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[[ファイル:Romancecar teatime menu.jpg|thumb|250px|「走る喫茶室」メニュー。手前が1970年ごろ、右奥が1980年代後半、左奥が1990年ごろ]] |
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{{出典の明記|date=2012年5月}} |
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'''走る喫茶室'''(はしるきっさしつ)は、[[小田急電鉄]] |
'''走る喫茶室'''(はしるきっさしつ)は、かつて[[小田急電鉄]]が運行する[[特別急行列車]]([[小田急ロマンスカー]])の車内において提供されていた、シートサービスの名称である。 |
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[[1949年]]に開始されたサービスで、小田急ロマンスカーの特徴の1つとして定着していた<ref name="rj464-30"/>が、採算性の問題などから、[[1995年]]3月にサービスは終了となった<ref name="rj464-30"/>。その後は通常のワゴンによる[[車内販売]]サービス(ワゴンサービス)が行われていたが、2005年に一部のロマンスカーにおいて同様のシートサービスが復活している<ref name="2011-228"/>。 |
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== 概要 == |
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「走る喫茶室」は[[1949年]]([[昭和]]24年)、[[小田急1900形電車#1910形・2000形|1910形]]が[[特急形車両|特急専用車輛]]として就役した際に開始されたサービスである。このサービスは、[[喫茶店]]のように客のもとに[[ウエイトレス]]([[日東紅茶]]ではスチュワーデス、[[森永製菓|森永エンゼル]]株式会社ではコンパニオンと呼ばれていた)が注文を聞きに来て、その注文された品を直接席まで運ぶものであり、それが列車にて行われることから「走る喫茶室」という名前となった。 |
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サービスが行われていた当時、[[三井農林]]([[日東紅茶]])の車内サービス係員を「スチュワーデス」、[[森永製菓|森永エンゼル]]の車内サービス係員を「コンパニオン」と呼称していた<ref name="rj258-18"/>ことに倣い、以下本項ではそのように表記する。 |
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== 展開 == |
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[[Image:Counter of Odakyu RomanceCar SE.JPG|thumb|right|180px|走る喫茶室用カウンター([[小田急3000形電車 (初代)|3000形SE]])]] |
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以後就役するロマンスカー全てに、このためのカウンターが設置され、サービスの提供が行われた。 |
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== 沿革 == |
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当初、日東紅茶のみであった「走る喫茶室」の営業も、[[1963年]](昭和38年)の[[小田急3100形電車|3100形NSE]]登場から森永エンゼルも加わることになった。 |
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=== 導入の経緯 === |
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日東紅茶の「走る喫茶室」に対し、森永エンゼルは「エンゼルティールーム」と称し、箱根湯本行き特急は日東紅茶、小田原・江ノ島・御殿場行きの特急は森永エンゼルという住み分けが続いたが、車両運用の関係で箱根湯本行きの森永エンゼル担当列車や、江ノ島行きの日東紅茶担当列車もあった(一般には、森永エンゼルでも「走る喫茶室」の名で定着していた)。 |
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小田急では、[[1948年]]10月から[[箱根]]への観光客を輸送する特急列車(箱根特急)を運行開始していた<ref name="1988-118"/>。運行開始当初はロングシートの[[小田急1600形電車|1600形]]の座席にシートカバーをかけて、灰皿を並べただけであった<ref name="rp491-10"/>が、1949年からはクロスシートを装備した特急用車両として[[小田急1900形電車|1910形]]を導入することになった<ref name="1994-59"/>。 |
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この時に、特急列車の車内で乗客サービスの検討の1つとして「[[茶|お茶]]でも出せないか」という案があった<ref name="1987-91"/>。乗客全員に紅茶とケーキを提供するという案もあった<ref name="1987-91"/>が、特急券を購入した乗客に対しての物品提供は規則上不可能であった<ref name="1987-91"/>。そこで、車内で飲料と軽食を販売することになった<ref name="1987-91"/>。乗車時間や車両編成も短く、[[食堂車]]を連結することはせず、車内に喫茶カウンターを設けた上で、飲料・軽食を座席まで届けるサービス形態(シートサービス)を行うこととした<ref name="1987-91"/>。 |
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しかし、当初箱根への温泉客輸送に特化していた特急ロマンスカーも時代が変わるにつれ、通勤・通学・買い物客が利用するようになり、注文を受けてから提供まで時間がかかる「走る喫茶室」のサービスが提供しづらい状況となり、[[1993年]]([[平成]]5年)に日東紅茶が、[[1995年]](平成7年)に森永エンゼルが撤退し、「走る喫茶室」のサービスは終了した。 |
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小田急では森永製菓・[[明治製菓]]・三井農林にシートサービスの営業について打診をした<ref name="rp405-166"/>。しかし、採算性の問題から次々と断られた<ref name="1987-91"/>。[[中村屋|新宿中村屋]]からは車内販売を行ってもいいという意思表示があった<ref name="1987-91"/>が、販売係員が[[ウェイター|ウェイトレス(女性)]]ではなく[[ウェイター|ウェイター(男性)]]という内容であったため、この話はまとまらなかった<ref name="1987-91"/>。最終的には、日東紅茶が「採算を離れて[[紅茶]]の普及宣伝として」担当することになった<ref name="rp405-166"/>。こうした経緯から、当時の三井農林の担当セクションは「PR課」であった<ref name="rp405-166"/>。 |
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== その後 == |
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「走る喫茶室」のサービスが終了した後、[[小田急レストランシステム]](ORS)が、ロマンスカー車内での販売業務を行っている。 |
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=== 営業開始 === |
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その後、特急ロマンスカーの本来の顧客である「箱根への観光客」を再び主要なターゲットに想定し、[[2005年]](平成17年)に就役した[[小田急50000形電車|50000形VSE]]車内では、「'''シートサービス'''」とよばれる「走る喫茶室」と同じようなサービスが受けられるようになった。(他の形式の車輛では、[[車内販売|ワゴンサービス]]である。) |
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ともあれ、1910形が3両編成となった[[1949年]]8月20日より<ref name="rf386-43"/>、ロマンスカーの車内で「走る喫茶室」と称するシートサービスの営業が開始された<ref name="1987-91"/>。当時はまだ[[第二次世界大戦]]後の復興途上であり<ref name="rp405-166"/>、都市部でも[[喫茶店]]があまり多くなかったこの時代<ref name="2011-229"/>、喫茶店と同様のサービスが列車の中で受けられることが、食堂車とは違う斬新さで人気となったといわれている<ref name="rp405-167"/>。 |
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1910形では車端部に喫茶カウンターが設けられたが、[[1951年]]に登場した[[小田急1700形電車|1700形]]では喫茶カウンターは面積も拡大した上で客室中央部に設置され<ref name="2005-69"/>、[[1955年]]に運行開始した[[小田急2300形電車|2300形]]ではさらに面積が拡大された<ref name="rp405-108"/>。なお、当初は車内での湯沸しは[[焜炉|炭火コンロ]]を使用していた<ref name="rp405-167"/>が、車内での湯沸しが電化されたのは、1910形に[[電動発電機]]を搭載した時からという説<ref name="1994-60"/>と、2300形からという説<ref name="rp405-167"/>が存在する。 |
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また、キハ5000,5100形気動車によって運転されていた御殿場特別準急では小田急サービスビューロー(現・[[小田急商事]])が、夏の夕方に江ノ島線系統で運転されていた納涼ロマンスカー、通称「ビール特急」では[[銀座ライオン|新宿ライオン]]([[サッポロビール]]系列)が車内販売の業務を担当していた。 |
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なお、1951年夏季から運行開始した特殊急行「納涼ビール電車」では、[[サッポロビール|日本麦酒(サッポロビール)]]の運営するビアホール「新宿ライオン」が担当<ref name="rp405-167"/>、車内の喫茶カウンターに[[樽#ビヤ樽|ビヤ樽]]を積み込み、車内で[[生ビール]]を販売した<ref name="rp405-167"/>。また、[[1955年]]から運行を開始した[[御殿場線]]直通の特別準急では、小田急サービスビューロー<ref group="注釈">1957年に小田急商事に社名変更。</ref>が担当した<ref name="rp405-167"/>。 |
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== 歴史 == |
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* [[1949年]](昭和24年)[[8月6日]] 1910形就役。「走る喫茶室」のサービス開始。 |
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* [[1951年]](昭和26年)[[2月1日]] [[小田急1700形電車|1700形]]就役。 |
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* [[1955年]](昭和30年)[[4月1日]] [[小田急2300形電車|2300形]]就役。 |
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* [[1957年]](昭和32年)[[7月6日]] [[小田急3000形電車 (初代)|3000形SE]]就役。 |
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* [[1963年]](昭和38年)[[3月16日]] [[小田急3100形電車|3100形NSE]]就役。 |
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* [[1980年]](昭和55年)[[12月27日]] [[小田急7000形電車|7000形LSE]]就役。 |
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* [[1981年]](昭和56年)[[TBSテレビ|TBS]]にて、「[[想い出づくり。]]」というロマンスカー・スチュワーデスを主人公にした[[テレビドラマ]]が放映される。 |
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* [[1987年]](昭和62年)[[12月23日]] [[小田急10000形電車|10000形HiSE]]就役。 |
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* [[1988年]](昭和63年)[[1月1日]] 10000形HiSE充当の「初詣号」(現・[[ニューイヤーエクスプレス]])にて、「走る喫茶室」サービス実施。(「初詣号」でのサービス提供は、この年限り。) |
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* [[1993年]](平成5年)[[3月28日]] 日東紅茶、サービスより撤退。 |
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* [[1995年]](平成7年)[[3月26日]] 森永エンゼル、サービスより撤退。「走る喫茶室」のサービスが終わる。 |
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* [[2005年]](平成17年)[[3月19日]] 50000形VSE就役。「シートサービス」として、「走る喫茶室」のサービスが復活。 |
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* [[2007年]](平成19年)7月6日 臨時列車「旧塗装特別記念号」車内にて、「走る喫茶室」のサービスが復活。日東紅茶と旧森永エンゼルの商品が提供される。 |
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=== 特徴的なサービスとして定着 === |
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== 備考 == |
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[[ファイル:OER-SE3000-inside-buffet.jpg|thumb|SE車の喫茶カウンター]] |
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* [[1991年]](平成3年)[[3月16日]]に就役した[[小田急20000形電車|20000形RSE]]は、「[[あさぎり (列車)|あさぎり]]」として[[東海旅客鉄道]][[JR東海371系電車|371系]]と共同して運行に付くことから、当初から「走る喫茶室」のサービスは行われず、小田急レストランシステムと[[ジェイダイナー東海]]による車内販売業務が行われた。 |
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その後、1957年に登場した[[小田急3000形電車 (初代)|3000形SE車]]では8両連接車となり、車内の喫茶カウンターは編成中2箇所に設けられた<ref name="rf386-42"/>。さらに1963年に[[小田急3100形電車|3100形NSE車]]が登場すると、箱根特急が30分間隔での運行となった上、途中駅に停車する特急の設定や江ノ島線特急の増発などに伴い、日東紅茶だけでは対応できなくなった<ref name="rp405-167"/>。このため、再び森永製菓へシートサービスの営業について打診<ref name="rp405-167"/>、NSE車の登場と同時に、森永エンゼルが森永の宣伝を兼ねて「走る喫茶室」のサービスに加わることになった<ref name="1987-91"/><ref group="注釈">実際には、森永エンゼルでは「エンゼルティールーム」と称していたが、一般には「走る喫茶室」というサービス名が定着していた([[#PHP2012|『小田急電鉄のひみつ』p.160]])。</ref>。また、日東紅茶でも、運行本数の増加に伴い、拠点が新宿だけでは賄いきれず、小田原にも拠点が設けられることになった<ref name="rf386-43"/>。また、御殿場線直通列車でも、1968年にSE車による運行に変わってからは森永エンゼルによって「走る喫茶室」のサービスが行なわれた<ref name="rp491-46"/>。 |
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* [[1996年]](平成8年)[[3月23日]]に就役した[[小田急30000形電車|30000形EXE]]は、「走る喫茶室」サービス廃止後に就役をしたが、小田急レストランシステムが車内販売を行う際の基地として車内販売カウンターが設置されている。また、車内販売のサービスを行わない列車があることから、[[自動販売機]]も設置された。 |
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こうして、通勤利用者を目的とした列車以外ではほぼ全列車でサービスが行われるようになった<ref name="rp491-46"/>。1981年には、[[TBSテレビ]]で「走る喫茶室」のスチュワーデス役を[[古手川祐子]]が演じるドラマ『思い出づくり』も制作されるなど<ref name="rp405-168"/>、「走る喫茶室」は小田急ロマンスカーの特徴的なサービスとなった<ref name="rj464-30"/>。 |
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[[1980年]]に登場した[[小田急7000形電車|7000形LSE車]]では、カウンターで飲食をするわけでないことと、カウンター前は一般客も通行する通路であることから、[[保健所]]からの「客室と仕切ることが望ましい」という指導により、客室とはガラス扉で仕切られることになった<ref name="1994-100"/>。さらに、[[1987年]]に登場した[[小田急10000形電車|10000形HiSE車]]では、出入り台とも仕切られることになった<ref name="1988-39"/>。このHiSE車では、注文から提供までの迅速化を図るため、日本の列車内としては初めて[[オーダーエントリーシステム]]が採用された<ref name="1988-40"/>。 |
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=== サービス終了へ === |
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しかし、[[1991年]]3月16日から運行開始した「あさぎり」では、[[グリーン車]]にはシートサービスに対応したスチュワーデスコールボタンを設置した<ref name="1994-116"/>ものの、普通車では「走る喫茶室」のようなシートサービスではなく、ワゴンサービスとなった<ref name="rj297-29"/>。また、この頃になるとロマンスカーの利用者層においては観光客以外の日常利用が増加しており<ref name="2005-58"/>、注文を受けてから各座席に品物を届けるサービスが利用しづらくなっていた<ref name="PHP-160"/>。 |
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このような事情から、[[1993年]]にはサービス開始当初から担当していた日東紅茶が撤退<ref name="PHP-160"/>、さらに[[1995年]]には森永エンゼルも撤退することになり<ref name="PHP-160"/>、同年3月をもって「走る喫茶室」のサービスは終了した<ref name="2011-230"/>。 |
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=== VSE車で復活 === |
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[[ファイル:VSE-Bento.JPG|thumb|VSE車運用列車における「走る喫茶室」と同様のシートサービス]] |
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「走る喫茶室」のサービスが終了した後は、[[小田急レストランシステム]]によるワゴンサービスが行われていた<ref name="dj145-29"/>。 |
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しかし、2005年に登場した[[小田急50000形電車|50000形VSE車]]では、「リゾートホテルのような車」を目指すという観点から飲食サービスは欠かせないものとされた<ref name="2011-228"/>ことから、VSE車運用列車に限り10年ぶりにシートサービスが復活することとなった<ref name="rp829-30"/>。注文の迅速化のため、無線LANを使用したオーダーエントリーシステムも導入されている<ref name="rj464-30"/>。 |
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{{-}} |
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== サービス体制 == |
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サービスが開始されたときには、全列車が日東紅茶の担当であった。その後、森永エンゼルの参入時に、日東紅茶がNSE車運用列車を担当し<ref name="rp405-166"/>、森永エンゼルはSE車運用の列車を担当した<ref name="rp405-166"/>。この体制はLSE車の導入時に、特急増発や車両運用の対応を理由として変更され<ref name="rp405-166"/>、車種に関わらず箱根特急を日東紅茶が、それ以外の特急を森永エンゼルが担当するようになった<ref name="rp405-166"/>。1982年7月のダイヤ改正からは、一部の箱根特急でも森永エンゼルが担当するようになった<ref name="rf386-43"/>。 |
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スチュワーデスおよびコンパニオンの業務内容は、始発駅を発車後にメニューと紙おしぼりを配布し<ref name="rj258-18"/>、注文のあった品物を作って座席に届けるだけではなく、駅に到着した際には扉の開閉を行っていた<ref name="rp405-168"/>ほか、折り返し駅での車内清掃や座席の回転作業も行っていた<ref name="rp405-168"/>。NSE車までの特急車両では扉は全て手動であった<ref name="2011-229"/>ため、当然のことながら扉の数だけ扉扱い要員が必要になり、現実に1987年時点の日東紅茶が担当するNSE車・LSE車運用列車においては、1列車に11名のスチュワーデスが乗務していた<ref name="rf386-42"/>。日東紅茶では11両連接車の特急車両を担当していたため、スチュワーデスの乗務パターンも比較的単純であった<ref name="rf386-42"/>が、乗務パターンとの兼ね合いから1列車で22名のスチュワーデスが乗務している列車も存在した<ref name="rf386-42"/><ref group="注釈">うち11名は便乗扱いであった。1987年7月の時点では、平日ダイヤの「さがみ1号」が該当した([[#末岡386|『鉄道ファン』通巻386号 p.42]])。</ref>。森永エンゼルはNSE車やLSE車以外にも、SE車(5両連接車)やSE車重連(5両連接車×2)などのさまざまな車種を担当し、コンパニオンの乗務人数も細かく設定されていたため、乗務パターンが複雑であった<ref name="rf386-42"/>。 |
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なお、新宿ライオンの担当した特殊急行「納涼ビール電車」では、ビヤ樽が重量物であったことにより、カウンターは男性係員が担当していた<ref name="rp405-167"/>が、車内サービスを担当する係員は浴衣姿の女性が担当していた<ref name="rp405-167"/>。また、小田急サービスビューローの担当した特別準急では、1・2名程度の車内販売員が乗務していた<ref name="arc2-15"/>。 |
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小田急レストランシステム・ジェイダイナー東海によるワゴンサービスでは、1列車あたり5名から6名のスチュワーデスが乗務した<ref name="dj145-29"/><ref name="rj297-28"/><ref name="rj297-33"/>。これは、シートサービスの行われるVSE車でも同様の人数である<ref name="rj464-30"/>。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2|refs= |
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<ref name="1987-91">[[#吉川1987|『車両と駅の60年』 p.91]]</ref> |
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<ref name="1988-39">[[#生方1988|『日本の私鉄1 小田急』 p.39]]</ref> |
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<ref name="1988-40">[[#生方1988|『日本の私鉄1 小田急』 p.40]]</ref> |
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<ref name="1988-118">[[#生方1988|『日本の私鉄1 小田急』 p.118]]</ref> |
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<ref name="1994-59">[[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.59]]</ref> |
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<ref name="1994-60">[[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.60]]</ref> |
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<ref name="1994-100">[[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.100]]</ref> |
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<ref name="1994-116">[[#生方1994|『小田急ロマンスカー物語』 p.116]]</ref> |
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<ref name="2005-58">[[#生方2005|『小田急ロマンスカー総覧』 p.58]]</ref> |
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<ref name="2005-69">[[#生方2005|『小田急ロマンスカー総覧』 p.69]]</ref> |
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<ref name="2011-228">[[#青田2011|『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.228]]</ref> |
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<ref name="2011-229">[[#青田2011|『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.229]]</ref> |
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<ref name="2011-230">[[#青田2011|『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.230]]</ref> |
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<ref name="rf386-42">[[#末岡386|『鉄道ファン』通巻386号 p.42]]</ref> |
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<ref name="rf386-43">[[#末岡386|『鉄道ファン』通巻386号 p.43]]</ref> |
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<ref name="rj258-18">[[#RJ258|『鉄道ジャーナル』通巻258号 p.18]]</ref> |
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<ref name="rj297-28">[[#松本297|『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.28]]</ref> |
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<ref name="rj297-29">[[#松本297|『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.29]]</ref> |
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<ref name="rj297-33">[[#松本297|『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.33]]</ref> |
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<ref name="rj464-30">[[#RJ464|『鉄道ジャーナル』通巻464号 p.30]]</ref> |
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<ref name="rp405-108">[[#山岸405|『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.108]]</ref> |
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<ref name="rp405-166">[[#富田405|『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.166]]</ref> |
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<ref name="rp405-167">[[#富田405|『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.167]]</ref> |
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<ref name="rp405-168">[[#富田405|『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.168]]</ref> |
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<ref name="rp829-30">[[#佐藤829|『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.30]]</ref> |
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<ref name="rp491-10">[[#生方491|『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.10]]</ref> |
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<ref name="rp491-46">[[#加藤491|『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.46]]</ref> |
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<ref name="arc2-15">[[#zadana2|『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.15]]</ref> |
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<ref name="PHP-160">[[#PHP2012|『小田急電鉄のひみつ』p.160]]</ref> |
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<ref name="dj145-29">[[#DJ145|『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.29]]</ref> |
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}} |
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== 参考文献 == |
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=== 書籍 === |
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* {{Cite book|和書|author = 青田孝|authorlink = |coauthors = |year = 2011|title = 箱根の山に挑んだ鉄路 「天下の険」を越えた技 |publisher = [[交通新聞社]]|ref = 青田2011|id = |isbn = 978-4330231112}} |
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=== 雑誌記事 === |
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* {{Cite journal|和書|author=浜武喜久雄 |year=1982|month=6 |title=ロマンスカーの輸送サービスと座席予約システム |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405 |pages= 104-106 |publisher=電気車研究会 |ref = 浜武405}} |
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* {{Cite journal|和書|author=松本典久 |year=1991 |month=7|title=あさぎり 二つの顔の新特急 |journal=鉄道ジャーナル |issue=297 |pages= 22-33 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 松本297}} |
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* {{Cite journal|和書|author=宮原正和 |coauthors =沖勝則|year=1988 |month=4 |title=列車追跡シリーズ291 箱根エキサイティング特急 |journal=鉄道ジャーナル |issue=258 |pages= 12-20 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ258}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山岸庸次郎 |year=1982 |month=6 |title=悲運のエース 2300形ロマンスカー回顧 |journal=鉄道ピクトリアル |issue=405|pages= 107-112 |publisher=電気車研究会 |ref = 山岸405}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1996 |month=5 |title=EXE 115DAYS |journal=[[鉄道ダイヤ情報]] |issue=145 |pages= 14-32 |publisher=[[交通新聞社|弘済出版社]] |ref = DJ145}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2002 |month=12 |title=小田急座談 (Part2) 輸送・運転編 |journal= 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション|issue=2 |pages= 6-20 |publisher= 電気車研究会|ref = zadana2}} |
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== 関連項目 == |
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2012年7月7日 (土) 13:41時点における版
走る喫茶室(はしるきっさしつ)は、かつて小田急電鉄が運行する特別急行列車(小田急ロマンスカー)の車内において提供されていた、シートサービスの名称である。
1949年に開始されたサービスで、小田急ロマンスカーの特徴の1つとして定着していた[1]が、採算性の問題などから、1995年3月にサービスは終了となった[1]。その後は通常のワゴンによる車内販売サービス(ワゴンサービス)が行われていたが、2005年に一部のロマンスカーにおいて同様のシートサービスが復活している[2]。
サービスが行われていた当時、三井農林(日東紅茶)の車内サービス係員を「スチュワーデス」、森永エンゼルの車内サービス係員を「コンパニオン」と呼称していた[3]ことに倣い、以下本項ではそのように表記する。
沿革
導入の経緯
小田急では、1948年10月から箱根への観光客を輸送する特急列車(箱根特急)を運行開始していた[4]。運行開始当初はロングシートの1600形の座席にシートカバーをかけて、灰皿を並べただけであった[5]が、1949年からはクロスシートを装備した特急用車両として1910形を導入することになった[6]。
この時に、特急列車の車内で乗客サービスの検討の1つとして「お茶でも出せないか」という案があった[7]。乗客全員に紅茶とケーキを提供するという案もあった[7]が、特急券を購入した乗客に対しての物品提供は規則上不可能であった[7]。そこで、車内で飲料と軽食を販売することになった[7]。乗車時間や車両編成も短く、食堂車を連結することはせず、車内に喫茶カウンターを設けた上で、飲料・軽食を座席まで届けるサービス形態(シートサービス)を行うこととした[7]。
小田急では森永製菓・明治製菓・三井農林にシートサービスの営業について打診をした[8]。しかし、採算性の問題から次々と断られた[7]。新宿中村屋からは車内販売を行ってもいいという意思表示があった[7]が、販売係員がウェイトレス(女性)ではなくウェイター(男性)という内容であったため、この話はまとまらなかった[7]。最終的には、日東紅茶が「採算を離れて紅茶の普及宣伝として」担当することになった[8]。こうした経緯から、当時の三井農林の担当セクションは「PR課」であった[8]。
営業開始
ともあれ、1910形が3両編成となった1949年8月20日より[9]、ロマンスカーの車内で「走る喫茶室」と称するシートサービスの営業が開始された[7]。当時はまだ第二次世界大戦後の復興途上であり[8]、都市部でも喫茶店があまり多くなかったこの時代[10]、喫茶店と同様のサービスが列車の中で受けられることが、食堂車とは違う斬新さで人気となったといわれている[11]。
1910形では車端部に喫茶カウンターが設けられたが、1951年に登場した1700形では喫茶カウンターは面積も拡大した上で客室中央部に設置され[12]、1955年に運行開始した2300形ではさらに面積が拡大された[13]。なお、当初は車内での湯沸しは炭火コンロを使用していた[11]が、車内での湯沸しが電化されたのは、1910形に電動発電機を搭載した時からという説[14]と、2300形からという説[11]が存在する。
なお、1951年夏季から運行開始した特殊急行「納涼ビール電車」では、日本麦酒(サッポロビール)の運営するビアホール「新宿ライオン」が担当[11]、車内の喫茶カウンターにビヤ樽を積み込み、車内で生ビールを販売した[11]。また、1955年から運行を開始した御殿場線直通の特別準急では、小田急サービスビューロー[注釈 1]が担当した[11]。
特徴的なサービスとして定着
その後、1957年に登場した3000形SE車では8両連接車となり、車内の喫茶カウンターは編成中2箇所に設けられた[15]。さらに1963年に3100形NSE車が登場すると、箱根特急が30分間隔での運行となった上、途中駅に停車する特急の設定や江ノ島線特急の増発などに伴い、日東紅茶だけでは対応できなくなった[11]。このため、再び森永製菓へシートサービスの営業について打診[11]、NSE車の登場と同時に、森永エンゼルが森永の宣伝を兼ねて「走る喫茶室」のサービスに加わることになった[7][注釈 2]。また、日東紅茶でも、運行本数の増加に伴い、拠点が新宿だけでは賄いきれず、小田原にも拠点が設けられることになった[9]。また、御殿場線直通列車でも、1968年にSE車による運行に変わってからは森永エンゼルによって「走る喫茶室」のサービスが行なわれた[16]。
こうして、通勤利用者を目的とした列車以外ではほぼ全列車でサービスが行われるようになった[16]。1981年には、TBSテレビで「走る喫茶室」のスチュワーデス役を古手川祐子が演じるドラマ『思い出づくり』も制作されるなど[17]、「走る喫茶室」は小田急ロマンスカーの特徴的なサービスとなった[1]。
1980年に登場した7000形LSE車では、カウンターで飲食をするわけでないことと、カウンター前は一般客も通行する通路であることから、保健所からの「客室と仕切ることが望ましい」という指導により、客室とはガラス扉で仕切られることになった[18]。さらに、1987年に登場した10000形HiSE車では、出入り台とも仕切られることになった[19]。このHiSE車では、注文から提供までの迅速化を図るため、日本の列車内としては初めてオーダーエントリーシステムが採用された[20]。
サービス終了へ
しかし、1991年3月16日から運行開始した「あさぎり」では、グリーン車にはシートサービスに対応したスチュワーデスコールボタンを設置した[21]ものの、普通車では「走る喫茶室」のようなシートサービスではなく、ワゴンサービスとなった[22]。また、この頃になるとロマンスカーの利用者層においては観光客以外の日常利用が増加しており[23]、注文を受けてから各座席に品物を届けるサービスが利用しづらくなっていた[24]。
このような事情から、1993年にはサービス開始当初から担当していた日東紅茶が撤退[24]、さらに1995年には森永エンゼルも撤退することになり[24]、同年3月をもって「走る喫茶室」のサービスは終了した[25]。
VSE車で復活
「走る喫茶室」のサービスが終了した後は、小田急レストランシステムによるワゴンサービスが行われていた[26]。
しかし、2005年に登場した50000形VSE車では、「リゾートホテルのような車」を目指すという観点から飲食サービスは欠かせないものとされた[2]ことから、VSE車運用列車に限り10年ぶりにシートサービスが復活することとなった[27]。注文の迅速化のため、無線LANを使用したオーダーエントリーシステムも導入されている[1]。
サービス体制
サービスが開始されたときには、全列車が日東紅茶の担当であった。その後、森永エンゼルの参入時に、日東紅茶がNSE車運用列車を担当し[8]、森永エンゼルはSE車運用の列車を担当した[8]。この体制はLSE車の導入時に、特急増発や車両運用の対応を理由として変更され[8]、車種に関わらず箱根特急を日東紅茶が、それ以外の特急を森永エンゼルが担当するようになった[8]。1982年7月のダイヤ改正からは、一部の箱根特急でも森永エンゼルが担当するようになった[9]。
スチュワーデスおよびコンパニオンの業務内容は、始発駅を発車後にメニューと紙おしぼりを配布し[3]、注文のあった品物を作って座席に届けるだけではなく、駅に到着した際には扉の開閉を行っていた[17]ほか、折り返し駅での車内清掃や座席の回転作業も行っていた[17]。NSE車までの特急車両では扉は全て手動であった[10]ため、当然のことながら扉の数だけ扉扱い要員が必要になり、現実に1987年時点の日東紅茶が担当するNSE車・LSE車運用列車においては、1列車に11名のスチュワーデスが乗務していた[15]。日東紅茶では11両連接車の特急車両を担当していたため、スチュワーデスの乗務パターンも比較的単純であった[15]が、乗務パターンとの兼ね合いから1列車で22名のスチュワーデスが乗務している列車も存在した[15][注釈 3]。森永エンゼルはNSE車やLSE車以外にも、SE車(5両連接車)やSE車重連(5両連接車×2)などのさまざまな車種を担当し、コンパニオンの乗務人数も細かく設定されていたため、乗務パターンが複雑であった[15]。
なお、新宿ライオンの担当した特殊急行「納涼ビール電車」では、ビヤ樽が重量物であったことにより、カウンターは男性係員が担当していた[11]が、車内サービスを担当する係員は浴衣姿の女性が担当していた[11]。また、小田急サービスビューローの担当した特別準急では、1・2名程度の車内販売員が乗務していた[28]。
小田急レストランシステム・ジェイダイナー東海によるワゴンサービスでは、1列車あたり5名から6名のスチュワーデスが乗務した[26][29][30]。これは、シートサービスの行われるVSE車でも同様の人数である[1]。
脚注
注釈
- ^ 1957年に小田急商事に社名変更。
- ^ 実際には、森永エンゼルでは「エンゼルティールーム」と称していたが、一般には「走る喫茶室」というサービス名が定着していた(『小田急電鉄のひみつ』p.160)。
- ^ うち11名は便乗扱いであった。1987年7月の時点では、平日ダイヤの「さがみ1号」が該当した(『鉄道ファン』通巻386号 p.42)。
出典
- ^ a b c d e 『鉄道ジャーナル』通巻464号 p.30
- ^ a b 『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.228
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻258号 p.18
- ^ 『日本の私鉄1 小田急』 p.118
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.10
- ^ 『小田急ロマンスカー物語』 p.59
- ^ a b c d e f g h i j 『車両と駅の60年』 p.91
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.166
- ^ a b c 『鉄道ファン』通巻386号 p.43
- ^ a b 『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.229
- ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.167
- ^ 『小田急ロマンスカー総覧』 p.69
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.108
- ^ 『小田急ロマンスカー物語』 p.60
- ^ a b c d e 『鉄道ファン』通巻386号 p.42
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.46
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.168
- ^ 『小田急ロマンスカー物語』 p.100
- ^ 『日本の私鉄1 小田急』 p.39
- ^ 『日本の私鉄1 小田急』 p.40
- ^ 『小田急ロマンスカー物語』 p.116
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.29
- ^ 『小田急ロマンスカー総覧』 p.58
- ^ a b c 『小田急電鉄のひみつ』p.160
- ^ 『箱根の山に挑んだ鉄路』 p.230
- ^ a b 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.29
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.30
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.15
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.28
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.33
参考文献
書籍
- 青田孝『箱根の山に挑んだ鉄路 「天下の険」を越えた技』交通新聞社、2011年。ISBN 978-4330231112。
- 生方良雄、諸河久『日本の私鉄1 小田急』保育社、1988年。ISBN 4586507683。
- 生方良雄、諸河久『小田急ロマンスカー物語』保育社、1994年。ISBN 4586180293。
- 生方良雄『小田急ロマンスカー総覧』大正出版、2005年。ISBN 978-4811706559。
- PHP研究所編『小田急電鉄のひみつ』PHP研究所、2012年。ISBN 978-4569802442。
- 吉川文夫編『小田急 車両と駅の60年』大正出版、1987年。0025-301310-4487。
雑誌記事
- 生方良雄「小田急ロマンスカーの移り変わり」『鉄道ピクトリアル』第491号、電気車研究会、1988年2月、10-15頁。
- 加藤一郎「小田急ロマンスカーの輸送及び運転現況」『鉄道ピクトリアル』第491号、電気車研究会、1988年2月、42-46頁。
- 佐藤寛之「近年の箱根観光輸送」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、28-33頁。
- 末岡秀和「小田急走る喫茶室スチュワーデス」『鉄道ファン』第317号、交友社、1987年9月、42-45頁。
- 鶴通孝、山﨑友也「列車追跡シリーズ548 何度でも乗ってみたい特急ロマンスカー わくわくの85分」『鉄道ジャーナル』第464号、鉄道ジャーナル社、2005年6月、25-35頁。
- 富田丈一「小田急ロマンスカー「走る喫茶室」よもやま話」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、166-168頁。
- 浜武喜久雄「ロマンスカーの輸送サービスと座席予約システム」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、104-106頁。
- 松本典久「あさぎり 二つの顔の新特急」『鉄道ジャーナル』第297号、鉄道ジャーナル社、1991年7月、22-33頁。
- 宮原正和、沖勝則「列車追跡シリーズ291 箱根エキサイティング特急」『鉄道ジャーナル』第258号、鉄道ジャーナル社、1988年4月、12-20頁。
- 山岸庸次郎「悲運のエース 2300形ロマンスカー回顧」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、107-112頁。
- 「EXE 115DAYS」『鉄道ダイヤ情報』第145号、弘済出版社、1996年5月、14-32頁。
- 「小田急座談 (Part2) 輸送・運転編」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、6-20頁。