[9月2日]]に[[神戸港]]に着いた。そして、貨物列車とトラックを使って、[[9月4日]]に[[恩賜上野動物園]]に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた<ref name="thai" />。上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年[[9月25日]]に[[インド]]から贈られた「[[インディラ (象)|インディラ]]」も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた<ref |
「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、[[1949年]][[8月22日]]にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、[[9月2日]]に[[神戸港]]に着いた。そして、貨物列車とトラックを使って、[[9月4日]]に[[恩賜上野動物園]]に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた<ref name="thai" />。上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年[[9月25日]]に[[インド]]から贈られた「[[インディラ (象)|インディラ]]」も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた<ref>{{Cite news|title=Vol.59 象インディラの来日 子どもの願いにネール即決 昭和24年9月(1/2)- 昭和史再訪セレクション - 地球発|publisher=[[朝日新聞]]|date=2009-09-19|url=http://doraku.asahi.com/earth/showashi/110830.html|accessdate=2016-05-28|archiveurl=http://web.archive.org/web/20110926071822/http://doraku.asahi.com/earth/showashi/110830.html|archivedate=2011-09-26}}</ref>。 |
||
[[File:移動動物園の開催.jpg|thumb|200px|right|移動動物園を行うインディラ]] |
[[File:移動動物園の開催.jpg|thumb|200px|right|移動動物園を行うインディラ]] |
||
翌[[1950年]]から、「はな子」と「インディラ」は[[移動動物園]]で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。[[1954年]][[3月5日]]、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された<ref |
翌[[1950年]]から、「はな子」と「インディラ」は[[移動動物園]]で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や[[三鷹市]]から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。[[1954年]][[3月5日]]、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された<ref>{{Cite web|url=http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_press/030/030720.html|title=井の頭自然文化園のアジアゾウ「はな子」に感謝状を贈呈します|publisher=[[三鷹市]]|date=2012-01-31|accessdate=2016-05-28|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130414225122/http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_press/030/030720.html|archivedate=2013-04-14}}</ref>。 |
||
しかし、[[1956年]] |
しかし、[[1956年]]のある深夜にゾウ舎に侵入した酔客を死亡させる事故を起こし、さらに4年後の[[1960年]]4月にも飼育員を踏み殺す事故を起こした<ref name="asahi110823">{{Cite web|archiveurl=http://web.archive.org/web/20110924065836/http://www.asahi.com/national/update/0822/TKY201108220336.html|archivedate=2011-09-24|url=http://www.asahi.com/national/update/0822/TKY201108220336.html|title=「はな子」お世話、今後は柵越しだゾウ 飼育事故多発で|publisher=朝日新聞|date=2011-08-23|accessdate=2016-05-28}}</ref><ref name="buzzfeed160528">{{Cite news|url=https://www.buzzfeed.com/tatsunoritokushige/zounohanako?utm_term=.qmD35ZoODR#.ymrkP2XY0m|title=アジアゾウ「はな子」が人間に背を向け、壁を見ていた理由|newspaper=[[バズフィード]]|date=2016-05-27|accessdate=2016-05-28}}</ref>。このため、「殺人ゾウ」の烙印を押され処分を迫られた「はな子」は、鎖につながれ来園客から石を投げられたこともあり、ストレスなどからやせ細った<ref name="buzzfeed160528" /><ref name="sankei070204">{{Cite news|url=http://ironna.jp/article/3228|title=父の生き方は象のはな子がみんな教えてくれた|newspaper=[[産経新聞]]|date=2007-02-04|accessdate=2016-05-28}}</ref>。 |
||
事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった<ref name="asahi110823" />。 |
事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった<ref name="asahi110823" />。 |
||
19行目: | 19行目: | ||
年老いてからは歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていなかった。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだものが与えられていた<ref name="sankei070204" />。 |
年老いてからは歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていなかった。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだものが与えられていた<ref name="sankei070204" />。 |
||
近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、[[2011年]]夏に |
近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、[[2011年]]夏に飼育方法がそれまでの直接飼育から、飼育員が柵越しに世話をする準間接飼育に改められた<ref name="asahi110823" />。 |
||
2015年10月にはカナダのブロガーが「コンクリートの中、一頭だけで立ち尽くしている」とブログ上で記述、国際的な署名活動が行われ、45万人以上の署名が集まった。2016年3月に発端となったブロガーと動物園が改善策の話し合いが行われた<ref> |
2015年10月にはカナダのブロガーが「コンクリートの中、一頭だけで立ち尽くしている」とブログ上で記述、国際的な署名活動が行われ、45万人以上の署名が集まった。2016年3月に発端となったブロガーと動物園が改善策の話し合いが行われた<ref>{{Cite news|title=「はな子」に幸せな余生を=騒動発端のブロガーと対話-井の頭動物園|newspaper=時事通信|date=2016-04-03|url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016040300068&g=soc}}</ref>。 |
||
2016年5月26日に死去。69歳没<ref>{{Cite news|title=国内最高齢のゾウ 「はな子」死ぬ|newspaper=NHK|date=2016年5月26日16時14分|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160526/k10010536001000.html}}</ref>。翌27日の解剖で死因が[[呼吸不全]]と判明した<ref name="asahi20160527">{{Cite news|title=ゾウ「はな子」、死因は呼吸不全 国立科学博物館に寄贈|newspaper=朝日新聞|date=2016年5月27日20時24分|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ5W61VWJ5WUTIL05Z.html|accessdate=2016-05-27}}</ref>。また、遺体は[[国立科学博物館]]に寄贈された<ref name="asahi20160527" />。 |
2016年5月26日に死去。69歳没<ref>{{Cite news|title=国内最高齢のゾウ 「はな子」死ぬ|newspaper=NHK|date=2016年5月26日16時14分|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160526/k10010536001000.html}}</ref>。翌27日の解剖で死因が[[呼吸不全]]と判明した<ref name="asahi20160527">{{Cite news|title=ゾウ「はな子」、死因は呼吸不全 国立科学博物館に寄贈|newspaper=朝日新聞|date=2016年5月27日20時24分|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ5W61VWJ5WUTIL05Z.html|accessdate=2016-05-27}}</ref>。また、遺体は[[国立科学博物館]]に寄贈された<ref name="asahi20160527" />。 |
2016年5月28日 (土) 03:21時点における版
はな子(はなこ、1947年 - 2016年5月26日)は、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園で飼育されていたメスのアジアゾウである。
第二次世界大戦後に初めて日本にやって来たゾウで、日本で最も飼育期間が長かったゾウである[1]。
2013年1月に66歳を迎え、日本で飼育された中で最も長寿のゾウとなった[2]。
経歴
1947年にタイ王国で生まれた。タイでの名前は「カチャー」[3]。
「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年8月22日にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、9月2日に神戸港に着いた。そして、貨物列車とトラックを使って、9月4日に恩賜上野動物園に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた[3]。上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年9月25日にインドから贈られた「インディラ」も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた[4]。
翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された[5]。
しかし、1956年のある深夜にゾウ舎に侵入した酔客を死亡させる事故を起こし、さらに4年後の1960年4月にも飼育員を踏み殺す事故を起こした[6][7]。このため、「殺人ゾウ」の烙印を押され処分を迫られた「はな子」は、鎖につながれ来園客から石を投げられたこともあり、ストレスなどからやせ細った[7][8]。
事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった[6]。
年老いてからは歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていなかった。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだものが与えられていた[8]。
近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に飼育方法がそれまでの直接飼育から、飼育員が柵越しに世話をする準間接飼育に改められた[6]。
2015年10月にはカナダのブロガーが「コンクリートの中、一頭だけで立ち尽くしている」とブログ上で記述、国際的な署名活動が行われ、45万人以上の署名が集まった。2016年3月に発端となったブロガーと動物園が改善策の話し合いが行われた[9]。
2016年5月26日に死去。69歳没[10]。翌27日の解剖で死因が呼吸不全と判明した[11]。また、遺体は国立科学博物館に寄贈された[11]。
出典
- ^ 井の頭自然文化園の見どころ 井の頭自然文化園公式サイト
- ^ アジアゾウ「はな子」、日本新記録!! 東京ズーネット 2013年1月11日
- ^ a b タイの象 5-8 「人気者のはな子 1-4」 在京タイ王国大使館
- ^ “Vol.59 象インディラの来日 子どもの願いにネール即決 昭和24年9月(1/2)- 昭和史再訪セレクション - 地球発”. 朝日新聞. (2009年9月19日). オリジナルの2011年9月26日時点におけるアーカイブ。 2016年5月28日閲覧。
- ^ “井の頭自然文化園のアジアゾウ「はな子」に感謝状を贈呈します”. 三鷹市 (2012年1月31日). 2013年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月28日閲覧。
- ^ a b c “「はな子」お世話、今後は柵越しだゾウ 飼育事故多発で”. 朝日新聞 (2011年8月23日). 2011年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月28日閲覧。
- ^ a b “アジアゾウ「はな子」が人間に背を向け、壁を見ていた理由”. バズフィード. (2016年5月27日) 2016年5月28日閲覧。
- ^ a b “父の生き方は象のはな子がみんな教えてくれた”. 産経新聞. (2007年2月4日) 2016年5月28日閲覧。
- ^ “「はな子」に幸せな余生を=騒動発端のブロガーと対話-井の頭動物園”. 時事通信. (2016年4月3日)
- ^ “国内最高齢のゾウ 「はな子」死ぬ”. NHK. (2016年5月26日16時14分)
- ^ a b “ゾウ「はな子」、死因は呼吸不全 国立科学博物館に寄贈”. 朝日新聞. (2016年5月27日20時24分) 2016年5月27日閲覧。
参考文献
- 山川宏治『父が愛したゾウのはな子』現代書林、2006年9月14日。ISBN 4774506958。
関連書籍
- 大島弓子『大きな耳と長いしっぽ』角川書店、1993年8月。ISBN 4049243695。
関連項目
- ゾウのはな子 - 2007年放映のテレビドラマ