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「円頓寺」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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概要: 冗長なリンクを除去、円頓寺通・円頓寺本町通に「り」は不要、円頓寺に「本町通り商店街」は存在しない。
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== 概要 ==
== 概要 ==
[[堀川 (名古屋市)|堀川]]に掛かる五条橋から西に向かい、江川(現在は暗渠化され[[名古屋市道江川線]])の上畠橋までを圓頓寺に因んで'''圓頓寺筋'''と呼んだのが始まりで<ref name="shishi3">商業編、pp573-574.</ref>、南側にある[[専修寺名古屋別院|真宗高田派名古屋別院]]から'''御本坊筋'''とも呼ばれ<ref name="shishi3"/>、[[慶栄寺|阿原山慶栄寺]]などもあることから門前町として発達した<ref name="shishi9-85">地理編、pp85-86.</ref>。ただし、現在の読みである「えんどうじ」がいつ頃定着したものであるかははっきりとした記録が無い。
[[堀川 (名古屋市)|堀川]]に掛かる五条橋から西に向かい、江川(現在は暗渠化され[[名古屋市道江川線]])の上畠橋までを圓頓寺に因んで'''圓頓寺筋'''と呼んだのが始まりで<ref name="shishi3">商業編、pp573-574.</ref>、南側にある[[専修寺名古屋別院|真宗高田派名古屋別院]]から'''御本坊筋'''とも呼ばれ<ref name="shishi3"/>、阿原山慶栄寺などもあることから門前町として発達した<ref name="shishi9-85">地理編、pp85-86.</ref>。ただし、現在の読みである「えんどうじ」がいつ頃定着したものであるかははっきりとした記録が無い。


なお、圓頓寺が現在地に移転して来たのは[[享保]]9年([[1724年]])の大火の後で、それ以前は[[武家屋敷]]が多く立地しており、古くは[[徳川義直]]の側室・貞松院の下屋敷なども置かれていた。
なお、圓頓寺が現在地に移転して来たのは[[享保]]9年([[1724年]])の大火の後で、それ以前は[[武家屋敷]]が多く立地しており、古くは[[徳川義直]]の側室・貞松院の下屋敷なども置かれていた。
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昭和30年代まで賑わった円頓寺界隈も<ref name="ayumi-107"/>、堀川駅と市電の双方が廃止された後は衰退の一歩を辿っていたが、[[名古屋城]]の城下町の雰囲気が残る[[四間道]](しけみち)地区と共に「名古屋駅からの徒歩散策コース」として近年脚光を浴びている。同じく名古屋の下町商店街として全国的な知名度を誇る[[大須]]と比して集客面では劣っているが、昭和30年代から続く「円頓寺[[七夕]]まつり」や<ref name="ayumi-4">西区100年のあゆみ、pp4.</ref>「[[中日ドラゴンズ]]応援ビールかけ」(優勝時)など独自イベントを行っている。
昭和30年代まで賑わった円頓寺界隈も<ref name="ayumi-107"/>、堀川駅と市電の双方が廃止された後は衰退の一歩を辿っていたが、[[名古屋城]]の城下町の雰囲気が残る[[四間道]](しけみち)地区と共に「名古屋駅からの徒歩散策コース」として近年脚光を浴びている。同じく名古屋の下町商店街として全国的な知名度を誇る[[大須]]と比して集客面では劣っているが、昭和30年代から続く「円頓寺[[七夕]]まつり」や<ref name="ayumi-4">西区100年のあゆみ、pp4.</ref>「[[中日ドラゴンズ]]応援ビールかけ」(優勝時)など独自イベントを行っている。


また、[[地域おこし|町おこし]]として2009年から2011年にかけて円頓寺映画祭が開催されたほか<ref>{{citeweb|url=http://meieki.keizai.biz/headline/1511/ |title=「円頓寺映画祭」開催へ-喫茶店・ギャラリーなどを会場に上映 |publisher=名駅経済新聞 |date=2011-11-08 |accessdate=2012-08-11}}</ref>、2009年に円頓寺を舞台に映画を制作するプロジェクト「円頓寺活動写真」が発足し映画『歪屋』が制作され、2011年10月には円頓寺商店街を舞台とした[[ご当地映画]]『[[WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦]]』が全国公開された<ref>{{citeweb|url=http://www.cinematoday.jp/movie/T0010766 |title=映画『WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦』 |publisher=シネマトゥディ |accessdate=2012-07-22}}</ref>。
また、[[地域おこし|町おこし]]として2009年から2011年にかけて円頓寺映画祭が開催されたほか<ref>{{citeweb|url=http://meieki.keizai.biz/headline/1511/ |title=「円頓寺映画祭」開催へ-喫茶店・ギャラリーなどを会場に上映 |publisher=名駅経済新聞 |date=2011-11-08 |accessdate=2012-08-11}}</ref>、2009年に円頓寺を舞台に映画を制作するプロジェクト「円頓寺活動写真」が発足し映画『歪屋』が制作され、2011年10月には円頓寺商店街を舞台とした[[ご当地映画]]『WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦』が全国公開された<ref>{{citeweb|url=http://www.cinematoday.jp/movie/T0010766 |title=映画『WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦』 |publisher=シネマトゥディ |accessdate=2012-07-22}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2012年9月7日 (金) 04:06時点における版

円頓寺商店街
円頓寺本町商店街
長久山円頓寺

円頓寺(えんどうじ)とは名古屋市西区那古野(なごの)にある長久山圓頓寺門前町として広がっている商店街である。

概要

堀川に掛かる五条橋から西に向かい、江川(現在は暗渠化され名古屋市道江川線)の上畠橋までを圓頓寺に因んで圓頓寺筋と呼んだのが始まりで[1]、南側にある真宗高田派名古屋別院から御本坊筋とも呼ばれ[1]、阿原山慶栄寺などもあることから門前町として発達した[2]。ただし、現在の読みである「えんどうじ」がいつ頃定着したものであるかははっきりとした記録が無い。

なお、圓頓寺が現在地に移転して来たのは享保9年(1724年)の大火の後で、それ以前は武家屋敷が多く立地しており、古くは徳川義直の側室・貞松院の下屋敷なども置かれていた。

市道江川線を境に円頓寺通(円頓寺商店街)と円頓寺本町通(円頓寺本町商店街)に分かれている。本町通の西には西円頓寺商店街もあって西端は名古屋駅にほど近い。明治時代東海道本線の開通に伴って[3]町の西方に日本陶器豊田紡織などの工場が立地し[2]、市街地の拡大によって商店街も市道江川線の西側へ押切線まで伸び(現在の本町商店街)、南側も志摩町商店街(現在の那古野2丁目)の地域まで広がった[2][3]

1911年明治44年)、町の東端付近に名鉄瀬戸線の終点である堀川駅が開業。また、1913年大正2年)には名古屋電気鉄道の江川線(後に名古屋市電上江川線)が開業するなど交通至便であり、多くの利用客で賑わっていた。1932年昭和7年)の調査では飲食店・食料品・家庭装飾品・日用品を扱う店が大半で[4][5]、瀬戸線・江川線の利用者や工場勤務者を主な顧客とする食品・衣服・日用品の市場であり[4]、古くからの商家が集まる市西北部唯一の盛り場として、特に夜間に賑わいを見せたという[1]

昭和30年代まで賑わった円頓寺界隈も[3]、堀川駅と市電の双方が廃止された後は衰退の一歩を辿っていたが、名古屋城の城下町の雰囲気が残る四間道(しけみち)地区と共に「名古屋駅からの徒歩散策コース」として近年脚光を浴びている。同じく名古屋の下町商店街として全国的な知名度を誇る大須と比して集客面では劣っているが、昭和30年代から続く「円頓寺七夕まつり」や[6]中日ドラゴンズ応援ビールかけ」(優勝時)など独自イベントを行っている。

また、町おこしとして2009年から2011年にかけて円頓寺映画祭が開催されたほか[7]、2009年に円頓寺を舞台に映画を制作するプロジェクト「円頓寺活動写真」が発足し映画『歪屋』が制作され、2011年10月には円頓寺商店街を舞台としたご当地映画『WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦』が全国公開された[8]

脚注

  1. ^ a b c 商業編、pp573-574.
  2. ^ a b c 地理編、pp85-86.
  3. ^ a b c 西区100年のあゆみ、pp107.
  4. ^ a b 地理編、pp78.
  5. ^ 地理編、『圓頓寺發展會職業別配置図』
  6. ^ 西区100年のあゆみ、pp4.
  7. ^ 「円頓寺映画祭」開催へ-喫茶店・ギャラリーなどを会場に上映”. 名駅経済新聞 (2011年11月8日). 2012年8月11日閲覧。
  8. ^ 映画『WAYA!宇宙一のおせっかい大作戦』”. シネマトゥディ. 2012年7月22日閲覧。

参考文献

  • 『大正昭和名古屋市史 第三巻 商業編(上)』名古屋市、1954年
  • 『大正昭和名古屋市史 第九巻 地理編』名古屋市、1955年
  • 『西区100年のあゆみ』西区制100周年記念事業実行委員会、2008年

関連項目

外部リンク