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{{Infobox Scientist
'''藤井 澄二'''(ふじい すみじ、[[1920年]][[12月14日]] - [[2004年]][[1月30日]])は[[日本]]の[[工学者]]、[[工学博士]]。元[[富山県立大学]]学長、[[東京大学]]名誉教授、[[東京電機大学]]名誉教授。専門は[[機械工学]]、[[振動工学]]。[[従三位]][[勲二等]][[瑞宝章]]。
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|doctoral_students=吉本堅一<ref>{{Cite book|和書|title=人間を含む制御系の改善に関する研究|author=吉本堅一|series=博士論文(甲第1926号)|publisher=東京大学|year=1969|month=3|url=http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009129277-00}}<!--授与年月日:昭和44年3月29日、工学博士--></ref>(東京大学)<br>[[井上博允]]<ref>{{Cite book|和書|title=人工の手の制御に関する研究|author=井上博允|series=博士論文(甲第2215号)|publisher=東京大学|year=1970|month=3|url=http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008553103-00}}<!--授与年月日:昭和45年3月30日、工学博士--></ref>(東京大学)<br>[[内山勝]]<ref>{{Cite book|和書|title=人工の手の運動制御に関する研究|author=内山勝|博士論文(甲第4240号)|publisher=東京大学|year=1977|month=3|url=http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007728628-00}}<!--授与年月日:昭和52年3月29日、工学博士--></ref>(東京大学)<br>大島徹<ref>{{Cite book|和書|title=生体形状の3次元自動測定システムとその応用に関する研究|author=大島徹|series=博士論文(甲第1号)|publisher=東京電機大学|year=1987|month=3|
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'''藤井 澄二'''(ふじい すみじ、[[1920年]][[12月14日]] - [[2004年]][[1月30日]])は、[[日本]]の[[機械工学]]系の[[工学者]]。[[東京大学]]名誉教授、[[東京電機大学]]名誉教授、[[工学博士]](東京大学)。


[[振動工学]]、車両工学、[[人間工学]]、[[安全工学]]、[[制御工学]]、[[ロボット工学]]等、多岐にわたる実績がある<ref name="no1296">東京大学広報委員会、学内広報No.1296、2004。</ref>。また、1960年代半ばから1970年代の東京大学藤井研究室におけるロボット研究は、その後のロボット制御のほとんどの基がここにあるとも言われている<ref name="takano2001">高野政晴HomePage[http://homepage2.nifty.com/my-takano/1robotcommentary/robot_criticism.html ロボット評論](2)日本におけるロボット研究の流行(2001.4.4)、2014年2月10日閲覧。</ref>。
==略歴==
1920年に[[横浜市]][[神奈川区]]でクリスチャンの家庭の8人兄弟の4番目に生まれる。[[府立高等学校 (旧制) |府立高等學校]]を卒業後、1942年9月に東京大学を短縮卒業した。兵役により召集され、陸軍中尉として第二陸軍航空技術研究所で航空機のエンジン開発などに従事する。終戦後、東京帝国大学航空研究所を経て、[[理化学研究所]]に嘱託で勤務する。1947年に東京帝国大学工学部機械工学科助教授となり、1956年に教授に昇任した。同大学の評議員、工学部長、総長特別補佐などを務め、1981年に東京大学を退官する。同年に東京電機大学教授に就任し、同大学大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任した。1990年に東京電機大学名誉教授を授与される。後に、1987年より富山県立大学の創設準備委員会委員長として尽力し、1990年-1996年まで同大学初代学長を務めた。2004年1月30日に横浜市青葉区の福祉施設にて急性心不全のため逝去し、目黒大円寺で葬儀が執り行われた。享年83。


[[東京帝国大学]]助教授、[[東京大学]]教授、工学部長、[[東京電機大学]]教授、理事、理工学部長、[[富山県立大学]]学長を務めると共に、[[日本機械学会]]会長、日本ロボット学会会長、日本IFToMM会議実行委員長も歴任した。[[紫綬褒章]]、[[従三位]][[勲二等]][[瑞宝章]]。
==研究活動==
エンジン開発などから振動学の研究を始め、1949年に工学博士(東京大学)を授与される。1953年にフルブライト基金で客員として[[マサチューセッツ工科大学]]などへ海外留学している。研究業績は機械振動学、車両工学、[[自動制御学]]、[[人間工学]]、[[安全工学]]、[[ロボット工学]]などで評価されており、産学官と多岐に影響を及ぼした。学会でも第58期[[日本機械学会]]会長、第1期日本ロボット学会会長を歴任しており、ロボット工学などの発展に貢献した。1986年に功績により[[紫綬褒章]]を授与されている。


==著書==
*『たのしい工作室』(単著,[[小学館]], 1948)
*『遠心ポンプと軸流ポンプ』(共訳, A.J.ステパーノフ著, 白倉昌明・藤井澄二訳, [[丸善]], 1956)
*『技術者の数学(1)』(共訳, K.S.ミラー著, 佐藤常三・藤井澄二訳, [[共立出版]], 1959)
*『技術者の数学(2)』(共訳, K.S.ミラー著, 佐藤常三・藤井澄二訳, 共立出版, 1960)
*『機械振動論』(共訳, デン・ハルトック著, 谷口修・藤井澄二訳, [[コロナ社 (出版社)|コロナ社]], 1960)


==参考文献==
==経歴==
===生誕から終戦まで===
*[http://www.t.u-tokyo.ac.jp/public/2004/0827.html 東京大学工学部広報室]
[[1920年]]に[[横浜市]][[神奈川区]]でクリスチャンの家庭の8人兄弟の4番目に生まれる<ref name="no1296"/>。小さいころから自然科学系の読書や、機械、実験装置づくりが好きな子供であった<ref>藤井澄二『たのしい工作室』p.1</ref>。[[府立高等学校 (旧制) |府立高等學校]]を卒業後、[[1942年]]9月に東京大学を短縮卒業した。兵役により召集され、陸軍中尉として第二陸軍航空技術研究所で航空機のエンジン開発などに従事する。この時担当した航空機用エンジン過給機の開発実験において、自励振動のサージングに悩まされる<ref name="no1296"/>。


===流体による自励振動の研究===
終戦後、東京帝国大学航空研究所(後に理工学研究所へ改組)に嘱託で勤務し、1947年に東京帝国大学工学部機械工学科助教授となる。この間、遠心式ポンプの安定性およびサージングについて研究を行い、4報に渡る論文としてまとめられた<ref>{{Cite journal|和書|title=遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第4報|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=14|number=48|year=1948|pages=pp.17-25|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=14&noIssue=48-3&kijiCd=14_48-3_17&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第3報|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=14|number=48|year=1948|pages=pp.12-17|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=14&noIssue=48-3&kijiCd=14_48-3_12&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第2報|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=13|number=44|year=1947|pages=pp.192-201|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=13&noIssue=44&kijiCd=13_44_192&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第1報|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=13|number=44|year=1947|pages=pp.184-191|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=13&noIssue=44&kijiCd=13_44_184&screenID=AF06S010}}</ref>。[[1949年]]に八ツ沢水力発電所で起きた圧力鉄管破損事故においては、弁の漏水によるウォーターハンマー(水槌)が原因であることを解明している<ref name="no1296"/>。

これら振動工学の研究成果をまとめ、[[1949年]]に工学博士(東京大学)を取得した。また、[[1953年]]にマサチューセッツ工科大学に滞在した時には機械振動の権威、デン・ハルトック教授の薫陶を受けている<ref name="no1296"/>。このように熱や流体により機械やプラントに起こる自励振動の研究<ref>{{Cite journal|和書|title=振動弁による流体柱の励振(第1報)|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=18|number=66|year=1952|pages=pp.182-184|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=18&noIssue=66&kijiCd=18_66_182&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=振動弁による流体柱の励振(第2報)|author=藤井澄二、喜山宜志明|journal=日本機械学会論文集|volume=18|number=73|year=1952|pages=pp.40-43|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=18&noIssue=73&kijiCd=18_73_40&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=振動弁による流体柱の励振(第3報)|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=21|number=105|year=1955|pages=pp.374-377|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=21&noIssue=105&kijiCd=21_105_374&screenID=AF06S010}}</ref>で実績があり、自身や研究室での経験を元にした講義のビデオが日本機械学会から出版されている。

===東京大学藤井澄二研究室===
当初は制御工学の講座ができるということで助教授に就任したが、実際は車両工学の講座ができたため、藤井は制御工学と車両工学双方の研究を行った<ref name="jrsj1986">{{Cite journal|和書|title=ロボット研究の動機・経過・展望|author=藤井 澄二|journal=日本ロボット学会誌|volume=4|number=4|year=1986|pages=pp.447-451|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=jrsj1983&noVol=4&noIssue=4&kijiCd=4_4_447&screenID=AF06S010}}</ref>。車両工学の研究は自動車の振動問題<ref>{{Cite journal|和書|title=自動車プロペラ軸の低い速度で起るふれまわり(第2報)|author=藤井澄二、柴田碧、重田達也|journal=日本機械学会論文集|volume=22|number=119|year=1956|pages=pp.489-491|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=22&noIssue=119&kijiCd=22_119_489&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=自動車プロペラ軸の低い速度で起るふれまわり(第1報)|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=22|number=115|year=1956|pages=pp.178-181|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=22&noIssue=115&kijiCd=22_115_178&screenID=AF06S010}}</ref>や車両のだ行動の研究<ref>{{Cite journal|和書|title=2軸貨車のだ行動の電子計算機による解析 : 第2報, シミュレーション実験の結果|author=藤井澄二、吉本堅一、小林文彦|journal=日本機械学会論文集|volume=41|number=343|year=1975|pages=pp.806-812|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=41&noIssue=343&kijiCd=41_343_806&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=2軸貨車のだ行動の電子計算機による解析 : 第1報, 数学モデルの概要|author=藤井澄二、吉本堅一、小林文彦|journal=日本機械学会論文集|volume=40|number=340|year=1974|pages=pp.3329-3334|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=40&noIssue=340&kijiCd=40_340_3329&screenID=AF06S010}}</ref>に加え、人間を含めた制御系等<ref>{{Cite journal|和書|title=自動車の操縦と人間工学|author=藤井澄二|journal=人間工学|volume=1|number=2|year=1965|pages=pp.9-17|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=jje1965&noVol=1&noIssue=2&kijiCd=1_2_9&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=自動車の運動性能に対するかじ取装置の弾性の影響|author=藤井澄二|journal=日本機械学会論文集|volume=22|number=119|year=1956|pages=pp.492-496|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=22&noIssue=119&kijiCd=22_119_492&screenID=AF06S010}}</ref>、人間工学、制御工学も関連した研究に発展した。また、架線・パンタグラフ系の設計法を提案し、東海道新幹線の実現に貢献している<ref>東京大学広報委員会、[http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1296/index.html 学内広報No.1296]、2004年。</ref>。

[[1956年]]には教授に昇任し、同大学の評議員、工学部長、総長特別補佐などを務めていく。また、IFAC(自動制御の国際組織)や人間工学会において、教育カリキュラムを検討する委員会でも活躍した<ref>{{Cite journal|和書|title=IFAC 教育委員会会議|author=藤井 澄二|journal=計測と制御|volume=5|number=4|year=1966|pages=pp.299-301|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=sicejl1962&noVol=5&noIssue=4&kijiCd=5_4_299&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=人間工学カリキュラム委員会報告書|author=藤井 澄二|journal=人間工学|volume=5|number=1|year=1969|pages=pp.19-27|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=jje1965&noVol=5&noIssue=1&kijiCd=5_1_19&screenID=AF06S010}}</ref>。

東京大学の機械工学科に原子力の研究会ができ、藤井も炉の制御や放射性物質を扱うマニピュレータについて考えるようになった<ref name="jrsj1986"/>。マニピュレータの遠隔制御ではスレイブ側の反力をマスター側に返す必要があり、双動のあるバイラテラルサーボの研究を行うようになった<ref>{{Cite journal|和書|title=油圧式バイラテラルサーボ機構の研究|author=藤井澄二、秋山守、杉野栄美、住川英男|journal=自動制御|volume=5|number=3|year=1958|pages=pp.60-65|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=sicejl1954&noVol=5&noIssue=3&kijiCd=5_3_60&screenID=AF06S010}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=動力かじ取装置における双動型サーボ機構の効果|author=藤井澄二、井口雅一|journal=日本機械学会論文集|volume=24|number=147|year=1958|pages=pp.929-934|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=kikai1938&noVol=24&noIssue=147&kijiCd=24_147_929&screenID=AF06S010}}</ref>。これが後にロボット研究として発展する。1965年頃から論理機械や計算機による人工の手の研究を開始し、1970年代には双腕マニピュレータの目標値修正制御、座標変換による書字動作、動的制御(速度のある制御、くぎ打ちロボット等)、視覚認識、移動ロボットの制御等の研究が行われる<ref name="jrsj1986"/>。この時期の藤井澄二研究室は、後のロボット制御のほとんどの基があると言われる程の実績を上げた<ref name="takano2001"/>。

社会的活動として、機構と機械の国際組織IFToMMに日本も参加するため、早稲田大学の[[加藤一郎]]教授や電気通信大学の石川二郎教授<ref>[http://www.jc-iftomm.org/japanese/committee.html 日本IFToMM会議実行委員会]、2014年2月11日閲覧。</ref>とともに、1978年に日本IFToMM会議を立ち上げている<ref>[http://www.jc-iftomm.org/japanese/introduction.html 日本IFToMM会議のご紹介]、2014年2月11日閲覧。</ref>。更に1980年には、第58期の[[日本機械学会]]会長を務めた。行政関係においても、研究行政、産業技術行政、運輸技術行政、防災技術行政(消防庁、東京都)、交通機関における安全化と高速化の技術開発といったプロジェクトに参画し、指導的な役割を担った<ref name="no1296"/>。
===東京電機大学~富山県立大学~逝去===
1981年に東京電機大学教授に就任。同大学大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任し、[[1983年]]には日本ロボット学会の初代会長にも就任している。東京電機大学では理工学部に大学院ができたばかりであり、大学院の講義では受講生が一人ということもあった。当時の学生である大島徹(後の富山県立大学教授、二関節筋の研究で有名)は、分からないところを深夜まで指導してもらったと回想している<ref name="no69">富山県立大学ニュースNo.69、2004年</ref>。

[[1987年]]より富山県立大学の創設準備委員会委員長として尽力し、1990年から1996年まで同大学の初代学長を務めた。[[2004年]][[1月30日]]に横浜市青葉区の福祉施設にて急性心不全のため逝去し、目黒大円寺で葬儀が執り行われた<ref name="no1296"/>。享年83。なお、遺言による寄付金100万円によって、日本IFToMM会議に若手育成基金「Young Investigator fund」が設立された<ref>[http://www.jc-iftomm.org/japanese/news/News32.pdf 日本IFToMMニュースNo.32]、2005年1月発行。([[PDF]])</ref>。これにより、年1回のシンポジウムでBest Paper Award(Finalist 3件)が出されるようになった。

==略歴==
*[[1942年]]9月:[[東京帝国大学]] 第一工学部 短縮卒業、東部第102部隊召集
*[[1943年]]:第二[[陸軍航空技術研究所]](陸軍中尉)
*[[1945年]]:東京帝国大学 [[航空研究所]](後、理工学研究所に改組)嘱託勤務
*[[1947年]]:東京帝国大学 第一工学部(後、[[東京大学]] 工学部) 機械工学科 助教授
*[[1949年]]:工学博士(東京大学])
*[[1953年]]:[[マサチューセッツ工科大学]]へ留学([[フルブライト・プログラム]])
*[[1956年]]:東京大学 工学部 教授
: 退官までに、大学院協議会委員、評議員、工学部長、総長特別補佐を歴任。
*[[1981年]]:東京大学 定年退官、同[[名誉教授]]、[[東京電機大学]]教授
: 退官までに、東京電機大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任
*[[1987年]]:[[富山県立大学]] 創設準備委員会 委員長
*[[1990年]]:東京電機大学退官、同名誉教授
*[[1990年]]:富山県立大学学長(初代、~1996年)
==受賞、栄典==
*[[1977年]]:東京都科学技術功労賞
*[[1986年]]:[[紫綬褒章]]
*[[1997年]]:[[勲二等]][[瑞宝章]]
*[[2004年]]:1月30日付で[[従三位]]
*[[2012年]]:日本ロボット学会設立特別功労賞
==社会的活動==
*[[日本機械学会]](第58期会長:1980年4月2日~1981年4月1日)
*日本ロボット学会(設立メンバー、第1期会長:1983年度~1984年度)
*[[計測自動制御学会]]
*[[人間工学会]](カリキュラム検討委員会委員長)
*日本IFToMM会議(設置準備委員会世話役、1983~1988年度実行委員会委員長)
==著作==
===主著===
*{{Cite book|和書|title=たのしい工作室|series=小国民シリーズ|author=藤井澄二|publisher=[[小学館]]|year=1948}}
*{{Cite book|和書|title=機械力学 第1|author=藤井澄二|publisher=共立出版|year=1957|series=応用力学講座 6-1|editor=鵜戸口英善ほか編}}
*{{Cite book|和書|title=機械力学 第2|author=藤井澄二|publisher=共立出版|year=1957|series=応用力学講座 6-2|editor=鵜戸口英善ほか編}}
*{{Cite book|和書|series=岩波講座基礎工学 20-1|author=藤井澄二|publisher=岩波書店|year=1967|title=制御工学 1|year=1967|url=http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003889119-00}}
*{{Cite book|和書|series=岩波講座基礎工学 20-2|author=藤井澄二|publisher=岩波書店|year=1967|title=制御工学 2|year=1968|url=http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003889119-00}}
*{{Cite book|和書|title=藤井澄二論文選集|author=藤井澄二|editor=藤井澄二教授還暦退官記念会|year=1982|month=1|url=http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA71097276}}
===共著(翻訳含む)===
*{{Cite book|和書|title=遠心ポンプと軸流ポンプ|author=A.J.ステパーノフ著|editor=白倉昌明、藤井澄二訳|publisher=[[丸善]]|year=1956}}
*{{Cite book|和書|title=技術者の数学(1)|author=K.S.ミラー著|editor=佐藤常三、藤井澄二訳|[[共立出版]]|year=1959}}
*{{Cite book|和書|title=技術者の数学(2)|author=K.S.ミラー著|editor=佐藤常三、藤井澄二訳|publisher=共立出版|year=1960}}
*{{Cite book|和書|title=機械振動論|author=デン・ハルトック著|editor=谷口修、藤井澄二訳, [[コロナ社 (出版社)|コロナ社]]|year=1960}}
*{{Cite book|和書|title=制御工学|author=藤井澄二 ほか著|publisher=東京電機大学出版局|year=1985|month=9|editor=深海登世司、藤巻忠雄 監修|isbn=4501101008}}
===講義ビデオ===
*藤井澄二、[http://www.jsme.or.jp/publish/books/books-details/5690.html ビデオ「自励振動」]、日本機械学会、1997年11月、ファーマット:VHS、収録時間:95分
==脚注==
{{Reflist}}
==参考文献==
*{{Cite journal|和書|journal=日本ロボット学会誌|volume=|title=ロボット研究の回顧と展望|author=藤井澄二、吉本堅一|volume=1|number=1|year=1983|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=jrsj1983&noVol=1&noIssue=1&kijiCd=1_1_4&screenID=AF06S010}}
*{{Cite journal|和書|title=ロボット研究の動機・経過・展望|author=藤井 澄二|journal=日本ロボット学会誌|volume=4|number=4|year=1986|pages=pp.447-451|url=https://www.jstage.jst.go.jp/A_PRedirectJournalInit/-char/ja/?sryCd=jrsj1983&noVol=4&noIssue=4&kijiCd=4_4_447&screenID=AF06S010}}
*{{Cite journal|和書|title=訃報 藤井澄二 名誉教授|journal=学内広報|number=1296|publisher=東京大学広報委員会|year=2004|month=9|pages=|url=http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1296/5.html}}
*{{Cite journal|和書|title=藤井初代学長の追悼|journal=富山県立大学ニュース|number=69|year=2004|month=5|pages=p.2-3|url=http://www.pu-toyama.ac.jp/data/tpu_news/pdf/63.pdf}}([[PDF]])
==関連項目==
:[[水撃作用]]、[[ウォーターハンマー]]、[[サージング]]、[[自励振動]]
:[[井上博允]]、[[ロボット]]
==外部リンク==
*国立国会図書館デジタルライブラリー:藤井澄二著『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168261 たのしい工作室]』、1948年、小学館、2014年2月11日閲覧。
*東京大学工学部広報室 [http://www.t.u-tokyo.ac.jp/public/2004/0827.html 2004年 8月27日 名誉教授藤井澄二先生を悼む]、2014年2月10日閲覧。
*東京大学広報委員会 [http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1296/index.html 学内広報 No.1296 2004年9月8日発行]、2014年2月10日閲覧。
*東京大学工学部 [http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1296/5.html 訃報 藤井澄二 名誉教授]、2014年2月10日閲覧。
 
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2014年2月11日 (火) 15:15時点における版

藤井 澄二
生誕 1920年12月14日
日本の旗 日本 神奈川県 横浜市
死没 (2004-01-30) 2004年1月30日(83歳没)
研究分野 振動工学機械力学制御工学
ロボット工学、車両工学
研究機関 第二陸軍航空技術研究所
東京帝国大学東京大学
マサチューセッツ工科大学
東京電機大学富山県立大学
出身校 府立高等學校東京帝国大学
博士課程
指導学生
吉本堅一[1](東京大学)
井上博允[2](東京大学)
内山勝[3](東京大学)
大島徹[4](東京電機大)
主な業績 自励振動サージング
ロボット研究(藤井澄二研究室)
主な受賞歴 紫綬褒章
従三位勲二等瑞宝章
プロジェクト:人物伝
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藤井 澄二(ふじい すみじ、1920年12月14日 - 2004年1月30日)は、日本機械工学系の工学者東京大学名誉教授、東京電機大学名誉教授、工学博士(東京大学)。

振動工学、車両工学、人間工学安全工学制御工学ロボット工学等、多岐にわたる実績がある[5]。また、1960年代半ばから1970年代の東京大学藤井研究室におけるロボット研究は、その後のロボット制御のほとんどの基がここにあるとも言われている[6]

東京帝国大学助教授、東京大学教授、工学部長、東京電機大学教授、理事、理工学部長、富山県立大学学長を務めると共に、日本機械学会会長、日本ロボット学会会長、日本IFToMM会議実行委員長も歴任した。紫綬褒章従三位勲二等瑞宝章


経歴

生誕から終戦まで

1920年横浜市神奈川区でクリスチャンの家庭の8人兄弟の4番目に生まれる[5]。小さいころから自然科学系の読書や、機械、実験装置づくりが好きな子供であった[7]府立高等學校を卒業後、1942年9月に東京大学を短縮卒業した。兵役により召集され、陸軍中尉として第二陸軍航空技術研究所で航空機のエンジン開発などに従事する。この時担当した航空機用エンジン過給機の開発実験において、自励振動のサージングに悩まされる[5]

流体による自励振動の研究

終戦後、東京帝国大学航空研究所(後に理工学研究所へ改組)に嘱託で勤務し、1947年に東京帝国大学工学部機械工学科助教授となる。この間、遠心式ポンプの安定性およびサージングについて研究を行い、4報に渡る論文としてまとめられた[8][9][10][11]1949年に八ツ沢水力発電所で起きた圧力鉄管破損事故においては、弁の漏水によるウォーターハンマー(水槌)が原因であることを解明している[5]

これら振動工学の研究成果をまとめ、1949年に工学博士(東京大学)を取得した。また、1953年にマサチューセッツ工科大学に滞在した時には機械振動の権威、デン・ハルトック教授の薫陶を受けている[5]。このように熱や流体により機械やプラントに起こる自励振動の研究[12][13][14]で実績があり、自身や研究室での経験を元にした講義のビデオが日本機械学会から出版されている。

東京大学藤井澄二研究室

当初は制御工学の講座ができるということで助教授に就任したが、実際は車両工学の講座ができたため、藤井は制御工学と車両工学双方の研究を行った[15]。車両工学の研究は自動車の振動問題[16][17]や車両のだ行動の研究[18][19]に加え、人間を含めた制御系等[20][21]、人間工学、制御工学も関連した研究に発展した。また、架線・パンタグラフ系の設計法を提案し、東海道新幹線の実現に貢献している[22]

1956年には教授に昇任し、同大学の評議員、工学部長、総長特別補佐などを務めていく。また、IFAC(自動制御の国際組織)や人間工学会において、教育カリキュラムを検討する委員会でも活躍した[23][24]

東京大学の機械工学科に原子力の研究会ができ、藤井も炉の制御や放射性物質を扱うマニピュレータについて考えるようになった[15]。マニピュレータの遠隔制御ではスレイブ側の反力をマスター側に返す必要があり、双動のあるバイラテラルサーボの研究を行うようになった[25][26]。これが後にロボット研究として発展する。1965年頃から論理機械や計算機による人工の手の研究を開始し、1970年代には双腕マニピュレータの目標値修正制御、座標変換による書字動作、動的制御(速度のある制御、くぎ打ちロボット等)、視覚認識、移動ロボットの制御等の研究が行われる[15]。この時期の藤井澄二研究室は、後のロボット制御のほとんどの基があると言われる程の実績を上げた[6]

社会的活動として、機構と機械の国際組織IFToMMに日本も参加するため、早稲田大学の加藤一郎教授や電気通信大学の石川二郎教授[27]とともに、1978年に日本IFToMM会議を立ち上げている[28]。更に1980年には、第58期の日本機械学会会長を務めた。行政関係においても、研究行政、産業技術行政、運輸技術行政、防災技術行政(消防庁、東京都)、交通機関における安全化と高速化の技術開発といったプロジェクトに参画し、指導的な役割を担った[5]

東京電機大学~富山県立大学~逝去

1981年に東京電機大学教授に就任。同大学大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任し、1983年には日本ロボット学会の初代会長にも就任している。東京電機大学では理工学部に大学院ができたばかりであり、大学院の講義では受講生が一人ということもあった。当時の学生である大島徹(後の富山県立大学教授、二関節筋の研究で有名)は、分からないところを深夜まで指導してもらったと回想している[29]

1987年より富山県立大学の創設準備委員会委員長として尽力し、1990年から1996年まで同大学の初代学長を務めた。2004年1月30日に横浜市青葉区の福祉施設にて急性心不全のため逝去し、目黒大円寺で葬儀が執り行われた[5]。享年83。なお、遺言による寄付金100万円によって、日本IFToMM会議に若手育成基金「Young Investigator fund」が設立された[30]。これにより、年1回のシンポジウムでBest Paper Award(Finalist 3件)が出されるようになった。

略歴

 退官までに、大学院協議会委員、評議員、工学部長、総長特別補佐を歴任。
 退官までに、東京電機大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任

受賞、栄典

社会的活動

  • 日本機械学会(第58期会長:1980年4月2日~1981年4月1日)
  • 日本ロボット学会(設立メンバー、第1期会長:1983年度~1984年度)
  • 計測自動制御学会
  • 人間工学会(カリキュラム検討委員会委員長)
  • 日本IFToMM会議(設置準備委員会世話役、1983~1988年度実行委員会委員長)

著作

主著

共著(翻訳含む)

  • A.J.ステパーノフ著 著、白倉昌明、藤井澄二訳 編『遠心ポンプと軸流ポンプ』丸善、1956年。 
  • K.S.ミラー著 著、佐藤常三、藤井澄二訳 編『技術者の数学(1)』1959年。 
  • K.S.ミラー著 著、佐藤常三、藤井澄二訳 編『技術者の数学(2)』共立出版、1960年。 
  • デン・ハルトック著 著、谷口修、藤井澄二訳, コロナ社 編『機械振動論』1960年。 
  • 藤井澄二 ほか著 著、深海登世司、藤巻忠雄 監修 編『制御工学』東京電機大学出版局、1985年9月。ISBN 4501101008 

講義ビデオ

脚注

  1. ^ 吉本堅一『人間を含む制御系の改善に関する研究』東京大学〈博士論文(甲第1926号)〉、1969年3月http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009129277-00 
  2. ^ 井上博允『人工の手の制御に関する研究』東京大学〈博士論文(甲第2215号)〉、1970年3月http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008553103-00 
  3. ^ 内山勝『人工の手の運動制御に関する研究』東京大学、1977年3月http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007728628-00 
  4. ^ 大島徹『生体形状の3次元自動測定システムとその応用に関する研究』東京電機大学〈博士論文(甲第1号)〉、1987年3月http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000183618-00 
  5. ^ a b c d e f g 東京大学広報委員会、学内広報No.1296、2004。
  6. ^ a b 高野政晴HomePageロボット評論(2)日本におけるロボット研究の流行(2001.4.4)、2014年2月10日閲覧。
  7. ^ 藤井澄二『たのしい工作室』p.1
  8. ^ 藤井澄二「遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第4報」『日本機械学会論文集』第14巻第48号、1948年、pp.17-25。 
  9. ^ 藤井澄二「遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第3報」『日本機械学会論文集』第14巻第48号、1948年、pp.12-17。 
  10. ^ 藤井澄二「遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第2報」『日本機械学会論文集』第13巻第44号、1947年、pp.192-201。 
  11. ^ 藤井澄二「遠心式ポンプの安定性およびサージングについて : 第1報」『日本機械学会論文集』第13巻第44号、1947年、pp.184-191。 
  12. ^ 藤井澄二「振動弁による流体柱の励振(第1報)」『日本機械学会論文集』第18巻第66号、1952年、pp.182-184。 
  13. ^ 藤井澄二、喜山宜志明「振動弁による流体柱の励振(第2報)」『日本機械学会論文集』第18巻第73号、1952年、pp.40-43。 
  14. ^ 藤井澄二「振動弁による流体柱の励振(第3報)」『日本機械学会論文集』第21巻第105号、1955年、pp.374-377。 
  15. ^ a b c 藤井 澄二「ロボット研究の動機・経過・展望」『日本ロボット学会誌』第4巻第4号、1986年、pp.447-451。 
  16. ^ 藤井澄二、柴田碧、重田達也「自動車プロペラ軸の低い速度で起るふれまわり(第2報)」『日本機械学会論文集』第22巻第119号、1956年、pp.489-491。 
  17. ^ 藤井澄二「自動車プロペラ軸の低い速度で起るふれまわり(第1報)」『日本機械学会論文集』第22巻第115号、1956年、pp.178-181。 
  18. ^ 藤井澄二、吉本堅一、小林文彦「2軸貨車のだ行動の電子計算機による解析 : 第2報, シミュレーション実験の結果」『日本機械学会論文集』第41巻第343号、1975年、pp.806-812。 
  19. ^ 藤井澄二、吉本堅一、小林文彦「2軸貨車のだ行動の電子計算機による解析 : 第1報, 数学モデルの概要」『日本機械学会論文集』第40巻第340号、1974年、pp.3329-3334。 
  20. ^ 藤井澄二「自動車の操縦と人間工学」『人間工学』第1巻第2号、1965年、pp.9-17。 
  21. ^ 藤井澄二「自動車の運動性能に対するかじ取装置の弾性の影響」『日本機械学会論文集』第22巻第119号、1956年、pp.492-496。 
  22. ^ 東京大学広報委員会、学内広報No.1296、2004年。
  23. ^ 藤井 澄二「IFAC 教育委員会会議」『計測と制御』第5巻第4号、1966年、pp.299-301。 
  24. ^ 藤井 澄二「人間工学カリキュラム委員会報告書」『人間工学』第5巻第1号、1969年、pp.19-27。 
  25. ^ 藤井澄二、秋山守、杉野栄美、住川英男「油圧式バイラテラルサーボ機構の研究」『自動制御』第5巻第3号、1958年、pp.60-65。 
  26. ^ 藤井澄二、井口雅一「動力かじ取装置における双動型サーボ機構の効果」『日本機械学会論文集』第24巻第147号、1958年、pp.929-934。 
  27. ^ 日本IFToMM会議実行委員会、2014年2月11日閲覧。
  28. ^ 日本IFToMM会議のご紹介、2014年2月11日閲覧。
  29. ^ 富山県立大学ニュースNo.69、2004年
  30. ^ 日本IFToMMニュースNo.32、2005年1月発行。(PDF

参考文献

関連項目

水撃作用ウォーターハンマーサージング自励振動
井上博允ロボット

外部リンク