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「タクロバン」の版間の差分

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|成立日2 =1953年6月12日{{date|June 12, 1953}}<ref name=RA760>{{cite web|url=http://www.chanrobles.com/republicacts/republicactno760.html#.UUl6aJAZ5H0|title=Republic act no. 760 - an act creating the city of tacloban|quote=Section 1. This Act shall be known as the Charter of the City of Tacloban|date={{date|June 20, 1952}}|accessdate={{date|20 mar 2013}}}}</ref>
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|総面積(平方キロ) =201.72<ref>{{cite web |title=Province: Leyte |url=http://www.nscb.gov.ph/activestats/psgc/province.asp?regName=REGION+VIII+%28Eastern+Visayas%29&regCode=08&provCode=083700000&provName=LEYTE |work=PSGC Interactive |publisher=National Statistical Coordination Board |accessdate=20 June 2013 |location=Makati City, Philippines}}</ref>
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'''タクロバン'''({{Lang-en|Tacloban}}、[[ワライ語]]: {{Lang|war|Syudad han Tacloban}}、[[タガログ語]]:{{Lang|tgl|Lungsod ng Tacloban}})は[[フィリピン]]中部、[[レイテ島]]北東部の海岸にある[[港湾]]都市。[[2008年]][[12月18日]]に[[:en:Cities of the Philippines#City classification|高度都市化都市]]に指定された<ref name=NSO>{{cite web |url=http://www.census.gov.ph/sites/default/files/attachments/hsd/pressrelease/Population%20and%20Annual%20Growth%20Rates%20for%20The%20Philippines%20and%20Its%20Regions%2C%20Provinces%2C%20and%20Highly%20Urbanized%20Cities%20Based%20on%201990%2C%202000%2C%20and%202010%20Censuses.pdf |title=Population and Annual Growth Rates for The Philippines and Its Regions, Provinces, and Highly Urbanized Cities |work=2010 Census and Housing Population |publisher=National Statistics Office |accessdate=12 June 2013}}</ref>。[[マニラ]]の[[南東]]約580kmに位置している。
'''タクロバン'''({{Lang-en|Tacloban}}、[[ワライ語]]: {{Lang|war|Syudad han Tacloban}})は[[フィリピン]]中部、[[レイテ島]]北東部の海岸にある[[港湾]]都市。[[レイテ州]]の州都であり、[[東ヴィサヤ地方]]の中心都市かつ最大都市でもある。タクロバンは東ヴィサヤ地方全体の商業、観光、教育、文化、そして政治の中心であり、海外貿易や大型船の出入りが盛んな港町で、埠頭の西端にはカラフルな市場が広がっている。市街地はカンカバト湾 (Cancabato Bay) および[[サン・ファニーコ海峡]]に面し、隣の[[サマール島]]とは[[サン・ファニーコ橋]]で結ばれ、「湾のそばの美しい街 (The Beautiful City By The Bay)」のニックネームを持つ。[[2010年]]現在の人口は約22万人<ref name="census2010_population" />、[[バランガイ]](集落)の数は138。

{{仮リンク|首長議会制|en|Mayor–council government}}を採用し、市長の権限が強い。2014年3月現在の[[市長]]はアルフレッド・S・ロムアルデス(Alfred S. Romualdez)、副市長はジェリー・T・ヤオカシン(Jerry T. Yaokasin)である。

タクロバンは東ヴィサヤ地方全体の商業、観光、教育、文化、そして政治の中心であり、海外貿易や大型船の出入りが盛んな港町かつ空の玄関口であり、埠頭の西端にはカラフルな市場が広がっている。
市街地はカンカバト湾 (Cancabato Bay) および[[サン・ファニーコ海峡]]に面し、隣の[[サマール島]]とは[[サン・ファニーコ橋]]で結ばれ、「湾のそばの美しい街 (The Beautiful City By The Bay)」のニックネームを持つ。2010年現在人口は約22万人<ref name="census2010_population" />、[[バランガイ]](集落)の数は138。[[第二次世界大戦]]中はフィリピンの臨時首都でもあった。[[2010年]]7月に{{仮リンク|アジア管理研究所|en|Asian Institute of Management}}が公開した調査結果ではタクロバンはフィリピンの中で都市[[競争力]]のある都市の十指に入っている。全体では5位に入り、新興都市分野では2位に入った<ref>{{cite web
|url=http://policy.aim.edu/research-and-knowledge-materials/publications/report-philippine-cities-competitiveness-ranking-project
|title=Cities and Enterprises, Competitiveness and Growth: Philippine Cities Competitiveness Ranking Project 2009|accessdate={{date|13 apr 2013}}|publisher=Asian Institute of Management Policy Center|year= 2010}}</ref>。[[2013年]]10月[[平成25年台風第30号|台風30号]]によって多くの人が亡くなった<ref>http://opinion.inquirer.net/65685/tacloban-not-once-but-thrice</ref>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ファイル:TAKLUB.JPG|thumb|left|市名の由来となった漁具「タクラブ」を用いたパフォーマンス]]
[[ファイル:TAKLUB.JPG|thumb|left|市名の由来となった漁具「タクラブ」を用いたパフォーマンス]]
タクロバンはかつてカンカバトク (Kankabatok) の名で呼ばれる集落であった。この名は最初にこの地に住んでいたカバトク (Kabatok) という部族の名から来ており、「カバトクの土地」の意味である。彼らは現在のサント・ニーニョ教会周辺に集落を構えていた。
タクロバンはかつてカンカバトク (Kankabatok) の名で呼ばれる集落であった。この名は最初にこの地に住んでいたカバトク (Kabatok) という部族の名から来ており、「カバトクの土地」の意味である。彼らは現在のサント・ニーニョ教会周辺に集落を構えていた。その後グモダ(Gumoda)やハラギン(Haraging)、フラウ(Huraw)などの部族が現れ近くに集落を構えた。フラウの集落は現在[[市役所]]がある丘にあった。これらは後に1つの集落となりカンカバトクという名前になった。


[[16世紀]]の終わりにはカンカバトクは[[スペイン]]支配下に入、[[サマール島]]のバセイ (Basey) の町の教区に属していた。[[1770年]]、[[聖アウグスチノ修道会]]の宣教師たちがこの地に入植したが、[[1813年]]に[[フランシスコ会]]が入れ替わった。このスペイン植民地支配の時期に、カンカバトクの町はタクロバンに名を変えている。この名は漁師がカニやエビ、魚を獲るのに使う竹製の漁具の「タクラブ」(Taklub) から来ており、この漁具を使う場所を意味する「タラクルバン」(Tarakluban) がタクロバンに変わったものである。
[[16世紀]]の終わりにはカンカバトクは[[スペイン]]支配下に入った。カンカバトクは{{仮リンク|パロ (レイテ州)|en|Palo, Leyte|label=パロ}}の政府が管轄し、[[サマール島]]の{{仮リンク|バセイ|en|Basey, Samar}}の町の[[教区]]に属していた。[[1770年]]、[[聖アウグスチノ修道会]]の宣教師たちがこの地に入植したが、[[1813年]]に[[フランシスコ会]]が取って代わった。このスペイン植民地支配の時期に、カンカバトクの町はタクロバンに名を変えている。この名は漁師がカニやエビ、魚を獲るのに使う竹製の漁具の「タクラブ」(Taklub) から来ており、この漁具を使う場所を意味する「タラクルバン」(Tarakluban) がタクロバンに変わったものである。カンカバトクは漁師のたまり場であり、彼らが漁に行くときに「タラクルバンに行く」と言っていたことからタクロバンとなった


この地は[[台風]]が多いため古い文書は失われており、タクロバンがいつ町になったかは明らかではないが、一般にはタクロバンがムニシパル(町)を公的に宣言したのは1770年のことだと信じられている。[[1768年]]にはレイテとサマールは別の州(軍管区)になっており、両島が狭い海峡で接するという戦略的な位置からタクロバンが重視された。レイテ州の州都がタクロバンに移ったのは[[1830年]]のことである。これはタクロバンが理想的な港であること、十分な施設があったためである。タクロバンが市に昇格したのは[[1952年]]6月12日である
この地は[[台風]]が多いため古い文書は失われており、タクロバンがいつ町になったかは明らかではないが、一般にはタクロバンがムニシパル(町)を公的に宣言したのは1770年のことだと信じられている。[[1768年]]にはレイテとサマールは別の州(軍管区)になっており、両島が狭い海峡で接するという位置から戦略的に、また交易上もタクロバンが重視された。レイテ州の州都がタクロバンに移ったのは[[1830年]]のことである。これはタクロバンが理想的な港であること、十分な施設があったためである。タクロバンが法令第760号で市に昇格したのは[[1952年]]6月12日である<ref name=RA760>{{cite web|url=http://www.chanrobles.com/republicacts/republicactno760.html#.UUl6aJAZ5H0|title=Republic act no. 760 - an act creating the city of tacloban
|quote= Section 1. This Act shall be known as the Charter of the City of Tacloban|date={{date|June 20, 1952}}|accessdate={{date|20 mar 2013}} }}</ref>。


[[1901年]]には米軍による支配が始まり、タクロバンの港は対外開放された。[[第二次世界大戦]]前にはタクロバンはすでにレイテ島の商業・教育の中心となっており、[[コプラ]]や[[マニラ麻]]の輸出で栄えるようになっていた。
[[1901年]]にはマーレイ大佐が上陸して米軍の軍事政権による支配が始まり、タクロバンの港は対外開放された。[[第二次世界大戦]]前にはタクロバンはすでにレイテ島の商業・教育、社会や文化の中心となっており、[[コプラ]]や[[マニラ麻]]の輸出で栄えるようになっていた。教育ではレイテ[[師範学校]]、レイテ[[高等学校]]、レイテ[[専修学校]]、{{仮リンク|神聖幼稚園|en|Holy Infant Academy}}やタクロバンカトリック協会がリードした。


[[1912年]]には台風がフィリピン中部を通過し、タクロバンは「壊滅同然」になった。[[パナイ島]]の[[カピス州]]とタクロバンを合わせた死者数は、当時のその地域の全人口の半分にあたる15,000人にのぼった<ref>{{cite web |url=http://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn83045433/1912-11-30/ed-1/seq-1/ |title= "15,000 Die in Philippine Storm" |newspaper=Washington Herald |date={{date|30 November 1912}} |accessdate={{date|19 November 2013}}}}</ref>。
[[1942年]]5月25日に[[日本軍]]がタクロバンに上陸し、タクロバンの港を物資の集積地とし、都市を要塞化し滑走路を整備した。日本軍の占領下の時期、多くの住民が[[ゲリラ]]となり抵抗を行っている。[[1944年]]10月20日の米軍による[[レイテ湾]]上陸後、10月23日に[[ダグラス・マッカーサー]]や[[フィリピン・コモンウェルス]]第2代大統領[[セルヒオ・オスメニャ]]らはタクロバンの政庁前で式典を行い、フィリピン・コモンウェルスの臨時政府首都をタクロバンに置いた。当時マッカーサー将軍はジョゼフ・プライス邸とレドーニャ邸に司令部を置き、ここからフィリピン奪回を指揮した。
[[ファイル:Tacloban Turnover ceremony statue.JPG|thumb|left|200px|タクロバン市役所前にあるマッカーサーとオスメニャの銅像]]
[[1942年]][[5月25日]]に[[大日本帝国海軍|日本軍]]がタクロバンに上陸し、タクロバンの港を物資の集積地とし、都市を要塞化し[[サンペドロ湾 (フィリピン)|サンペドロ湾]]の[[港湾]]や滑走路を整備した。[[日本軍]]の占領下にあった約2年の間、老人を含む多くの住民が[[ゲリラ]]となり抵抗を行っている。この中で代表格といえるのが{{仮リンク|ルペルト・カングレオン|en|Ruperto Kangleon}}である。タクロバンは米比連合軍により最初に解放された。タクロバン、パロへの上陸(それぞれホワイトビーチ、レッドビーチと呼ばれる)や[[1944年]][[10月20日]]の米軍による[[レイテ湾]]の{{仮リンク|ドラグ (フィリピン)|en|Dulag, Leyte|label=ドラグ}}(ブルービーチ)への上陸後、10月23日に[[ダグラス・マッカーサー]]や{{仮リンク|フィリピン・コモンウェルス|en|Commonwealth of the Philippines}}第2代大統領[[セルヒオ・オスメニャ]]らはタクロバンの政庁前で式典を行い、フィリピンの完全解放までフィリピン・コモンウェルスの臨時政府首都をタクロバンに置いた。当時マッカーサー将軍はジョゼフ・プライス邸とレドーニャ邸に司令部を置き、ここからフィリピン奪回を指揮した。結果としてこの上陸はマッカーサーの「私はきっと戻る」(I shall return.)という言葉とフィリピンの奪還、そして米軍の勝利を実現させる物になった。


第二次世界大戦後、パウロ・ジャロ(Paulo Jaro)市長が市を完全に解放した。[[フィリピン共和国]]樹立後発の市長はエピファニオ・アギーレ(Epifanio Aguirre)だった。[[1960年]][[1月8日]]、マッカーサーはレイテ島での「感傷的な」旅を終えた。
第二次世界大戦後、タクロバンは東ヴィサヤ地方の玄関口として、農業の集散地や軽工業の集積地として、日本や台湾、韓国などの外資が進出している。


その後、[[2008年]][[10月4日]]に[[グロリア・アロヨ]]大統領により都市化都市であることが宣言され<ref name="ReferenceA">Proclamation No. 1637 dated {{date|October 4, 2008}}</ref>、同年[[12月18日]]に市民の承認を得<ref>{{cite web |url=http://globalnation.inquirer.net/cebudailynews/visayas/view/20081220-179060/Tacloban-is-1st-highly-urbanized-city |title=Tacloban is 1st highly urbanized city |publisher=Cebu Daily News |date={{date|20 December 2008}} |accessdate={{date|2 December 2010}}}}</ref>
2013年11月、[[平成25年台風第30号|猛烈な勢力の台風]]が来襲。海岸付近の住宅地が壊滅的被害を受け、多くの死傷者を出した。一部では商店や[[赤十字]]救援物資の[[略奪]]も生じたことから、支援活動と治安維持のため、フィリピン軍兵士と警察官が500人以上動員されることとなった<ref>{{cite news |title=フィリピンの台風、死者数千人規模か―商店の略奪も |newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |date=2013-11-11|url=http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304368604579190462795619946.html |accessdate=2013-11-12|author=JOSEPHINE CUNETA |author2=TE-PING CHEN }}</ref>。
た。現在タクロバンは東ヴィサヤ地方の玄関口として、農業の集散地や軽工業の集積地として、日本や台湾、韓国などの外資が進出している。

=== 台風の被害 ===
[[ファイル:Tacloban Typhoon Haiyan 2013-11-14.jpg|thumb|right|台風により通りに積み重なった[[瓦礫]]]]
2013年[[11月8日]](現地時間)、[[平成25年台風第30号|猛烈な勢力の台風]]({{仮リンク|フィリピン気象地質天文管理局|en|Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration|label=フィリピン名}}:ヨランダ(Yolanda))が街を直撃<ref name="NDRRMC sitrep15">{{cite web|publisher=National Disaster Risk Reduction and Management Council|date=November 12, 2013|accessdate=November 12, 2013|title=SitRep No. 15 Effects of Typhoon "Yolanda" (Haiyan)|url=http://www.ndrrmc.gov.ph/attachments/article/1125/NDRRMC%20Update%20SitRep%20No.%2015%20Effects%20of%20TY%20Yolanda,%2012%20Nov%202013,%2010PM.pdf|format=PDF}}</ref>。海岸付近の住宅地が壊滅的被害を受け、多くの死傷者を出した。[[高潮]]により{{仮リンク|ダニエル・ロムアルデス空港|en|Daniel Z. Romualdez Airport}}が使えなくなり、2014年3月現在も仮設の司令部および避難所として使用されている<ref name="guk-1">{{cite news|title=Typhoon Haiyan: thousands dead as devastation hampers aid efforts|url=http://www.theguardian.com/world/2013/nov/10/typhoon-haiyan-dead-aid|date=2013-11-11|accessdate=2013-11-11}}</ref>。[[ヘリコプター]]での物資輸送のあと海路で物資を輸送した[[アメリカ海兵隊]]の[[准将]]であるポール・ケネディは次のように発言している。
{{Quotation|私はそこに壊れていない建物や深刻な被害を受けていない建物が1つでもあるとは思っていない。 - 全ての建物、家に至るまで。|Paul Kennedy<ref>{{cite news|title=Philippines declares state of calamity President declares emergency measures as aid trickles in for millions of people left destitute by the Haiyan superstorm. |url=http://www.aljazeera.com/news/asia-pacific/2013/11/philippines-state-national-calamity-2013111116128730244.html|publisher=aljazeera.com|date= 2013-11-11|accessdate= 2013-11-11}}</ref>}}
商店や[[赤十字]]救援物資の[[略奪]]が横行したため<ref>{{cite news|title=Philippine Red Cross says typhoon relief efforts being hampered by looters |url=http://www.foxnews.com/world/2013/11/10/strongest-typhoon-year-hits-philippines/|publisher=foxnews.com|date= 2013-11-10|accessdate= 2013-11-12}}</ref>地方政府は事実上崩壊し<ref>{{cite news|title=Tons of aid arriving in Philippines, but debris, logistics hampering relief efforts |url=http://www.foxnews.com/world/2013/11/12/tons-aid-arriving-in-philippines-but-debris-logistics-hampering-relief-efforts/|publisher=foxnews.com|date= 2013-11-12|accessdate= 2013-11-12}}</ref>、[[ベニグノ・アキノ3世|ベニグノ・アキノ大統領]]はタクロバンに[[非常事態宣言]]を出した。支援活動と治安維持のため、フィリピン軍兵士と警察官が500人以上動員されることとなった<ref>{{cite news |title=フィリピンの台風、死者数千人規模か―商店の略奪も |newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |date=2013-11-11|url=http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304368604579190462795619946.html |accessdate=2013-11-12|author=JOSEPHINE CUNETA |author2=TE-PING CHEN }}</ref>。2014年時点で公式の死者数は6201人に上っている<ref>{{cite report|url=http://www.ndrrmc.gov.ph/attachments/article/1125/NDRRMC%20Update%20re%20Sit%20Rep%2092%20Effects%20of%20%20TY%20%20YOLANDA.pdf|title=SitRep No. 92 : Effects of Typhoon “YOLANDA” (HAIYAN), Tab A : CASUALTIES |date=January 14, 2014 |publisher=National Disaster Risk Reduction and Management Council of the Philippines|format=PDF}}</ref>。


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== 地理 ==
== 地理 ==
タクロバンは、フィリピン中部[[東ヴィサヤ地方]][[レイテ島]]の北東部、[[レイテ湾]]最奥部のカンカバト湾ならびに[[サン・ファニーコ海峡]]の沿岸部に位置している。狭い同海峡の対岸には、[[サマール島]]の[[サマル州]]がある。
タクロバンは、フィリピン中部[[東ヴィサヤ地方]][[レイテ島]]の北東部、[[レイテ湾]]最奥部のカンカバト湾ならびに[[サン・ファニーコ海峡]]の沿岸部に突き出した半島に位置している。狭い同海峡の対岸には、[[サマール島]]の[[サマル州]]がある<ref name="HWE292"/>

タクロバンは[[赤道]]付近の多くの地域と同様、[[熱帯雨林気候]]に属しており、その気候は年間を通じて高温・多湿である。


=== 気候 ===
タクロバンは[[赤道]]付近の多くの地域と同様、[[熱帯雨林気候]]に属しており、その気候は年間を通じて高温・多湿である。年間を通して月に60[[ミリメートル|mm]]以上の降水があり、気温の[[日較差]]は年較差よりも大きいことがある。最高気温の平均は29.4{{℃}}(84.9{{°F}})、1年の中で最も平均気温が高いのは5月の31{{℃}}(87.8{{°F}})、最も平均気温が低いのは1月の23{{℃}}(73.4{{°F}})だが、最高気温を記録したのは12月の41.1{{℃}}(106.0{{°F}})、最低気温を記録したのも12月で12.8{{℃}}(55.0{{°F}})であった。降水量は年間で2294mm(90.4[[インチ (単位)|in]])、最も多いのは12月の305mm(12.0in)、最も少ないのは4月の119mm(4.7in)である。
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{{Weather box
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192行目: 209行目:
|date=December 2011
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== 市政 ==
[[ファイル:Tacloban City Hall.jpg|thumb|right|''カンフラウ'' &ndash; 市役所や市の政府の[[換喩]]となる。この場所の地名でもある。]]
市の[[行政権]]は市長に帰属する。[[議会]]にあたる{{仮リンク|サングニアン・パンルンソド|en|Sangguniang Panlungsod}}は[[条例]]を制定する権利を持っている。市議会は[[一院制]]で、10人の市議会議員と一定数の職権委員、それに地域の代表から構成される。進行役は副市長が担う。市長と市議会議員の任期は最大3年である。

市の政府は、2008年に高度都市化都市に認定されてから地方政府の監督下に入ったためその役目を終えた。現在は国が直轄で統治している。

=== 市章 ===
[[市章]]([[:en:File:Ph seal Tacloban.png|画像(英語版)]])は1952年6月20日に法令第760号によって市になった際に制定された。下の「市の特徴」が表されている<ref>{{cite web|title=City Seal|url=http://tacloban.gov.ph/?page_id=215|date=|accessdate={{date|30 mar 2013}}
|publisher=Official website of the City Government of Tacloban}}</ref>。
*左:農産物や海産物の主要な産地であり、市の経済や商業を支えているサマール地方を図案化。
*中央:美しいサン・ファニーコ海峡を図案化。
*[[ガレオン船]]:[[フェルディナンド・マゼラン]]が上陸し、{{仮リンク|フィリピンでの最初のミサ|en|First Mass in the Philippines|label=フィリピン初のミサ}}が行われた{{仮リンク|リマサワ島|en|Limasawa, Southern Leyte}}
*右:タクロバンのあるレイテ島

=== バランガイ ===
タクロバンには138の[[バランガイ]]があり<ref>[http://www.nscb.gov.ph/activestats/psgc/municipality.asp?muncode=083747000&regcode=08&provcode=37 Philippine Standard Geographic Code listing for Tacloban City] - National Statistical Coordination Board</ref>、それぞれが行政機関を持っている。()内はバランガイの番号
{{columns-list|colwidth=20em|
* リバータッド(Libertad)(1・4)
* T.クラウディオ St.(T. Claudio St.) (5)
* ヌラトゥラ(Nula-tula) (3・3A)
* エル・レポソ(El Reposo) (55・56)
* マガランズ(Magallanes) (54)
* サガハン・ピカス(Sagkahan Picas) (59・62B)
* サガハン・ブリス(Sagkahan Bliss) (62)
* サガハン・サギング(Sagkahan Saging) (62A)
* サガハン・マンガ(Sagkahan Mangga) (63)
* サガハン・プレザンヴィル(Sagkahan Pleasantville) (63)
* サガハン・マハイハイ(Sagkahan Mahayahay) (63)
* アニボング(Anibong) (66・67・68)
* PHHC (72の海岸部と73の山地部)
* 低ヌラトゥラ(Lower Nulatula) (74)
* ファーティマ村(Fatima Village) (75・76・77)
* マラスバラス(Marasbaras) (78・79・80・81・82)
* サン・ホセ(San Jose) (83・83A・83C・84・85・86・87・88・89・90)
* バイバイ(Baybay) (89A)
* アブカイ(Abucay) (91)
* アピトング(Apitong) (92)
* バガカイ(Bagacay) (93)
* ティガバオ(Tigbao) (94)
* バスパー(Basper) (94A)
* カイバーン(Caibaan) (95・95A)
* カラニパワン(Calanipawan) (96)
* カバラワン(Cabalawan) (97)
* カマンシナイ(Camansinay) (98)
* ディート(Diit) (99)
* サン・ロケ,スカンジナビアンsubd.(San Roque, Scandinavian subd.) (100)
* ニュー・カワヤン(New Kawayan) (101)
* オールド・カワヤン(Old Kawayan) (102)
* パラノグ(Palanog) (103・37A)
* GEパラノグ(GE Palanog) (12)
* サン・パグラウム(San Paglaum) (103A)
* サルヴァション(Salvacion) (104)
* スヒ(Suhi) (105)
* サント・ニーニョ(Santo Niño) (106)
* Sta.エレナ(Sta. Elena) (107)
* タガプロ(Tagapuro) (108)
* V&G分譲地(V&G Subdivision) (109・109A)
* ウタップ(Utap) (110)
}}

== 経済 ==
タクロバンには東ヴィサヤ地方の政治や経済、教育、文化の中枢が集まっているほか、[[ABS-CBN]]などの[[放送局]]の地域本部がある。タクロバンはフィリピン国内では最も経済成長の著しい都市の1つであり、[[貧困率]]は国内最低水準の約9%(国内平均は30%)で、地方政府も東ヴィサヤ地方で最も豊かな財源を持っている。空港はこの地域での[[ハブ空港]]になっている。

1990年代半ば、タクロバン市は237[[ヘクタール]](590[[エーカー]])の土地を[[経済特区]]として開発し、{{仮リンク|フィリピンの経済|en|Economy of the Philippines|label=フィリピン全体}}の経済特区の地位を向上させた。これは[[1998年]][[4月23日]]の{{仮リンク|大統領声明|en|Presidential Proclamation}}第1210号によるところが大きい。当時東ヴィサヤ農産業振興センター(EVRGC)は経済特区の開発・管理を認められていた。


== 交通 ==
== 交通 ==
[[ファイル:Tacloban Airport.jpg|thumb|right|200px|2007年のダニエル・ロムアルデス空港(タクロバン空港)]]
タクロバンは{{仮リンク|ダニエル・ロムアルデス空港|en|Daniel Z. Romualdez Airport}}を拠点とする。ただし2014年3月現在、2013年11月8日に到達した最大[[風速]]87.5[[メートル毎秒|m/s]]、[[高波|波の高さ]]4[[メートル|m]](13[[フィート|ft]])を記録した台風第30号の影響で利用できなくなっている。台風の3日後に[[ターボプロップエンジン|ターボプロップ機]]専用で運用を再開した<ref>{{cite news|title=Tacloban Airport reopens three days after being declared "ruined"|url=http://www.gmanetwork.com/news/story/334924/economy/business/tacloban-airport-re-opens-three-days-after-being-declared-ruined|publisher=GMA Network|date=2013-11-11|accessdate=2013-11-13}}</ref>。現在発着できる最大の機種は[[エアバスA320]]である。
* 空路
* 空路
**[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]] [[エアフィル・エクスプレス|PALエキスプレス]]([[フィリピン航空]])、[[セブパシフィック航空]]、[[タイガーエア・フィリピン]]、[[エアアジア・ゼスト]] 飛行時間1時間10分~1時間20分
**[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]] [[エアフィル・エクスプレス|PALエキスプレス]]([[フィリピン航空]])、[[セブパシフィック航空]]、[[タイガーエア・フィリピン]]、[[エアアジア・ゼスト]] 飛行時間1時間10分&#12316;1時間20分 運賃1800[[ペソ]]
**[[マクタン・セブ国際空港|セブ]] PALエキスプレス(フィリピン航空)、セブパシフィック航空 飛行時間約40分
**[[マクタン・セブ国際空港|セブ]] PALエキスプレス(フィリピン航空)、セブパシフィック航空 飛行時間約40分 運賃980ペソ
**[[イロイロ]] セブパシフィック航空 飛行時間1時間10分
**[[イロイロ]] セブパシフィック航空 飛行時間1時間10分、週3便の運行 運賃1200ペソ
* 海路
* 海路
マニラからの[[フェリー]]は週3便あり、36時間をかけて運航している。
**マニラからの[[フェリー]]は週3便あり、36時間をかけて運航している。運賃1200ペソ
**セブから[[オルモック]]行のフェリーが運航されている。{{仮リンク|スーパーキャット高速フェリー会社|en|Supercat Fast Ferry Corporation|label=スーパーキャット}}が毎日3便、{{仮リンク|セブフェリー|en|Cebu Ferries}}が週5便運航している。所要時間2時間30分 - 4時間程度 運賃765ペソ前後。
**{{仮リンク|リロアン (南レイテ州)|en|Liloan, Southern Leyte|label=リロアン}}を経由して[[ミンダナオ島]]の[[スリガオ]]との
* 陸路
* 陸路
レイテ島とサマール島を結ぶサン・ファニーコ橋があり、島内や長距離島外([[マニラ]]、[[セブ]]、[[ダバオ]]など)は[[バス (交通機関)|バス]]、レイテ島内の交通は[[ジープニー]]、トライシクルが担っている。
レイテ島とサマール島を結ぶサン・ファニーコ橋があり、島内や長距離島外[[マニラ]]、[[セブ]]、[[ダバオ]]などは[[バス (交通機関)|バス]]、レイテ島内の交通はマルチキャブ、[[タクシー]]、[[ジープニー]]、トライシクルが担っている。


== 言語・教育 ==
== 医療 ==
タクロバン市では以下のものなど多くの医療機関がある。
[[ファイル:Santo Niño Church of Tacloban.jpg|thumb|サント・ニーニョ教会]]
*公立病院
**東ヴィサヤ地域医療センター(EVRMC)
**タクロバン市立病院
*私立病院
**ベサニー病院(アメリカに本部を置くキリスト教会のフィリピン支部が運営)
**ディヴァイン・ワード病院([[ベネディクト会|ベネディクト修道女会]]が運営)
**母なる慈悲(Our Mother of Mercy)の病院({{仮リンク|慈悲の修道女会|en|Religious Sisters of Mercy}}が運営)
**[[イメルダ・マルコス|レメディオス・トリニダード・ロムアルデス]]病院(RTR医療財団が運営)
**タクロバン医療センター(医師たちのグループが運営)

== 言語・民俗 ==
{{Demography
| title= タクロバンの人口の推移
| 1990= 136891
| 1995= 167310
| 2000= 178639
| 2007= 217199
| 2010= 221174
| footnote= 出典:国家統計局<ref name=NSO/>
}}
タクロバンの文化や言語は、この地方の中心都市であることを反映して多様である。タクロバン周辺の主要言語は東ヴィサヤ地方に広がる[[ワライ語]]であるが、教育や商業や政治の場では[[タガログ語]]が使われ、国際語として[[英語]]も通用する。またレイテ島北西部や南部で使われる[[セブアノ語]]も使われる。
タクロバンの文化や言語は、この地方の中心都市であることを反映して多様である。タクロバン周辺の主要言語は東ヴィサヤ地方に広がる[[ワライ語]]であるが、教育や商業や政治の場では[[タガログ語]]が使われ、国際語として[[英語]]も通用する。またレイテ島北西部や南部で使われる[[セブアノ語]]も使われる。


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タクロバンの強みの一つは東ヴィサヤ地方でも随一の教育機関の集積があることである。フィリピン大学タクロバン校、東ヴィサヤ大学、ヴィサヤス・タクロバン・カレッジ、その他多くのミッション系大学や単科大学が集中しており、市内の学生の数は4万に達する。
タクロバンの強みの一つは東ヴィサヤ地方でも随一の教育機関の集積があることである。フィリピン大学タクロバン校、東ヴィサヤ大学、ヴィサヤス・タクロバン・カレッジ、その他多くのミッション系大学や単科大学が集中しており、市内の学生の数は4万に達する。

== 宗教 ==
タクロバン市民の最大70%が[[ローマ・カトリック教会]]を信仰していると推測されている。残りの30%のうち25%は[[プロテスタント]]や[[福音派]]の信者である。

== 教育 ==
{{Main|タクロバンの教育}}
タクロバンには公私共に多くの教育機関がある。代表的なものには次のようなものが挙げられる。
* タクロバンアンジェリカム(Angelicum)学習センター
* {{仮リンク|東ヴィサヤ州立大学|en|Eastern Visayas State University}}
* 聖[[スコラスティカ]]大学タクロバン校
* {{仮リンク|タクロバン聖テレーゼ教育財団|en|St. Therese Educational Foundation of Tacloban, Inc.}}
* レイテ国立高等学校
* {{仮リンク|レイテ教育大学|en|Leyte Normal University}}
* {{仮リンク|レイテ進歩主義高等学校|en|Leyte Progressive High School}}
* リセオ・デル・ヴェルボ・ディヴィノ({{仮リンク|ディヴァイン・ワード大学タクロバン校|en|Divine Word University of Tacloban}})
* タクロバン市立[[聖心]]大学
* [[TESDA]]タクロバン支部
* [[フィリピン大学ヴィサヤス・タクロバン校]]
* アジア開発財団短期大学
* タクロバン市立神聖幼児教育短期大学
* レイテ短期大学

== 文化 ==
市制施行記念日は[[6月30日]]である。

=== スビラン・レガッタ ===
スビラン・レガッタ(Subiran Regatta)はスビランと呼ばれる[[アウトリガー]]の付いた伝統的な1人乗りの[[帆船]]を使って[[レイテ湾]]で行われるレースである。このレースは[[パドル]]を使わないため、[[帆]]を操縦するだけで前に進む技術が求められる。この競技は年に一度、1週間にわたるタクロバン・シティフェスタの中で行われ、今まで32回を数えている。この大会はヨットを風だけで進める技術を保存、継承し、また地元の熟練者の技術を見せることを目的としている。

=== バルヤン ===
{{Main|#バルヤン公園}}
これはバセイとカンカバトクの交戦を再現する劇である。

=== サンギャウ祭 ===
サンギャウ(Sangyaw)とは古代[[ワライ語]]で前兆を意味する言葉である。前の{{仮リンク|フィリピン支配者の配偶者|en|First Spouse of the Philippines}}である[[イメルダ・マルコス]]が1980年代に始めた祭典で、2008年に彼女の甥と市長のアルフレッド・ロムアルデスが[[リバイバル]]として行った。サンギャウ祭では各国の祭で行われるいろいろなパフォーマンスをする人たちを招待し、競わせるものである。優勝者には賞金と[[トロフィー]]が贈られるため、毎年大きな盛り上がりを見せる。レイテのサント・ニーニョ祭とも呼ばれ、市制施行記念日の6月30日に行われる。その日、街ではテニエンテ(Teniente)と呼ばれる盛大な式典も催されるため、盛り上がりは最高潮になる。テニエンテとは、現市長が行う新市長を歓迎するためのイベントである。ここで過去の市長や[[連隊]]長にメダルを授与する式典も行われる。[[花火]]の打ち上げや[[パレード]]の行進も行われる。町中の人がごちそうを用意し、ドアを開けて客を迎え、他者の幸福を祈る。

== 名所 ==
タクロバンは東ヴィサヤ地方の玄関口であり、観光の拠点である。自然美の名所や第二次世界大戦の[[レイテ沖海戦|爪あとを残す場所]]として世界的に有名である。

=== サン・ファニーコ橋 ===
[[ファイル:San Juanico Bridge.jpg|thumb|right|200px|サン・ファニーコ橋]]
レイテ島とサマール島をサン・ファニーコ海峡を渡って結んでいる[[サン・ファニーコ橋]]は2.16km(1.34[[マイル|mi]])あり、フィリピン最長の橋である。台風30号でも大きな被害を受けなかったため、避難者の移動や物資の輸送に重要な役割を果たしている<ref>[http://live.aljazeera.com/Event/Typhoon_Haiyan_2 Typhoon Haiyan - Live Blogs - Al Jazeera English<!-- Bot generated title -->]</ref>。

=== 市民中央図書館 ===
[[図書館]]には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[ヨーロッパ]]など他の国の文化を紹介する本が所蔵されている。文学は[[フランス文学|フランス]]や[[スペイン文学|スペイン]]、[[イギリス文学|イギリス]]などの文学が[[法学]]の本と同程度に所蔵されている。研究者の他地元の学生の利用もある。

=== バルヤン公園 ===
バルヤン公園は{{仮リンク|マグサイサイ大通り|en|Magsaysay Boulevard}}沿いにある。{{仮リンク|バセイ|en|Basey, Samar}}の{{仮リンク|スペイン語使用地区|en|Barrio|label=バリオ}}(=バランガイ)・バスカダ(Barrio Buscada)とカンカバトク、つまり現在のタクロバンとの交戦を描いた絵が描かれている。当時、カンカバトクはサマール島のバセイの管轄下にあった小さなバリオだったが、サント・ニーニョ祭の最中にカンカバトクの住民がバセイのバリオ・バスカダにある[[礼拝堂]]からサント・ニーニョの絵を借りていた。サント・ニーニョはカンカバトクでもバリオ・バスカダでも[[守護聖人]]として崇められており、カンカバトクは祝祭が終わり次第すぐに絵をバリオ・バスカダに返すことになっていた。カンカバトクが独立勢力に匹敵するほど大きくなった時、地元のカトリック教会は町の繁栄のためにはサント・ニーニョの絵画を保有することが不可欠だとした。バスカダから絵が消えてカンカバトクから絵が見つかったという伝説もこの決定を後押しした。教会や政府のリーダーを運んでいたバセイ{{仮リンク|小艦隊|en|Flotilla}}は[[サンペドロ湾 (フィリピン)|サンペドロ湾]]の護岸工事を続けた。カンカバトク湾の小艦隊の光景がその歴史を今に伝えている。
[[ファイル:PRICEMANSION.JPG|thumb|right|200px|プライスマンション]]

=== マリア観音像 ===
マグサイサイ大通りには観音像もある。これは[[日本とフィリピンの関係|日比]]友好の証として建立された物である<ref name="HWE292"/>。市役所近くのカンカバト湾に面したカンフラウ・ヒル(Kanfuraw Hill)に立っている。[[第二次世界大戦]]中、[[フィリピン諸島]]を解放するために多くの住民が[[日本軍]]を受け入れてこの地に[[キャンプ]]を建てさせたが、後に米軍が優勢となった。しかし[[米軍]]も男を[[兵士]]に、女を身の回りの世話をさせるのに使った。この時期はレイテ島最大の悪夢とされている。劣勢になった日本軍は敵視され、[[フィリピン人]]の嫌悪の対象となった。その頃フィリピン人は[[日本人]]を見れば誰でも大声で罵っていた。しかし戦後[[日本国政府|日本政府]]はフィリピンと友好関係を築き、お互いの発展を支えあうようになった。

=== プライスマンション ===
プライスマンションは1900年代にアメリカ人が[[植民地]]支配時代に建てた[[家]]のことである。1944年の解放からはダグラス・マッカーサーの住宅兼司令本部となった。

[[ファイル:Santo Niño Church of Tacloban.jpg|thumb|200px|right|サント・ニーニョ教会]]

=== 苦しめられたレイテ ===
カンフラウ・ヒル(Kanhuraw Hill)に上がる坂道の途中にある小さな公園の中央に「苦しめられたレイテ」(Cracified Leyte)という像がある。その絵はタクロバン周辺の地図にも載っている。

=== サント・ニーニョ教会 ===
サント・ニーニョ教会(サント・ニーニョ聖堂とも)はマグサイサイ大通りからリアル通りに入って南に進んだところにある。この教会は地域で最も重要な教会であるとされている。タクロバンの守護聖人であるサント・ニーニョの奇跡に関する絵がある。台風30号で大きな痛手を負った。またマルコス元大統領と妻のイメルダの生活を再現した博物館も併設されている<ref name="HWE293">『地球の歩き方 '13-'14』p.293</ref>。

=== レドナ邸宅 ===
レドナ(Redona)邸宅は、19世紀半ばに建てられた住宅で、フィリピンの建築技術を後世に残すための文化財として残されている。この建物は法的措置による大規模な修復が必要とされている。1944年、フィリピンが日本から解放されて[[マニラ]]で改造{{仮リンク|フィリピン・コモンウェルス|en|Commonwealth of the Philippines}}が始まった時の[[セルヒオ・オスメニャ]]の邸宅であった。
[[ファイル:Provincial Capitol of Tacloban..jpg|thumb|right|200px|レイテ地方議会、フィリピン・コモンウェルス時代の[[1944年]][[10月23日]]から[[1945年]][[2月27日]]までの政府であった。]]

=== レイテ地方議会 ===
レイテ地方議会は[[1907年]]に建てられた[[新古典主義建築]]の建物である。セン・エンゲージ通り(Sen. Enage Street)とマグサイサイ大通りの交差点にあり、この場所は「キャピトリオ」(Capitolio、議事堂前)と呼ばれる。またここはフィリピンのオスメニャ政権時代の臨時政府の場所でもある。台風30号により大きな被害を受けた。
[[ファイル:Tacloban City Convention Center.jpg|right|thumb|200px|タクロバンメトロポリタンアリーナ]]

=== タクロバンメトロポリタンアリーナ ===
''アストロドーム''(Astrodome)とも呼ばれており、5000人を収容できる[[アリーナ]]である。[[バスケットボール]]の[[試合]]や[[コンサート]]、[[ミス・コンテスト|ミス・タクロバンコンテスト]]などに用いられる。また多くの[[バー (酒場)|バー]]や店も軒を連ねる。台風30号で大きな被害を受けて、2014年3月現在は[[収容避難場所|避難所]]として機能している。

=== マッカーサー上陸記念公園 ===
マッカーサー上陸記念公園(マッカーサー・ランディング・メモリアル・パーク)は1944年10月20日にマッカーサーら6人のアメリカ軍の兵士がレイテ島に上陸した際の様子を再現したものである。市中心部からは[[三輪タクシー#その他|トライシクル]]で20分 - 30分(200ペソ)程度の距離がある<ref name="HWE292">『地球の歩き方 '13-'14』p.292</ref>。

=== ガイサノ・ショッピングセンター ===
ジャスティス・ロムアルデス通りに面しているガイサノ・ショッピングセンターは市内最大のデパートで、付近に市場、商店街、レストランや銀行などが多く集まる<ref name="HWE292"/>。

== マスメディア ==
* タクロバンのテレビ放送局
** DYTC-TV TV-2 タクロバン - [[ABS-CBN]]
** DYTS-TV TV-4 タクロバン - [[TV5 (フィリピン)|TV5]] BJDSマーケティング支部
** DYTT-TV TV 6 タクロバン - 農業放送メディアサービス
** DYPC-TV TV-8 タクロバン - {{仮リンク|People's Television Network|en|People's Television Network|label=National Broadcasting Network}}
** DYTO-TV TV 10 タクロバン - [[GMAネットワーク]]
** DYRP-TV TV-12 タクロバン - {{仮リンク|大陸間放送協会|en|Intercontinental Broadcasting Corporation}}
** DYJP-TV TV-22 タクロバン - {{仮リンク|Southern Broadcasting Network|en|Southern Broadcasting Network}}({{仮リンク|ETC (テレビチャンネル)|en|ETC (TV channnel)|label=ETC}})
** DYTC-TV TV-24 タクロバン - {{仮リンク|AMCARA Broadcasting Network|en|AMCARA Broadcasting Network}}({{仮リンク|スタジオ23 (フィリピン)|en|Studio 23|label=スタジオ23}})
** DYOU-TV TV-26 タクロバン - {{仮リンク|GMAニューステレビ|en|GMA NewsTV}}
** DYLJ-TV TV-28 タクロバン - {{仮リンク|Rajah Broadcasting Network|en|Rajah Broadcasting Network}}({{仮リンク|2番街 (テレビチャンネル)|en|2nd Avenue|label=2番街}})
** DYTB-TV TV-30 タクロバン - {{仮リンク|ABC開発協会|en|ABC Development Corporation|label=放送企業組合}}
** TV-39 - UNTV
** DYNE-TV TV-46 タクロバン - {{仮リンク|イーグル放送協会|en|Eagle Broadcasting Corporation}}({{仮リンク|ネット25|en|Net 25}})
** DYLQ-TV TV-40 タクロバン - {{仮リンク|ACQ-Kingdom Broadcasting Network|en|ACQ-Kingdom Broadcasting Network}}
** PRTV-12 タクロバン - ワライ語の地元の[[極超短波|UHF]]放送局
** Leytenet Channel - ワライ語の[[ケーブルテレビ]]
** An Aton Channel - [[生放送]]のラジオとの[[サイマル放送]]({{仮リンク|太平洋放送システム|en|Pacific Broadcasting Systems|label=アクションラジオ}})

* FMラジオ
**DYTT 89.5 アスティグ・ワライAstig Waray - 農業放送メディアサービス
**DYTM 91.1 {{仮リンク|Love Radio|en|Love Radio|label=ラブラジオ}} - {{仮リンク|マニラ放送会社|en|Manila Broadcasting Company}}
**[[DYTY]] 93.5 ドリーム・ラジオ - レイテテレビ・ラジオ放送
**{{仮リンク|DYTC-FM|en|DYTC-FM}} 94.3 私だけのシカト生活のためのラジオ!(My Only Radio for Life SIKAT!)- [[ABS-CBN]]
**[[DYTX]] 95.1 ボンボラジオ・タクロバン - {{仮リンク|ボンボラジオ・フィリピン|en|Bombo Radyo Philippines}}
**DYXY 99.9 iFM - {{仮リンク|Radio Mindanao Network|en|Radio Mindanao Network}}
** 100.7 サンダーFM
** 106.3 ダブルパワーFM
** 104.7
* AM放送局
**DYVL 819&nbsp;[[キロヘルツ|kHz]] - マニラ放送会社
**[[DYDW]] 531&nbsp;kHz - カトリックの放送局のフィリピン連合
**DYMP 1566&nbsp;kHz - {{仮リンク|フィリピン放送サービス|en|Philippine Broadcasting Service}}
**{{仮リンク|DZRH|en|DZRH}} - マニラ放送会社
**DYBR 711&nbsp;kHz(アップルラジオ)
**{{仮リンク|Catholic Media Network|en|Catholic Media Network|label=CMN}}
* [[報道番組|ニュース番組]]
**{{仮リンク|テレビパトロール・タクロバン|en|TV Patrol Tacloban}}([[ABS-CBNタクロバン]])
**バリタ・ハン・シンコ(TV5レイテ)
**{{仮リンク|バリタン・ビスダク|en|Balitang Bisdak}}({{仮リンク|DYSSテレビ|en|DYSS-TV|label=GMAセブ}})


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
215行目: 442行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{Reflist}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{commonscat|Tacloban City}}
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* [[レイテ州]]
* [[レイテ州]]
** [[オルモック]]
** [[オルモック]]
225行目: 454行目:
*[http://www.tacloban.gov.ph タクロバン市公式サイト] {{ref-en}}
*[http://www.tacloban.gov.ph タクロバン市公式サイト] {{ref-en}}
*[http://www.ican.or.jp 認定NPO法人アジア日本相互交流センター・ICAN 同市で台風30号ハイエン被災者に対して、救援物資提供活動を実施]
*[http://www.ican.or.jp 認定NPO法人アジア日本相互交流センター・ICAN 同市で台風30号ハイエン被災者に対して、救援物資提供活動を実施]
*[http://www.chanrobles.com/republicacts/republicactno760.html タクロバンを市と定めた法令第760号]{{ref-en}}
[[Category:フィリピンの都市|たくろはん]]
{{Geographic location
[[Category:アジアの港町|たくろはん]]
|Centre = タクロバン
|North = {{仮リンク|ババトンゴン|en|Babatngon, Leyte|label=ババトンゴン}}
|East = ''[[サン・ファニーコ海峡]]'' / {{仮リンク|サンタ・リタ (サマル州)|en|Santa Rita, Samar|label=サンタ・リタ}}([[サマール島]][[サマル州]])
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}}
{{デフォルトソート:たくろはん}}
[[Category:タクロバン|*]]
[[Category:フィリピンの都市]]
[[Category:レイテ州]]
[[Category:アジアの港町]]

2014年4月20日 (日) 16:12時点における版

タクロバン
City of Tacloban
Ciudad han Tacloban
位置
タクロバンの位置の位置図
タクロバンの位置
座標 : 北緯11度15分 東経125度00分 / 北緯11.250度 東経125.000度 / 11.250; 125.000
行政
フィリピンの旗 フィリピン
 地方 東ヴィサヤ地方
 州 レイテ州
 市 タクロバン
市長 アルフレッド・S・ロムアルデス
地理
面積  
  市域 201.72[1] km2 (77.88 mi2)
人口
人口 (2010年[2]現在)
  市域 221,174人
    人口密度   1096.44人/km2
その他
等時帯 フィリピン標準時 (UTC+8)
夏時間 なし
市外局番 63, 53
公式ウェブサイト : http://www.tacloban.gov.ph

タクロバン英語: Taclobanワライ語: Syudad han Taclobanタガログ語:Lungsod ng Tacloban)はフィリピン中部、レイテ島北東部の海岸にある港湾都市。2008年12月18日高度都市化都市に指定された[3]マニラ南東約580kmに位置している。

首長議会制英語版を採用し、市長の権限が強い。2014年3月現在の市長はアルフレッド・S・ロムアルデス(Alfred S. Romualdez)、副市長はジェリー・T・ヤオカシン(Jerry T. Yaokasin)である。

タクロバンは東ヴィサヤ地方全体の商業、観光、教育、文化、そして政治の中心であり、海外貿易や大型船の出入りが盛んな港町かつ空の玄関口であり、埠頭の西端にはカラフルな市場が広がっている。 市街地はカンカバト湾 (Cancabato Bay) およびサン・ファニーコ海峡に面し、隣のサマール島とはサン・ファニーコ橋で結ばれ、「湾のそばの美しい街 (The Beautiful City By The Bay)」のニックネームを持つ。2010年現在人口は約22万人[2]バランガイ(集落)の数は138。第二次世界大戦中はフィリピンの臨時首都でもあった。2010年7月にアジア管理研究所英語版が公開した調査結果ではタクロバンはフィリピンの中で都市競争力のある都市の十指に入っている。全体では5位に入り、新興都市分野では2位に入った[4]2013年10月台風30号によって多くの人が亡くなった[5]

歴史

市名の由来となった漁具「タクラブ」を用いたパフォーマンス

タクロバンはかつてカンカバトク (Kankabatok) の名で呼ばれる集落であった。この名は最初にこの地に住んでいたカバトク (Kabatok) という部族の名から来ており、「カバトクの土地」の意味である。彼らは現在のサント・ニーニョ教会周辺に集落を構えていた。その後グモダ(Gumoda)やハラギン(Haraging)、フラウ(Huraw)などの部族が現れ近くに集落を構えた。フラウの集落は現在市役所がある丘にあった。これらは後に1つの集落となりカンカバトクという名前になった。

16世紀の終わりにはカンカバトクはスペイン支配下に入った。カンカバトクはパロ英語版の政府が管轄し、サマール島バセイ英語版の町の教区に属していた。1770年聖アウグスチノ修道会の宣教師たちがこの地に入植したが、1813年フランシスコ会が取って代わった。このスペイン植民地支配の時期に、カンカバトクの町はタクロバンに名を変えている。この名は漁師がカニやエビ、魚を獲るのに使う竹製の漁具の「タクラブ」(Taklub) から来ており、この漁具を使う場所を意味する「タラクルバン」(Tarakluban) がタクロバンに変わったものである。カンカバトクは漁師のたまり場であり、彼らが漁に行くときに「タラクルバンに行く」と言っていたことからタクロバンとなった。

この地は台風が多いため古い文書は失われており、タクロバンがいつ町になったかは明らかではないが、一般にはタクロバンがムニシパル(町)を公的に宣言したのは1770年のことだと信じられている。1768年にはレイテとサマールは別の州(軍管区)になっており、両島が狭い海峡で接するという位置から戦略的に、また交易上もタクロバンが重視された。レイテ州の州都がタクロバンに移ったのは1830年のことである。これはタクロバンが理想的な港であること、十分な施設があったためである。タクロバンが法令第760号で市に昇格したのは1952年6月12日である[6]

1901年にはマーレイ大佐が上陸して米軍の軍事政権による支配が始まり、タクロバンの港は対外開放された。第二次世界大戦前にはタクロバンはすでにレイテ島の商業・教育、社会や文化の中心となっており、コプラマニラ麻の輸出で栄えるようになっていた。教育ではレイテ師範学校、レイテ高等学校、レイテ専修学校神聖幼稚園英語版やタクロバンカトリック協会がリードした。

1912年には台風がフィリピン中部を通過し、タクロバンは「壊滅同然」になった。パナイ島カピス州とタクロバンを合わせた死者数は、当時のその地域の全人口の半分にあたる15,000人にのぼった[7]

タクロバン市役所前にあるマッカーサーとオスメニャの銅像

1942年5月25日日本軍がタクロバンに上陸し、タクロバンの港を物資の集積地とし、都市を要塞化しサンペドロ湾港湾や滑走路を整備した。日本軍の占領下にあった約2年の間、老人を含む多くの住民がゲリラとなり抵抗を行っている。この中で代表格といえるのがルペルト・カングレオン英語版である。タクロバンは米比連合軍により最初に解放された。タクロバン、パロへの上陸(それぞれホワイトビーチ、レッドビーチと呼ばれる)や1944年10月20日の米軍によるレイテ湾ドラグ英語版(ブルービーチ)への上陸後、10月23日にダグラス・マッカーサーフィリピン・コモンウェルス第2代大統領セルヒオ・オスメニャらはタクロバンの政庁前で式典を行い、フィリピンの完全解放までフィリピン・コモンウェルスの臨時政府首都をタクロバンに置いた。当時マッカーサー将軍はジョゼフ・プライス邸とレドーニャ邸に司令部を置き、ここからフィリピン奪回を指揮した。結果としてこの上陸はマッカーサーの「私はきっと戻る」(I shall return.)という言葉とフィリピンの奪還、そして米軍の勝利を実現させる物になった。

第二次世界大戦後、パウロ・ジャロ(Paulo Jaro)市長が市を完全に解放した。フィリピン共和国樹立後発の市長はエピファニオ・アギーレ(Epifanio Aguirre)だった。1960年1月8日、マッカーサーはレイテ島での「感傷的な」旅を終えた。

その後、2008年10月4日グロリア・アロヨ大統領により都市化都市であることが宣言され[8]、同年12月18日に市民の承認を得[9] た。現在タクロバンは東ヴィサヤ地方の玄関口として、農業の集散地や軽工業の集積地として、日本や台湾、韓国などの外資が進出している。

台風の被害

台風により通りに積み重なった瓦礫

2013年11月8日(現地時間)、猛烈な勢力の台風フィリピン名英語版:ヨランダ(Yolanda))が街を直撃[10]。海岸付近の住宅地が壊滅的被害を受け、多くの死傷者を出した。高潮によりダニエル・ロムアルデス空港が使えなくなり、2014年3月現在も仮設の司令部および避難所として使用されている[11]ヘリコプターでの物資輸送のあと海路で物資を輸送したアメリカ海兵隊准将であるポール・ケネディは次のように発言している。

私はそこに壊れていない建物や深刻な被害を受けていない建物が1つでもあるとは思っていない。 - 全ての建物、家に至るまで。 — Paul Kennedy[12]

商店や赤十字救援物資の略奪が横行したため[13]地方政府は事実上崩壊し[14]ベニグノ・アキノ大統領はタクロバンに非常事態宣言を出した。支援活動と治安維持のため、フィリピン軍兵士と警察官が500人以上動員されることとなった[15]。2014年時点で公式の死者数は6201人に上っている[16]

地理

タクロバンは、フィリピン中部東ヴィサヤ地方レイテ島の北東部、レイテ湾最奥部のカンカバト湾ならびにサン・ファニーコ海峡の沿岸部に突き出した半島に位置している。狭い同海峡の対岸には、サマール島サマル州がある[17]

気候

タクロバンは赤道付近の多くの地域と同様、熱帯雨林気候に属しており、その気候は年間を通じて高温・多湿である。年間を通して月に60mm以上の降水があり、気温の日較差は年較差よりも大きいことがある。最高気温の平均は29.4°C(84.9°F)、1年の中で最も平均気温が高いのは5月の31°C(87.8°F)、最も平均気温が低いのは1月の23°C(73.4°F)だが、最高気温を記録したのは12月の41.1°C(106.0°F)、最低気温を記録したのも12月で12.8°C(55.0°F)であった。降水量は年間で2294mm(90.4in)、最も多いのは12月の305mm(12.0in)、最も少ないのは4月の119mm(4.7in)である。

タクロバンの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 37
(99)
35
(95)
40
(104)
40
(104)
39
(102)
38
(100)
38
(100)
38
(100)
39
(102)
38
(100)
37
(99)
41
(106)
41
(106)
平均最高気温 °C°F 27
(81)
28
(82)
29
(84)
30
(86)
31
(88)
30
(86)
30
(86)
31
(88)
30
(86)
30
(86)
29
(84)
28
(82)
29.4
(84.9)
平均最低気温 °C°F 23
(73)
23
(73)
23
(73)
25
(77)
25
(77)
25
(77)
25
(77)
25
(77)
25
(77)
25
(77)
24
(75)
23
(73)
24.3
(75.5)
最低気温記録 °C°F 16
(61)
19
(66)
20
(68)
20
(68)
21
(70)
21
(70)
16
(61)
20
(68)
20
(68)
21
(70)
16
(61)
12
(54)
12
(54)
雨量 mm (inch) 281.7
(11.091)
204.1
(8.035)
139.6
(5.496)
118.9
(4.681)
142.4
(5.606)
160.8
(6.331)
167.0
(6.575)
135.5
(5.335)
161.5
(6.358)
197.2
(7.764)
279.0
(10.984)
305.3
(12.02)
2,293
(90.276)
平均降雨日数 20 17 15 14 14 16 16 14 16 19 20 21 202
湿度 85 84 82 81 82 82 82 81 82 84 86 86 83.1
出典:weatherbase

市政

カンフラウ – 市役所や市の政府の換喩となる。この場所の地名でもある。

市の行政権は市長に帰属する。議会にあたるサングニアン・パンルンソド英語版条例を制定する権利を持っている。市議会は一院制で、10人の市議会議員と一定数の職権委員、それに地域の代表から構成される。進行役は副市長が担う。市長と市議会議員の任期は最大3年である。

市の政府は、2008年に高度都市化都市に認定されてから地方政府の監督下に入ったためその役目を終えた。現在は国が直轄で統治している。

市章

市章画像(英語版))は1952年6月20日に法令第760号によって市になった際に制定された。下の「市の特徴」が表されている[18]

バランガイ

タクロバンには138のバランガイがあり[19]、それぞれが行政機関を持っている。()内はバランガイの番号

  • リバータッド(Libertad)(1・4)
  • T.クラウディオ St.(T. Claudio St.) (5)
  • ヌラトゥラ(Nula-tula) (3・3A)
  • エル・レポソ(El Reposo) (55・56)
  • マガランズ(Magallanes) (54)
  • サガハン・ピカス(Sagkahan Picas) (59・62B)
  • サガハン・ブリス(Sagkahan Bliss) (62)
  • サガハン・サギング(Sagkahan Saging) (62A)
  • サガハン・マンガ(Sagkahan Mangga) (63)
  • サガハン・プレザンヴィル(Sagkahan Pleasantville) (63)
  • サガハン・マハイハイ(Sagkahan Mahayahay) (63)
  • アニボング(Anibong) (66・67・68)
  • PHHC (72の海岸部と73の山地部)
  • 低ヌラトゥラ(Lower Nulatula) (74)
  • ファーティマ村(Fatima Village) (75・76・77)
  • マラスバラス(Marasbaras) (78・79・80・81・82)
  • サン・ホセ(San Jose) (83・83A・83C・84・85・86・87・88・89・90)
  • バイバイ(Baybay) (89A)
  • アブカイ(Abucay) (91)
  • アピトング(Apitong) (92)
  • バガカイ(Bagacay) (93)
  • ティガバオ(Tigbao) (94)
  • バスパー(Basper) (94A)
  • カイバーン(Caibaan) (95・95A)
  • カラニパワン(Calanipawan) (96)
  • カバラワン(Cabalawan) (97)
  • カマンシナイ(Camansinay) (98)
  • ディート(Diit) (99)
  • サン・ロケ,スカンジナビアンsubd.(San Roque, Scandinavian subd.) (100)
  • ニュー・カワヤン(New Kawayan) (101)
  • オールド・カワヤン(Old Kawayan) (102)
  • パラノグ(Palanog) (103・37A)
  • GEパラノグ(GE Palanog) (12)
  • サン・パグラウム(San Paglaum) (103A)
  • サルヴァション(Salvacion) (104)
  • スヒ(Suhi) (105)
  • サント・ニーニョ(Santo Niño) (106)
  • Sta.エレナ(Sta. Elena) (107)
  • タガプロ(Tagapuro) (108)
  • V&G分譲地(V&G Subdivision) (109・109A)
  • ウタップ(Utap) (110)

経済

タクロバンには東ヴィサヤ地方の政治や経済、教育、文化の中枢が集まっているほか、ABS-CBNなどの放送局の地域本部がある。タクロバンはフィリピン国内では最も経済成長の著しい都市の1つであり、貧困率は国内最低水準の約9%(国内平均は30%)で、地方政府も東ヴィサヤ地方で最も豊かな財源を持っている。空港はこの地域でのハブ空港になっている。

1990年代半ば、タクロバン市は237ヘクタール(590エーカー)の土地を経済特区として開発し、フィリピン全体英語版の経済特区の地位を向上させた。これは1998年4月23日大統領声明英語版第1210号によるところが大きい。当時東ヴィサヤ農産業振興センター(EVRGC)は経済特区の開発・管理を認められていた。

交通

2007年のダニエル・ロムアルデス空港(タクロバン空港)

タクロバンはダニエル・ロムアルデス空港を拠点とする。ただし2014年3月現在、2013年11月8日に到達した最大風速87.5m/s波の高さ4m(13ft)を記録した台風第30号の影響で利用できなくなっている。台風の3日後にターボプロップ機専用で運用を再開した[20]。現在発着できる最大の機種はエアバスA320である。

レイテ島とサマール島を結ぶサン・ファニーコ橋があり、島内や長距離島外(マニラセブダバオなど)はバス、レイテ島内の交通はマルチキャブ、タクシージープニー、トライシクルが担っている。

医療

タクロバン市では以下のものなど多くの医療機関がある。

言語・民俗

タクロバンの人口の推移
19901995200020072010
人口136891167310178639217199221174

タクロバンの文化や言語は、この地方の中心都市であることを反映して多様である。タクロバン周辺の主要言語は東ヴィサヤ地方に広がるワライ語であるが、教育や商業や政治の場ではタガログ語が使われ、国際語として英語も通用する。またレイテ島北西部や南部で使われるセブアノ語も使われる。

タクロバンはスペイン植民地時代、典型的な植民都市の人口構成であり、純スペイン人やスペイン人と現地人との混血がほとんどを占めていた。現在もタクロバンの住民 (Taclobanon) には、スペイン人と中国人の系統の混ざった人々が多い。

タクロバンの強みの一つは東ヴィサヤ地方でも随一の教育機関の集積があることである。フィリピン大学タクロバン校、東ヴィサヤ大学、ヴィサヤス・タクロバン・カレッジ、その他多くのミッション系大学や単科大学が集中しており、市内の学生の数は4万に達する。

宗教

タクロバン市民の最大70%がローマ・カトリック教会を信仰していると推測されている。残りの30%のうち25%はプロテスタント福音派の信者である。

教育

タクロバンには公私共に多くの教育機関がある。代表的なものには次のようなものが挙げられる。

文化

市制施行記念日は6月30日である。

スビラン・レガッタ

スビラン・レガッタ(Subiran Regatta)はスビランと呼ばれるアウトリガーの付いた伝統的な1人乗りの帆船を使ってレイテ湾で行われるレースである。このレースはパドルを使わないため、を操縦するだけで前に進む技術が求められる。この競技は年に一度、1週間にわたるタクロバン・シティフェスタの中で行われ、今まで32回を数えている。この大会はヨットを風だけで進める技術を保存、継承し、また地元の熟練者の技術を見せることを目的としている。

バルヤン

これはバセイとカンカバトクの交戦を再現する劇である。

サンギャウ祭

サンギャウ(Sangyaw)とは古代ワライ語で前兆を意味する言葉である。前のフィリピン支配者の配偶者英語版であるイメルダ・マルコスが1980年代に始めた祭典で、2008年に彼女の甥と市長のアルフレッド・ロムアルデスがリバイバルとして行った。サンギャウ祭では各国の祭で行われるいろいろなパフォーマンスをする人たちを招待し、競わせるものである。優勝者には賞金とトロフィーが贈られるため、毎年大きな盛り上がりを見せる。レイテのサント・ニーニョ祭とも呼ばれ、市制施行記念日の6月30日に行われる。その日、街ではテニエンテ(Teniente)と呼ばれる盛大な式典も催されるため、盛り上がりは最高潮になる。テニエンテとは、現市長が行う新市長を歓迎するためのイベントである。ここで過去の市長や連隊長にメダルを授与する式典も行われる。花火の打ち上げやパレードの行進も行われる。町中の人がごちそうを用意し、ドアを開けて客を迎え、他者の幸福を祈る。

名所

タクロバンは東ヴィサヤ地方の玄関口であり、観光の拠点である。自然美の名所や第二次世界大戦の爪あとを残す場所として世界的に有名である。

サン・ファニーコ橋

サン・ファニーコ橋

レイテ島とサマール島をサン・ファニーコ海峡を渡って結んでいるサン・ファニーコ橋は2.16km(1.34mi)あり、フィリピン最長の橋である。台風30号でも大きな被害を受けなかったため、避難者の移動や物資の輸送に重要な役割を果たしている[21]

市民中央図書館

図書館にはアメリカヨーロッパなど他の国の文化を紹介する本が所蔵されている。文学はフランススペインイギリスなどの文学が法学の本と同程度に所蔵されている。研究者の他地元の学生の利用もある。

バルヤン公園

バルヤン公園はマグサイサイ大通り英語版沿いにある。バセイ英語版バリオ英語版(=バランガイ)・バスカダ(Barrio Buscada)とカンカバトク、つまり現在のタクロバンとの交戦を描いた絵が描かれている。当時、カンカバトクはサマール島のバセイの管轄下にあった小さなバリオだったが、サント・ニーニョ祭の最中にカンカバトクの住民がバセイのバリオ・バスカダにある礼拝堂からサント・ニーニョの絵を借りていた。サント・ニーニョはカンカバトクでもバリオ・バスカダでも守護聖人として崇められており、カンカバトクは祝祭が終わり次第すぐに絵をバリオ・バスカダに返すことになっていた。カンカバトクが独立勢力に匹敵するほど大きくなった時、地元のカトリック教会は町の繁栄のためにはサント・ニーニョの絵画を保有することが不可欠だとした。バスカダから絵が消えてカンカバトクから絵が見つかったという伝説もこの決定を後押しした。教会や政府のリーダーを運んでいたバセイ小艦隊英語版サンペドロ湾の護岸工事を続けた。カンカバトク湾の小艦隊の光景がその歴史を今に伝えている。

プライスマンション

マリア観音像

マグサイサイ大通りには観音像もある。これは日比友好の証として建立された物である[17]。市役所近くのカンカバト湾に面したカンフラウ・ヒル(Kanfuraw Hill)に立っている。第二次世界大戦中、フィリピン諸島を解放するために多くの住民が日本軍を受け入れてこの地にキャンプを建てさせたが、後に米軍が優勢となった。しかし米軍も男を兵士に、女を身の回りの世話をさせるのに使った。この時期はレイテ島最大の悪夢とされている。劣勢になった日本軍は敵視され、フィリピン人の嫌悪の対象となった。その頃フィリピン人は日本人を見れば誰でも大声で罵っていた。しかし戦後日本政府はフィリピンと友好関係を築き、お互いの発展を支えあうようになった。

プライスマンション

プライスマンションは1900年代にアメリカ人が植民地支配時代に建てたのことである。1944年の解放からはダグラス・マッカーサーの住宅兼司令本部となった。

サント・ニーニョ教会

苦しめられたレイテ

カンフラウ・ヒル(Kanhuraw Hill)に上がる坂道の途中にある小さな公園の中央に「苦しめられたレイテ」(Cracified Leyte)という像がある。その絵はタクロバン周辺の地図にも載っている。

サント・ニーニョ教会

サント・ニーニョ教会(サント・ニーニョ聖堂とも)はマグサイサイ大通りからリアル通りに入って南に進んだところにある。この教会は地域で最も重要な教会であるとされている。タクロバンの守護聖人であるサント・ニーニョの奇跡に関する絵がある。台風30号で大きな痛手を負った。またマルコス元大統領と妻のイメルダの生活を再現した博物館も併設されている[22]

レドナ邸宅

レドナ(Redona)邸宅は、19世紀半ばに建てられた住宅で、フィリピンの建築技術を後世に残すための文化財として残されている。この建物は法的措置による大規模な修復が必要とされている。1944年、フィリピンが日本から解放されてマニラで改造フィリピン・コモンウェルスが始まった時のセルヒオ・オスメニャの邸宅であった。

レイテ地方議会、フィリピン・コモンウェルス時代の1944年10月23日から1945年2月27日までの政府であった。

レイテ地方議会

レイテ地方議会は1907年に建てられた新古典主義建築の建物である。セン・エンゲージ通り(Sen. Enage Street)とマグサイサイ大通りの交差点にあり、この場所は「キャピトリオ」(Capitolio、議事堂前)と呼ばれる。またここはフィリピンのオスメニャ政権時代の臨時政府の場所でもある。台風30号により大きな被害を受けた。

ファイル:Tacloban City Convention Center.jpg
タクロバンメトロポリタンアリーナ

タクロバンメトロポリタンアリーナ

アストロドーム(Astrodome)とも呼ばれており、5000人を収容できるアリーナである。バスケットボール試合コンサートミス・タクロバンコンテストなどに用いられる。また多くのバーや店も軒を連ねる。台風30号で大きな被害を受けて、2014年3月現在は避難所として機能している。

マッカーサー上陸記念公園

マッカーサー上陸記念公園(マッカーサー・ランディング・メモリアル・パーク)は1944年10月20日にマッカーサーら6人のアメリカ軍の兵士がレイテ島に上陸した際の様子を再現したものである。市中心部からはトライシクルで20分 - 30分(200ペソ)程度の距離がある[17]

ガイサノ・ショッピングセンター

ジャスティス・ロムアルデス通りに面しているガイサノ・ショッピングセンターは市内最大のデパートで、付近に市場、商店街、レストランや銀行などが多く集まる[17]

マスメディア

姉妹都市

脚注

  1. ^ Province: Leyte”. PSGC Interactive. Makati City, Philippines: National Statistical Coordination Board. 20 June 2013閲覧。
  2. ^ a b Population and Annual Growth Rates for The Philippines and Its Regions, Provinces, and Highly Urbanized Cities” (PDF) (英語). 2010 Census and Housing Population. フィリピン国家統計局. 2013年11月10日閲覧。
  3. ^ a b Population and Annual Growth Rates for The Philippines and Its Regions, Provinces, and Highly Urbanized Cities”. 2010 Census and Housing Population. National Statistics Office. 12 June 2013閲覧。
  4. ^ Cities and Enterprises, Competitiveness and Growth: Philippine Cities Competitiveness Ranking Project 2009”. Asian Institute of Management Policy Center (2010年). 2013年4月13日閲覧。
  5. ^ http://opinion.inquirer.net/65685/tacloban-not-once-but-thrice
  6. ^ Republic act no. 760 - an act creating the city of tacloban” (1952年6月20日). 2013年3月20日閲覧。 “Section 1. This Act shall be known as the Charter of the City of Tacloban”
  7. ^ "15,000 Die in Philippine Storm"” (1912年11月30日). 2013年11月19日閲覧。
  8. ^ Proclamation No. 1637 dated 2008-10-04
  9. ^ Tacloban is 1st highly urbanized city”. Cebu Daily News (2008年12月20日). 2010年12月2日閲覧。
  10. ^ SitRep No. 15 Effects of Typhoon "Yolanda" (Haiyan)” (PDF). National Disaster Risk Reduction and Management Council (November 12, 2013). November 12, 2013閲覧。
  11. ^ “Typhoon Haiyan: thousands dead as devastation hampers aid efforts”. (2013年11月11日). http://www.theguardian.com/world/2013/nov/10/typhoon-haiyan-dead-aid 2013年11月11日閲覧。 
  12. ^ “Philippines declares state of calamity President declares emergency measures as aid trickles in for millions of people left destitute by the Haiyan superstorm.”. aljazeera.com. (2013年11月11日). http://www.aljazeera.com/news/asia-pacific/2013/11/philippines-state-national-calamity-2013111116128730244.html 2013年11月11日閲覧。 
  13. ^ “Philippine Red Cross says typhoon relief efforts being hampered by looters”. foxnews.com. (2013年11月10日). http://www.foxnews.com/world/2013/11/10/strongest-typhoon-year-hits-philippines/ 2013年11月12日閲覧。 
  14. ^ “Tons of aid arriving in Philippines, but debris, logistics hampering relief efforts”. foxnews.com. (2013年11月12日). http://www.foxnews.com/world/2013/11/12/tons-aid-arriving-in-philippines-but-debris-logistics-hampering-relief-efforts/ 2013年11月12日閲覧。 
  15. ^ JOSEPHINE CUNETA; TE-PING CHEN (2013年11月11日). “フィリピンの台風、死者数千人規模か―商店の略奪も”. ウォール・ストリート・ジャーナル. http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304368604579190462795619946.html 2013年11月12日閲覧。 
  16. ^ SitRep No. 92 : Effects of Typhoon “YOLANDA” (HAIYAN), Tab A : CASUALTIES (PDF) (Report). National Disaster Risk Reduction and Management Council of the Philippines. 14 January 2014.
  17. ^ a b c d 『地球の歩き方 '13-'14』p.292
  18. ^ City Seal”. Official website of the City Government of Tacloban. 2013年3月30日閲覧。
  19. ^ Philippine Standard Geographic Code listing for Tacloban City - National Statistical Coordination Board
  20. ^ “Tacloban Airport reopens three days after being declared "ruined"”. GMA Network. (2013年11月11日). http://www.gmanetwork.com/news/story/334924/economy/business/tacloban-airport-re-opens-three-days-after-being-declared-ruined 2013年11月13日閲覧。 
  21. ^ Typhoon Haiyan - Live Blogs - Al Jazeera English
  22. ^ 『地球の歩き方 '13-'14』p.293
  23. ^ 福山市の親善・友好都市”. 福山市. 2013年11月10日閲覧。

関連項目

外部リンク