「小倉豊文」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
カテゴリ |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''小倉豊文'''(おぐら とよふみ、[[1899年]]―[[1996年]][[6月10日]])は、日本史学者、[[広島大学]]名誉教授。 |
'''小倉豊文'''(おぐら とよふみ、[[1899年]]―[[1996年]][[6月10日]])は、日本史学者、[[広島大学]]名誉教授。 |
||
千葉県市川生まれ。[[広島文理大学]]卒業、広島文理大学助教授、1945年被爆、同教授、広島大学教授、65年定年退官、名誉教授、[[親和女子大学]]教授。広島県文化財協会会長、芸備地方史研究会長。 |
[[千葉県]][[市川市|市川]]生まれ。[[広島文理大学]]卒業、広島文理大学助教授、1945年[[被爆]]、同教授、広島大学教授、65年[[定年]]退官、名誉教授、[[親和女子大学]][[教授]]。広島県文化財協会会長、芸備地方史研究会長。 |
||
被爆の記『絶後の記録』を残した。[[宮澤賢治]]も研究した。 |
被爆の記『絶後の記録』を残した。[[宮澤賢治]]も研究した。 |
||
==著書== |
==著書== |
||
*『絶後の記録 亡き妻への手紙』中央社 1948 |
*『絶後の記録 亡き妻への手紙』[[中央社]] 1948 |
||
*『[[宮沢賢治]]の手帳研究』創元社 1952 |
*『[[宮沢賢治]]の手帳研究』[[創元社]] 1952 |
||
*『広島県古美術巡礼』広島県教育委員会事務局調査課 1953 |
*『広島県古美術巡礼』広島県教育委員会事務局調査課 1953 |
||
*『[[聖徳太子]]と聖徳太子信仰』綜芸舎 1963 |
*『[[聖徳太子]]と聖徳太子信仰』[[綜芸舎]] 1963 |
||
*『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』八雲井書院 1970 |
*『[[広島市への原子爆弾投下|広島原爆]]の手記 亡き妻への手紙』[[八雲井書院]] 1970 |
||
*『絶後の記録 広島原子爆弾の手記』太平出版社 1971 シリーズ・戦争の証言 のち中公文庫、「ヒロシマ-絶後の記録」日本ブックエース 平和文庫 |
*『絶後の記録 広島原子爆弾の手記』[[太平出版社]] 1971 シリーズ・戦争の証言 のち中公文庫、「ヒロシマ-絶後の記録」日本ブックエース 平和文庫 |
||
*『山陽文化財散歩』学生社 1973 文化財散歩シリーズ |
*『山陽文化財散歩』学生社 1973 文化財散歩シリーズ |
||
*『広島県の文化財めぐり』第一法規出版 1976 |
*『広島県の文化財めぐり』[[第一法規出版]] 1976 |
||
*『「雨ニモマケズ手帳」新考』東京創元社 1978 |
*『「雨ニモマケズ手帳」新考』東京創元社 1978 |
||
*『宮沢賢治声聞縁覚録』文泉堂出版 1980 |
*『宮沢賢治声聞縁覚録』[[文泉堂出版]] 1980 |
||
*『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』風濤社 1994 |
*『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』[[風濤社]] 1994 |
||
*『宮沢賢治「雨ニモマケズ手帳」研究』筑摩書房 1996 |
*『宮沢賢治「[[雨ニモマケズ]]手帳」研究』[[筑摩書房]] 1996 |
||
*<I>The atomic bomb and Hiroshima<I> translated by Glyndon Townhill.Liber Press c1994 |
*<I>The atomic bomb and Hiroshima<I> translated by Glyndon Townhill.Liber Press c1994 |
||
==共編著== |
==共編著== |
||
*『教養日本史 改訂版』[[福尾猛市郎]] |
*『教養日本史 改訂版』[[福尾猛市郎]]、[[後藤陽一]]共編 [[柳原書店]] 1959 |
||
*『地域社会と宗教の史的研究』編 柳原書店 1963 |
*『地域社会と宗教の史的研究』編 柳原書店 1963 |
||
*『[[葛原勾当]]日記』校訂 緑地社 1980 |
*『[[葛原勾当]]日記』校訂 [[緑地社]] 1980 |
||
==参考== |
==参考== |
||
31行目: | 31行目: | ||
[[Category:日本郷土史の歴史学者]] |
[[Category:日本郷土史の歴史学者]] |
||
[[Category:宮沢賢治]] |
[[Category:宮沢賢治]] |
||
[[Category:広島原爆の被爆者]] |
|||
[[Category:広島大学の教員]] |
[[Category:広島大学の教員]] |
||
[[Category:親和女子大学の教員]] |
[[Category:親和女子大学の教員]] |
2012年10月4日 (木) 09:06時点における版
小倉豊文(おぐら とよふみ、1899年―1996年6月10日)は、日本史学者、広島大学名誉教授。 千葉県市川生まれ。広島文理大学卒業、広島文理大学助教授、1945年被爆、同教授、広島大学教授、65年定年退官、名誉教授、親和女子大学教授。広島県文化財協会会長、芸備地方史研究会長。 被爆の記『絶後の記録』を残した。宮澤賢治も研究した。
著書
- 『絶後の記録 亡き妻への手紙』中央社 1948
- 『宮沢賢治の手帳研究』創元社 1952
- 『広島県古美術巡礼』広島県教育委員会事務局調査課 1953
- 『聖徳太子と聖徳太子信仰』綜芸舎 1963
- 『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』八雲井書院 1970
- 『絶後の記録 広島原子爆弾の手記』太平出版社 1971 シリーズ・戦争の証言 のち中公文庫、「ヒロシマ-絶後の記録」日本ブックエース 平和文庫
- 『山陽文化財散歩』学生社 1973 文化財散歩シリーズ
- 『広島県の文化財めぐり』第一法規出版 1976
- 『「雨ニモマケズ手帳」新考』東京創元社 1978
- 『宮沢賢治声聞縁覚録』文泉堂出版 1980
- 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』風濤社 1994
- 『宮沢賢治「雨ニモマケズ手帳」研究』筑摩書房 1996
- The atomic bomb and Hiroshima translated by Glyndon Townhill.Liber Press c1994