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「飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲いかかる」の版間の差分

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2013年6月1日 (土) 06:45時点における版

『飢えたライオン』
フランス語: Le lion ayant faim se jette sur l'antilope
作者オディロン・ルドン
製作年1905年
種類カンバス油彩
寸法200 cm × 301 cm (79 in × 119 in)
所蔵バイエラー財団[1]、リーエン

飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲いかかる』(フランス語: Le lion ayant faim se jette sur l'antilope)は、アンリ・ルソーの1905年の大きな絵である。 前年の『トラに襲われる斥候』に続いて、『飢えたライオン』は、1891年の絵『熱帯嵐のなかのトラ』に対する一般の否定的な受け止められ方によって10年間、中断したのち、ルソーがこのジャンルに復帰したことを印づける、2作目のジャングルの絵であった。

『飢えたライオン』は、深紅色の夕陽に照らされた濃緑色の葉群のジャングルの場面で重要な役割を演じている。 前景には、ライオンがカモシカの頸に深く噛みついている。 ほかの動物らが深い下生えのなかに見える: 右からはヒョウが見守っているし、中央ではフクロウがくちばしに肉片をくわえたまま背景のなかから見つめているし、その左には2羽目の鳥がいて、左側には鋭い目つきをした無尾猿のような姿がひそんでいる。 ルソーは、中央のひと組の動物は、パリの国立自然史博物館の「カモシカをむさぼり食うセネガルのライオン」という剥製のジオラマを基にして描いた。[2][3]

ルソーのジャングルの絵の第1作『熱帯嵐のなかのトラ』は、絵画彫刻アカデミーに拒絶されたが、しかし彼はそれを1891年のアンデパンダン展に出品することができた。 高まりつつある名声にもかかわらず、ルソーは、毎年のアンデパンダン展に出品しつづけたが、しかし『飢えたライオン』は、1905年、アンリ・マティスおよびアンドレ・ドランの作品とともに、第3回のサロン・ドートンヌで初めて展示された。 ルソーは、絵に添える長めの副題あるいは説明文を書いた:

Le lion, ayant faim, se jette sur l'antilope, la dévore. La panthère attend avec anxiété le moment où, elle aussi, pourra en avoir sa part. Des oiseaux carnivores ont déchiqueté chacun un morceau de chair de dessus le pauvre animal versant un pleur! Soleil couchant. ライオンは、飢えているので、身を投げ出してカモシカに襲いかかり、むさぼり食う。ヒョウはその分け前を要求できるときを切望して待っている。猛禽はそれぞれ、涙を流すかわいそうな獣の頂きから肉片を食いちぎる。陽が沈む。

雑誌『L'Illustration』は、マティス、ドラン、セザンヌおよびヴュイヤールの作品とともに、1905年11月4日号にこの作品を掲載した。

1905年のサロン・ドートンヌで展示されたアヴァン・ギャルドな諸作品は、グラン・パレの同じ室で展示されていたルネサンスの彫像と比較して美術批評家ルイ・ヴォークセル(Louis Vauxcelles)によって「Donatello au milieu des fauves!」(ドナテッロがフォーヴ(野獣)のなかに!)と非難された。[4] ヴォークセルの評言は1905年10月17日付けの日刊紙『Gil Blas』に掲載されたし、フォーヴィスムという用語は、強烈な色彩のなかに見せかけの単純さを有する、展示された作品の型に用いられるようになった。[4][5][6] ルソーじしんはフォーヴィスムの画家の数のなかに入れられなかったけれども、「フォーヴィスム」という用語じたいは、ルソーの『飢えたライオン』によって直接、影響を受けたかもしれない。[7][8]

見かけの単純さにもかかわらず、ルソーのジャングルの絵は、青々と生い茂ったジャングルをとらえるために、緑色の多数の色合いを用いて、複数層で細心すぎるほど、組み上げられている。 ルソーの作品は1910年の彼の死去まで、そして死後、批評家らによって嘲笑されつづけたが、しかし彼は同時代人のなかに追随者を勝ち得た:パブロ・ピカソアンリ・マティスアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックはいずれも彼の作品の讃美者であった。 『飢えたライオン』はいま、バイエラー財団によって所有され、スイスのバーゼル近くのリーエンにあるそのギャラリーで展示されているが、1905年、パリのアンデパンダンで展示された。

脚注

  1. ^ Entry in the collection of the Fondation Beyeler. Retrieved 2 September 2009.
  2. ^ Henri Rousseau: Jungles in Paris, Tate Gallery, 3 November 2005 - 5 February 2006. Retrieved 2 September 2009.
  3. ^ Stumble in the jungle, Adrian Searle, The Guardian, 1 November 2005. Retrieved 2 September 2009.
  4. ^ a b Chilver, Ian (Ed.). "Fauvism", The Oxford Dictionary of Art, Oxford University Press, 2004. Retrieved from enotes.com, 2 September 2009.
  5. ^ Henri Rousseau: Jungles in Paris; Room 6, Tate Gallery, 3 November 2005 - 5 February 2006. Retrieved 2 September 2009.
  6. ^ John Elderfield, The "Wild Beasts" Fauvism and Its Affinities, 1976, Museum of Modern Art, ISBN 0-87070-638-1, p.43.
  7. ^ Smith, Roberta (2006年). “Henri Rousseau: In imaginary jungles, a terrible beauty lurks”. The New York Times. 2 September 2009閲覧。
  8. ^ Henri Rousseau: Jungles in Paris; The Hungry Lion Throws Itself on the Antelope”. National Gallery of Art, Washington D.C. (July 16 - October 15, 2006). 2 September 2009閲覧。