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2006年4月14日 (金) 14:55時点における版
ジャパメタルは、1980年代に流行した音楽のジャンルで、日本人によるヘヴィメタルを指した。
ジャパニーズメタルの歴史
1960年代(グループサウンズ期)
『ザ・タイガース』、『ザ・ゴールデン・カップス』などがディープ・パープル、レッド・ツェッペリン等の曲をカヴァーしていたが、日本のハード・ロック/ヘヴィメタルの創世記の系譜として扱われることは少ない。
1970年代
日本のハード・ロック/ヘヴィメタルの創世記は、1970年代にジョー山中を中心に結成された『フラワー・トラベリン・バンド』がハード・ロック/ヘヴィメタルを日本中に広めたと言っても良いかもしれない。当時、フラワー・トラベリン・バンドは日本のハード・ロック/ヘヴィメタル系バンドで初めて海外でもライブを行ったバンドでもあるが、当時の日本はフォークソング、歌謡曲などが全盛の時代であり、またハード・ロックという音楽が浸透していない時代でもあったため、高い演奏能力を持ちながらも、不運にもその後解散してしまう。
また、ヘヴィメタルの視点から、竹田和夫率いる『ブルース・クリエーション』が「悪魔と11人の子供達」という楽曲を1970年にはすでに演奏していた。この楽曲はブラック・サバスの楽曲に良く似ており、オリジナルであった。
また時を同じくして、クニ河内、内田裕也率いるザ・フラワーズからフラワー・トラベリン・バンドに移行する前の石間秀樹、ジョー山中らは『クニ河内と彼のともだち』という名義で「切狂言」というアルバムを発売している。プログレッシブ・ロック色が強いものの、全て日本語で歌われた最初のハード・ロック・アルバムだった。
70年代中期には『BOW WOW』、『サディスティック・ミカ・バンド』、『コンディション・グリーン』、『紫』らのデビューもあり、日本のハードロックシーンが少しづつ盛り上がっていく。特にBOW WOWの山本恭司のプレイは海外で高く評価されている。
また、この時期にデビューした『レイジー』は事務所の命令でアイドルバンドとして活動をさせられていたが、コンサート会場では海外のバンドのカヴァー(UFOなど)を演奏しており、一部のコアなファンには既に高崎晃のプレイは注目されていた。
1980年代
1980年、アイドルグループだったレイジーが「ヘヴィメタル宣言」をしアルバム「宇宙船地球号」をリリース。当時19歳の高崎のプレイは今聴けば若さ溢れる荒っぽいプレイではあるものの、当時19歳とは思えないプレイとサウンドは日本のヘヴィメタルの夜明けを感じさせた。