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「北陸トンネル火災事故」の版間の差分

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2006年4月30日 (日) 01:24時点における版

北陸トンネル火災事故(ほくりくとんねるかさいじこ)は、1972年(昭和47年)11月6日北陸本線敦賀駅南今庄駅間にある北陸トンネル(総延長13,870m)で発生した列車火災事故のことである。

事故概要

北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き客車急行列車「きたぐに」(EF70形電気機関車牽引、15両編成)の11号車食堂車オシ17形)喫煙室椅子下から火災が発生し、列車は規定に基づいて直ちに停車(敦賀側入口から5.3km地点)。

乗務員は消火作業を開始したが、鎮火は不可能と判断したため車両の切り離し作業に取り掛かった。しかし火勢の激しさとトンネル内の暗闇で作業は難航。そのうち熱でトンネルの構造物が溶け、架線に触れて停電したため、全長約13.9kmの長大トンネル内で列車は身動きが取れない状態に陥った。救援列車が運転されるなどしたが猛煙で救助は捗らず、30名(内1名は指導機関士)が死亡し、714名にものぼる負傷者を出す事態となった。死者は全員が一酸化炭素中毒死。火災の原因はオシ17形の電気暖房装置のショート(基準違反の配線であったことが判明している)とされた。

事故後の対策

この事故を教訓に、地下鉄や長大トンネルを走る車両の難燃化・不燃化の基準が改訂され、車両の防火対策が進められた。更に実際に走行中の車両を燃やして行った実験(宮古線で実施)で「いかなる場合でも直ちに停車する」より「トンネル内火災時には停止せずそのまま走行しトンネルを脱出する」ほうが安全であることが証明されたため、運転マニュアルを改めた。

なお、「きたぐに」事故の前の1969年にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が発生したが、この列車の乗務員の機転で当時の規則を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこれを「規定違反」として処分し、運転マニュアルの見直しを行わなかった。そのため事故列車は長大トンネルの中間で停止せざるを得ず、大惨事を惹起した。多数の犠牲の結果責任として乗務員3名が起訴され、裁判で長期にわたって争われたが、最善を尽くしたとされて無罪になった。本事故後、先述の「日本海」の乗務員に対する処分も撤回された。

また、事故車と同形のオシ17形は他に6両が在籍していたが、本事故の翌日には全ての列車で運用から外され、後に廃車となった。この事故発生以前から夜行急行列車の食堂車はすでに縮小が進められていたが、オシ17形の全廃によって夜行急行列車から食堂車が消滅することとなる。原因となった電気暖房のショートは電気暖房を使用する限りどの車両でも起こりうる事態であり、オシ17形だけが特別な危険性を有しているというわけではなかったが、10系客車は軽量化のために合板やプラスチックの内装を多用しており、それが有毒ガスの発生を招いて人的被害を拡大することになったのだった。