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「Sボート」の版間の差分

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{{Otheruses|ドイツの魚雷艇|アメリカ合衆国の潜水艦|S級潜水艦 (アメリカ海軍)}}
{{Otheruses|ドイツの魚雷艇|アメリカ合衆国の潜水艦|S級潜水艦 (アメリカ海軍)}}
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|Name = シュネルボート
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{{Infobox Ship Characteristics
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|Ship type= 魚雷
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|Ship propulsion = ダイムラーベンツ20気筒ディーゼルエンジンMB 501、3基。3,960 hp
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'''Sボート'''、ドイツ語では「Schnellboot(シュネルボート)」と呼ばれるこの高速艇は、[[第二次世界大戦]]中に[[ドイツ海軍]]が使用した[[高速戦闘艇]]である。イギリスではこの艇を指してEボートと呼称したが、これは「Enemy」にちなんだものである<ref>{{cite web | last = Wilson | first = Steve | authorlink = | coauthors = | title = Enemy Boats | work = Military.com | publisher = | date = | url = http://www.military.com/features/0,15240,78723,00.html | doi = | accessdate = 2013年5月}}</ref><ref>{{cite web | last = | first = | authorlink = | coauthors = | title = E-Boats | work = British Military Powerboat Trust | publisher = | date = | url = http://www.bmpt.org.uk/boat%20histories/Eboats/index1.htm | doi = | accessdate = 2013年5月}}</ref>。"Eil boot"の可能性もあるとされる。
どの型のものかはっきりしない(S-30型?)ためコメントアウト。-->
Sボートはきわめて高速の艦艇であり、40ノット以上で巡航し、またその木製船体は磁気[[機雷]]原を無傷で横断可能であることを意味した。この艇は外洋によく適合し、また約700海里と、アメリカ軍の[[PTボート]]やイギリスの[[高速魚雷艇]]よりも相当に長距離の航続能力を備えた。結果として、イギリス海軍はよりよく適合したバージョンの高速魚雷艇を開発し、これは[[:en:Fairmile D motor torpedo boat|フェアマイルD]]の船体設計を用いることとなった。シュネルボートは[[通商破壊]]などを行っており、[[Uボート]]に次ぐ戦果を挙げたといわれている。
<!--[[Image:Germaneboat.jpg|right|thumb|イギリスに投降したSボート]]-->
'''Sボート'''(シュネルボート、Schnellboot)は[[ドイツ海軍]]の用いた[[魚雷艇]]で、直訳すれば[[高速艇]]である。[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]からはEボート ("Enemy boat"の頭文字とされることが多いが、"Eil boot"の可能性もある) と呼ばれた。

[[ヴェルサイユ条約]]で[[軍艦]]の保有を著しく制限されたドイツは、規制の対象となっていない小型艇に着目した。ドイツ海軍は民間の[[ヨット]]、オヘカII (最高速度34[[ノット|kt]]) を基礎として高速を発揮できる艇を開発し、シュネルボート(Schnellboot)と名づけた。[[魚雷発射管]]と[[機関砲]]を搭載し、最大40ktを発揮することができた。[[通商破壊]]なども行っており、[[Uボート]]に次ぐ戦果を挙げたといわれている。


現代のドイツにおいては、魚雷艇と[[ミサイル艇]]を含めた[[高速戦闘艇]]全体をSchnellbootと呼ぶ。魚雷艇とミサイル艇を区別する必要がある場合は、前者を{{lang|de|Torpedoschnellboot}}(魚雷高速艇)、後者を{{lang|de|Flugkörperschnellboot}}(ミサイル高速艇)と表記する。<br />また、建造当初の[[アルバトロス級ミサイル艇]]のように[[艦対艦ミサイル]]発射機と対艦攻撃用の533mm[[魚雷発射管]]を混載する高速戦闘艇については{{lang|de|Torpedo-Flugkörperschnellboot}}(魚雷-ミサイル高速艇)と表記されることがある。
現代のドイツにおいては、魚雷艇と[[ミサイル艇]]を含めた[[高速戦闘艇]]全体をSchnellbootと呼ぶ。魚雷艇とミサイル艇を区別する必要がある場合は、前者を{{lang|de|Torpedoschnellboot}}(魚雷高速艇)、後者を{{lang|de|Flugkörperschnellboot}}(ミサイル高速艇)と表記する。<br />また、建造当初の[[アルバトロス級ミサイル艇]]のように[[艦対艦ミサイル]]発射機と対艦攻撃用の533mm[[魚雷発射管]]を混載する高速戦闘艇については{{lang|de|Torpedo-Flugkörperschnellboot}}(魚雷-ミサイル高速艇)と表記されることがある。

== 歴史 ==
=== 開発 ===
[[ヴェルサイユ条約]]の結果、ドイツの軍備計画は非常に制限された。しかしながら、小型の警備艇はどのような拘束の対象にもされていなかった。'''Sボート'''の出自を辿れば私的なモーター[[ヨット]]に戻る。排水量22t、速力34ノット、艇の名称は「オヘカII」であり、これは1927年、裕福な投資家で芸術家のパトロンでもあるオットー・カーンのためにドイツの[[造船]]会社リュールセン社が建造したものだった。

この設計が選択された理由は、こうしたボートが[[北海]]、[[英仏海峡]]、[[ウェスタンアプローチ]]を作戦海域にすることが予期されたことによる。時化の海でも良好な性能が要望されることから、小型の高速艇で通常用いられる平底船底を用いた船体の代わりに、丸底船底の船体を用いることが指示された。リュールセン社はこうした船体の不利の多くを克服し、オヘカIIを高速かつ強靱で航洋性のある艇として生産した。これはドイツ海軍の関心を惹き、1929年には2本の魚雷発射管を装備した類似の艇が発注された。この艇はS-1型となり、以後の全てのSボートの基礎となった。

S-1艇の試験後、ドイツ軍は設計上のいくつかの改善を行った。主舵の両側に追加された小さな舵は30度まで艇の外部方向へ角度を取ることができ、高速時にリュールセン効果として知られる状態を作り出した<ref>{{cite book | last = Saunders | first = Harold E. | authorlink = | coauthors = | title = Hydrodynamics in ship design, Volume 1 | publisher = Society of Naval Architects and Marine Engineers | year = 1957 | location = | url = | doi = | id = | isbn = 99914-0-571-2 | page = 586}}</ref>。これは「3軸のプロペラのわずかな後方にエアーポケットを引き込み、これら推進器の効率を増強し、艦尾波を減少させ、また艇を水平に近い体勢に維持し続けることができた<ref>{{cite web | last = | first = | authorlink = | coauthors = | title = Schnellboot! An Illustrated Technical History - Design, Manufacture and Detail | work = | publisher = | date = | url = http://www.prinzeugen.com/DesignManufacture.htm | doi = | accessdate = Dec 16, 2009}}</ref>。艦尾の水平姿勢がいくぶん浮きがちになったため、これは重要な技術革新だった。より高速を出すことが容認され、また艦尾波の減少はSボートの視認を困難とした。特に夜間には難しいものとなった。

=== ドイツ海軍での運用 ===
[[File:German E-Boat underway to Gosport 1945.jpg|thumb|left|250px|30[[ノット]]で航走するSボート。イギリス軍に投降した艇の画像]]
Sボートはしばしば[[バルト海]]の哨戒や、イギリスの南部と東部の港湾への海上輸送進路を迎撃する命令により英仏海峡の哨戒に用いられた。そうした経緯からSボート部隊は、イギリス海軍やイギリス連邦(特にノルマンディー上陸作戦に起因する王立[[カナダ海軍]]の兵力)の[[:en:Motor Gun Boat|モーターガンボート]]、[[高速魚雷艇]]、[[:en:Motor Launch|モーターランチ]]、[[:en:Captain-class frigate|キャプテン級フリゲート]]や[[駆逐艦]]と対峙した。またSボートは少数が地中海へ移送された。黒海へ移送された艇は陸路と河川を用いた。いくつかの小型のSボートが補助巡洋艦の艦載艇として建造された。

Sボートの勤務員は勤務によって特定の賞、「Das Schnellbootkriegsabzeichen(高速艇戦闘記章)」を得ることができた。勤務内容を示すこの記章には、Sボートが花輪を通過する様子が描かれていた。評価基準は善行、作戦行動中の功績、そして少なくとも12回の敵との戦闘に参加することだった。この記章はまた、成功した作戦への参加、リーダーシップの発露、作戦行動中の戦死にも授与された。また別の勲章が不適当であるとされるような特別な状況下にも、この記章の授与が可能だった。

「シュネルボート」第9戦隊は、[[オーバーロード作戦]]の侵攻艦隊に対抗した最初の海軍部隊だった<ref name=V.E56 />。この部隊は1944年6月6日の午前5時にシェルブール港を離れた<ref name=V.E56 />。自身が侵攻艦隊の全兵力と直面していることを察知し、彼らは最大射程で魚雷を発射し、シェルブールに帰投した<ref name=V.E56>{{cite book |title=The Last Year of the Kriegsnarine |last=Tarrant |first=V.E |year=1994 |publisher=Arms and Armour Press |isbn=1-85409-176-X |pages=56--57}}</ref>。

第二次世界大戦中、Sボートは101隻の商船を撃沈し、その総計は214,728トンに達する<ref name="Connelly&Krakow, 2003. p.54">Connelly&Krakow, 2003. p.54</ref>。加えて、これらの艇は12隻の駆逐艦、11隻の機雷掃海艇、8隻の揚陸艦、6隻のMTB、魚雷艇1隻、機雷敷設艦1隻、潜水艦1隻、数隻の商業用舟艇を撃沈した。Sボートはまた、2隻の巡洋艦、5隻の駆逐艦、3隻の揚陸艦、1隻の工作艦、1隻の海軍タグボート、そして非常に多数の商船を損傷させた。Sボートによる[[機雷]]敷設は37隻の商船の喪失をもたらし、総計は148,535トンに達する。また駆逐艦1隻、機雷掃海艦2隻、4隻の揚陸艦が沈没した<ref name="Connelly&Krakow, 2003. p.54"/>。

彼らの任務を表彰し、「シュネルボート」の勤務員は[[騎士鉄十字章]]を23回、[[ドイツ十字章]]金章を112回授与されている<ref name="Connelly&Krakow, 2003. p.54"/>。

=== イタリア軍のMSボート ===
MASボートの貧しい航洋性能から、イタリア海軍はSボートの自軍バージョンを建造した。これは単にMS(Motoscafo Silurante)と呼ばれた。試作艇は、1941年にユーゴスラビア海軍が捕獲した6隻のドイツ製Sボートの様式から設計された。特記することは、このうちの2隻は、第二次大戦中のこの種の艦艇が成し得た戦果のうち、最大級の軍艦(イギリス軍巡洋艦[[マンチェスター (タウン級軽巡洋艦)|マンチェスター]])を撃沈したことである<ref>[http://www.regiamarina.net/detail_text_with_list.asp?nid=77&lid=1 MAS, VAS and MS]</ref>。1942年9月3日、エジプトに進出した連合軍の前線後方に、14人からなるイタリア海兵隊員の一団を潜入させるため、2隻のMSボートが使用された。捕えられるまでに海兵隊員は鉄道と水道を爆破した<ref>[http://www.naval-history.net/xDKWD-MedFleet1942b.htm Mediterranean Fleet, July to September 1942]</ref>。1943年までにこれらの艇は36隻が完成した<ref>Sadkovich, James (1994). ''The Italian Navy in World War II''. Greenwood Press, Westport, p. 39. ISBN 0-313-28797-X</ref>。

=== スペイン海軍での運用 ===
スペイン内戦中、ドイツ海軍はスペイン海軍に6隻のSボートを供給しており、第二次大戦中には更に6隻を供給した。さらにリュールセン社のいくばくかの補助によってもう6隻がスペインで建造された。これらのうち「Falange」もしくは「Requeté」は機雷2個を敷設したが、これは1937年5月13日に[[アルメリア]]を離れたイギリス軍の駆逐艦HMS[[ハンター (駆逐艦・2代)|ハンター]]を無力化した。ドイツで建造されたボートは1960年代に廃棄され、少数のスペイン製魚雷艇のうち1隻が1970年代初期まで就役していた<ref>Coello, J.L. (1995). Buques de la Armada espan~ola an~os de la postguerra''. S.L. AGUALARGA EDITORES, ISBN 978-84-88959-15-7</ref>。

=== 中国大陸のSボート ===
[[中国国民党]]海軍は[[日中戦争]]中に3隻のS-7 Sボートを保有した。1隻は日本軍の航空機に破壊され、1隻は喪失、最後の1隻は国共内戦中に[[中国人民解放軍]]に捕獲された。[[中国人民解放軍海軍]]はこの艇を警備艇として1963年まで使用した。中国国民党政府はまた、8隻のS-30 Sボートと魚雷艇輸送船を発注していたものの、1939年に、これらの船はドイツ海軍に編入された。

== 第二次大戦後の運用 ==
=== イギリス海軍 ===
[[File:Germaneboat.jpg|thumb|right|250px|イギリス軍に投降したS-204艇。]]
戦争終結時、34隻ほどのSボートがイギリスに投降した。「S-130」、「S-208」、「S-212」の3隻が試験のために残された。1949年から1956年にかけて[[ジャングル作戦]]が行われた。これは[[MI6]]と[[CIA]]および[[ラインハルト・ゲーレン|ゲーレン機関]]が計画した連合作戦であり、海路によって[[バルト三国]]および[[ポーランド]]へと工作員を潜入させるものだった。イギリス海軍の司令官アンソニー・コートニーは従来のSボートの船体が持つ潜在的な能力に感銘を受けており、また海軍情報部(NID)のジョン・ハーベイ=ジョーンズは計画担当に任命されていた。彼は「P5230」と「P5208」の2隻のSボートが未だにイギリス海軍に保管されていることを探り出し、これらの艇をポーツマスに回航した。そこで2隻の内の1隻である「P5230」(S-130艇)は重量軽減の改修が行われ、さらに出力3,000馬力の[[ネイピア・デルティック]]エンジンが2基据え付けられて出力が増強された。

法的否認権の問題から、以前Sボートの艇長をつとめていたヘルムート・クローゼおよびドイツ人搭乗員がSボートの乗員として採用された。彼らは英国管理委員会が設けた、水産業保護サービスの隠匿下で活動した。これはソ連海軍の艦艇がドイツの漁船に干渉するのを防ぐ役割を果たし、また漂流した機雷を処理する役目を負っていた<ref>{{cite book | last = Peebles | first = Curtis | authorlink = | coauthors = | title = Twilight Warriors | publisher = Naval Institute Press | year = 2005 | location = | pages = 38--39 | url = | doi = | id = | isbn = 1-59114-660-7}}</ref>。

=== デンマーク王立海軍 ===
1947年、デンマーク海軍は以前ドイツ海軍に在籍していた魚雷艇を12隻購入した。1951年、ノルウェー海軍から6隻を購入したことでこれらの艇はさらに増強された。最後のP568 Viben艇は1965年に退役した<ref>[http://www.navalhistory.dk/English/TheShips/Classes/Glenten_Class%281947%29.htm GLENTEN Class (1947-1965), Motortorpedoboats]</ref>。

=== ノルウェー王立海軍 ===
第二次世界大戦後、ノルウェー海軍はドイツ海軍の魚雷艇を数隻受領した。1951年、6隻の魚雷艇がデンマークに売却された。

== 運用国 ==
*{{flag|Nazi Germany|Nazi}}
*{{flag|West Germany}}
*{{flag|Italy}}
*{{flag|Bulgaria}}
*{{flag|Spain|1938}}
*{{ROC}}
*{{UK}}
*{{DEN}}
*{{NOR}}
*{{PRC}}

== 残存艇 ==
唯一残存したSボートは「S-130」であることが確認されている。2003年1月、ブリティッシュ・ミリタリー・パワーボート・トラストの後援の下で「S-130」艇は購入され、ドイツの[[ヴィルヘルムスハーフェン]]からイングランドの[[サウサンプトン]]にあるマーチウッドの港へ曳航された。2004年、S-130はハイズの造船台に据えられ、ここでBMPTの管理により艇の準備が整えられた。それからこの艇はイングランドの[[プリマス]]にあるマッシュフォードの作業場まで牽引され、レストア資金を待ち受けることとなった。2008年、ケビン・フィートクロフトに購入された「S-130」艇はタマル川を越えて運ばれ、コーンウォールにあるサウスダウンの陸上に据えられた。これはロービング・コミッションズ社が関係するレストア作業を受けるためだった。2012年6月の段階でもこの作業は続けられており、関係者にはS130メンバーズクラブが参加している<ref>http://www.s130.co.uk/index.php/s130-history/</ref>。

船体No.1030の「S-130」は、[[トラフェミュンデ]]のシュリヒティング造艇場で建造されたもので、1943年8月21日に命令を受け、実戦投入された。参加作戦は連合軍のタイガー演習への攻撃、および[[ノルマンディー上陸作戦]]時の侵攻艦隊に対する攻撃である。

オランダの軍事史家であるモーリス・ラールマンによれば、<blockquote>
In 1945, S-130 was taken as a British war prize ( FPB 5030) and put to use in covert operations. Under the guise of the "British Baltic Fishery Protection Service", the British Secret Intelligence Service MI 6 ferried spies and agents into Eastern Europe. Beginning in May 1949, MI 6 used S-208, (Kommandant Hans-Helmut Klose) to insert agents into Lithuania, Latvia, Estonia, and Poland. The operations were very successful and continued under a more permanent organisation based in Hamburg. In 1952, S-130 joined the operation and the mission was enlarged to include signal intelligence (SIGINT) equipment. In 1954/55, S-130 and S-208 were replaced by a new generation of German S-boote.

「1945年、S-130は英国の戦利品となり(FPB 5030)、他の任務に転用された。「英国バルト海水産業保護サービス」の外見の下で、英国の秘密情報機関であるMI6は諜報員や工作員を東欧へ輸送した。1949年5月初め、MI6はS-208艇を使用し(司令官ハンス・ヘルムート・クローゼ)、工作員をリトアニア、ラトビア、エストニア、そしてポーランドへ潜入させた。この作戦は非常な成功を収め、またハンブルグに拠点を置く、もっと常設的な機関の下で繰り返された。1952年、S-130艇は作戦に参加した。この任務はシグナル・インテリジェンス(SIGINT)の装備を含んで規模が拡大されていた。1954/1955年、S-130艇およびS-208艇は新しい世代のドイツ高速艇に代替された。」
</blockquote>

1957年3月、S-130艇は新しく創設されたドイツ連邦海軍に復帰し、ナンバーUW10として運用された。当初は「ウンターヴァッサーヴァッフェンシューレ」(対潜戦学校)の軍務に従事し、機雷や魚雷など、対潜兵器を水兵に教育する機材として用いられた。この艇は後に、呼称EF3として試験艇に転用された<ref>[http://www.prinzeugen.com/S130.htm Schnellboot E-boat S-130]</ref>。

S-130艇はドイツのヴィルヘルムスハーフェンに展示されており、以前はハウスボートとして用いられていた。今日「S-130」はイングランドのフィートクロフト・コレクションによって購入され、コーンウォールのサウスダウンにてレストア作業を受けている<ref>http://www.s130.co.uk/index.php/restoration/</ref>。

== 派生型 ==
== 派生型 ==
「シュネルボート」の時系列に沿った設計の進化。最初の艇は前甲板に魚雷発射管2基を備えた。
[[File:Bundesarchiv Bild 101II-MW-1913-31, Schnellboot übernimmt Torpedos.jpg|thumb|right|250px|魚雷搭載作業中のS-38艇。]]
;S-1型
:リュールセン社で制作された試作艇。オヘカIIの設計を基礎とする。
:排水量、満載51.6t、基準39.8t。
:全長、26.85m
:全幅、4.37m
:吃水、1.40m
:機関、3軸 ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、2,700馬力。速力34.2ノット、航続は30ノットで350海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
:乗員、12名<ref name=Whitley178>M. J. Whitley, German Coastal Forces on World War Two, Arms and Armour Press, 1992, ISBN 1-85409-085-2, p.178</ref>

;S-2型
;S-2型
:S-1を基礎とした最初期量産型のSボート。1931型Sボート(Schnellboot 1931)とも呼称される。前甲板と後甲板の高さに差が無く、前甲板上に2基の533mm魚雷発射管を搭載しているが、予備魚雷は搭載不能。対空兵装は後甲板に20mm機関砲を1門搭載するのみ。Sボート用ディーゼルエンジンの供給が間に合わなかったため、引火の危険性が高いガソリンエンジンを搭載している。4隻建造されてSボート部隊の戦術訓練に用いられ、第二次世界大戦勃発前の1936年にスペインへ売却された<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1931/index.html]</ref>。
:最初期量産型のSボート。1931型Sボート(Schnellboot 1931)とも呼称される。
:排水量、満載58t、基準46.5t
:前甲板と後甲板の高さに差が無く、前甲板上に2基の533mm魚雷発射管を搭載しているが、予備魚雷は搭載不能。対空兵装は後甲板に20mm機関砲を1門搭載するのみ。
:全長、27.94m
:Sボート用ディーゼルエンジンの供給が間に合わなかったため、引火の危険性が高いガソリンエンジンを搭載している。
:全幅、4.46m
:4隻建造されてSボート部隊の戦術訓練に用いられ、第二次世界大戦勃発前の1936年にスペインへ売却された。<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1931/index.html German-navy.de Schnellboot 1931]</ref>
:吃水、1.45m
:機関、3軸 ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、3,000馬力。速力33.8ノット、航続は22ノットで582海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
:乗員、12<ref name=Whitley178 />


;S-7型
;S-7型
:ドイツ海軍初の本格量産型Sボート。1933型Sボート(Schnellboot 1933)とも呼称される。
:ドイツ海軍初の本格量産型Sボート。1933型Sボート(Schnellboot 1933)とも呼称される。操舵室の直後に高いマストを備えているのが特徴であるほか、エンジンはMAN製ディーゼルを搭載。7隻建造<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1933/index.html German-navy.de Schnellboot 1933]</ref>。これらの艇は1933年に最初に建造され、うち3隻が中華民国に売却された
:排水量、満載86t、基準75.8t
:操舵室の直後に高いマストを備えているのが特徴であるほか、エンジンはMAN製ディーゼルを搭載。7隻建造。<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1933/index.html German-navy.de Schnellboot 1933]</ref>
:全長、32.36m
:全幅、5.06m
:吃水、1.36m
:機関、3軸 MAN L7 19/30、3,960馬力。速力36.5ノット、航続は30ノットで600海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
:乗員、18<ref name=Whitley178 />


;S-14型
;S-14型
:S-7型の改良型。1934型Sボート(Schnellboot 1934)とも呼称される。やや船体が大型化している。4隻が建造された<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1934/index.html German-navy.de Schnellboot 1934]</ref>
:S-7型の改良型。1934型Sボート(Schnellboot 1934)とも呼称される。やや船体が大型化している。4隻が建造された<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1934/index.html German-navy.de Schnellboot 1934]</ref>
:排水量、満載105.4t、基準92.5t
:全長、34.62m
:全幅、5.26m
:吃水、1.67m
:機関、3軸 MAN L11ディーゼルエンジン、6,150馬力。速力37.7ノット、航続は32ノットで500海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。
:乗員、18<ref name=Whitley178 />


;S-18型
;S-18型
:S-7型及びS-14型の改良型。1937型Sボート(Schnellboot 1937)とも呼称される。ディーゼルエンジンをMAN製からより高性能なダイムラーベンツ製に変更している。8隻建造<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1937/index.html German-navy.de Schnellboot 1937]</ref>
:S-7型及びS-14型の改良型。1937型Sボート(Schnellboot 1937)とも呼称される。ディーゼルエンジンをMAN製からより高性能なダイムラーベンツ製に変更している。8隻建造<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1937/index.html German-navy.de Schnellboot 1937]</ref>
:機関、3軸 ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力。速力39.8ノット、航続は35ノットで700海里
:他はS14と同値<ref name=Whitley178 />


以下は戦時型である。
[[File:Bundesarchiv Bild 146-2005-0001, Albert Speer besichtigt U-Boot.jpg|thumb|right|250px|シュネルボートの前面。凌波性から前甲板が一段高められ、魚雷発射管が被覆された]]
;S-30型
;S-30型
:設計を手直しされた後期型。1939型Sボート(Schnellboot 1939)とも呼称される。従来のSボートが高速航行時に前甲板や操舵室に波をかぶりやすかったため、操舵室より前の前甲板を後甲板より一段高くしているのが、外見上の最大の特徴。これに伴い魚雷発射管は船体内蔵式となり、船体内部には2発の予備魚雷を搭載可能となった。16隻建造。<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1939/index.html German-navy.de Schnellboot 1939]</ref>
:設計を手直しされた後期型。1939型Sボート(Schnellboot 1939)とも呼称される。
:排水量、満載100t、基準78.9t
:従来のSボートが高速航行時に前甲板や操舵室に波をかぶりやすかったため、操舵室より前の前甲板を後甲板より一段高くしているのが、外見上の最大の特徴。これに伴い魚雷発射管は船体内蔵式となり、船体内部には2発の予備魚雷を搭載可能となった。16隻建造。<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1939/index.html German-navy.de Schnellboot 1939]</ref>
:全長、32.76m

:全幅、5.06m
:吃水、1.47m
:機関、3軸 ダイムラーベンツMB502ディーゼルエンジン、3,960馬力。速力36ノット、航続は30ノットで800海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。
:乗員、24<ref name=Whitley178 />
[[File:Bundesarchiv Bild 101II-MW-6304-13A, Schnellboot in See.jpg|thumb|right|250px|艇首の武装。2cm Flak C/30または2cm Flak C38を装備。]]
;S-26型
;S-26型
:S-30型の改良型。1939/1940型Sボート(Schnellboot 1939/1940)とも呼称される。
:S-30型の改良型。1939/1940型Sボート(Schnellboot 1939/1940)とも呼称される。1940年に就役した
:船体全長をS-30型の32.76mから、2m近く延長して34.94mとした型。これに伴い対空兵装の大幅強化が可能となった。
:船体全長をS-30型の32.76mから、2m近く延長して34.94mとした型。これに伴い対空兵装の大幅強化が可能となった。
:実質的なSボートの主力であり、これ以降に登場するS-38型やS-38b型(操舵室の装甲化)、S-100型(前甲板に20mm機関砲を追加)は基本的にS-26型の派生型である<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1940/index.html German-navy.de Schnellboot 1939/1940]</ref>
:実質的なSボートの主力であり、これ以降に登場するS-38型やS-38b型(操舵室の装甲化)、S-100型(前甲板に20mm機関砲を追加)は基本的にS-26型の派生型である<ref>[http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/fastattack/schnellboot1940/index.html German-navy.de Schnellboot 1939/1940]</ref>
:排水量、満載112t、基準92.5t
:全長、34.94m
:全幅、5.28m
:吃水、1.67m
:機関、3軸 ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力。速力39.0ノット、航続は35ノットで700海里
:兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。またはFlak C/38、2基
:乗員、24<ref name=Whitley178 />
[[File:Bundesarchiv Bild 146-2005-0002, Albert Speer besichtigt U-Boot.jpg|thumb|right|250px|Uボートに接舷したS-100型のシュネルボート。装甲化された操舵室周辺の様子が写されている]]
;S-38型
:同上<ref name=Whitley178 />

;S-38b型
:S-38型の改良型である。操舵室が装甲化された。艇尾に40mmボフォース砲、2cm Flakなどを含む様々な兵装を備える。艇中央部にはMG34ツヴィリングソッケルを備えた。

;S-100型
:1943年から。2cm Flak1基を艇首に備え、艇の中央部に連装2cm Flakを備える。艇尾には3.7cm砲を備える。

;S-151型

;タイプ700
:戦争後期に提案された設計。艇尾に魚雷発射管を備え、前方に3cm銃塔を装備した。8隻が製造に着手したが、S-100の設計要目で完成した。


== 出典 ==
== 出典 ==
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
* {{cite book | title=German S-boote at War, 1939-1945 | last=Dallies-Labourdette | first=Jean Philippe | publisher=Histoire and Collections | month=June | year=2003 | isbn=2-913903-49-5}}
* {{cite book | title=Schnellboot in Action (Warships) | last=Krakow | first= David | coauthors= Connelly, Garth | publisher=Squadron/Signal Publications, Inc. | month=January | year=2003 | isbn=0-89747-457-0}}
* {{cite book | title=German E-boats 1939-45 | last=Williamson | first=Gordon | coauthors=Palmer, Ian | publisher=Osprey Publishing | date=September 18, 2002 | isbn=1-84176-445-0}}
* {{cite book | title=Ships Of Canada's Naval Forces (Warships) | last=Macpherson | first=Ken | publisher=Collins Publications, Inc. ISBN 0-00-216856-1 }}
*{{cite book | title=E-boat vs MTB : the English Channel 1941-45 | publisher=Osprey | author=Williamson, Gordon | year=2011 | location=Oxford ; Long Island City | isbn=978-1-84908-407-9}}

== 外部リンク ==
* [http://www.rovcom.co.uk/s130_ww2_schnellboot.htm World War II Schnellboot, or E-boat]
* [http://www.prinzeugen.com/SBOATIND.htm Prinz Eugen S-boat site]
* [http://www.pt-boat.com/sboot/sboot.html John Drain's model S-boat site]
* [http://www.thamesvalleypod.tv/tvall.php?tv=3 Five part video podcast documentary about S130 on www.pod3.tv]
*{{cite web | url = http://www.bmpt.org.uk/boats/S130/index6.htm | title = British Military Powerboat Trust | accessdate = 2013年5月}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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**[[魚雷艇 (大日本帝国海軍)|大日本帝国海軍の魚雷艇]]
**[[魚雷艇 (大日本帝国海軍)|大日本帝国海軍の魚雷艇]]


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2013年5月15日 (水) 06:45時点における版

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|colspan="2" style="text-align:center;line-height:1.5em;"|
S-100型の模型|- style="vertical-align:top"
艦級概観
名称:シュネルボート
建造:リュールセン
運用:スペイン内戦
 スペイン海軍
第二次世界大戦
 ドイツ国防軍海軍
ユーゴスラビア
 イタリア王立海軍
 中華民国海軍
戦後
 デンマーク海軍
 ノルウェー海軍
 中国人民解放軍海軍
 イギリス海軍
 西ドイツ海軍
 スペイン海軍
保存数:1隻
仕様諸元
クラス: S-100型
種別 高速戦闘艇
排水量 100t(最大)
78.9t(標準)
長さ: 32.76 m
幅: 5.06 m
喫水: 1.47 m
推進: ダイムラーベンツ20気筒ディーゼルエンジンMB 501、3基。3,960 hp
速力: 43.8ノット
航続距離: 30ノット時に800海里
乗員: 24–30名
兵装: 53.3cm魚雷発射管2基(予備魚雷4本)
連装2cm Flak C/30、1基、単装2cm Flak、1基
3.7cm Flak 42、1基

Sボート、ドイツ語では「Schnellboot(シュネルボート)」と呼ばれるこの高速艇は、第二次世界大戦中にドイツ海軍が使用した高速戦闘艇である。イギリスではこの艇を指してEボートと呼称したが、これは「Enemy」にちなんだものである[1][2]。"Eil boot"の可能性もあるとされる。 Sボートはきわめて高速の艦艇であり、40ノット以上で巡航し、またその木製船体は磁気機雷原を無傷で横断可能であることを意味した。この艇は外洋によく適合し、また約700海里と、アメリカ軍のPTボートやイギリスの高速魚雷艇よりも相当に長距離の航続能力を備えた。結果として、イギリス海軍はよりよく適合したバージョンの高速魚雷艇を開発し、これはフェアマイルDの船体設計を用いることとなった。シュネルボートは通商破壊などを行っており、Uボートに次ぐ戦果を挙げたといわれている。

現代のドイツにおいては、魚雷艇とミサイル艇を含めた高速戦闘艇全体をSchnellbootと呼ぶ。魚雷艇とミサイル艇を区別する必要がある場合は、前者をTorpedoschnellboot(魚雷高速艇)、後者をFlugkörperschnellboot(ミサイル高速艇)と表記する。
また、建造当初のアルバトロス級ミサイル艇のように艦対艦ミサイル発射機と対艦攻撃用の533mm魚雷発射管を混載する高速戦闘艇についてはTorpedo-Flugkörperschnellboot(魚雷-ミサイル高速艇)と表記されることがある。

歴史

開発

ヴェルサイユ条約の結果、ドイツの軍備計画は非常に制限された。しかしながら、小型の警備艇はどのような拘束の対象にもされていなかった。Sボートの出自を辿れば私的なモーターヨットに戻る。排水量22t、速力34ノット、艇の名称は「オヘカII」であり、これは1927年、裕福な投資家で芸術家のパトロンでもあるオットー・カーンのためにドイツの造船会社リュールセン社が建造したものだった。

この設計が選択された理由は、こうしたボートが北海英仏海峡ウェスタンアプローチを作戦海域にすることが予期されたことによる。時化の海でも良好な性能が要望されることから、小型の高速艇で通常用いられる平底船底を用いた船体の代わりに、丸底船底の船体を用いることが指示された。リュールセン社はこうした船体の不利の多くを克服し、オヘカIIを高速かつ強靱で航洋性のある艇として生産した。これはドイツ海軍の関心を惹き、1929年には2本の魚雷発射管を装備した類似の艇が発注された。この艇はS-1型となり、以後の全てのSボートの基礎となった。

S-1艇の試験後、ドイツ軍は設計上のいくつかの改善を行った。主舵の両側に追加された小さな舵は30度まで艇の外部方向へ角度を取ることができ、高速時にリュールセン効果として知られる状態を作り出した[3]。これは「3軸のプロペラのわずかな後方にエアーポケットを引き込み、これら推進器の効率を増強し、艦尾波を減少させ、また艇を水平に近い体勢に維持し続けることができた[4]。艦尾の水平姿勢がいくぶん浮きがちになったため、これは重要な技術革新だった。より高速を出すことが容認され、また艦尾波の減少はSボートの視認を困難とした。特に夜間には難しいものとなった。

ドイツ海軍での運用

30ノットで航走するSボート。イギリス軍に投降した艇の画像

Sボートはしばしばバルト海の哨戒や、イギリスの南部と東部の港湾への海上輸送進路を迎撃する命令により英仏海峡の哨戒に用いられた。そうした経緯からSボート部隊は、イギリス海軍やイギリス連邦(特にノルマンディー上陸作戦に起因する王立カナダ海軍の兵力)のモーターガンボート高速魚雷艇モーターランチキャプテン級フリゲート駆逐艦と対峙した。またSボートは少数が地中海へ移送された。黒海へ移送された艇は陸路と河川を用いた。いくつかの小型のSボートが補助巡洋艦の艦載艇として建造された。

Sボートの勤務員は勤務によって特定の賞、「Das Schnellbootkriegsabzeichen(高速艇戦闘記章)」を得ることができた。勤務内容を示すこの記章には、Sボートが花輪を通過する様子が描かれていた。評価基準は善行、作戦行動中の功績、そして少なくとも12回の敵との戦闘に参加することだった。この記章はまた、成功した作戦への参加、リーダーシップの発露、作戦行動中の戦死にも授与された。また別の勲章が不適当であるとされるような特別な状況下にも、この記章の授与が可能だった。

「シュネルボート」第9戦隊は、オーバーロード作戦の侵攻艦隊に対抗した最初の海軍部隊だった[5]。この部隊は1944年6月6日の午前5時にシェルブール港を離れた[5]。自身が侵攻艦隊の全兵力と直面していることを察知し、彼らは最大射程で魚雷を発射し、シェルブールに帰投した[5]

第二次世界大戦中、Sボートは101隻の商船を撃沈し、その総計は214,728トンに達する[6]。加えて、これらの艇は12隻の駆逐艦、11隻の機雷掃海艇、8隻の揚陸艦、6隻のMTB、魚雷艇1隻、機雷敷設艦1隻、潜水艦1隻、数隻の商業用舟艇を撃沈した。Sボートはまた、2隻の巡洋艦、5隻の駆逐艦、3隻の揚陸艦、1隻の工作艦、1隻の海軍タグボート、そして非常に多数の商船を損傷させた。Sボートによる機雷敷設は37隻の商船の喪失をもたらし、総計は148,535トンに達する。また駆逐艦1隻、機雷掃海艦2隻、4隻の揚陸艦が沈没した[6]

彼らの任務を表彰し、「シュネルボート」の勤務員は騎士鉄十字章を23回、ドイツ十字章金章を112回授与されている[6]

イタリア軍のMSボート

MASボートの貧しい航洋性能から、イタリア海軍はSボートの自軍バージョンを建造した。これは単にMS(Motoscafo Silurante)と呼ばれた。試作艇は、1941年にユーゴスラビア海軍が捕獲した6隻のドイツ製Sボートの様式から設計された。特記することは、このうちの2隻は、第二次大戦中のこの種の艦艇が成し得た戦果のうち、最大級の軍艦(イギリス軍巡洋艦マンチェスター)を撃沈したことである[7]。1942年9月3日、エジプトに進出した連合軍の前線後方に、14人からなるイタリア海兵隊員の一団を潜入させるため、2隻のMSボートが使用された。捕えられるまでに海兵隊員は鉄道と水道を爆破した[8]。1943年までにこれらの艇は36隻が完成した[9]

スペイン海軍での運用

スペイン内戦中、ドイツ海軍はスペイン海軍に6隻のSボートを供給しており、第二次大戦中には更に6隻を供給した。さらにリュールセン社のいくばくかの補助によってもう6隻がスペインで建造された。これらのうち「Falange」もしくは「Requeté」は機雷2個を敷設したが、これは1937年5月13日にアルメリアを離れたイギリス軍の駆逐艦HMSハンターを無力化した。ドイツで建造されたボートは1960年代に廃棄され、少数のスペイン製魚雷艇のうち1隻が1970年代初期まで就役していた[10]

中国大陸のSボート

中国国民党海軍は日中戦争中に3隻のS-7 Sボートを保有した。1隻は日本軍の航空機に破壊され、1隻は喪失、最後の1隻は国共内戦中に中国人民解放軍に捕獲された。中国人民解放軍海軍はこの艇を警備艇として1963年まで使用した。中国国民党政府はまた、8隻のS-30 Sボートと魚雷艇輸送船を発注していたものの、1939年に、これらの船はドイツ海軍に編入された。

第二次大戦後の運用

イギリス海軍

イギリス軍に投降したS-204艇。

戦争終結時、34隻ほどのSボートがイギリスに投降した。「S-130」、「S-208」、「S-212」の3隻が試験のために残された。1949年から1956年にかけてジャングル作戦が行われた。これはMI6CIAおよびゲーレン機関が計画した連合作戦であり、海路によってバルト三国およびポーランドへと工作員を潜入させるものだった。イギリス海軍の司令官アンソニー・コートニーは従来のSボートの船体が持つ潜在的な能力に感銘を受けており、また海軍情報部(NID)のジョン・ハーベイ=ジョーンズは計画担当に任命されていた。彼は「P5230」と「P5208」の2隻のSボートが未だにイギリス海軍に保管されていることを探り出し、これらの艇をポーツマスに回航した。そこで2隻の内の1隻である「P5230」(S-130艇)は重量軽減の改修が行われ、さらに出力3,000馬力のネイピア・デルティックエンジンが2基据え付けられて出力が増強された。

法的否認権の問題から、以前Sボートの艇長をつとめていたヘルムート・クローゼおよびドイツ人搭乗員がSボートの乗員として採用された。彼らは英国管理委員会が設けた、水産業保護サービスの隠匿下で活動した。これはソ連海軍の艦艇がドイツの漁船に干渉するのを防ぐ役割を果たし、また漂流した機雷を処理する役目を負っていた[11]

デンマーク王立海軍

1947年、デンマーク海軍は以前ドイツ海軍に在籍していた魚雷艇を12隻購入した。1951年、ノルウェー海軍から6隻を購入したことでこれらの艇はさらに増強された。最後のP568 Viben艇は1965年に退役した[12]

ノルウェー王立海軍

第二次世界大戦後、ノルウェー海軍はドイツ海軍の魚雷艇を数隻受領した。1951年、6隻の魚雷艇がデンマークに売却された。

運用国

残存艇

唯一残存したSボートは「S-130」であることが確認されている。2003年1月、ブリティッシュ・ミリタリー・パワーボート・トラストの後援の下で「S-130」艇は購入され、ドイツのヴィルヘルムスハーフェンからイングランドのサウサンプトンにあるマーチウッドの港へ曳航された。2004年、S-130はハイズの造船台に据えられ、ここでBMPTの管理により艇の準備が整えられた。それからこの艇はイングランドのプリマスにあるマッシュフォードの作業場まで牽引され、レストア資金を待ち受けることとなった。2008年、ケビン・フィートクロフトに購入された「S-130」艇はタマル川を越えて運ばれ、コーンウォールにあるサウスダウンの陸上に据えられた。これはロービング・コミッションズ社が関係するレストア作業を受けるためだった。2012年6月の段階でもこの作業は続けられており、関係者にはS130メンバーズクラブが参加している[13]

船体No.1030の「S-130」は、トラフェミュンデのシュリヒティング造艇場で建造されたもので、1943年8月21日に命令を受け、実戦投入された。参加作戦は連合軍のタイガー演習への攻撃、およびノルマンディー上陸作戦時の侵攻艦隊に対する攻撃である。

オランダの軍事史家であるモーリス・ラールマンによれば、

In 1945, S-130 was taken as a British war prize ( FPB 5030) and put to use in covert operations. Under the guise of the "British Baltic Fishery Protection Service", the British Secret Intelligence Service MI 6 ferried spies and agents into Eastern Europe. Beginning in May 1949, MI 6 used S-208, (Kommandant Hans-Helmut Klose) to insert agents into Lithuania, Latvia, Estonia, and Poland. The operations were very successful and continued under a more permanent organisation based in Hamburg. In 1952, S-130 joined the operation and the mission was enlarged to include signal intelligence (SIGINT) equipment. In 1954/55, S-130 and S-208 were replaced by a new generation of German S-boote.

「1945年、S-130は英国の戦利品となり(FPB 5030)、他の任務に転用された。「英国バルト海水産業保護サービス」の外見の下で、英国の秘密情報機関であるMI6は諜報員や工作員を東欧へ輸送した。1949年5月初め、MI6はS-208艇を使用し(司令官ハンス・ヘルムート・クローゼ)、工作員をリトアニア、ラトビア、エストニア、そしてポーランドへ潜入させた。この作戦は非常な成功を収め、またハンブルグに拠点を置く、もっと常設的な機関の下で繰り返された。1952年、S-130艇は作戦に参加した。この任務はシグナル・インテリジェンス(SIGINT)の装備を含んで規模が拡大されていた。1954/1955年、S-130艇およびS-208艇は新しい世代のドイツ高速艇に代替された。」

1957年3月、S-130艇は新しく創設されたドイツ連邦海軍に復帰し、ナンバーUW10として運用された。当初は「ウンターヴァッサーヴァッフェンシューレ」(対潜戦学校)の軍務に従事し、機雷や魚雷など、対潜兵器を水兵に教育する機材として用いられた。この艇は後に、呼称EF3として試験艇に転用された[14]

S-130艇はドイツのヴィルヘルムスハーフェンに展示されており、以前はハウスボートとして用いられていた。今日「S-130」はイングランドのフィートクロフト・コレクションによって購入され、コーンウォールのサウスダウンにてレストア作業を受けている[15]

派生型

「シュネルボート」の時系列に沿った設計の進化。最初の艇は前甲板に魚雷発射管2基を備えた。

魚雷搭載作業中のS-38艇。
S-1型
リュールセン社で制作された試作艇。オヘカIIの設計を基礎とする。
排水量、満載51.6t、基準39.8t。
全長、26.85m
全幅、4.37m
吃水、1.40m
機関、3軸 ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、2,700馬力。速力34.2ノット、航続は30ノットで350海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
乗員、12名[16]
S-2型
S-1を基礎とした最初期量産型のSボート。1931型Sボート(Schnellboot 1931)とも呼称される。前甲板と後甲板の高さに差が無く、前甲板上に2基の533mm魚雷発射管を搭載しているが、予備魚雷は搭載不能。対空兵装は後甲板に20mm機関砲を1門搭載するのみ。Sボート用ディーゼルエンジンの供給が間に合わなかったため、引火の危険性が高いガソリンエンジンを搭載している。4隻建造されてSボート部隊の戦術訓練に用いられ、第二次世界大戦勃発前の1936年にスペインへ売却された[17]
排水量、満載58t、基準46.5t
全長、27.94m
全幅、4.46m
吃水、1.45m
機関、3軸 ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、3,000馬力。速力33.8ノット、航続は22ノットで582海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
乗員、12[16]
S-7型
ドイツ海軍初の本格量産型Sボート。1933型Sボート(Schnellboot 1933)とも呼称される。操舵室の直後に高いマストを備えているのが特徴であるほか、エンジンはMAN製ディーゼルを搭載。7隻建造[18]。これらの艇は1933年に最初に建造され、うち3隻が中華民国に売却された。
排水量、満載86t、基準75.8t
全長、32.36m
全幅、5.06m
吃水、1.36m
機関、3軸 MAN L7 19/30、3,960馬力。速力36.5ノット、航続は30ノットで600海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。2cm Flak C/30、1基。
乗員、18[16]
S-14型
S-7型の改良型。1934型Sボート(Schnellboot 1934)とも呼称される。やや船体が大型化している。4隻が建造された[19]
排水量、満載105.4t、基準92.5t
全長、34.62m
全幅、5.26m
吃水、1.67m
機関、3軸 MAN L11ディーゼルエンジン、6,150馬力。速力37.7ノット、航続は32ノットで500海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。
乗員、18[16]
S-18型
S-7型及びS-14型の改良型。1937型Sボート(Schnellboot 1937)とも呼称される。ディーゼルエンジンをMAN製からより高性能なダイムラーベンツ製に変更している。8隻建造[20]
機関、3軸 ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力。速力39.8ノット、航続は35ノットで700海里
他はS14と同値[16]

以下は戦時型である。

シュネルボートの前面。凌波性から前甲板が一段高められ、魚雷発射管が被覆された
S-30型
設計を手直しされた後期型。1939型Sボート(Schnellboot 1939)とも呼称される。従来のSボートが高速航行時に前甲板や操舵室に波をかぶりやすかったため、操舵室より前の前甲板を後甲板より一段高くしているのが、外見上の最大の特徴。これに伴い魚雷発射管は船体内蔵式となり、船体内部には2発の予備魚雷を搭載可能となった。16隻建造。[21]
排水量、満載100t、基準78.9t
全長、32.76m
全幅、5.06m
吃水、1.47m
機関、3軸 ダイムラーベンツMB502ディーゼルエンジン、3,960馬力。速力36ノット、航続は30ノットで800海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。
乗員、24[16]
艇首の武装。2cm Flak C/30または2cm Flak C38を装備。
S-26型
S-30型の改良型。1939/1940型Sボート(Schnellboot 1939/1940)とも呼称される。1940年に就役した。
船体全長をS-30型の32.76mから、2m近く延長して34.94mとした型。これに伴い対空兵装の大幅強化が可能となった。
実質的なSボートの主力であり、これ以降に登場するS-38型やS-38b型(操舵室の装甲化)、S-100型(前甲板に20mm機関砲を追加)は基本的にS-26型の派生型である[22]
排水量、満載112t、基準92.5t
全長、34.94m
全幅、5.28m
吃水、1.67m
機関、3軸 ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力。速力39.0ノット、航続は35ノットで700海里
兵装、53.3cm魚雷発射管、2本。魚雷4本搭載。2cm Flak C/30、1基。またはFlak C/38、2基
乗員、24[16]
Uボートに接舷したS-100型のシュネルボート。装甲化された操舵室周辺の様子が写されている
S-38型
同上[16]
S-38b型
S-38型の改良型である。操舵室が装甲化された。艇尾に40mmボフォース砲、2cm Flakなどを含む様々な兵装を備える。艇中央部にはMG34ツヴィリングソッケルを備えた。
S-100型
1943年から。2cm Flak1基を艇首に備え、艇の中央部に連装2cm Flakを備える。艇尾には3.7cm砲を備える。
S-151型
タイプ700
戦争後期に提案された設計。艇尾に魚雷発射管を備え、前方に3cm銃塔を装備した。8隻が製造に着手したが、S-100の設計要目で完成した。

出典

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  2. ^ E-Boats”. British Military Powerboat Trust. 2013年5月閲覧。
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  5. ^ a b c Tarrant, V.E (1994). The Last Year of the Kriegsnarine. Arms and Armour Press. pp. 56--57. ISBN 1-85409-176-X 
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  19. ^ German-navy.de Schnellboot 1934
  20. ^ German-navy.de Schnellboot 1937
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参考文献

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  • Krakow, David; Connelly, Garth (January 2003). Schnellboot in Action (Warships). Squadron/Signal Publications, Inc.. ISBN 0-89747-457-0 
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  • Macpherson, Ken. Ships Of Canada's Naval Forces (Warships). Collins Publications, Inc. ISBN 0-00-216856-1 
  • Williamson, Gordon (2011). E-boat vs MTB : the English Channel 1941-45. Oxford ; Long Island City: Osprey. ISBN 978-1-84908-407-9 

外部リンク

関連項目