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'''ジェイソン・リーツォー'''('''Jason Litzau'''、男性、[[1983年]][[6月29日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プロボクサー]]。[[ミネソタ州]][[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]出身。元[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[ライト級]]王者。元[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[スーパーフェザー級]]王者。 |
'''ジェイソン・リーツォー'''('''Jason Litzau'''、男性、[[1983年]][[6月29日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プロボクサー]]。[[ミネソタ州]][[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]出身。元[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[ライト級]]王者。元[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[スーパーフェザー級]]王者。軽量級では珍しいアメリカ出身の白人選手。長身で強打の持ち主(デビューから14戦連続KO)でアメリカのボクシング界からはホワイト・ホープと期待をされていた。 |
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==アマチュア時代== |
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== 来歴 == |
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幼少の時から色々なスポーツに慣れ親しんでいき、野球に至ってはリトルリーグでピッチャーを務めていた。11歳の頃から本格的にボクシングを始めとアマチュアでも頭角を現していき、ナショナル・シルバー・グローブス(ナショナル・ゴールデン・グローブスの下位に位置付ける大会)では優勝を果たし、[[2001年]]に行われた米国選手権では2位となりアメリカ代表候補にも選ばれたが、断りを入れ[[2002年]]の11月にプロに転向した。アマチュアのレコードは125勝10敗(180戦以上のキャリアが有るという説も有る)。 |
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==プロ時代== |
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[[2002年]]11月16日、プロデビューし初回TKO勝ち。その試合から怒涛の連続KOがスタートした。 |
[[2002年]]11月16日、プロデビューし初回TKO勝ち。その試合から怒涛の連続KOがスタートした。 |
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[[2004年]]7月17日、[[テキサス州]][[スーパーフェザー級]]王者フランキー・マルティネスと対戦し、3回終了間際にTKO勝ちを収め獲得。その王 |
[[2004年]]7月17日、[[テキサス州]][[スーパーフェザー級]]王者フランキー・マルティネスと対戦し、3回終了間際にTKO勝ちを収め王座を獲得。その王座は1度も防衛することなく返上した。 |
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[[2005年]]7月15日、ジョン・ノラスコとノンタイトル10回戦で対戦し、2-1(95-94、94-95、95-94)の判定勝ちとなりデビューから続いていた連続KO記録は14でストップとなった。 |
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[[2006年]]12月16日、[[:en:José Hernández (boxer)|ホセ・ヘルナンデス]]([[メキシコ]])と対戦し、判定では3-0(3者とも68-64)とリーツォーがリードを奪っていたが8回逆転KO負けを喫しプロ入り初黒星となった。 |
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[[2008年]]2月29日[[タチパレスホテル]]にて世界初挑戦。[[国際ボクシング連盟|IBF]][[フェザー級]]王者[[ロバート・ゲレーロ]]と対戦するも、8回KO負け。 |
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[[2008年]]2月29日、米国・[[カリフォルニア州]][[:en:Lemoore, California|リムーア]]の[[:en:Tachi Palace|タチパレスホテル]]にて世界初挑戦。[[国際ボクシング連盟|IBF]][[フェザー級]]王者[[ロバート・ゲレーロ]]と対戦、序盤から相手にペースを奪われ完全に出鼻を挫かれた展開となったが、なんとか応戦に出たいものの、世界初挑戦の緊張からかパンチがほとんど大振りとなり相手に上手く裁かれなかなか自分の思う動きが出来なくなりそのまま中盤までゲレーロペースで試合が動いていき、勝負が決まったのは第8R素早いコンビネーションからの連打が決まり、この試合初ダウンとなり1度は立ち上がるも、またすぐに倒されて2度目のダウン、再度起き上がろうとするが足がいうことを聞かず無念の8回KO負けで世界初挑戦での王座奪還は失敗に終わった。 |
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[[2010年]]4月3日、[[マンダレイベイ・イベントセンター]]にて、[[シドニーオリンピック]]銀メダリストの[[ロッキー・ファレス]]と対戦し、7回終了時にファレスも棄権しTKO勝ち。 |
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[[2010年]]4月3日、米国・[[ネバダ州]][[ラスベガス]]の[[マンダレイベイ・イベントセンター]]にて、[[シドニーオリンピック]]銀メダリストの[[ロッキー・ファレス]]とNABF北米スーパーフェザー級王座を賭けて対戦、7回負傷判定勝ちで初防衛に成功した。ポイントを見てみると(67-66、67-66、68-65)3者ともにリーツォーを支持したもののジャッジ3人中2人が1ポイント差であり非常に競った試合を制した形となり本人にとってはこれ以上にない大金星を挙げタイトルマッチ以上に価値があった試合であった。 |
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2010年11月27日、[[MGMグランド]]にて元[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[国際ボクシング連盟|IBF]][[スーパーバンタム級]]統一王者[[セレスティーノ・カバジェロ]]と[[フェザー級]]転向戦の相手になり、2-1(97-93・96-94・94-96)の判定勝ちを収める。 |
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2010年11月27日、自身初の大舞台[[MGMグランド]]にて[[ファン・マヌエル・マルケス]]vs[[マイケル・カティディス]]の前座で元[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[国際ボクシング連盟|IBF]][[スーパーバンタム級]]統一王者[[セレスティーノ・カバジェロ]]と[[フェザー級]]転向戦の相手になりノンタイトルで対戦、試合前オッズは1-13とリーツォーに不利予想が出ており、カバジェロにとっては新たなビックマッチを行う前のテスト試合という位置づけだった、試合は両者ともに長身な体から繰り出すジャブや手数を出し合い互いに牽制しあっていき中盤には中間距離からの探り合いが展開され、どちらのパンチも当たってもおかしくない距離だが徐々にカバジェロのパンチがリーツォーを捕え始めてきた、しかし打たれても前進を辞めないリーツォーはその分手数を出していき応戦の構えを見せると、終盤には両者打ち疲れの様子が見られ結局ダウンシーンが無いまま判定決着となった。判定は2-1(97-93・96-94・94-96)となり有効打では下回ったものの手数で攻めきった事が評価され見事判定勝ちとなり紙一重だった一戦はリーツォーが番狂わせを起こし涙で勝利を喜んだ。敗れたカバジェロはビックマッチから一歩遠のく形となった。 |
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[[2011年]]6月18日、[[エイドリアン・ブローナー]]と[[世界ボクシング評議会|WBC]]全米スーパーフェザー級王者決定戦で対戦し、1回2分58秒TKO負け<ref>[http://www.boxingscene.com/adrien-broner-destroys-jason-litzau-one-round--40521 Adrien Broner Destroys Jason Litzau in One Round] Boxing Scene.com(英語)2011年6月18日</ref>。 |
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試合後世界ランキングがWBA世界2位の位置につきいよいよ上位ランカーまで上り詰め同団体王座の内山高志から対戦を希望されたが<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110304-744119.html 内山今夏予定V4戦はリッツォー希望] - 日刊スポーツ 2011年3月4日</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2011/05/10/kiji/K20110510000790430.html 内山V4戦相手に同級2位リッツォー浮上] スポニチアネックス 2011年5月10日</ref>、実現までには至らなかった。 |
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[[2011年]]6月18日、[[メキシコ]]・[[ハリスコ州]]・[[:es:Tlajomulco de Zúñiga|トラホムルコ・デ・スニガ]]のアレナVFGにて[[サウル・アルバレス]]vs[[:en:Ryan Rhodes|ライアン・ローズ]]がメインイベントで行われた興行のセミイベンターとして登場、空位の[[世界ボクシング評議会|WBC]]全米スーパーフェザー級王座決定戦を[[エイドリアン・ブローナー]]と行い、上位ランカー対決となった一戦は、1回から相手の攻撃的ボクシングが展開され、初回終了間際にロープに詰められると、そこからブローナーの猛攻が始まりチャンスと見るや果敢に連打を繰り出していき最後は強烈な右を喰らい体ごと吹っ飛ばされレフリーが救う形で割って入りそこで試合は終わった。1回2分58秒TKO負けでサバイバルマッチとなった一戦はわずか178秒でブローナーがインパクトを残すKO勝ちを収め試合を制した<ref>[http://www.boxingscene.com/adrien-broner-destroys-jason-litzau-one-round--40521 Adrien Broner Destroys Jason Litzau in One Round] Boxing Scene.com(英語)2011年6月18日</ref>。 |
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その後およそ1年ぶりとなる復帰戦を[[2012年]]6月16日に行い、初回KOで終わらせるがそこからリングに上がっておらずおそらく引退したと思われる。 |
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== 獲得タイトル == |
== 獲得タイトル == |
2014年2月2日 (日) 22:25時点における版
基本情報 | |
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本名 | Jason John Litzau |
通称 | The American Boy(アメリカの少年) |
階級 | スーパーフェザー級 |
身長 | 178cm |
リーチ | 185cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1983年6月29日(41歳) |
出身地 | ミネソタ州セントポール |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 32 |
勝ち | 29 |
KO勝ち | 22 |
敗け | 3 |
ジェイソン・リーツォー(Jason Litzau、男性、1983年6月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。ミネソタ州セントポール出身。元NABF北米ライト級王者。元NABF北米スーパーフェザー級王者。軽量級では珍しいアメリカ出身の白人選手。長身で強打の持ち主(デビューから14戦連続KO)でアメリカのボクシング界からはホワイト・ホープと期待をされていた。
アマチュア時代
幼少の時から色々なスポーツに慣れ親しんでいき、野球に至ってはリトルリーグでピッチャーを務めていた。11歳の頃から本格的にボクシングを始めとアマチュアでも頭角を現していき、ナショナル・シルバー・グローブス(ナショナル・ゴールデン・グローブスの下位に位置付ける大会)では優勝を果たし、2001年に行われた米国選手権では2位となりアメリカ代表候補にも選ばれたが、断りを入れ2002年の11月にプロに転向した。アマチュアのレコードは125勝10敗(180戦以上のキャリアが有るという説も有る)。
プロ時代
2002年11月16日、プロデビューし初回TKO勝ち。その試合から怒涛の連続KOがスタートした。
2004年7月17日、テキサス州スーパーフェザー級王者フランキー・マルティネスと対戦し、3回終了間際にTKO勝ちを収め王座を獲得。その王座は1度も防衛することなく返上した。
2005年7月15日、ジョン・ノラスコとノンタイトル10回戦で対戦し、2-1(95-94、94-95、95-94)の判定勝ちとなりデビューから続いていた連続KO記録は14でストップとなった。
2006年12月16日、ホセ・ヘルナンデス(メキシコ)と対戦し、判定では3-0(3者とも68-64)とリーツォーがリードを奪っていたが8回逆転KO負けを喫しプロ入り初黒星となった。
2008年2月29日、米国・カリフォルニア州リムーアのタチパレスホテルにて世界初挑戦。IBFフェザー級王者ロバート・ゲレーロと対戦、序盤から相手にペースを奪われ完全に出鼻を挫かれた展開となったが、なんとか応戦に出たいものの、世界初挑戦の緊張からかパンチがほとんど大振りとなり相手に上手く裁かれなかなか自分の思う動きが出来なくなりそのまま中盤までゲレーロペースで試合が動いていき、勝負が決まったのは第8R素早いコンビネーションからの連打が決まり、この試合初ダウンとなり1度は立ち上がるも、またすぐに倒されて2度目のダウン、再度起き上がろうとするが足がいうことを聞かず無念の8回KO負けで世界初挑戦での王座奪還は失敗に終わった。
2009年8月15日、米国・ミシシッピ州ビロクシコーストコロシアムにてヴァークアン・キンブロウシュ(アメリカ合衆国)と空位のNABF北米ライト級王座決定戦で対戦し、2回には相手からダウンを奪い、3回終了時にキンブロウシュが棄権を申し出てたためTKO勝ちとなり王座を獲得した。
2009年11月4日、米国・ノースカロライナ州キャンプルジューンのコロージョンハンガーにてジョニー・エドワードと空位のNABF北米スーパーフェザー級王座決定戦で対戦し、負傷判定勝ちでライト級に続きスーパーフェザー級でもNABF王座を獲得しNABF王座の2階級制覇を果たした。
2010年4月3日、米国・ネバダ州ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターにて、シドニーオリンピック銀メダリストのロッキー・ファレスとNABF北米スーパーフェザー級王座を賭けて対戦、7回負傷判定勝ちで初防衛に成功した。ポイントを見てみると(67-66、67-66、68-65)3者ともにリーツォーを支持したもののジャッジ3人中2人が1ポイント差であり非常に競った試合を制した形となり本人にとってはこれ以上にない大金星を挙げタイトルマッチ以上に価値があった試合であった。
2010年11月27日、自身初の大舞台MGMグランドにてファン・マヌエル・マルケスvsマイケル・カティディスの前座で元WBA・IBFスーパーバンタム級統一王者セレスティーノ・カバジェロとフェザー級転向戦の相手になりノンタイトルで対戦、試合前オッズは1-13とリーツォーに不利予想が出ており、カバジェロにとっては新たなビックマッチを行う前のテスト試合という位置づけだった、試合は両者ともに長身な体から繰り出すジャブや手数を出し合い互いに牽制しあっていき中盤には中間距離からの探り合いが展開され、どちらのパンチも当たってもおかしくない距離だが徐々にカバジェロのパンチがリーツォーを捕え始めてきた、しかし打たれても前進を辞めないリーツォーはその分手数を出していき応戦の構えを見せると、終盤には両者打ち疲れの様子が見られ結局ダウンシーンが無いまま判定決着となった。判定は2-1(97-93・96-94・94-96)となり有効打では下回ったものの手数で攻めきった事が評価され見事判定勝ちとなり紙一重だった一戦はリーツォーが番狂わせを起こし涙で勝利を喜んだ。敗れたカバジェロはビックマッチから一歩遠のく形となった。
試合後世界ランキングがWBA世界2位の位置につきいよいよ上位ランカーまで上り詰め同団体王座の内山高志から対戦を希望されたが[1][2]、実現までには至らなかった。
2011年6月18日、メキシコ・ハリスコ州・トラホムルコ・デ・スニガのアレナVFGにてサウル・アルバレスvsライアン・ローズがメインイベントで行われた興行のセミイベンターとして登場、空位のWBC全米スーパーフェザー級王座決定戦をエイドリアン・ブローナーと行い、上位ランカー対決となった一戦は、1回から相手の攻撃的ボクシングが展開され、初回終了間際にロープに詰められると、そこからブローナーの猛攻が始まりチャンスと見るや果敢に連打を繰り出していき最後は強烈な右を喰らい体ごと吹っ飛ばされレフリーが救う形で割って入りそこで試合は終わった。1回2分58秒TKO負けでサバイバルマッチとなった一戦はわずか178秒でブローナーがインパクトを残すKO勝ちを収め試合を制した[3]。
その後およそ1年ぶりとなる復帰戦を2012年6月16日に行い、初回KOで終わらせるがそこからリングに上がっておらずおそらく引退したと思われる。
獲得タイトル
脚注
- ^ 内山今夏予定V4戦はリッツォー希望 - 日刊スポーツ 2011年3月4日
- ^ 内山V4戦相手に同級2位リッツォー浮上 スポニチアネックス 2011年5月10日
- ^ Adrien Broner Destroys Jason Litzau in One Round Boxing Scene.com(英語)2011年6月18日