「利用者‐会話:Dr.Kubota」の版間の差分
等確率の原理についての記述 |
編集の要約なし |
||
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
48行目: | 48行目: | ||
投稿記録を見たところ、様々な記事に「等確率の原理」についての記述をされていますね。上述のように、Dr.Kubota氏の「等確率の原理」についての記述は熱力学・統計力学の教科書とは矛盾している点が多いです。標準的な教科書などを参照・引用し、修正をお願いします。--[[特別:投稿記録/114.188.110.61|114.188.110.61]] 2013年10月4日 (金) 16:12 (UTC) |
投稿記録を見たところ、様々な記事に「等確率の原理」についての記述をされていますね。上述のように、Dr.Kubota氏の「等確率の原理」についての記述は熱力学・統計力学の教科書とは矛盾している点が多いです。標準的な教科書などを参照・引用し、修正をお願いします。--[[特別:投稿記録/114.188.110.61|114.188.110.61]] 2013年10月4日 (金) 16:12 (UTC) |
||
等確率の原理を難しくさせているのは、量子論から入る粒子論であり、古典的な気体分子運動論からアレニウス形式の関数は簡単に導出できます。つまり大気の圧力分布で説明できます。これを量子論を徹底的に回避してもあらゆる統計分野で主として君臨する正規分布も導出できます。量子論は、離散性のみならずハイゼンベルグの不確定性原理提供しましたが、日本においては後者の方法から導き出される統計的性格の話が未成熟で、エルゴードに対する普及的な書物も発行されていない。世界がバラツク原理である等確率の原理が根底にあってそれをベースにエントロピーは語られるものであるが、それが未だなされていない。高校の数学で真理を切り取る能力をそろそろ日本人も身につけるべきでは。ただし、ボルツマンやギブスの生きた時代への理解は必要で、なぜあんな理論的大伽藍を作ったのかは講義を別にして話すべきだと思う。客観性は、外国由来の文献を引用することでは済まされないので、よければ公開議論をしてもいいが。ただし密室の凝り固まった専門家でなく、開かれたリングの上での話だが。つまり、学識をもって社会を建設する文系にもわかるようにだ。理系と文系がの学理の分断が甚だしい状態は社会にとって好ましくもないし波及性もない。 |
2013年10月7日 (月) 12:26時点における版
ウィキペディア日本語版へようこそ! | |||
---|---|---|---|
こんにちは、Dr.Kubotaさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
|
等確率の原理についての記述・理解には大きな誤りがあります。たとえばLieb-Yngvason論文は、等確率の原理とは無関係です。等確率の原理について正確な記述がなされている文献を引用したものを熱力学に作りましたので、引用文献などを参照してみてください。--114.188.108.111 2013年10月3日 (木) 12:59 (UTC)
投稿記録を見たところ、様々な記事に「等確率の原理」についての記述をされていますね。上述のように、Dr.Kubota氏の「等確率の原理」についての記述は熱力学・統計力学の教科書とは矛盾している点が多いです。標準的な教科書などを参照・引用し、修正をお願いします。--114.188.110.61 2013年10月4日 (金) 16:12 (UTC)
等確率の原理を難しくさせているのは、量子論から入る粒子論であり、古典的な気体分子運動論からアレニウス形式の関数は簡単に導出できます。つまり大気の圧力分布で説明できます。これを量子論を徹底的に回避してもあらゆる統計分野で主として君臨する正規分布も導出できます。量子論は、離散性のみならずハイゼンベルグの不確定性原理提供しましたが、日本においては後者の方法から導き出される統計的性格の話が未成熟で、エルゴードに対する普及的な書物も発行されていない。世界がバラツク原理である等確率の原理が根底にあってそれをベースにエントロピーは語られるものであるが、それが未だなされていない。高校の数学で真理を切り取る能力をそろそろ日本人も身につけるべきでは。ただし、ボルツマンやギブスの生きた時代への理解は必要で、なぜあんな理論的大伽藍を作ったのかは講義を別にして話すべきだと思う。客観性は、外国由来の文献を引用することでは済まされないので、よければ公開議論をしてもいいが。ただし密室の凝り固まった専門家でなく、開かれたリングの上での話だが。つまり、学識をもって社会を建設する文系にもわかるようにだ。理系と文系がの学理の分断が甚だしい状態は社会にとって好ましくもないし波及性もない。