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宮崎滔天の妻、立項。 |
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2014年4月22日 (火) 07:15時点における版
宮崎 槌(みやざき つち、1871年(明治4年) - 1942年(昭和17年))は、明治から昭和時代にかけての女性。槌子とも。前田案山子の三女。孫文を支援した宮崎滔天の妻。姉の卓は『草枕』の那美のモデルとされる。
略歴
熊本県玉名郡小天村(現天水町)生まれ。熊本の英語学舎で学び、さらに神戸のキリスト教の女学校を卒業。大恋愛の末、周囲の反対を押し切って滔天と結婚した。長男・龍介、次男・震作、長女・節の三子をもうけるが、滔天は「革命のためのお金はできるが妻子を養う金はない、お前はお前でどうにかしておけ」と家庭を顧りみないので、お嬢様育ちであった槌子は貧乏に耐え、実家の援助を受けつつ自ら働いて子供達を育て、先祖伝来の田畑も売り払って資金を作り、滔天の活動を支え続けた。
1942年(昭和17年)、71歳で死去。
参考文献
- 宮崎蕗苳(聞き書き:宮嶋玲子)『白蓮〜娘が語る母燁子〜』2007年、「旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会」発行。