「タウファアハウ・トゥポウ4世」の版間の差分
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[[シドニー大学]]で[[法学]]を学んだ後に、[[1943年]]に母の[[サローテ・トゥポウ3世]]国王より教育大臣に指名、[[1944年]]には保健大臣になった。[[1949年]]からは首相となったが、[[1965年]]に母の死を受けて国王に即位した(母の喪が明けた[[1967年]]に正式に即位)。[[1976年]]には体重209.5[[キログラム|kg]]を記録し、「世界一重い君主」として[[ギネス世界記録|ギネスブック]]に登録された。後年は体重が半分になるまで減量したが、[[2006年]]に[[ニュージーランド]]・[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]の病院で崩御した。 |
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生前は[[親日|親日家]]としても知られ、皇太子時代には5回[[日本]]を訪れている。トンガの教育に[[そろばん]]を導入したり、[[大相撲]]の[[朝日山部屋]]へ[[力士]]を6名送り出すなどした。即位後もハラエバル・マタアホ[[w:Halaevalu Mataʻaho ʻAhomeʻe|Halaevalu Mataʻaho ʻAhomeʻe]]王妃とともに複数回来日し、[[1973年]]11月には[[靖国神社]]に参拝、また[[1989年]]2月には[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]に参列し |
生前は[[親日|親日家]]としても知られ、皇太子時代には5回[[日本]]を訪れている。トンガの教育に[[そろばん]]を導入したり、[[大相撲]]の[[朝日山部屋]]へ[[力士]]を6名送り出すなどした。即位後もハラエバル・マタアホ[[w:Halaevalu Mataʻaho ʻAhomeʻe|Halaevalu Mataʻaho ʻAhomeʻe]]王妃とともに複数回来日し、[[1973年]]11月には[[靖国神社]]に参拝、また[[1989年]]2月には[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]にトンガの正装であるタオパラで参列した。タオパラは南国の正装である為、防寒着を着るように周囲から薦められたが、昭和天皇への礼を欠く事は出来ないとして正装を貫き通した。 |
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ロケでトンガを訪れていた[[桂小枝]]と面会している。 |
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[[1958年]]に[[大英帝国勲章]]、[[1970年]]に[[ロイヤル・ヴィクトリア勲章]]、[[1977年]]に[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]をそれぞれ受章している。 |
[[1958年]]に[[大英帝国勲章]]、[[1970年]]に[[ロイヤル・ヴィクトリア勲章]]、[[1977年]]に[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]をそれぞれ受章している。 |
2015年5月16日 (土) 15:28時点における版
タウファアハウ・トゥポウ4世(Tāufaʻāhau Tupou IV、1918年7月4日 - 2006年9月10日)は、トンガ国王(在位:1965年 - 2006年)。1965年から1991年までトンガ王国総理大臣を務めたファタフェヒ・トゥイペレハケFatafehi Tu'i Pelehake王子は弟。
シドニー大学で法学を学んだ後に、1943年に母のサローテ・トゥポウ3世国王より教育大臣に指名、1944年には保健大臣になった。1949年からは首相となったが、1965年に母の死を受けて国王に即位した(母の喪が明けた1967年に正式に即位)。1976年には体重209.5kgを記録し、「世界一重い君主」としてギネスブックに登録された。後年は体重が半分になるまで減量したが、2006年にニュージーランド・オークランドの病院で崩御した。
生前は親日家としても知られ、皇太子時代には5回日本を訪れている。トンガの教育にそろばんを導入したり、大相撲の朝日山部屋へ力士を6名送り出すなどした。即位後もハラエバル・マタアホHalaevalu Mataʻaho ʻAhomeʻe王妃とともに複数回来日し、1973年11月には靖国神社に参拝、また1989年2月には昭和天皇の大喪の礼にトンガの正装であるタオパラで参列した。タオパラは南国の正装である為、防寒着を着るように周囲から薦められたが、昭和天皇への礼を欠く事は出来ないとして正装を貫き通した。
ロケでトンガを訪れていた桂小枝と面会している。
1958年に大英帝国勲章、1970年にロイヤル・ヴィクトリア勲章、1977年に聖マイケル・聖ジョージ勲章をそれぞれ受章している。
ハラエバル・マタアホ王妃との間に3人の王子・1人の王女があり、第1王子のトゥポウトア皇太子が王位を継承、ジョージ・トゥポウ5世となった。
かつて発行されていたトンガの通貨、パアンガ紙幣に肖像が使用されていた。