「スコットランドの歴史」の版間の差分
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2003年9月22日 (月) 13:28時点における版
これは、スコットランド史の概略である。
スコットランド建国以前
紀元前1000年ごろ(紀元前700年ごろとも言われる)、ピクト人(ケルト系)と呼ばれる人々が大陸からわたってきて、この地に住み着いた。
紀元1世紀ごろよりブリタニアに侵入してきたローマ人であったが、カレドニアと呼ばれたこの地を完全に制圧することはできなかった。
395年ローマ人がブリタニアを放棄したころには、ピクト人に加えて、アイルランドよりカレドニア南西部に移住したスコット人(ケルト系)、ブリタニア北部よりカレドニア南西部に住み着いたブリトン人(ケルト系)、デンマークあたりよりカレドニア南部にやって来たアングル人の4つの種族が勢力を伸ばしていた。
スコットランド王国の建国
スコット人の王朝
4民族の抗争の中、9世紀ごろまでにキリスト教の普及とともにスコット人はピクト人との融合を深めていった。
846年、スコット人のダルリアダ王国(ダルニアダ王国)のケネス・マカルピンケネス1世は、ピクト人のオールバ王国を破り、スコット人・ピクト人の連合王国(ピクト人の王国の名を継承し、オールバ王国と呼ばれた)をうち立てる(アルピン朝)。ケネス1世は、西部のダンスタフニッジ(Dunstaffnage)からピクト人の本拠スクーン(Scone)に首都を移した。また、歴代のダルリアダ王が戴冠の座として用いてきた「運命の石」を新首都スクーンに移した。以後、歴代の王はこの石の上で戴冠式を行うことになり、スクーンの石と呼ばれることになる。
1018年、マルカム2世はアングル人を平定し、また孫のダンカン(後のダンカン1世)をブリトン王の継承者につけることに成功した。このころより、スコウシア(Scotia)王国と呼ばれるようになる。
マクベスとアサル朝
1034年、マルカム2世の長女ベソックとアサル領主でダンケルドの大修道院長クリナンの子ダンカン1世が、祖父の後継者として王位についた。彼の王朝はアサル朝と呼ばれる。ダンカン1世はブリトン人のソトラスクライド王国の王位をも継承した。こうして、現在のスコットランドの領域をほぼ手中にした。1040年、ダンカン2世は、従兄弟のマクベスに殺害され、王位を奪われた。
マクベスは1045年にダンカン1世の父クリナンを敗死させた。また、ロッハバーの領主でアルピン王家の血を引くバンクゥオを1043年に殺害した。バンクゥオの長男フリーアンスはウェールズに逃れた。(フリーアンスは、4年後にウェールズで処刑されたが、長男ウォルターはマルカム3世にロード・ハイ・ステュワードという要職に登用され、後のステュアート朝の始祖となる。)マクベスは力の政治を押し進めたが、彼の1050年にはローマ巡礼を果たすなど、統治能力は優れたものであった。
1057年、ダンカン1世の子マルカム・カンモーは、2度の戦いの末にマクベスを打ち倒す。しかし王位についたのは、マクベスの継子ルーラッハであった。マルカム・カンモーは4ヶ月後にルーラッハを殺害し、マルカム3世として即位した。
1066年、隣のイングランドではノルマンディー公ギョーム(ウィリアム1世)がイングランドを制圧する。最後のサクソン王ハロルド2世の後継者エドガー・アシリングと妹マーガレットが逃亡の途中で遭難し、スコットランド東岸に打ち上げられた。イーガボーグをすでに失っていたマルカム3世は、マーガレットと再婚した。(彼女との娘マチルダは、後にイングランド王ヘンリー1世の后となり、マティルダ(女帝モード)を生む。)彼女の影響を受け、宮廷様式はサクソン化し、宮廷内ではサクソン語が用いられるようになった。また、教会制度もケルト式からローマ式と変わっていった。
1093年のマルカム3世の死後、息子のダンカン2世と弟ドナルド3世と王位争いの後、ダンカン2世の弟のエドガー、アレグザンダー1世が王位を継承したが、いずれも跡継ぎがいなかったため、1124年に末弟のデイヴィッド1世が王となった。
王国としての態勢が整う
デイヴィッド1世は、兄たちと同様イングランドの宮廷で育ち教育を受けた。王位につくと、イングランドより優秀な人材を招いて要職につけた。こうして、行政、軍事、教会の体制を整えていった。
1136年には、イングランドのスティーブンとマティルダの内戦をついて、カーライル、ニューカースルを占領した。1138年、スタンダードでスティーブンに敗れ、いったんはカーライル、ニューカースルを放棄したが、1140年に結ばれたスティーブンとマティルダの和議の結果、ノーサンバーランド、カンバーランドなどの支配権を獲得した。また、このときにイングランドより得たカーライルの貨幣鋳造所により、スコットランドで初めてコインを鋳造した。
デイヴィッド1世の時代は産業の発展、信仰の普及などによって民生が向上した。また、英語が共通語として普及していった。
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