「Wikipedia:礼儀を忘れない」の版間の差分
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*会話ページの不快な言葉を消す(''ページ履歴に残るので、誰でもまた見れるしあとで参照できてしまう'') |
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*無礼者がした編集を(全部かつ永久に)削除する(''技術の助けが必要'') |
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*メーリング・リストでの不快なコメントを永久に削除(''技術の助けが必要'') |
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*編集要欄のコメントを別の不快ではないコメントで置き換える(''技術の助けが必要'') |
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==仲裁プロセスにおける無礼のマネージメント== |
==仲裁プロセスにおける無礼のマネージメント== |
2006年5月19日 (金) 17:28時点における版
この文書はウィキペディア日本語版の方針やガイドラインとして提案中です。内容に関してノートページで議論を行っています。 |
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丁寧は、全てのウィキペディア上の編集、コメント、及び利用者ページ議論の品行の為のルールです。かたや、無礼は、より大きな争いとストレスを引き起こす原因となる個人に向けられた行為、と概ね定義されますので、ここでの丁寧のルールは、簡潔に、人は人に対して丁寧にふるまわなければならない、とします。
私達のウィキペディア・コミュニティは、形式にとらわれない階級組織を経験的に発展させて来ました、その中核にある方針--中でも最も重要なのは、記事は中立的観点を以って書かれるべし、です。それをかんがみて、私達は、他人への節度ある丁寧な対応をお願いしています。丁寧はオンライン活動における唯一の原理であり、受け容れられないものから受け入れられる品行を囲い込む唯一の合理的な方法です。人は、いつも、人を愛し、褒め称え、従い、または、尊敬をもする、とは限りません。だから、私達には、丁寧を要求する全権があるのです。
問題
その自由さが故に、ウィキペディア全体が寄稿を特に重んじない場合があります。そういう事態が起こると、編集への批判がよりいっそう著しくなります。ある編集への批判がその編集者への侮辱と容易に混ざり合う、ということを多くの人々は忘れます--そうなると、人は、与える側では不必要に厳しく、受け取る側では不必要に敏感になります。インターネットの文字通信は口頭による会話のニュアンスは伝送しないので、短い、冗談まじりのコメントは容易に誤解されてしまいます。1つの無礼な書込みから始まるのは、無礼な書込みの交換会です、その間、人々は記事を改善することにはもはや興味をなくし、代わりに、「敵」に「勝利すること」に注目します。これは、本来のウィキペディアの姿ではありません。
例
取るに足らない例が無礼な環境の一因となります。
- 下品さ
- 要約欄での批判めいた決めつけ語調(「固執的なぐちっぽいつづり方」、「とぎれとぎれのまとまりのないたわごと」)
- 語学力や言葉選びを理由に寄稿者を縮こまらせること
- あれやこれやの的外れのやぼな言いがかり
- 「個人攻撃をするつもりはないのですが、...」とはじまるコメント
- 誰かをウソツキ呼ばわりすること、もしくは、人を中傷や侮辱で訴えること。たとえ本当でも、こうした言葉は争いを解決するよりもむしろ悪化させます。
もっと深刻な例に含まれるのは:
- なじること
- 個人攻撃
- 人種的、民族的および宗教的な中傷
- 別の寄稿者へ向けられた冒涜
- 嘘
- 利用者ページへのいたずら書き
- 「ページ移動荒らし行為」によって利用者に軽蔑的な名前を付けること
- 禁止やブロックを要求すること
無礼は起こります、例えば、あなたがもの静かに新しいページを作っているとき、別の利用者があなたに云います「無意味なページを書いているとはいえ、スペル・チェックはお願いしますね?」
「ほっといてくれ」とあなたが返事する時、事が大きくなります。
ウィキペディアン同士のこんな風なやり取りは、寄稿者達を遠ざけ、もっと大事なことから人の気をそらせてしまい、さらには、完全としたコミュニティをもろくしてしまいます。
いつ、なぜそうなるの?
- 編集合戦中に、人と意見が異なる時に、または、勢力争いがある時に
- コミュニティが大きくなると:各編集者はお互いを全く知らないので、プロジェクトには個人ひとりひとりが重要であるということに気付いていないのかもしれません--なので、存在しない人間関係を維持することも気にしていません。評判も、より小さなコミュニティ程には大切ではありません。
- たまに、とりわけ無作法な利用者がプロジェクトに参加します。これがまた悪いことに、他の編集者達自身を無作法にしてしまいます。
そうなると、長めの争いの絶頂期には侮辱行為が繰り返されます。侮辱行為は、本質的には、議論を終わらせるひとつの方法です。よくあることですが、侮辱行為をしたその人はあとになってそんな言葉をつかったことを後悔します。これそのこと自体はその不愉快な言葉を取り除く(もしくは、見直す)うまい言い訳にはなります。
他の事例では、その無礼者はわざとそれをしています;問題から敵対者の気をそらすか、記事やプロジェクトに携われないように彼等を遠ざける、または、さらにもっと無礼な過ちを彼等に犯させるように駆り立てる、のどちらかで、これは追放や禁止という結果になるかもしれません。これらの事例では、その無礼者が後悔したり謝罪したりなんてことは到底ありそうにありません。
編集者の中には、自分自身では過ちを犯さず、もはや人が丁寧ではいられなくなるまで、他人を意図的に追い詰める者がいる、ということを覚えておかねばなりません。
なぜダメなの?
- なぜならそれは人を不幸にし、落胆と離脱に終わるからです。
- なぜならそれは人を怒らせ、非建設的な、また、ましてや無礼な行為そのものに終わり、さらに無礼を増長させてしまうからです。
- なぜならそれは人を居直らせ、他人の考えに心を閉ざし、コンセンサスの形成を妨げることになるからです。
- なぜなら人は善意を失い、今また次の争いの解決能力を弱めてしまうからです。
こんなのどうでしょう
ウィキペディア内で無礼が起こらないようにするには
- 個人間での編集戦争と争論を差し止める(編集制限がプロジェクトにより設定されます--本質的には、コミュニティの回答です)
- 返事をわざと遅らせる:編集者が冷静を取り戻し回復できるよう時間を与え、争論のさらなる激化を避ける(争論の場合にはページ保護や編集者の一時ブロック)
- 建設的な反応をする(無礼に無礼を以って反応しない人を賞賛する)
- 集団圧力を掛ける(下品や無礼が起こる度に不快を表明する)
- 無礼者と他方の編集者またはコミュニティ間の争論の根本を解決する--または、妥協を見出す。
- 悲観的な反応をする(争論の巻き添えになっている編集者に争論から立ち去る様に、もしくは一時的にウィキペディア内の全ての論争を招くような区域を避ける様に提案する)。争論の両側に対してこのような提案をやってみるのも効果があるかもしれません。
- 無礼が起こりがちな特定ページを編集しない様に一定の編集者達をブロックする。
- 新しいルールを作成して施行する--ルールは、ある言葉を含めておき、一定回数以上その言葉を使った編集者を一時ブロックまたは編集禁止しても良い、とする。
- 無礼者毎にメール・フィルタを掛ける、もしくは、あるキーワードに基づいてメール・フィルタを掛けてこれら言葉が含まれるウィキペディア・メーリング・リスト宛てメールを拒絶する。
- 無礼や下品はこのようなプロジェクトでは完全には回避できないということが解っていても、同じ様には対応しない。
インパクトを減らすには
- なだめるようなもしくは建設的なコメントを与えることによってそれぞれの無礼なコメントを帳消しにする。
- 不快なコメントには返事をしない。それらのコメントは忘れる。その編集者を許す。争論を激化させない。(個人的なアプローチ)
- 無礼を無視する。無礼者は存在しないそぶりをする。無礼者とコミュニティの間に「ついたて」を立てる。
- 編集要欄での不快な言葉のインパクトを減らす為に透明のヴェール(&bot=1)で編集を戻す。
- 逃げ出す。ウィキペディアは大変大きなところです。しばらくどこか他の場所で編集して、機嫌が直れば戻りましょう。
無礼なコメントを消すには
- 会話ページでは、不快な言葉に取消線を引く、または、より穏やかなものと置き換える(これはしばしば問題になります、他人の言葉をいじるので)
- 会話ページの不快な言葉を消す(ページ履歴に残るので、誰でもまた見れるしあとで参照できてしまう)
- &bot=1 で編集を戻すと、無礼者がした編集は"最近変更したページ"では非表示になる(IP寄稿者は出来ますが、ログイン・ユーザには技術の助けが必要)
- 無礼者がした編集を(全部かつ永久に)削除する(技術の助けが必要)
- メーリング・リストでの不快なコメントを永久に削除(技術の助けが必要)
- 編集要欄のコメントを別の不快ではないコメントで置き換える(技術の助けが必要)
仲裁プロセスにおける無礼のマネージメント
関係者たちは時々、一方の関係者が交渉の準備が整っていないのに、合意を取り付けようとします。例えば、対立の源がある記事の特定の箇所にあるとすると、討議が両関係者間の無礼なやり取りのせいで混乱したままだと、論争解決は見込めないかもしれません。
無礼を説明せよ
自分に向けられた無礼な言葉にひどく動揺して対立の源にしっかりと焦点が合っていない編集者がいます。そんな場合は、何故不快な言葉が使われたのかを教えてあげて、無礼はいけないことだけれども、そのコメントの背後にある考え方は妥当かも、と気付かせてあげると、良いかもしれません。
怒っていた人も、その言葉が必ずしも字面通りに表現されたのではないと分かるようになり、これまでのことを水に流そうと思えるようになるでしょう。
人の気持ちを害することを目的として行われた時でも、非礼を指摘することは有益です、そうすることで論争者に問題を捉えなおしてもらえるかもしれないからです(議論好き)。
論争者コメントの言い回しを変える
仲裁プロセスにおいては、中立な第三者が両方の論争者と連絡をとり、両者間の意思の疎通を確保します。仲裁者の役割は、二人の論争者間での良識ある話し合いを促進することです。それ故に、利用者B宛てのコメントの言い回しを変えて伝える際に、利用者Aによって発言された無礼を取り除くのは有益です。
- 例えば、ある仲裁者を通じて利用者Aと利用者Bが互いに電子メールを使って白熱しているのなら、その仲介者は、「私は、ネオ・ナチ弁証者がウィキペディアを荒らすのをどうしても許せません。」を「利用者Aは、あなたがとあるひとつの見解に対し熱くなりすぎているのではと懸念しています。」と変えてもいいかもしれません。
仲裁中またはそれ以前に公開で交わされた白熱戦の言い回しを変える
仲裁プロセスの最後には、仲裁者はこう提案しても良いでしょう;論争者は共に、会話ページに残されたままになっている無礼なコメントを取り除くことに合意しましょう、と。編集者達は、こんな合意をするかもしれません;互いの侮辱や白熱戦の為だけに作成されたページを削除すること、記事議論に無関係な白熱戦の内容を削除すること、さらに、議論の見直しをすること。これで、論争者達が互いのわだかまりをより早く水に流そうとするかもしれません。同じく、論争者達は互いに謝ることに合意するかもしれません。
謝ることを提案せよ
仲裁は、定常的に、関係者の一方が他方に傷付けられているという口論を伴います。謝罪は、問題解決と交渉に関わりの無い行為であり、また調停に関するものでもありません。むしろ、それは関係両者の儀式的交流のひとつの形態です、そこではこんな言葉が述べられます;和解を許したまへ。進化論的調停では、謝罪は、関係を一変させてしまうような感謝の為の機会、を意味します。
人によっては、自分に被害を与えてきた人達から謝罪を受けることは必要不可欠であるかもしれません。この故に、心からの謝罪はしばしば争議解決への鍵となります:謝罪は寛大さの象徴です。ある人の気になる無礼が別の人の感情を損なわせている時は、謝罪が大変お勧めです。