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「夕張保険金殺人事件」の版間の差分

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2006年1月6日 (金) 17:19時点における版

夕張保険金殺人事件ゆうばりほけんきんさつじん)とは1984年昭和59年)に北海道夕張市で発生した、火災保険および生命保険の搾取を目的とした放火殺人事件である。またこの事件は首謀者2名は夫婦であり、実行犯に放火を依頼して犯行に及んだが、首謀者の夫婦は戦後初めて2人とも死刑にされた。(ここでは実名を全て伏せます


事件の概要

1984年5月5日、北海道夕張市内の炭鉱労働者のための宿舎の食堂から出火し、宿舎内にいた子供2人を含む6人が焼死し、消火活動をしていた消防士1人も殉職する惨事になった。当初不慮の事故として保険会社は宿舎を所有していた炭鉱に労働者を派遣する会社経営者にたいし火災保険金及び死亡保険金として約1.3億円を支払った。しかし実際には会社経営者の夫婦が報酬を約束し、火事で重症を負っていた従業員の男性に放火させた事件であった。そのためこの男性が報酬を支払わないことに対する不満、また口封じのされることへの恐れから警察に自首し、事件が明るみに出た。


刑の確定と執行

裁判では夫婦は火災保険金のみが目的であって、宿舎内にいた従業員の生命まで奪うつもりはなく殺意がなかったとし、焼死者が出たのも実行犯の男性が逃げられるようにやれと指示していたのにやらなかったためと主張した。そのため実行犯と夫婦の主張は対立していたが、検察側は未必の殺意があったと主張して極刑にすべきであるとした。1審の札幌地裁1987年3月に実行犯の男性に対し無期懲役を言い渡し、夫婦については共同謀議による凶悪な首謀者として共に責任があるとして死刑を言い渡した。ただちに3人は札幌高裁控訴したが1988年10月に控訴を取り下げた。これは当時昭和天皇のご病状が深刻な状態であり、もし天皇が崩御すれば恩赦の恩恵に預かれると計算したためである。過去にも明治天皇大正天皇が崩御した際にはたとえ重罪人であっても恩赦によって刑が減刑されており、戦後もサンフランシスコ講和条約締結時に死刑囚であっても殺人罪のみ(強盗殺人などは対象外)であれば無期に減刑されていた。そのため恩赦の対象となるには刑が確定していなければならず、被告人の立場から抜け出すために控訴を取り下げたものであった。このような同様のことを目的に控訴や上告を取り下げた者がすくなからずいたが、しかし、昭和天皇が崩御しても凶悪犯の罪を軽くする事に対する批判を恐れたためか政府によって誰一人受刑者が恩赦されることはなかった。そのため夫婦は控訴審の再開を申請したが受け入れるはずもなく死刑は確定したままであった。そのため夫婦は自ら生命を短くしてしまったといえ、1997年8月1日に2人とも刑が執行された。