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2013年5月26日 (日) 05:42時点における版

『キュクロープス』 オディロン・ルドン作 1914年ころとも、1898年と1900年の間ころとも[1] クレラー・ミュラー美術館

キュクロープス』(フランス語:Le Cyclope)は、「最も有名なキュクロープスであるポリュペーモスに愛された不運なナーイアスであるガラテイア」をスターにする神話を描いた、オディロン・ルドンの絵である。

64センチメートル × 51センチメートル(25.2インチ × 20.1インチ)[2]。 神話における大部分のキュクロープスと同様に、ポリュペーモスは、えじきを狩り、それから食べ尽くす、野生の生き物として悪党化されていた。 この題材は以前に、モローのような芸術家によって描かれていた。 しかしながらルドンはこの神話を取り上げ、ポリュペーモスを変身させた。 ルドン版においてはポリュペーモスは、恐ろしくない、受動的な生き物として見せられている。 普通は脅迫するような獣が、以前のルドンの諸作品に見られた、大きな眼でやさしく見つめているところが見せられている。 ナーイアスであるガラテイアは、裸で無防備に植物の一画に横たわっているところを見せられている。 ポリュペーモスは「性別を付けられた処女」("sexualized maiden")を優しいひとつ眼でじっと見つめているように見える。 彼は、恥ずかしくてガラテイアの「無力な」("helpless")姿とじかに向かい合うことができず、彼女から岩だらけの地形のかげに身を隠している。[1] ルドンは、題目や美術的冒険において典型的でなかったし、彼のポリュペーモスの普通な表現からの逸脱は、彼の夢のようなスタイルと美術的規範からの逸脱に影響された。

前半生

ルドンは1840年4月20日、ボルドーに生まれ、努力して美術界入りした。 彼は2回以上、美術学校の入学試験を受けなければならなかったし、この退歩ののちにさえ、彼の美術作品は最初、象徴主義者間でのみ知られ、人気があった。 ルドンは、モネやルノワールのような美術家の同時代人であったが、印象主義の、烙印づけられたスタイルを決して主張しなかった。 ルドンの美術は、生前は広くは認められなかった。 彼は、より断然、有名な多くの同時代人の局外者と見なされていた。 官展サロンは彼の作品を認めなかったし、彼は1881年のラ・ヴィ・モデルヌ(La vie moderne)と1882年のル・ゴロワ(Le Gaulois)のほかには自作をめったに展示しなかった。 想像から深く描くことをルドンは説明している、「父はよくわたしに言ったものである:『あの雲を見なさい、父さんとおなじように見えるかい、あの変わりつつある形が?』と。それから父は変わりつつある空の奇妙な存在、空想的な、驚くべき幻影を見せてくれたものである。」 ルドンが創造するのが常であったもののそれほど多くは、彼の心の眼からであった。 しばしば彼は、心の眼からイメージを呼び出して時間を過ごしたものであった。 彼独自の言葉で彼はそのスタイルを説明している、 「わたしの独創性は、ありそうもないものを、人間的なやりかたで生き返らせ、眼に見えるものの論理を - できるかぎり - 眼に見えないものにあてはめることによって、諸法則と可能性にしたがって生きさせることにある。」[2]

この寓話的主題は、ヒエロニムス・ボスおよび作家エドガー・アラン・ポーと似て、時代にとって爽快であって、アンドリエス・ボンガー(Andries Bonger)の眼を引いた。 ボンガーは、ルドンの最初の収集者になり、時間の経過とともに親友になった。 ルドンが美術界で良い地位を得ることになるのは、この関係を通じてであることになる。[3]

他の諸作品

キュクロープス・ポリュペーモスが、ルドンの作品に名誉を与える最初の神話上の生き物ではなかった。 ケンタウロス、有翼のウマ、サテュロス、セイレーン、そしてヒトの頭をしたクモ(蜘蛛)でさえもまた、彼の絵とデッサンにしばしば現われている。 1883年になされた8点の石版画の連作『起源集』(英語:The Origins)において、ルドンは、連作における第3番として知られる別のキュクロープスを描いている。 スタイルにおいて、より大きな、絵の、キュクロープスとの強い類似性を見ることができる。 双方の生き物の眼は大きいし、もしその表現における敏感な性質が無かったならば、他の点においては脅迫するようであろう。 第3番は、空をじっと見上げながら、おまぬけに微笑している。 位置についてはあまりおおくのことは見られないが、しかし戸外であるように見える。 「岸辺にぶかっこうなポリプが浮かんでいた、微笑している醜いキュクロープスのようなものが。」 この生き物は、通例は嫌気を催させ、恐れさせるが、見る者の心に恐怖心を与えることができない。 連作における残りの挿絵とおなじように、リトグラフのキュクロープスは、自分の醜い顔を保っているかもしれないが、しかしそれは絵のキュクロープスに描かれた同一の優しい性質の下に隠されている。[4] 「ルドンの全経歴は、自然の剰余を描く途を見つけることにある。 彼の怪物らは、彼の美術的軌道の特異的な性質を象徴するようになった: 美術は、怪物そのもののように、われわれが、ヒトと非ヒト、醜と美を区別しようとする意志において誤っていることを証明することになる。」[5]

印象主義者ルドン

『キュクロープス』は、「パレットと点描するブラシ使い」に基づく印象主義の範疇にはいるいっぽうで、当時のほかの印象主義者の作品とは異常に特に異なる。 ルドンは、何か想像上のものを描くことを選んだ。 ルドンは、虚構の存在とあり得ない獣でいっぱいな「強烈な内的世界」に「憑かれて」いたと一般に認められている。 イメージは夢の世界からであるのにたいして、色と表現は印象主義の規範と適合している。 ルドンは、恥ずかしがりやで見たところは内向的なキュクロープスを描いた、 「あたかもそれが眼に見えるかのように、題材にふさわしいと彼が感じた気分に調和した鮮やかな色相の豊かな濫費で気まぐれに彩色した。」 キュクロープスは、自分のえじきを愛しているように思われ、彼女をきわめて慎重に保護しながら、いっぽうで同時に自分じしんは隠れていてかつ自分本位にひとと交際しないでいる。[6] ルドンはしばしば、個人的な現実を描く画家と評された。 彼は「言いようのないものを『描く』ことができるのみならず、呼び起こすこともまた」できると言われた。[7]

脚注

  1. ^ Druick, Odilon Redon: Prince of Dreams, 345-346.
  2. ^ Kleiner and Mamiya, Art Through the Ages, 889.
  3. ^ Leeman, Masterpieces from the Andries Bonger Collection, 57 and 73-74.
  4. ^ Redon, The Black Album, 88-93.
  5. ^ Hauptman, Beyond the Visible, 59.
  6. ^ Kleiner and Mamiya, Art Through the Ages, 888-889.
  7. ^ Bacou, Odilon Redon: Pastels, 9.

参考文献

  • Bacou, Roseline. Odilon Redon: Pastels, New York: George Braziller Incorporated, 1987.
  • Druick, Douglas W. Odilon Redon: Prince of Dreams, Chicago: Art Institute of Chicago, 1994.
  • Hauptman, Jodi. Beyond the Visible: The Art of Odilon Redon. New York: The Museum of Modern Art, 2005.
  • Kleiner, Fred S. and Christin Mamiya. Gardner's Art Through the Ages. California: Wadsworth and Thomson Learning, 2005.
  • Leeman, Fred. Odilon Redon and Emile Bernard: Masterpieces from the Andries Bonger Collection. Zwolle: Waanders Publishers, 2009.
  • Redon, Odilon. I am the First Consciousness of Chaos: The Black Album. Washington: Solar Books, 2010.