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マートル・コービン 1880年ころ ジェームズ R.アップルゲート(James R. Applegate)

ジョセフィン・マートル・コービン(Josephine Myrtle Corbin、1868年5月12日 - 1928年5月6日)は、アメリカの、4本脚のサイドショー芸人の女性である。彼女は、テネシー、リンカーン・カウンティー(Lincoln County)に生まれ[1]、テキサス、クリーバーン(Cleburne)で没した。 彼女は二殿体(dipygus)であった。 これは、体軸が成長するにつれて割れている結果として、彼女がウエストから下に2つの骨盤を並べて持っていたという事実をさした。 彼女の小さい内側の脚(複数)のそれぞれは、外側の脚(複数)のうちの1本とペアであった。 彼女は、内側の脚(複数)で移動することが出来ると言われたが、しかしそれらは歩行するにはあまりに弱かった。

前半生と経歴

コービンの両親は、娘が誕生したとき25歳のウィリアム H. コービン(William H. Corbin)と、同じく34歳のナンシー・コービン(Nancy Corbin)(旧姓サリンズ(Sullins))であった。[2] 両親は、分娩直後の小児を診察した医師らによって、「ふたりともに赤毛で、眼は青く、肌はたいへん白い」("both having red hair, blue eyes, and very fair complexion")と、外見が酷似していると特徴づけられた: それどころか、ふたりはあまりに似ているので、医師らはふたりが「血族」("blood kin")ではないことを指摘しなければならないと感じたほどであった。[2] コービン家には、あわせて4男4女がいて、これにはナンシーの初婚の娘もふくまれる。[1][2]

小児マートルの誕生は、母親によれば、「陣痛にも分娩にもへんな」("peculiar about the labour or delivery")ことはなにもなかったが、これじたいが幸運であった。 分娩後まもない子を診察した医師らは、骨盤位分娩(breech presentation)であれば、「子にとって、そしてもしかしたら母親にも、致命的であることがわかったであろう」("would have proved fatal to the infant, and possibly to the mother")と注記した。[3] コービンはまもなく、丈夫な子であることをしめし、生後3週間で体重は10ポンド(約4.5キログラム)あり、そして彼女が「健康的に乳を飲み」("nurses healthily")そして「じゅうぶんに成長している」("thriving well")ことがその年のちに発行されたジャーナルに報告された。[3]

コービンは13歳であったとき、「テキサスの4本脚の少女」("Four-Legged Girl from Texas")というあだ名でサイドショーの巡業にはいった。 彼女の最初の宣伝パンフレットは、彼女を、「夏の陽光のように気立ては優しく、たいへんしあわせである」("gentle of disposition as the summer sunshine and as happy as the day is long")と評した。[4] この業界における彼女の人気は、たいへんなもので、ほかの興行師らは4本脚の低級娯楽場(いかさまの演芸)を公演し、そしてコービンじしんがもはや公演していなかったときは観客が顔を振り向けることができる、にせの4本脚の女性がいくにんか居た。[4] 19歳で彼女は、クリントン・ビックネル(Clinton Bicknell)と結婚したし、そして4女1男を生むことになる。

医療文献における存在

奇形学者らは19世紀の医療雑誌と百科事典において、コービンの異形(anomaly)を、当時の因襲にしたがって、いくつかの難解な、しかし複雑な用語で分類した。 彼女を"dipygus dibrachius tetrapus"というひともいれば、[2]彼女の状態を"'posterior dichotomy,' subvariety schizorachis"と名づけるひともいた。[5] ブルックス H. ウェルズ(Brooks H. Wells)という或る医師は、彼女を「融合による怪物的奇形のうち monocephalic, ileadelphic な段階に属する、女性」("female, belonging to the monocephalic, ileadelphic class of monsters by fusion")と特徴づけた。[6]

「彼女は身長は約5フィート(約1.52メートル)、肌は白く、眼は青く、巻毛で、たいへん知的である。

他人が、もしひとと一緒にいる彼女を見たとしても、ヒップが異常に広く、そして身ごなしは内反足のひとにはふつうなものと思うだけであろう。

わたしは、ミセス B.を「4本脚の少女」('four-legged girl')として、ちっちゃい子であったときから知ってるが、しかしわたしが内外双方の生殖器の完全な発達を理解したのは、彼女が妊娠してわたしの患者になってからである。-- Lewis Whaley, quoted in the British Medical Journal, 1889[7]

ビックネルとの結婚後1年ちかくの、1887年の春、コービンは初めて妊娠した: 彼女の状態は、アラバマ、ブロンツヴィル(Blountsville)のドクター ルイス・ホエーリー(Dr Lewis Whaley)によって発見されたが、彼は、コービンが左がわの痛み、発熱、頭痛および食欲減退を経験したのち、往診をたのまれた。[2] そのうえ、この医師は、「嘔吐と無月経が2か月間つづいていた」("vomiting and amenorrhoea had persisted for two months")ことに注意した。[8] ホエーリーは、さらにつづけて『アトランタ・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナル』(Atlanta Medical and Surgical Journal)のために症例をくわしく書いたが、これが1880年代後半をつうじてマートルにたいする関心の復活につながった。[4]

コービンを診察して、ホエーリーは、彼女の外性器の重複は、同様な体内的重複によって映されていることを発見した。 彼は、ミセス B. が妊娠しているのは、左の子宮においてであると断定した。 ホエーリーによれば、妊娠していることを告げられるや、彼女は、信じない様子でこたえて「もしそれが右側だったなら先生の言うとおりだと信じたいですわ」("If it had been in my right side I would come nearer believing you are correct")と言った。[8] この評言から、医師らは、コービンは、性交は右側をえらんでいると断定し、そしてこの事実は、そのごのいくつかの報告において注釈をくわえられた。[9]

妊娠によってコービンは重篤になり、そして同僚らと相談したのち、ホエーリーは、最初の診察ののち8週間で堕胎を実行することを決定した(伝えられるところによれば、彼女はそのとき妊娠3ヶ月と4ヶ月のあいだであった[6])。 彼女は完全に回復し、そして(独特のおからだ(anatomy)のみならず)手続きは、彼女が将来、妊娠して出産予定日までみごもっていることをさまたげなかった。[2][8] アメリカぢゅうの、そして世界ぢゅうの医療雑誌は、いまや成熟しているコービンにあらたな注目をむけたので、彼女のパーソナリティーにかんする詳細は、おんなそのものの感覚をあらわにした。 ある記事では「この淑女、ミセス B. ...かつてのマートル・コービンは魅力的な顔で、身体は健康で、家庭の義務の世話をすべてすることができ[る]」("The lady, Mrs. B.... the Myrtle Corbin of days gone by, [is] attractive in face, physically well, and able to attend to all her household duties")[5]、いっぽうでほかの場所では彼女は「たいへん知的である」("very intelligent")と評された。[7]

脚注

  1. ^ a b Myrtle Corbin, the Four-Legged Woman of Blount County, 23 April 2009
  2. ^ a b c d e f Jaggard, William Wright. "Joined Twins." Cyclopaedia of the Surgical Diseases of Children, Medical and Surgical (Volume I). Edited by John M. Keating. J. B. Lippincott Company, 1889, p. 933
  3. ^ a b Parvin, Theophilus. The Western Journal of Medicine, Volume III. T. Parvin & Co, 1868, p. 585
  4. ^ a b c Bogdan, Robert. Freak Show: Presenting Human Oddities for Amusement and Profit. The University of Chicago Press, 1988, p. 230
  5. ^ a b "The Case of Pregnancy in a Double Monster." The British Medical Journal, Volume 2, Number 1454 (10 November 1888), p. 1059
  6. ^ a b Wells, Brooks. "A Unique Monstrosity." American Journal of Obstetrics (1888), p. 1265
  7. ^ a b Whaley, Lewis. quoted in "The Case of Pregnancy in a Double Monster." The British Medical Journal, Volume 2, Number 1463 (12 January 1889), p. 96.
  8. ^ a b c "Pregnancy in a Double Monster." British Medical Journal, Volume 2, Number 1447 (22 September 1888), p. 676
  9. ^ Gould, George, and Walter Pyle. Anomalies and Curiosities of Medicine, W. B. Saunders, 1898, p.194

外部リンク