「テュルク系民族」の版間の差分
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'''テュルク'''('''Türk''')は、[[中央アジア]]を中心に[[シベリア]]から[[バルカン半島]]にいたる広大な地域に広がって居住する、[[テュルク諸語]]を母語とする人々のことを指す[[民族]]名称である。実際には政治的・文化的に分節された様々なグループあるいは民族の総称であり、'''テュルク系諸民族'''とも言う。 |
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=== モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家 === |
=== モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家 === |
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*:首長家系はチンギス・カン裔のジョチ家に由来する。 |
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*** [[シビル・ハン国]] - [[ジョチ]]の子シバン(シャイバーン)を祖とする王統。 |
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*** [[シャイバーン朝]] - 同上。 |
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*:首長家系はチンギス・カン裔のジョチ家に由来する。 |
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***** ジャーン朝ブハラ・ハン国 - アストラハン・ハン家系の王統。 |
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* [[ノガイ・オルダ]] |
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***** [[ブハラ・アミール国|マンギト朝]] |
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*:首長家系はチンギス・カン裔のジョチ家に由来する。 |
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**** [[ヒヴァ・ハン国]] |
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***** シャイバーン朝 |
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*:首長家系はチンギス・カン裔のジョチ家に由来する。 |
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***** コングラト朝 |
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*** [[コーカンド・ハン国]] - 非チンギス裔のミング部族の王統。 |
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*** [[カザフ・ハン国]] - ジョチ・ウルスのハン、[[オロス]]を祖とする王統。 |
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* [[チャガタイ・ハン国|チャガタイ・ウルス]]から生まれたテュルク=モンゴル系国家 |
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*** [[ムガル帝国]] - ティムール朝の王族[[バーブル]]が建設。 |
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* [[イルハン朝|フレグ・ウルス]]から生まれたテュルク=モンゴル系国家 |
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** [[ジャライル朝]] - モンゴル帝国の[[ジャライル]]部に由来。 |
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== 現代のテュルク系諸民族 == |
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* [[アフガニスタン]]には、[[ウズベク人]]など多くのテュルク系民族が住む。 |
* [[アフガニスタン]]には、[[ウズベク人]]など多くのテュルク系民族が住む。 |
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2004年7月6日 (火) 12:23時点における版
テュルク(Türk)は、中央アジアを中心にシベリアからバルカン半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。実際には政治的・文化的に分節された様々なグループあるいは民族の総称であり、テュルク系諸民族とも言う。
トルコ語の「テュルク」にあたる言葉として、日本語では「トルコ」という形が江戸時代以来使われているが、この語はしばしばオスマン帝国においてトルコ語を母語とした人々を意味し、現在ではトルコ共和国のトルコ人を限定して指す場合が多い。英語では、この狭義のTürk(テュルク/トルコ)と言うべき一民族をTurkish と呼び、広義のTürk(テュルク/トルコ)であるテュルク系諸民族全体をTurkic と呼んで区別しており、ロシア語など他のいくつかの言語でも類似の区別がある。これにならい、日本語でも狭義のTürkに「トルコ」、広義のTürkに「テュルク」をあてて区別する用法があり、本記事もこれにならう。
歴史
中国史料に見られる丁零が、「テュルク」の語で自称・他称されていたと考えられる民族に関する記録の最古のものであると考えられている。丁零は匈奴と同時代にモンゴル高原の北方、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3~4世紀ごろ南下して「高車丁零」を立てたが、6世紀前半に柔然に滅ぼされた。同じ頃、中国史料に鉄勒(てつろく)という当て字で記録される、テュルクの名を持つ人々が現れ、丁零の原住地バイカル湖沿岸から、中央アジアのカスピ海西岸に至る広大な地域で遊牧していた。また、同じ6世紀中頃に、やはりテュルクの音写名で記録される突厥(とっけつ、とつくつ)が現れ、柔然を滅ぼし鉄勒諸部族を服属させてモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られた。
8世紀に突厥が滅びた後モンゴル高原を支配した回鶻(ウイグル)の遊牧国家が崩壊すると、テュルク人のオアシス地域への南下、定住化が始まり、オアシスの言語・民族のテュルク化がおこって、中央アジアはトルキスタン(「テュルク人の土地」を意味する)になっていった。
テュルクのイスラム世界への進出は、はじめマムルーク(奴隷軍人)して個人個人が到来することによって始まったが、同時に定住・遊牧のテュルク人にイスラム教が次第に受け入れられてゆき、やがてイスラム化したテュルク人が遊牧部族の組織力を保ったままイスラム世界に進出するようになった。トゥルクマーンと呼ばれた彼らのうち一派は、中央アジアからシリア地方に至るセルジューク朝を立て、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を与えられてスンナ派の擁護者としての地位を確立する。また、トゥルクマーンの一部はアナトリア半島に進出し、ルーム・セルジューク朝、ついでオスマン朝を立て、その支配下でアナトリアのテュルク化・イスラム化が進んだ。
一方、セルジューク朝解体後の中央アジア方面は、ウイグルの崩壊後分裂していたモンゴル高原を統一してモンゴル帝国を立てたチンギス・ハーンによって征服され、テュルク遊牧民たちもその支配下に入った。しかし、帝国の西方に建国されたチャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、イル・ハン国ではいずれも支配者のモンゴル系遊牧民たちが、土着の優勢なテュルク系ムスリムの遊牧民たちと一体化していき、イスラム化・テュルク化してティムール朝などのテュルク=モンゴル系イスラム王朝を打ち立てた。その後、アゼルバイジャン・イランではテュルク系遊牧民の軍事力を背景にサファヴィー朝などの諸王朝、キプチャク草原ではキプチャク・ハン国を解体して生まれた諸ハン国が興り、現在のテュルク系諸民族を形成していった。
その後、キプチャク草原は新興のロシアの支配下に入り、中央アジアも19世紀までにロシアと清によって分割される。ロシア領内のテュルク人の間では、19世紀末からムスリムの民族的覚醒を促す運動が起こり、オスマン帝国を含めてテュルク人の幅広い連帯を目指す汎テュルク主義(汎トルコ主義)が生まれた。しかし、ロシア革命が旧ロシア帝国に住むテュルク系諸民族を個々の共和国や民族自治区に細分化し、トルコ革命が旧オスマン帝国であるアナトリアに住むトルコ人だけのための国民国家であるトルコ共和国を誕生させた結果、汎テュルク主義は否定される。
1991年のソビエト連邦崩壊後、旧ソ連から5つのテュルク系民族の共和国が独立。これら諸共和国やタタール人などのロシア領内のテュルク系諸民族と、トルコ共和国のトルコ人たちとの間で新たな強力関係が構築されつつある。
歴史的に活動した主なテュルク系民族・国家
- 匈奴とフンは、トルコ共和国ではトルコ民族の遊牧国家と見なされている。
- 高車
- 突厥
- ウイグル
- ハザール
- ブルガール
- キプチャク(ポロヴェツ、クマン)
- カラハン朝
- セルジューク朝
- ルーム・セルジューク朝
- ホラズム・シャー朝
- 黒羊朝
- 白羊朝
- オスマン帝国
モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家
モンゴル帝国の西方に形成されたキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)、イルハン朝(フレグ・ウルス)の3王家のウルスは、支配下に多くのテュルク系遊牧民を抱えていたため、言語的には急速にテュルク化し、中央アジアのテュルク系諸民族を形成した。
- ジョチ・ウルスから生まれたテュルク=モンゴル系国家
- ジョチ・ウルス左翼
- ジョチ・ウルス右翼
- チャガタイ・ウルスから生まれたテュルク=モンゴル系国家
現代のテュルク系諸民族
合計で1億3000万人という説がある。そのうち5000万人以上はトルコ共和国のトルコ人である。
主権国家
連邦構成国・民族自治区
- ロシア連邦
- ウズベキスタン共和国
- 中華人民共和国
その他の主なテュルク系民族とその居住地
- ウクライナ共和国の構成国クリミア自治共和国では、クリミア・タタール人が人口の2割を占める。
- モルドバには、テュルク系キリスト教徒のガガウズ人が居住している。
- キプロスの北部では、テュルク系の住民が北キプロス・トルコ共和国を立てて独立を宣言している。
- アフガニスタンには、ウズベク人など多くのテュルク系民族が住む。