「南太平洋海戦」の版間の差分
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| campaign=ソロモン諸島の戦い |
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| image=[[ファイル:USS Hornet (CV-8) during battle of the Santa Cruz Islands.jpg|300px]] |
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| caption=<small>攻撃を受けるアメリカ海軍の空母「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」</small> |
| caption=<small>攻撃を受けるアメリカ海軍の空母「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」</small> |
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| conflict=[[太平洋戦争]] / [[大東亜戦争]] |
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| place=[[ソロモン諸島]]、サンタ・クルーズ諸島沖 |
| place=[[ソロモン諸島]]、サンタ・クルーズ諸島沖 |
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| result=日本軍の戦術的勝利 |
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| commander1=[[山本五十六]][[大将]]<br />[[南雲忠一]]中将<br />[[近藤信竹]]中将 |
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| commander2=[[ウィリアム・ハルゼー|ウィリアム・F・ハルゼー]]中将<br />[[トーマス・C・キンケイド]]少将<br />[[ジョージ・D・マレー]]少将 |
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| strength1=空母4<br>戦艦 |
| strength1=空母4<br />戦艦4<br />重巡洋艦8<br />軽巡洋艦2<br />駆逐艦22 |
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| strength2=空母2<br>戦艦1<br>重巡洋艦4<br>軽巡洋艦5<br>駆逐艦14 |
| strength2=空母2<br />戦艦1<br />重巡洋艦4<br />軽巡洋艦5<br />駆逐艦14 |
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| casualties1=重巡1大破<br>空母2中破<br>駆逐艦2小破 |
| casualties1=重巡1大破<br />空母2中破<br />駆逐艦2小破 |
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| casualties2=空母1、駆逐艦1沈没<br>駆逐艦1大破<br>空母1中破<br>戦艦1、軽巡洋艦1小破 |
| casualties2=空母1、駆逐艦1沈没<br />駆逐艦1大破<br />空母1中破<br />戦艦1、軽巡洋艦1小破 |
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'''南太平洋海戦'''( |
'''南太平洋海戦'''(みなみたいへいようかいせん)とは、[[1942年]][[10月26日]]にソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦を示す<ref>「[[写真週報]]」等</ref>。[[アメリカ軍]]側の呼称は'''サンタ・クルーズ諸島海戦'''(''Battle of the Santa Cruz Islands'')。日本軍は米空母1隻を撃沈、米空母1隻を大破させたが、日本空母2隻も大破・中破し、多数の航空機と搭乗員を失った。 |
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==背景== |
==背景== |
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{{Main|ガダルカナル島の戦い}} |
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[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[連合艦隊]]は[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]][[第17軍 (日本軍)|第17軍]]が予定していた[[ガダルカナル島]]での総攻撃支援のために[[近藤信竹]]中将指揮下の第二艦隊([[戦艦]]「[[金剛 (戦艦)|金剛]]」、「[[榛名 (戦艦)|榛名]]」、空母「[[隼鷹]]」など)および[[南雲忠一]]中将指揮下の第三艦隊([[航空母艦|空母]]「[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]」、「[[翔鶴]]」、軽空母「[[瑞鳳]]」など)を派遣する。 |
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1942年6月の[[ミッドウェー海戦]]で日本軍主力空母4隻([[赤城 (空母)|赤城]]、[[加賀 (空母)|加賀]]、[[飛龍 (空母)|飛龍]]、[[蒼龍 (空母)|蒼龍]])を撃沈して勝利した米軍は、2ヵ月後の8月7日[[ウォッチタワー作戦]]を発動し、[[アメリカ海兵隊|米軍海兵隊]]が[[ツラギ島]]・[[ガダルカナル島]]を占領した。日本軍は[[三川軍一]]中将率いる[[第八艦隊 (日本海軍)|第八艦隊]]と[[海軍陸戦隊]]に米軍撃退を命じ、[[第一次ソロモン海戦]]で勝利を収めた。だが測量艦「[[宗谷 (船)|宗谷]]」(後の南極観測船)以下海軍陸戦隊輸送船団はツラギ島に到着できず、米海兵隊の早期撃退企図は頓挫した。さらにガダルカナル島の[[ホニアラ国際空港|ヘンダーソン飛行場]]から発進した米軍機により、同島へ向かう日本軍増援輸送船団は次々に撃沈・撃退され、日本海軍艦艇の行動にも制約を与えた。 |
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[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[連合艦隊]]は[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]][[第17軍 (日本軍)|第17軍]]が予定していた[[ガダルカナル島]]での総攻撃支援のために[[近藤信竹]]中将指揮下の[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]](第三戦隊:[[金剛型戦艦|戦艦]][[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]]、第二航空戦隊:空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、[[飛鷹 (空母)|飛鷹]])および[[南雲忠一]]中将指揮下の[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]](第一航空戦隊:空母[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[龍驤 (空母)|龍驤]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]等)を派遣する。第一航空戦隊と第二航空戦隊にはミッドウェー海戦で乗艦を失ったパイロット達も多数着任しており、士気旺盛だったという<ref>[[#機動部隊]]31頁</ref>。 |
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[[アメリカ海軍]]は[[第二次ソロモン海戦]](東部ソロモン海戦)で空母「[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]」が損傷し、8月31日に空母「[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]」も損傷したばかりか、9月15日には空母「[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]」も失ったため作戦行動をとれる空母は「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」のみとなった。アメリカ軍は「エンタープライズ」と「サラトガ」を真珠湾に帰港させ、急ピッチで修理を行い、「エンタープライズ」は10月中旬までに修理が完了した。エンタープライズは、24日に[[エスピリッツサント島]]から北東約500kmの地点でホーネット以下と合流した。また、太平洋艦隊司令長官の[[チェスター・ニミッツ]]大将は、南西地区の司令官を[[ロバート・L・ゴームレー|ゴームレー]]中将から[[ウィリアム・ハルゼー|ハルゼー]]中将に交代させた。ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼーは着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。 |
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8月24日、南雲機動部隊は米軍第11・16任務部隊と[[第二次ソロモン海戦]](東部ソロモン海戦)を戦った。この戦いで米軍は日本軍軽空母「[[龍驤 (空母)|龍驤]]」を撃沈し、日本軍の輸送船団増援を阻止して勝利を収めた。その一方、空母「[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]」が損傷を受け、8月31日に日本軍潜水艦の攻撃で空母「[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]」が大破本国回航、9月15日には空母「[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]」を撃沈され、作戦行動をとれる空母は「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」のみとなった。アメリカ軍は「エンタープライズ」と「サラトガ」を真珠湾に帰港させ、急ピッチで修理を行い、「エンタープライズ」は10月中旬までに対空火砲の強化を含む修理が完了した<ref>[[#BIG E上]]231頁</ref>。同艦は10月24日に[[エスピリッツサント島]]から北東約500kmの地点で「ホーネット」以下と合流した。また、太平洋艦隊司令長官の[[チェスター・ニミッツ]]大将は、南西地区の司令官を[[ロバート・L・ゴームレー|ゴームレー]]中将から[[ウィリアム・ハルゼー|ハルゼー]]中将に交代させた。ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼーは着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。 |
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日本陸軍[[第17軍 (日本軍)|第17軍]]は、10月13日~14日にかけて行われた挺身隊によるヘンダーソン飛行場への[[ヘンダーソン基地艦砲射撃|艦砲射撃]]の成功を受けて、10月24日夜、ガダルカナル島で総攻撃を行うが、重装備を持たず猖獗を極めるジャングルでの戦闘で指揮系統も混乱し、兵力を増強し防御陣地で待ち構えていた[[アメリカ海兵隊|米海兵隊]]の反撃に遭い失敗に終わった(詳しくは[[ガダルカナル島の戦い]]を参照)。一方でアメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「ホーネット」を中心とする艦隊(第16任務部隊および第17任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。 |
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10月9日、日本軍[[第二航空戦隊]](空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、[[飛鷹 (空母)|飛鷹]])がトラック泊地に進出する<ref>[[#空母雷撃隊]]217頁</ref>。日本陸軍[[第17軍 (日本軍)|第十七軍]]は、10月13日~14日にかけて行われた挺身隊([[栗田健男]]少将:戦艦[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]])によるヘンダーソン飛行場への[[ヘンダーソン基地艦砲射撃|艦砲射撃]]の成功を受けて総攻撃を企図したが、無事だった飛行場から飛来した米軍攻撃機により日本軍の増援輸送船団6隻が全滅した<ref>[[#機動部隊]]76頁</ref>。総攻撃実施日(Y日)は10月21日から23日、24日と延長された。10月15日、重巡洋艦「[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]」「[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]」が飛行場を砲撃する。10月17日、第二航空戦隊は[[零式艦上戦闘機]]18、[[九七式艦上攻撃機]]18機の攻撃隊をヘンダーソン飛行場とルンガ泊地に送り込んだが、米軍戦闘機[[F4F (航空機)|F4Fワイルドキャット]]の迎撃により「隼鷹」は艦攻8機(不時着2)<ref>[[#機動部隊]]75頁、[[#隼鷹飛行調書(2)]]p.4</ref>、「飛鷹」は艦攻2機(1機不時着)、零戦1機(不時着)を失った<ref>「飛鷹飛行機隊戦闘行動調書(1)」pp.15-16</ref>。10月19日、連合艦隊は電令作第346号により、ガダルカナル島周辺海域の索敵と、敵艦隊の撃滅を命じた<ref>[[#高戸主計大尉]]25頁</ref>。翌20日夜、第二航空戦隊の旗艦「[[飛鷹 (空母)|飛鷹]]」で火災と機関故障が発生し、速力低下により航空戦続行が不可能となる<ref>「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.17「20日夜間、飛鷹補機室火災、高速を出し得ず、作戦行動不能と認め」</ref><ref>[[#愛宕奮戦記]]201頁、[[#機動部隊]]77頁</ref>。22日、「飛鷹」は旗艦任務と搭載機を姉妹艦「隼鷹」に移し、トラック泊地に帰還した<ref>[[#愛宕日誌(4)]]p.36、[[#愛宕奮戦記]]207頁</ref>。日本軍は米軍と戦う前から空母1隻を事実上失ったことになる<ref>[[#戦藻録(九版)]]213頁</ref>。一方で、10月17日のガダルカナル島飛行場攻撃で消耗していた「隼鷹」の戦力は回復した<ref>「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.16、[[#隼鷹飛行調書(2)]]pp.3-5、[[#山川艦爆隊]]126-129頁、[[#空母雷撃隊]]227頁</ref>。また「飛鷹」の零戦16、九九艦爆17がラバウルに移動した<ref>[[#機動部隊]]78頁</ref>。22日夜、原忠一少将率いる[[利根型重巡洋艦]]「[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]]」と[[秋月型駆逐艦]]「[[照月 (駆逐艦)|照月]]」が牽制部隊となり、日本軍機動部隊から分離して南方200浬(370km)地点に進出した<ref>[[#高戸主計大尉]]25頁、[[#橋本信号員]]235頁</ref>。利根型重巡洋艦は水上偵察機5-6機を搭載する偵察能力に優れた艦種、秋月型駆逐艦は[[六五口径九八式一〇糎高角砲|10cm連装高角砲]]を装備した防空駆逐艦である。なお[[草鹿龍之介]]や奥宮参謀の著作では、南下した艦を「[[利根 (重巡洋艦)|利根]]」としているが<ref>[[#機動部隊]]85頁、[[#草鹿回想]]172頁</ref>、戦闘詳報では「筑摩」である<ref>[[#筑摩日誌(1)]]p.5「照月を率い索敵のため機動部隊より分離南下」</ref><ref>[[#筑摩日誌(2)]]pp.7,16</ref>。「筑摩」は偵察機を発進させるが米艦隊を発見できず、米軍飛行艇の雷撃を回避したあと<ref>[[#筑摩日誌(1)]]p.5「10月23日2354、敵飛行艇の雷撃を受く。被害なし」</ref>、南雲部隊本隊に合流した。10月23日、連合艦隊は以下の警告を発した。 |
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#ここの数日来、敵空母の所在不明。敵機動部隊に対し、サンタクルーズ島方面、とくに警戒の要ありと認む。 |
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#24日、X区哨戒機および二式飛行艇はなるべく早く発進し、かつ許す限り長く哨戒のことに取り計らわれたし。 |
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午前8時45分、[[水上機母艦]]「[[千歳型水上機母艦|千歳]]」の偵察機から「ガダルカナル方面に敵戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦4隻急行中」との報告を受ける<ref>[[#橋本信号員]]236頁</ref>。日本軍機動部隊は23日正午に前衛艦隊を分離し、陸軍支援の態勢に入った。しかし日本陸軍から総攻撃延長の連絡があり、日本軍機動部隊は北上した。南雲機動部隊は駆逐艦「嵐」(第四駆逐隊司令艦)を東方に派遣し、26日まで北方に待機する旨を連合艦隊司令部に報告させた<ref>[[#雪風ハ沈マズ新装]]142頁</ref>。宇垣纏連合艦隊参謀長は第三艦隊の行動を優柔不断・独断的措置と解釈し、第二艦隊が孤立する事への懸念も示した<ref>[[#雪風ハ沈マズ新装]]143頁</ref>。24日午後6時44分、山本五十六連合艦隊長官は南下を命じ、日本軍機動部隊は再び南下した<ref>[[#高戸主計大尉]]26頁、[[#雪風ハ沈マズ新装]]143頁</ref>。南雲機動部隊の北上と南進の反復行動は[[草鹿龍之介]]参謀長の指示によるものだったが、[[南雲忠一]]長官は草鹿を呼び出すと今後の作戦方針について検討を行い、連合艦隊の命令に従って南下を決定した<ref>[[#海軍美談]]139-140頁</ref>。 |
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その夜、日本陸軍はガダルカナル島で総攻撃を行うが、重装備を持たず猖獗を極めるジャングルでの戦闘で指揮系統も混乱。兵力を増強し防御陣地で待ち構えていた[[アメリカ海兵隊|米軍海兵隊]]の反撃に遭い失敗に終わった<ref>[[#愛宕奮戦記]]209-211頁</ref>。にもかかわらず「右翼隊飛行場占領」との誤報が日本海軍に伝わり、艦隊は一気に沸き立った<ref>[[#機動部隊]]79頁、[[#愛宕日誌(4)]]p.4「2100飛行場占領」</ref>。その後、誤報とわかり落胆している<ref name="牧島炎304">牧島『炎の海』304頁</ref>。[[宇垣纏]]連合艦隊参謀長の「戦藻録」からも、日本陸軍の度重なる総攻撃予定変更に対する当惑と苛立ちがうかがえる<ref>[[#戦藻録(九版)]]pp.213-214</ref>。(詳しくは[[ガダルカナル島の戦い]]を参照) |
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日本軍の第六駆逐隊(暁、雷、電)と第四水雷戦隊は24日深夜から25日にかけてガダルカナル島泊地に突入し、直接艦砲を撃ち込んで日本陸軍を支援しようとした。第六駆逐隊は突入に成功し、連合軍輸送船団に若干の損害を与えた<ref>[[#戦藻録(九版)]]216頁、[[#愛宕日誌(3)]]p.10「一、第六駆逐隊はガ島沖に突入、敵三隻を撃沈す。一、由良爆弾命中」</ref>。だが続いて攻撃に向った第四水雷戦隊は、軽巡洋艦「[[由良 (軽巡洋艦)|由良]]」が米潜水艦「[[グランパス (SS-207)|グランパス]]」 (''USS Grampus, SS-207'')もしくは「[[スカルピン (SS-191)|スカルピン]]」 (''USS Sculpin, SS-191'')に雷撃されるなどして、戦果なく撃退されている<ref>木俣『日本水雷戦史』210頁</ref>。その後、「由良」は米軍機の空襲で沈没、護衛の[[秋月型駆逐艦|駆逐艦]]「[[秋月 (駆逐艦)|秋月]]」も中破した。日本軍小規模水上艦隊によるガダルカナル島泊地突入には、米軍機動部隊に対する陽動の意味合いもあったとされる<ref>[[#奇蹟の海から]]181頁</ref>。 |
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アメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「ホーネット」を中心とする艦隊(第16任務部隊および第17任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。 |
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== 戦闘経過 == |
== 戦闘経過 == |
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日本軍部隊は、[[南雲忠一]]中将が指揮する第三艦隊(第一航空戦隊:空母[[翔鶴 (空母)|翔鶴]] 、[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、軽空母[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]])、[[阿部弘毅]]少将が指揮する機動部隊前衛部隊(第十一戦隊:戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]])、本隊の後方にタンカー4隻・貨物船3隻・駆逐艦5隻の補給部隊、[[近藤信竹]]中将が指揮する前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)という4つの集団にわかれて行動していた。10月26日海戦当日の前衛部隊は、南雲の本隊から前方50-80浬に進出し、右から「筑摩」、「利根」、「比叡」、「霧島」、「長良」、「鈴谷」という横一列陣形で進んだ<ref>[[#吉田比叡]]79頁、[[#機動部隊]]85頁、[[#8戦隊日誌(4)]]p.5</ref>。 |
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[[Image:USS Enterprise-Bat Santa Cruz.jpg|thumb|right|250px|空襲下にある空母 エンタープライズ]] |
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10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが敵機動部隊の発見には至らなかった。一方米軍は哨戒中の[[PBY (航空機)|PBY]]飛行艇が日本軍機動部隊を発見した。キンケイド少将は1時間後、エンタープライズから索敵を兼ねて[[F4F|F4F]]戦闘機11機、[[SBD (航空機)|SBD]]急降下爆撃機12機、[[TBF|TBF]]雷撃機6機からなる攻撃隊を発進させた。その後の報告で日本軍機動部隊は北に反転した事が判明したがキンケイド少将は無線封止を維持する為攻撃隊にこの索敵情報を転送しなかった。攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機が失われた。また朝の着艦事故でF4F4機が失われておりエンタープライズの航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けた<ref>Eric M. Hammel, Carrier Strike, p. 174.</ref>。 |
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===両軍の索敵=== |
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10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが<ref>[[#11戦隊日誌(4)]]pp.3-4</ref>、米軍機動部隊の発見には至らなかった。対する米軍は哨戒中の[[PBY (航空機)|PBYカタリナ飛行艇]]が午前7時40分に日本軍機動部隊を発見した<ref name="主計大尉28">[[#高戸主計大尉]]28頁</ref>。日本軍前衛部隊も午前8時15分に、カタリナ飛行艇に発見されたと認識している<ref name="主計大尉28"/>。すると南雲中将は前衛部隊に反転北上を命じた。キンケイド少将は1時間後、「エンタープライズ」から索敵を兼ねて[[F4F (航空機)|F4Fワイルドキャット]]戦闘機16機、[[SBD (航空機)|SBDドーントレス]]急降下爆撃機12機、[[TBF (航空機)|TBFアヴェンジャー]]雷撃機7機からなる攻撃隊を発進させた<ref name="big上227">[[#BIG E上]]227頁</ref>。その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転した事が判明したが、キンケイド少将は無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。米軍攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず、燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機(『THE BIG E』では7機)を失った<ref name="big上227"/>。また朝の着艦事故でF4F4機が失われており「エンタープライズ」の航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けている<ref>Eric M. Hammel, Carrier Strike, p. 174.</ref>。 |
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午前9時、[[山本五十六]]連合艦隊長官は前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)の航空兵力で、ガダルカナル島陸軍陣地・米艦隊の攻撃を命じた<ref name="主計大尉28"/><ref>[[#機動部隊]]80頁</ref>。これを受けて空母「隼鷹」から発進した零戦12機、九九艦爆12機がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を爆撃し<ref>[[#隼鷹飛行調書(2)]]pp.15-16</ref>、石油タンクの炎上を確認した<ref>「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「飛行場及び敵陣地を攻撃し相当の損害を与えたり、我が方被害なし」、[[#山川艦爆隊]]130-131頁</ref>。午前10時、前衛部隊索敵機が「米軍戦艦2-3、防空巡洋艦4、巡洋艦1、駆逐艦12、ツラギより方位160度、170マイル」を報じた<ref>[[#戦藻録(九版)]]217頁、[[#高戸主計大尉]]29頁、[[#橋本信号員]]238頁</ref>。南雲機動部隊への連絡は午前11時頃である<ref name="牧島炎304"/>。19時18分、連合艦隊電令作第354号は『陸軍は今夜19時、ガ島突入の予定にして、26日、敵艦隊はガ島南東海面に出現の算大なり。連合艦隊は26日敵艦隊を補足撃滅せんとす』と伝える<ref>[[#高戸主計大尉]]29頁</ref>。この電令の中で山本長官は日本軍基地航空隊も米艦隊を攻撃するよう求めているが<ref>[[#11戦隊日誌(4)]]p.24</ref>、実際の海戦は機動部隊と機動部隊の正面衝突となり、基地航空隊は全く関与しなかった<ref>[[#戦藻録(九版)]]219頁</ref>。第二航空戦隊参謀の奥宮によれば、日本軍は「近くソロモン方面で大海空戦が行われる。米国民に良きプレゼントを送る」という米軍宣伝放送を傍受し、アメリカ海軍記念日に米軍が大規模反撃に出る可能性を思案していたという<ref>[[#機動部隊]]84頁、牧島『炎の海』304頁</ref>。 |
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10月26日、[[南雲忠一]]中将の機動部隊本隊は午前0時30-50分に米軍飛行艇から爆撃を受け、「瑞鶴」の至近距離に爆弾が落下した<ref name="淵田機動86">[[#機動部隊]]86-87頁、[[#草鹿回想]]174頁、[[#橋本信号員]]239頁</ref>。米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した南雲機動部隊はガダルカナル島北東460km地点で反転北上する<ref>[[#機動部隊]]86-87頁、[[#海軍美談]]145頁、[[#11戦隊日誌(4)]]p.5</ref>。そして黎明から二段索敵を開始した<ref name="淵田機動86"/>。レーダーがないと夜間は索敵できないため、夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵、夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。<!--デメリットとして索敵に使用する航空機が二倍(二段)になり、攻撃に振り分ける航空機が減る場合がある。また、時間差をあけて索敵に出せば収容するためにかかる時間も増える。-->日本軍前進部隊(第二艦隊)からも、巡洋艦「妙高」、「高雄」、「摩耶」、「五十鈴」から[[零式水上偵察機]]や[[九四式水上偵察機]]が発進し、索敵にあたった<ref>[[#愛宕奮戦記]]213頁、[[#愛宕日誌(4)]]p.6</ref>。一方米軍も、空母「エンタープライズ」からドーントレス16機が発進し、2機ずつのペアになって索敵に向かった<ref name="big上229">[[#BIG E上]]229頁</ref>。 |
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===両軍の攻撃隊発進=== |
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日の出は午前3時45分である<ref>[[#高戸主計大尉]]30頁</ref>。午前4時50分、日本軍翔鶴四番索敵機はアメリカ軍機動部隊を発見し「敵空母サラトガ型1、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦16、針路北西」を報告した<ref>[[#機動部隊]]86-87頁、[[#橋本信号員]]240頁</ref>。日本軍は米軍機動部隊戦力を空母3隻と判断した<ref>[[#戦藻録(九版)]]218頁、[[#11戦隊日誌(4)]]p.6</ref>。午前5時30分頃、第一次攻撃隊として旗艦「[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]」から24機([[村田重治]]少佐指揮、[[九七式艦上攻撃機]]20機、[[零式艦上戦闘機]]4機)が発進<ref name="翔鶴調書三14">[[#翔鶴飛行調書(3)]]pp.14-15</ref>、「[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]」から([[九九式艦上爆撃機]]21機、[[零式艦上戦闘機]]8機)<ref>[[#瑞鶴飛行調書(4)]]pp.6-7</ref>、「[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]」から(九九艦爆1機、零戦9機)<ref name="瑞鳳調書弐19">[[#瑞鳳飛行調書(2)]]pp.19-20</ref>、三艦合計62機が発進<ref>[[#機動部隊]]88頁、[[#橋本信号員]]240頁</ref>。続いて第2次攻撃隊として44機(九七艦攻16機、九九艦爆19機、零戦9機)が発進、米機動部隊に向かった<ref>[[#機動部隊]]88頁、[[#橋本信号員]]241頁</ref>。このうち第2次攻撃隊は「翔鶴」のレーダーが米軍機の機影をとらえたため全機が揃うまで発進を調整せず<ref>[[#海軍美談]]150頁</ref>、まず「翔鶴」から([[関衛]]少佐・翔鶴飛行隊長:艦爆19、新郷少佐・翔鶴飛行隊長:零戦5)が発進し<ref name="翔鶴調書三16">[[#翔鶴飛行調書(3)]]pp.16-17</ref>、30分遅れた午前6時45分、「瑞鶴」から(今宿大尉・瑞鶴飛行隊長:艦攻16、零戦4)が発進した<ref>[[#機動部隊]]88頁、[[#瑞鶴飛行調書(4)]]pp.8-10</ref>。母艦上空直掩に零戦を配備したため、南雲部隊は攻撃隊に十分な数の護衛機をつけられなかった<ref>[[#機動部隊]]88頁</ref>。 |
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また米軍機動部隊発見の報告は日本軍前進部隊(第二艦隊)空母「[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]」にも伝えられ、前進部隊はガダルカナル島攻撃を中止<ref>「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「〇四五〇、KDB索敵機の敵大部隊を発見の報を得(中略)本隊は直ちに敵方に追撃、KDBと共に之を攻撃す」</ref>。米軍機動部隊の攻撃に向け、航空隊の発進準備がはじまった<ref>[[#山川艦爆隊]]133頁、[[#機動部隊]]89頁</ref>。[[近藤信竹]]中将は指揮下の第二航空戦隊を南雲機動部隊の指揮下に預けると<ref name="11戦隊日誌7">[[#11戦隊日誌(4)]]pp.7,12</ref>自身は米軍方向に南下し、同時に機動部隊前衛(第十一戦隊:戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]]等)を指揮下に入れ夜戦を挑む考えを各部隊に通達した<ref>[[#愛宕日誌(4)]]p.7「0828:第二航空戦隊(飛鷹欠)、親潮、黒潮をKDB指揮官の指揮下に入る(中略)残る前進部隊は本職之を率い敵方に進出」「1045:機動部隊前衛を本職の直接指揮下に入る」、[[#8戦隊日誌(4)]]p.13、[[#11戦隊日誌(4)]]pp.7,12</ref>。奥宮参謀は、最大速力26ノットの空母「隼鷹」が32ノットを発揮する近藤中将指揮の第四戦隊(重巡洋艦[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]])を追い越したと角田少将の闘志を賞賛している<ref name="淵田機動89">[[#機動部隊]]89頁</ref>。ただし、第二航空戦隊は近藤中将の命令により、午前9時15分に第二艦隊と分離しただけである<ref name="3戦隊日誌24">[[#3戦隊日誌(1)]]p.24</ref>。 |
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ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見した。第10爆撃隊は「フロート1つ」の日本軍水上偵察機とすれ違い、20分後に[[金剛型戦艦]]を発見した<ref name="big上229"/>。キンケイド少将は『戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦7隻、南緯8度10分、東経163度55分、針路北、速度20ノット』という報告を受け取る<ref name="big上230">[[#BIG E上]]230頁</ref>。まもなく、第10偵察隊隊長J・R・"バッキー"・リー少佐と僚機から『空母2隻、護衛艦、南緯7度5分、東経163度38分』(距離320km)の連絡が入った<ref name="big上230"/>。リー機と部下機は襲ってきた零戦3機を返り討ちにしたと主張し、2機とも生還した<ref name="big上231">[[#BIG E上]]231頁</ref>。日本軍機動部隊の位置をつかんだキンケイドは、直ちに攻撃隊発進を命令する。空母「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」から第1次攻撃隊29機(F4F8機、SBD15機、TBF6機)、空母「[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]」から第2次攻撃隊19機(F4F8機、SBD3機、TBF8機)<ref>[[#BIG E上]]236頁</ref>、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機(F4F7機、SBD9機、TBF9機)が発進した。 |
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南雲機動部隊から空母「翔鶴」の第二次攻撃隊の発艦準備が終了しかけたとき、「瑞鶴」より「発艦作業30分遅れる」と報告が来た。さらに、索敵中の米軍SBDドーントレス2機(バーニー・ストロング大尉機、チャールズ・アーヴィン少尉機)が彼らに全く気付いていない軽空母「[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]」に奇襲をかける<ref name="big上233">[[#BIG E上]]233頁</ref>。2機が投下した爆弾は「瑞鳳」第二次攻撃隊が発進準備中の[[飛行甲板]]を直撃した<ref>[[#機動部隊]]89頁、[[#橋本信号員]]241頁</ref>。日本軍にとって幸運なことに被弾箇所が最後部であったこと、被害艦が第二次攻撃隊を艦内に抱えていた「瑞鶴」でなかったため、艦載機の誘爆による[[ミッドウェー海戦]]の悪夢再現は避けられた<ref>[[#海軍美談]]150-151頁</ref>。しかし、これにより「瑞鳳」は発進可能だが着艦不能となり、戦線を離脱する<ref name="淵田機動89"/>。このため南雲長官は瑞鶴隊を置いて、翔鶴隊を発進させた。攻撃隊が発進すると「翔鶴」では被弾に備えて可燃物を全て捨てたが、この時、演芸会用の女着物とかつらが投げ込まれるのが目撃された<ref>牧島『炎の海』309頁</ref>。なお、ストロング機とアーヴィン機は日本軍の対空砲火と零戦の迎撃をふりきり、逆に計2機の零戦の撃墜を主張して生還している<ref name="big上233"/>。 |
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日本の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のホーネット隊とすれ違った。お互いに相手を視認しながら、両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごそうとする<ref>[[#電信員遺稿]]143-144頁</ref>。しかし、次にエンタープライズ隊とすれ違って間もなく瑞鳳零戦隊9機が反転し、エンタープライズ隊19機を追撃した<ref>[[#機動部隊]]94頁</ref>。攻撃隊右翼を飛んでいたF4F4機は一方的に奇襲を受けた。3機が撃墜され、1機は被弾し機銃と無線を破壊されて母艦「エンタープライズ」への帰投を余儀なくされた<ref name="big上241">[[#BIG E上]]241頁</ref>。また雷撃隊も指揮官機を含む2機を撃墜され、1機が不時着し、別の1機が被弾により攻撃を諦め母艦へ帰還した<ref>The Office of Navy Intelligence, The Battle of the Santa Cruz Islands, p.45.</ref><ref name="big上241"/>。エンタープライズ隊はF4F4機、SBD3機、TBF4機となったが、進撃を続けた<ref name="big上241"/>。一方瑞鳳隊(零戦9、艦爆1)は零戦2機が撃墜され、2機が行方不明、被弾大破2機、誘導の九九艦爆1機も帰投しなかった<ref>柳田邦男「零戦燃ゆ-飛翔篇」p.521、[[#瑞鳳飛行調書(4)]]p.19</ref>。 |
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===米空母被弾=== |
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[[ファイル:USS Enterprise-Bat Santa Cruz.jpg|thumb|right|250px|空襲下にある空母 エンタープライズ]] |
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[[ファイル:SantaCruzEVal.jpg|thumb|right|250px|爆撃を受ける「エンタープライズ」]] |
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6時55分、日本軍第1次攻撃隊は米艦隊を発見、「ホーネット」に攻撃を集中した。まず瑞鶴艦爆隊第二中隊が攻撃し、1発目の爆弾は至近弾となり、2発目は飛行甲板中央部に命中<ref name="otuka 176">ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、176ページ</ref>。さらにこの後爆弾2発が命中した<ref name="otuka 176"/>。続いて第一中隊と第三中隊が攻撃、爆弾は命中しなかったが被弾した佐藤兵曹長機がホーネットの煙突前部に突入し火災を生じさせた<ref name="otuka 176"/>。その後瑞鶴艦攻隊が攻撃を実施し、ホーネットの右舷の前部機械室と対空砲弾庫付近に魚雷が命中した<ref name="otuka 176"/>。被雷による浸水でホーネットは全動力を失い停止した<ref name="otuka 176"/>。 |
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<!--7時10分、1発目の爆弾が飛行甲板後部に命中、続いて被弾した艦爆1機が煙突を掠めて飛行甲板に激突した。搭載していた60キロ爆弾1発は煙突と信号艦橋に損傷を与え、もう一発の60キロ爆弾と機体は飛行甲板で爆発、付近は大火災となった。米軍の記録によると艦爆が搭載していた250キロ爆弾は不発である<ref>The Office of Navy Intelligence, p.57. </ref>。4発目の爆弾は甲板4層を貫いて内部で爆発、5発目は飛行甲板後部で炸裂し3メートルの穴を開け、6発目の爆弾は甲板3層を貫通して乗員食堂で炸裂した。最後に炎に包まれた艦攻1機が左舷前部高角砲座に突入した。7時15分、魚雷2本が機関室付近に命中し機関が停止、電力も絶たれたため消火ポンプが作動しなくなる。-->また付近にいた護衛艦艇も攻撃を受け、雷撃機1機は重巡「ペンサコラ」を攻撃したが魚雷は外れた。被弾した雷撃機は「ペンサコラ」に突入を試みたものの、艦首外側数メートルの海中に墜落した。また駆逐艦「アンダーソン」は雷撃機から機銃掃射を受けたものの目立った被害はなかった。 |
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日本軍攻撃隊は7時20分には引き上げ、海上では「ホーネット」が激しく炎上していた。ホーネットでは電気系統の全滅により消火ポンプが使用不能であったため消火器やバケツリレーによる消火作業が行われ、さらに駆逐艦モリス、ラッセル、マスティンによる消火作業の支援により8時ごろ<!---出典元では10時だが記事中の時刻と2時間のずれがあるようなので8時に修正。-->までにはほぼ消火に成功した<ref>ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180ページ</ref>。重巡洋艦ノーザンプトンが依然航行不能であったホーネットの曳航を開始したが、曳航策が切れ作業はやり直しとなった<ref>ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180-181ページ</ref>。日本軍第一次攻撃隊は「ホーネット」に重大な損傷を与えたものの村田少佐を含む艦攻10機、艦爆12機、零戦3機が失われ<ref name="翔鶴調書三14"/>、更に不時着により艦攻6機、艦爆5機、零戦2機が失われた。 |
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日本側第2次攻撃隊は、8時15分空母「エンタープライズ」および炎上漂流中の「ホーネット」を発見する。先に到着した翔鶴艦爆隊19機は無傷の「エンタープライズ」に攻撃を集中し2発の直撃弾を与えた。1発目の爆弾は、艦首から5メートルの飛行甲板に命中し爆弾はそのまま艦首上甲板を貫通して海面で炸裂、飛行甲板のドーントレス1機を海に吹き飛ばし、艦首付近を穴だらけにして小火災を発生させた<ref name="big上249">[[#BIG E上]]249頁</ref>。格納庫ではドーントレスが炎上し、整備兵は自軍の爆弾を海中に投棄した<ref name="big上249"/>。2発目の爆弾は、前部エレベータ後方3メートルの飛行甲板に命中し、3層を貫いて前部応急指揮所で炸裂した<ref name="big上249"/>。こちらの火災はひどく、火のついたガソリンが前部エレベーターの孔に流れ込んだほどである<ref>[[#BIG E上]]259頁</ref>。右舷3メートルの所には至近弾1発が落下し、舷側に損害を受けた。また艦爆隊が到着する直前の8時1分、不時着した「エンタープライズ」の雷撃機の救助に向かった駆逐艦「ポーター」に雷撃機から誤って発射された魚雷が命中した。「ポーター」は航行不能になり僚艦の砲撃により処分された。8時35分、遅れて発進した瑞鶴雷撃隊16機は「エンタープライズ」に魚雷を発射したが命中せず、炎に包まれた1機は駆逐艦「スミス」の2番砲塔に体当たりした。艦攻が搭載していた魚雷が爆発し、砲塔付近にあった弾薬が誘爆して大火災が発生した<ref name="big上255">[[#BIG E上]]255頁</ref>。しかし艦長の判断で付近を航行中の戦艦「サウスダコタ」に接近し、「サウスダコタ」の艦尾波で「スミス」は奇跡的に消火に成功した<ref>The Office of Navy Intelligence, p.65. </ref><ref name="big上255"/>。日本軍第2次攻撃隊は、「エンタープライズ」等に損害を与えたものの、艦攻9機、艦爆10機、零戦1機が未帰還になり、不時着水により艦攻1機、艦爆2機、零戦2機が失われた。 |
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26日、[[南雲忠一]]中将の第三艦隊は黎明から二段索敵を開始し、4時50分アメリカ軍機動部隊を発見した<ref>レーダーがないと夜間は索敵できないため、二段索敵は夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵して夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させる。<!--デメリットとして索敵に使用する航空機が二倍(二段)になり、攻撃に振り分ける航空機が減る場合がある。また、時間差をあけて索敵に出せば収容するためにかかる時間も増える。--></ref>。すぐさま第1次攻撃隊62機([[村田重治]]少佐指揮、艦攻20機、艦爆21機、零戦21機)、第2次攻撃隊44機(艦攻16機、艦爆19機、零戦9機)が発進、米機動部隊に向かった。ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見し空母「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」から第1次攻撃隊29機(F4F8機、SBD15機、TBF6機)、空母「[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]」から第2次攻撃隊19機(F4F8機、SBD3機、TBF8機)、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機(F4F7機、SBD9機、TBF9機)が発進した。 |
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===翔鶴被弾と日本軍の追撃=== |
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また、翔鶴の第二次攻撃隊の発艦準備が終了しかけたとき、瑞鶴より「発艦作業30分遅れる」と報告が来た。さらに運悪く突如、索敵していた米軍急降下爆撃機2機が襲いかかってきた。2機は「[[瑞鳳]]」に爆弾を投下し、第二次攻撃隊が発進準備中の[[飛行甲板]]を直撃した。しかし幸いにも直撃箇所が最後部であったため、艦載機の誘爆によるミッドウェイの悪夢の再現は避けられた。しかし、これにより「瑞鳳」は着艦が不能となり戦線を離脱する。このため南雲長官は瑞鶴隊を置いて、翔鶴隊を発進させた。 |
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[[ファイル:SantaCruzChikuma.jpg|thumb|right|250px|全速で回避する「筑摩」]] |
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[[File:USS South Dakota and jap torpedo plane-Bat Santa Cruz.jpg|thumb|right|250px|南太平洋海戦での戦艦サウスダコタ]] |
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日本軍南雲機動部隊では、午前7時18分にSBDドーントレス爆撃機15機を確認する<ref name="橋本栄光単242">[[#橋本信号員]]242頁</ref>。まず重巡洋艦「[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]]」が攻撃されたが、命中弾はなかった<ref name="橋本栄光単242"/>。ホーネット第1次攻撃隊は午前7時27分、日本機動部隊を発見する。直後に零戦9機からなる日本軍直掩隊が現れF4F2機が撃墜された。急降下爆撃隊15機は戦闘機の掩護なく進撃を続けたが、更に20機前後の零戦に襲われた。SBD2機が撃墜され、2機が被弾により母艦に帰投した。残る11機は南雲機動部隊の旗艦「翔鶴」を攻撃し、飛行甲板後部に450キロ爆弾4発命中という戦果を挙げる<ref>[[#海軍美談]]166-167頁、[[#橋本信号員]]242頁</ref>。「翔鶴」乗組員には6発命中と証言する者もおり、奥宮参謀の実物検分では5発命中だったという<ref>[[#機動部隊]]93頁</ref>。この攻撃で「翔鶴」では高角砲弾が誘爆するも、[[ミッドウェー海戦]]の時とは異なり航空機用燃料・弾薬誘爆を避けられたため、沈没には至らなかった<ref>[[#海軍美談]]168頁、牧島『炎の海』313頁</ref>。<!-- それでも上段格納庫甲板が爆圧で下段格納庫甲板に落下し<ref>[[#橋本信号員]]249頁</ref>、ボイラー1罐が給気孔より煙が入って使用不能・7罐運転となり最大速力31ノットに低下<ref name="橋本栄光単244">[[#橋本信号員]]244頁</ref>、3000トンを注水している<ref name="橋本栄光単246">[[#橋本信号員]]246頁</ref>。 速力低下と注水の確認がとれないため-->「翔鶴」は消火作業を行いつつ北上し、「瑞鳳」と共に戦場から避退した<ref>[[#橋本信号員]]244頁</ref>。「瑞鳳」から発進した零戦14機のうち、1機が撃墜され、1機が行方不明となった<ref>[[#瑞鳳飛行調書(2)]]p.17</ref>。一方、午前7時30分に「敵サラトガ型に魚雷命中、火災発生」、午前9時45分「敵空母1隻撃沈、1隻大破」等の誤報が入り、乗組員の士気が上がっている<ref>牧島『炎の海』315頁、[[#橋本信号員]]244頁</ref>。 |
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エンタープライズ隊およびホーネット第3次攻撃隊は日本空母を発見できなかった。特にエンタープライズ隊は瑞鳳零戦隊と空中戦をおこなったため燃料が不足しており、目の前の敵(前衛部隊)を攻撃するしかなかった<ref name="big上241"/>。3機のドーントレスは[[金剛型戦艦]]を攻撃し、二番砲塔と右舷中央に命中させたと主張する<ref name="big上242">[[#BIG E上]]242頁</ref>。実際に彼らが攻撃し大破させたのは、戦艦ではなく[[利根型重巡洋艦]]「[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]]」だった<ref>[[#8戦隊日誌(4)]]p.6</ref>。雷撃隊も重巡洋艦に攻撃をおこなったが、回避された<ref name="big上242"/>。最大発揮速力23ノットとなった「筑摩」は駆逐艦「谷風」、「浦風」に護衛されて退避した<ref>[[#筑摩日誌(1)]]p.37</ref>。 |
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[[Image:SantaCruzEVal.jpg|thumb|right|250px|爆撃を受ける「エンタープライズ」]][[Image:SantaCruzChikuma.jpg|thumb|right|250px|全速で回避する「筑摩」]][[Image:SantaCruzHornetDD.jpg|thumb|right|250px|駆逐艦に乗員を退艦させる「ホーネット」]] |
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日本の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のホーネット隊とすれ違った。お互いに相手を視認しながら、両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごした。しかし、次にエンタープライズ隊とすれ違って間もなく、瑞鳳零戦隊9機が反転し、エンタープライズ隊19機を追撃した。瑞鳳隊は太陽を背に巧みに攻撃を行ったためエンタープライズ隊は大きな被害を出した。攻撃隊右翼を飛んでいたF4F4機は一方的に奇襲を受け3機が撃墜され1機は被弾し機銃と無線を破壊された為母艦への帰投を余儀なくされた。また雷撃隊も指揮官機を含む2機を撃墜され他の2機も被弾により攻撃を諦めエンタープライズへ帰還した<ref>The Office of Navy Intelligence, The Battle of the Santa Cruz Islands, p.45.</ref>。一方瑞鳳隊は零戦2機が自爆、未帰還となり2機が行方不明になった<ref>柳田邦男「零戦燃ゆ-飛翔篇」p.521.</ref>。 |
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日本軍前進部隊(第二艦隊[[近藤信竹]]中将)に属していた[[角田覚治]]少将麾下の第二航空戦隊(空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]])は、航空戦の開始と共に[[南雲忠一]]中将の指揮下に入り<ref name="11戦隊日誌7"/>、続いて南雲部隊旗艦「翔鶴」の被弾と通信能力喪失により航空戦の指揮をまかされた<ref>[[#機動部隊]]93-94頁</ref>。まず午前7時に第1次攻撃隊29機(艦爆17機、零戦12機)を発進させた<ref>[[#隼鷹飛行調書(2)]]pp.20-22、[[#山川艦爆隊]]134-135頁、[[#機動部隊]]97頁</ref>。隼鷹第1次攻撃隊は、爆撃を受ける空母「翔鶴」や損傷した重巡洋艦「筑摩」の上空を通過し<ref>[[#山川艦爆隊]]136頁</ref>、午前8時40分ごろ米軍機動部隊を発見<ref>[[#山川艦爆隊]]137頁</ref>。午前9時15分に攻撃を開始する。雲高3500メートル雲底500メートルと視界が悪く、攻撃は分散され、また爆撃精度も悪化した<ref>[[#山川艦爆隊]]138頁</ref>。空母を狙おうとして果たせず、仕方なく護衛の戦艦や巡洋艦を爆撃した機もある<ref>[[#山川艦爆隊]]139頁</ref>。攻撃隊は「エンタープライズ」に至近弾1発を与え、右舷中央部の船体を60センチ陥没させ、若干の浸水が始まった<ref>[[#BIG E上]]262頁</ref>。戦艦「サウスダコタ」には4発の爆弾が投下され、1発が第一砲塔に命中する<ref>[[#山川艦爆隊]]140頁</ref>。艦長が軽傷を負い、付近の銃座に損害を与えたが、決定的打撃とはならなかった<ref name="ワシントン128">[[#ワシントン]]128頁</ref>。にも関わらず、動揺した士官が操舵系を無断で第2戦闘指揮所に切り換えたため数分間操艦不能となり、結果「サウスダコタ」は空母「エンタープライズ」に突進した<ref name="ワシントン128"/>。この時は「エンタープライズ」が4万トンの巨艦を回避し、大惨事をまぬかれた<ref name="big上265">[[#BIG E上]]265頁</ref>。また軽巡「サン・ファン」には6発の爆弾が投下され、内1発が艦尾に命中したが、船体を貫通して海中で爆発した<ref name="big上265"/>。「サン・ファン」は一時的に操舵不能となった<ref name="big上265"/>。隼鷹第1次攻撃隊は攻撃終了後、集合点に集まったところを先回りした米軍戦闘機に襲われ、艦爆9機が一挙に撃墜されたという<ref>[[#山川艦爆隊]]141-142頁</ref>。 |
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6時55分、日本軍第1次攻撃隊は米艦隊を発見、ホーネットに攻撃を集中した。7時10分、1発目の爆弾が飛行甲板後部に命中、続いて被弾した艦爆1機が煙突を掠めて飛行甲板に激突した。搭載していた60キロ爆弾1発は煙突と信号艦橋に損傷を与えもう一発の60キロ爆弾と機体は飛行甲板で爆発、付近は大火災となった(米軍の記録によると艦爆が搭載していた250キロ爆弾は不発)<ref>The Office of Navy Intelligence, p.57. </ref>。4発目の爆弾は甲板4層を貫いて内部で爆発、5発目は飛行甲板後部で炸裂し3メートルの穴を開け、6発目の爆弾は甲板3層を貫通して乗員食堂で炸裂した。最後に炎に包まれた艦攻1機が左舷前部高角砲座に突入した。7時15分、魚雷2本が機関室付近に命中し機関が停止、電力も絶たれたため消火ポンプが作動しなくなった。また付近にいた護衛艦艇も攻撃を受け雷撃機1機は重巡ペンサコラを攻撃したが魚雷は外れ、被弾した雷撃機はペンサコラに突入を試みたものの艦首外側数メートルの海中に墜落した。また駆逐艦アンダーソンは雷撃機から機銃掃射を受けたものの目立った被害はなかった。 |
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===米軍撤退=== |
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日本軍攻撃隊は7時20分には引き上げ、海上ではホーネットが激しく炎上していた。艦内では消火ポンプが使用不能になった為緊急に200名からなるバケツリレー隊を編成、付近にいた駆逐艦も消火ホースをホーネットに渡し消火作業を行った<ref>United States Navy, Hornet (CV-8) Action Report - October 30, 1942 (Santa Cruz Islands), p.4. </ref>。決死の消火作業により8時までには火災は鎮火し重巡ノーザンプトンがホーネットの曳航を行った。日本軍第一次攻撃隊はホーネットに重大な損傷を与えたものの艦攻10機、艦爆12機、零戦3機が失われ更に不時着により艦攻6機、艦爆5機、零戦2機が失われた。一方「ホーネット」の第1次攻撃隊は7時27分、日本機動部隊を発見、直後に零戦9機からなる日本軍直掩隊が現れF4F2機が撃墜された。急降下爆撃隊15機は戦闘機の掩護なく進撃を続けたが更に20機前後の零戦に襲われ2機が撃墜され2機が被弾により母艦に帰等した。残る11機は「翔鶴」を攻撃し450キロ爆弾4発を命中させ大破させた。「エンタープライズ」隊および「ホーネット」の第3次攻撃隊は日本空母を発見できず、前衛艦隊を攻撃、重巡「筑摩」に爆弾3発を命中させ大破させた。 |
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[[ファイル:SantaCruzHornetDD.jpg|thumb|right|250px|駆逐艦に乗員を退艦させる「ホーネット」]] |
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ホーネットの戦闘力喪失とエンタープライズ損傷の一方、日本軍には無傷の空母が残っているという状況でキンケイド少将は撤退を決め、マレー少将にホーネットの曳航作業継続を命じると第16任務部隊は南東へ退避をはじめた<ref>ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、189ページ</ref>。ノーザンプトンはより太い曳航索を用いて曳航を再開した<ref>ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、192ページ</ref>。 |
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一方日本軍は航空機に多大な損害を受けていたが、残存機をすべて投入して米艦隊の追撃を開始した。午前10時20分、[[山本五十六]]長官は第二艦隊に対しサンタクルーズ諸島北方の敵艦隊と、[[ガダルカナル島]]南方の敵戦艦部隊を同時攻撃するよう求めたが、日本軍に戦力を分ける余裕などなかった<ref>[[#11戦隊日誌(4)]]p.26「先遣部隊は其の大部分を以てサンタクルース諸島北方の敵艦隊を、一部を以ってガ島南方の敵戦艦を攻撃せよ」</ref>。午前11時13分、「隼鷹」から第2次攻撃隊(艦攻7機、零戦8機)が発進した<ref>[[#隼鷹飛行調書(2)]]p.2、[[#山川艦爆隊]]145-146頁</ref>。零戦のうち2機は瑞鶴所属機(白根大尉)、1機は瑞鳳所属機だった<ref>[[#隼鷹飛行調書(2)]]p.24、[[#山川艦爆隊]]145-146頁、[[#機動部隊]]101頁</ref>。この時の第二航空戦隊には、白根大尉の零戦だけではなく、被弾した瑞鶴艦攻が数機着艦している<ref>[[#機動部隊]]99-100頁</ref>。続いて11時15分に「瑞鶴」から残存機すべての艦爆2機、艦攻6機、零戦5機からなる第3次攻撃隊が発進<ref>[[#瑞鶴飛行調書(4)]]pp.11-12</ref>。艦攻6機のうち5機は「瑞鳳」所属機だった<ref>[[#瑞鳳飛行調書(2)]]pp.23-24、[[#瑞鶴飛行調書(4)]]p.12</ref>。彼らは索敵から帰還後被弾した「瑞鳳」に降りられず、「瑞鶴」に着艦していたのである。また「翔鶴」所属の零戦2、艦爆1も参加している<ref>[[#翔鶴飛行調書(3)]]p.17、[[#瑞鶴飛行調書(4)]]p.12</ref>。13時35分に「隼鷹」からこの日最後となる艦爆4機、零戦6機からなる隼鷹第3次攻撃隊が発進した<ref>[[#山川艦爆隊]]152頁、[[#隼鷹飛行調書(2)]]p.25</ref>。攻撃前、奥宮航空参謀が加藤中尉・艦爆隊先任将校に出撃を命じると、加藤は「またいくんですか」と仰天して立ち上がったという<ref>[[#機動部隊]]103頁</ref>。 |
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日本側第2次攻撃隊は、8時15分「エンタープライズ」および炎上漂流中の「ホーネット」を発見、先に到着した翔鶴艦爆隊19機は無傷の「エンタープライズ」に攻撃を集中し2発の直撃弾を与えた。1発目の爆弾は、艦首から5メートルの飛行甲板に命中し爆弾はそのまま艦首上甲板を貫通して海面で炸裂し、艦首付近を穴だらけにした。2発目の爆弾は、前部エレベータ後方3メートルの飛行甲板に命中し3層を貫いて前部応急指揮所で炸裂した。また右舷3メートルの所に至近弾1発が落下し舷側に損害を受けた。また艦爆隊が到着する直前の8時1分、不時着したエンタープライズの雷撃機の救助に向かった駆逐艦ポーターに雷撃機から誤って発射された魚雷が命中した。ポーターは航行不能になり僚艦の砲撃により処分された。8時35分、遅れて発進した瑞鶴の雷撃隊16機はエンタープライズに魚雷を発射したが命中せず炎に包まれた1機は駆逐艦スミスの2番砲塔に体当たりした。艦攻が搭載していた魚雷は爆発し砲塔付近にあった弾薬が誘爆を起こし大火災が発生した。しかし艦長の判断で付近を高速で航行中の戦艦サウスダコタに接近し、サウスダコタの艦尾波でスミスは奇跡的に消火に成功した<ref>The Office of Navy Intelligence, p.65. </ref>。日本軍第2次攻撃隊は、エンタープライズ等に損害を与えたものの艦攻9機、艦爆10機、零戦1機が未帰還になり不時着水により艦攻1機、艦爆2機、零戦2機が失われた。 |
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「隼鷹」の第2次攻撃隊は13時13分に戦場に到達し、硝煙で視界がぼやける中<ref>[[#空母雷撃隊]]252頁</ref>、空母「ホーネット」と同艦を曳航中の重巡「ノーザンプトン」を雷撃した。「ノーザンプトン」は曳航索を切って魚雷をすべて回避したが「ホーネット」には魚雷1本が命中、傾斜が14度に増大する。また電気系統の復旧も不可能となった<ref name="otuka 193">ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、193ページ</ref>。そのためホーネットのメーソン艦長は総員退艦準備を発令した<ref name="otuka 193"/>。隼鷹第2次攻撃隊は敵空母と重巡洋艦に魚雷命中を報告し、零戦2機が行方不明、3機が不時着、艦攻2機が撃墜、残る艦攻も全て被弾という損害を出した<ref>[[#山川艦爆隊]]145頁</ref>。1機の艦攻は魚雷を発射できず、「隼鷹」着艦寸前に魚雷を棄てている<ref>[[#空母雷撃隊]]259頁</ref>。 |
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第二艦隊と行動を共にしていた[[角田覚治]]少将麾下の第二航空戦隊(空母「[[隼鷹]]」基幹、[[飛鷹]]は機関故障のため不参加)は、7時45分第1次攻撃隊29機(艦爆17機、零戦12機)を発進させ、また第二艦隊の指揮下に入った。二航戦の攻撃隊は9時20分ごろエンタープライズ上空に到達したものの雲底が500メートルと極度に視界が悪く、攻撃は分散され、また爆撃精度も悪化した。しかし攻撃隊はエンタープライズに至近弾1発を与え船体を60センチ陥没させ内部数区画を破壊した。戦艦サウスダコタには4発の爆弾が投下され内1発が第一砲塔に命中、艦長を負傷させ付近の銃座に損害を与えたものの、決定的打撃とはならなかった。また軽巡サン・ファンには6発の爆弾が投下され内1発が艦尾に命中、爆弾は海中で炸裂し艦尾付近に大きな損害を与えた。 |
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数十分後、瑞鶴第3次攻撃隊が「ホーネット」を爆撃。まず艦爆2機による爆撃で1発が至近弾となり、それにより傾斜が20度となった<ref name="otuka 193"/>。ここに至って艦長は退艦命令を出した<ref name="otuka 193"/>。次いで艦攻隊が800キロ爆弾による水平爆撃を行い、1発が飛行甲板後端に命中。他の5発は至近距離に落下し、衝撃波により「ホーネット」に大きな損害を与えた。この時、重巡洋艦「鈴谷」索敵機が「ホーネット」がまだ沈没していないことを報告した<ref>[[#11戦隊日誌(4)]]p.14</ref>。15時10分、隼鷹第3次攻撃隊は漂流中の「ホーネット」を発見する。20分ほど「エンタープライズ」を捜索したが発見できず、「ホーネット」に目標として爆撃を開始した<ref>[[#山川艦爆隊]]148頁</ref>。爆弾1発が命中し、「ホーネット」は炎上しつつ右舷に傾斜した。隼鷹第3次攻撃隊は爆弾4発命中を記録し、全機が帰還している<ref>[[#山川艦爆隊]]152頁</ref>。近藤中将の前進部隊(第二艦隊)は米軍機動部隊に水上戦闘を挑むため、追撃戦に移った<ref>[[#愛宕奮戦記]]215頁</ref>。午後2時19分には第十一戦隊(比叡、霧島)が第二艦隊に合流している<ref name="3戦隊日誌24"/>。 |
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日本軍攻撃隊の波状攻撃を受け大きな損害を受けたキンケイド少将は撤退を決意した。9時30分、マレー少将にホーネットの救援を指示し、エンタープライズを主軸とした本隊は撤退を開始した。一方日本軍は航空機に多大な損害を受けていたが、残存機をすべて投入して米艦隊の追撃を開始した。11時、隼鷹から第2次攻撃隊(艦攻9機、零戦8機)が発進、続いて11時15分に瑞鶴から残存機すべての艦爆2機、艦攻6機、零戦5機からなる第3次攻撃隊が発進し、1時30分に隼鷹からこの日最後となる艦爆4機、零戦6機からなる第3次攻撃隊が発進した。隼鷹の第2次攻撃隊は1時に戦場に到達し、ホーネットとホーネットを曳航中の重巡ノーザンプトンを雷撃した。ノーザンプトンは曳航索を切って魚雷をすべて回避したがホーネットには魚雷1本が命中、傾斜が14度に増大し遂に退艦命令が発令された。40分後、瑞鶴から発進した第3次攻撃隊がホーネットを爆撃。艦攻隊は800キロ爆弾による水平爆撃を行い1発が飛行甲板後端に命中、他の5発は至近距離に落下し、衝撃波によりホーネットに大きな損害を与えた。3時10分、隼鷹第3次攻撃隊は漂流中のホーネットを爆撃、1発を命中させた。 |
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米軍はホーネットから総員を退艦させると駆逐艦マスティンに |
米軍は「ホーネット」から総員を退艦させると、駆逐艦「マスティン」に大破した空母の魚雷処分を命令。「マスティン」からは搭載魚雷すべての8発の魚雷が発射されたが3本しか命中しなかった。代わって攻撃を行った「アンダーソン」は6発の魚雷を命中させたが「ホーネット」の傾斜角、喫水はほとんど変わらず、米軍の報告書によると『駆逐艦による魚雷攻撃の結果にはとても失望した。駆逐艦の攻撃はホーネットに殆どダメージを与えられなかった』とある<ref>Ibid, p.73. </ref>。魚雷を使い果たした両艦は12.7cm砲弾300発を撃ち込んだが「ホーネット」は沈まず、日本軍索敵機に発見されたため急いで現場海域から離脱した。日本軍前進部隊は午後7時47分に傾斜炎上する「ホーネット」を発見<ref>[[#愛宕日誌(4)]]p.42「敵空母艦影を左38度33kmに認む」</ref>。さらに重巡「[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]」の水上偵察機が照明弾を投下して「マスティン」と「アンダーソン」を追跡したが<ref>[[#愛宕日誌(4)]]p.4「2003:摩耶飛行機吊光投弾2を敵駆逐艦上に投下」</ref>、全速で逃走する駆逐艦の補足は難しく、近藤艦隊は追跡を諦めて「ホーネット」の傍に戻った<ref name="愛宕奮戦216">[[#愛宕奮戦記]]216頁</ref>。 |
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連合艦隊司令部は[[ドーリットル空襲]]で日本に衝撃を与えた「ホーネット」を捕獲しようと試み、「事情許さば、[[拿捕]]曳航されたし」と前進部隊に迫った<ref>[[#戦藻録(九版)]]219頁</ref>。だが「ホーネット」は火災と浸水でひどく損傷しており、曳航は不可能だった。「鉄の船があんなによく燃えるものか」という「[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]」乗組員の感想が残っている<ref name="愛宕奮戦216"/>。第一〇駆逐隊の「[[秋雲 (駆逐艦)|秋雲]]」「[[巻雲 (夕雲型駆逐艦)|巻雲]]」は魚雷4本を発射し「ホーネット」を雷撃処分した。合わせて魚雷16本、爆弾8発、12.7cm砲弾300発を喫した「ホーネット」は22時ついに南太平洋の波間に姿を消した。日本軍は救助した米軍兵士の尋問結果から、米軍の戦力と、沈んだ空母が「ホーネット」であることを知った<ref>[[#愛宕奮戦記]]217頁、[[#戦藻録(九版)]]222頁</ref>。 |
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==結果== |
==結果== |
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この海戦でアメリカ軍は「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」も大破したため、太平洋における稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた。しかし搭乗員の損害は少なく、「エンタープライズ」をヌーメア([[ニューカレドニア]])で応急修理を実施して[[第三次ソロモン海戦]]を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。 |
この海戦でアメリカ軍は「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」も大破したため、太平洋における稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた<ref name="淵田機動116">[[#機動部隊]]115-116頁</ref>。しかし搭乗員の損害は少なく、「エンタープライズ」をヌーメア([[ニューカレドニア]])で応急修理を実施して[[第三次ソロモン海戦]]を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。 |
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日本側はこの海戦において勝利を収めたが、[[艦上爆撃機|艦爆]]隊や[[艦上攻撃機|艦攻]]隊の損害が大きく、 |
日本側はこの海戦において勝利を収めたが、宇垣纏が翔鶴艦長や瑞鳳艦長に「敵ばかりやっつけて味方が何の損害のないと云う事はあり得ない」と諌めた通り、大きな損害を出した<ref>[[#戦藻録(九版)]]223頁</ref>。特に[[艦上爆撃機|艦爆]]隊や[[艦上攻撃機|艦攻]]隊の損害が大きく、[[村田重治]]少佐(戦死後大佐)をはじめとする[[真珠湾攻撃]]以来のベテラン搭乗員を多数失い、これ以上の攻勢に打って出ることが困難となった。奥宮によれば、4隻の空母から零戦90機、艦爆72機、艦攻54機が本海戦に参加し、残存使用可能機は零戦44、艦爆18、艦攻24だった<ref>[[#機動部隊]]143頁</ref>。「翔鶴」からは航空搭乗員54名が戦死している<ref>[[#電信員遺稿]]168頁</ref>。特に急降下爆撃機の損害が大きく、その後の母艦搭載機定数は艦爆の数を減らしている<ref>[[#機動部隊]]138頁</ref>。本海戦の損害を補うべく、日本海軍は教育部隊の教官を前線に出したり、飛行学生を卒業したばかりの士官を母艦に配属するなど、必死で穴埋めをする<ref>[[#機動部隊]]139頁</ref>。奥宮参謀は、新任搭乗員が本海戦前母艦航空隊の技量になる時期を1943年6月以降と推測したが<ref>[[#機動部隊]]142頁</ref>、その再建した航空兵力は[[い号作戦]]、[[ろ号作戦]]、[[ギルバート諸島沖航空戦]]、[[ギルバート・マーシャル諸島の戦い]]、[[トラック島空襲]]、[[マリアナ・パラオ諸島の戦い]]といった航空戦における大敗北で完全に消耗してしまい、終戦までその損害を補うことが出来なかった。 |
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また本海戦の目的の一つとも言うべき日本陸軍部隊の支援についても結果的には失敗している。[[山本五十六]]連合艦隊長官は「海軍の大戦果に呼応し、このさい一挙に敵を撃滅されたし」と陸軍に連絡したが、陸軍は予備兵力なしとして断ったという<ref name="牧島炎320">牧島『炎の海』320頁</ref>。日本海軍では下士官兵はおろか将校までが陸軍を批判していたのが目撃されている<ref name="牧島炎320"/>。 |
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10月27日夜、大本営海軍部は「米空母4隻、戦艦1隻、艦型不詳1隻いずれも撃沈。敵機200機以上を喪失せしむ。わが方の損害は空母2隻、巡洋艦1隻小破せるも、戦闘航海に支障なし。未帰還機40機、本海戦を南太平洋海戦と呼称す」と大勝利を宣伝した<ref>生出寿『戦艦「大和」最後の艦長』195頁</ref>。 |
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日本側は、「米空母3(エンタープライズ、ホーネット、サラトガ)、戦艦サウスダコタ、巡洋艦3隻(内1隻戦艦なるやもしれず)、駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦3隻大破、駆逐艦3隻大破または中破、航空機50以上撃墜」という戦果を挙げたと誤認した<ref>[[#戦藻録(九版)]]220頁、[[#8戦隊日誌(4)]]p.27、[[#11戦隊日誌(4)]]p.39</ref>。10月27日午後8時30分、大本営海軍部は『米空母3-4隻、戦艦1隻撃沈。大破戦艦1隻、巡洋艦1隻、艦種不明1隻。中破戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻。敵機200機以上を喪失せしむ。わが方の損害は空母2隻、巡洋艦1隻小破せるも、戦闘航海に支障なし。未帰還機40機、本海戦を南太平洋海戦と呼称す』と大勝利を宣伝した<ref>「週報 第317号」p.5、「写真週報 246号」p.4、[[#大和 艦長]]195頁、[[#愛宕奮戦記]]222頁、[[#山川艦爆隊]]151頁、[[#高戸主計大尉]]56頁、牧島『炎の海』319頁(各著、戦果・損害数に1隻程度の誤差があるが概ね同じ)</ref>。11月16日の[[大本営発表]]では『戦艦1隻、空母エンタープライズ、ホーネット撃沈、大型空母1、巡洋艦3、駆逐艦1大破、航空機200機撃墜』となっている<ref>[[#高戸主計大尉]]57頁</ref>。また「愛宕」が傍受した日本語のハワイ放送(日本向け宣伝放送)によれば『日本軍空母7隻、大巡5隻、駆逐艦数隻撃沈、米軍損害は駆逐艦1隻沈没』だったという<ref>[[#愛宕奮戦記]]225頁</ref>。 |
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日本軍大勝利の報道に対し、奥宮参謀は「空母1隻撃沈程度と推定しつつも、搭乗員の申告を黙認せざるを得なかった」と述べている<ref name="淵田機動116"/>。これは双方の機動部隊が広範囲に展開するため敵軍の全貌をつかみにくいという問題も絡んでおり<ref name="11戦隊日誌40">[[#11戦隊日誌(4)]]p.40</ref>、第十一戦隊は[[彗星 (航空機)#二式艦上偵察機|二式艦上偵察機]]のような高速偵察機の本格的な投入と、常に敵艦隊と接触し続けることの重要性を報告している<ref name="11戦隊日誌40"/>。二式艦上偵察機は[[彗星 (航空機)|彗星艦上爆撃機]]の偵察機型で、[[ミッドウェー海戦]]でも[[プロトタイプ]]の十三試艦上爆撃機が空母「[[蒼龍 (空母)|蒼龍]]」から発進して活躍している。本海戦では空母「翔鶴」から2機が発進したが、米軍機動部隊と違う方向を偵察してしまい、索敵に失敗したという<ref>別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』167頁</ref>。「翔鶴飛行機隊戦闘行動調書」には記録が残っていない。 |
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日本軍は軍令部や大本営を含めて本海戦で大勝利を収めたと信じ、ガダルカナル島の戦いに勝利するのも目前だと考えた<ref>[[#吉田比叡]]186頁</ref>。そこで陸軍第三十八師団を輸送船11隻に分乗させ、ガダルカナル島へ強行輸送する作戦を立案する。日本軍の作戦を察知した米軍は、空母「[[エンタープライズ (空母)|エンタープライズ]]」に応急修理を施して戦線に復帰させ、さらに[[大和型戦艦]]に匹敵する戦艦「[[サウスダコタ (戦艦)|サウスダコタ]]」、「[[ワシントン (戦艦)|ワシントン]]」をガダルカナル島周辺海域に投入した。こうしてガダルカナル島へ向かう日本軍艦隊との間に[[第三次ソロモン海戦]]が発生し、[[アイアンボトム・サウンド|鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)]]に多数の両軍艦艇が沈むことになる。 |
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==人物像== |
==人物像== |
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攻撃を命じる際、角田少将の意を受けて「隼鷹」飛行長が発した「敵の位置は、まだ飛行隊の行動範囲外であるが、本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という命令は、彼の猛将ぶりを示すものとして伝説になっている。更に、炎上中の「ホーネット」に向かった攻撃隊を、無傷の「エンタープライズ」が発見されるや即座に攻撃目標の変更を命じるなど、柔軟にして即断即決の指揮は、高く評価されている。<!--角田司令と[[ハルゼー]]はともに「[[見敵必戦]]」がモットーであり、奇しくも日米の闘将が相搏つ一戦であった。(追記:角田は一介の戦隊司令官、ハルゼーは南太平洋軍の総指揮官であり、本海戦で直接やりあったわけでもないので、ここで両者を比較するのは妥当ではないと思います)--> |
攻撃を命じる際、角田少将の意を受けて空母「隼鷹」の崎長飛行長が発した「敵の位置は、まだ飛行隊の行動範囲外であるが、本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という命令は<ref>[[#山川艦爆隊]]134頁</ref>、彼の猛将ぶりを示すものとして伝説になっている。更に、炎上中の空母「ホーネット」に向かった攻撃隊を、無傷の「エンタープライズ」が発見されるや即座に攻撃目標の変更を命じるなど、柔軟にして即断即決の指揮は、高く評価されている。[[奥宮正武]]第二航空戦隊参謀は、日本軍水上艦艇(近藤中将)の追撃は及び腰で「水上部隊にも角田がいれば」と述べている<ref>[[#機動部隊]]109-110頁</ref>。<!--角田司令と[[ハルゼー]]はともに「[[見敵必戦]]」がモットーであり、奇しくも日米の闘将が相搏つ一戦であった。(追記:角田は一介の戦隊司令官、ハルゼーは南太平洋軍の総指揮官であり、本海戦で直接やりあったわけでもないので、ここで両者を比較するのは妥当ではないと思います)--> |
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一方で[[南雲忠一]]中将は、[[ミッドウェー海戦]]以降、数少なくなった空母を危険にさらすことを恐れ、敵の索敵機に発見されては避退の為に反転を繰り返すといった慎重な行動がみられる。「瑞鳳」と「翔鶴」の損傷後は、残る「瑞鶴」の指揮を角田少将に委ねて戦場を後にした。この後に「エンタープライズ」を撃破し、先の攻撃で炎上していた「ホーネット」に「隼鷹」攻撃隊を送り込んで止めを刺したのは、指揮権を移譲された角田少将の指揮によるものである。南雲は戦場を離れると17時30分に第四駆逐艦隊([[有賀幸作]]司令)旗艦「[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]」に移乗し、近藤艦隊を追いかけている<ref>[[#続・海軍くろしお]]231-232頁、[[#橋本信号員]]246頁</ref>。なお、南雲の乗艦する空母「[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]」(最高速度34ノット)は損傷しつつも駆逐艦を追い抜いたという逸話が残っている。「翔鶴」は[[珊瑚海海戦]]で被弾した時にも、40ノットを発揮していた駆逐艦「[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]」が戦場を離脱する「翔鶴」に追いつけなかったという逸話を持っている<ref>大高勇治『第七駆逐隊海戦記』(光人社NF文庫、2010年)249頁</ref>。[[有馬正文]]翔鶴艦長は高角砲しか使えない「翔鶴」で米軍機動部隊を追撃することを意図したが、草鹿参謀長に「飛行甲板の大破した空母で戦えるのか」と一喝された<ref>[[#草鹿回想]]176頁</ref>。 |
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奥宮とは対照的に、[[草鹿龍之介]]参謀長と[[吉田俊雄]](当時海軍少佐、軍令部参謀)は、角田よりも[[近藤信竹]]中将を高く評価している<ref>[[#吉田比叡]]180-181頁、[[#草鹿回想]]169頁</ref>。たとえば近藤と南雲は同じ階級の中将だが、日本海軍の不文律(草鹿は"規定"と表現)では先任である近藤が南雲の指揮をとることになっていた<ref name="別歴全史実158">別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』158頁、[[#草鹿回想]]169頁</ref>。しかし近藤は第二次ソロモン海戦に続き、本海戦でも南雲機動部隊の行動に従い、機動部隊の行動に制約をあたえなかった<ref name="別歴全史実158"/>。また近藤は指揮下の第二航空戦隊(空母「隼鷹」)を第三艦隊に預けると、自身は前進部隊を率いて米機動部隊を追撃し、空母「ホーネット」を捕捉した。吉田は「武人らしい気魂を感じさせるのは、近藤の采配が最も圧巻である」と述べている<ref>[[#吉田比叡]]180-181頁</ref>。草鹿は「近藤の宏大な度量、人格は私の大きな力になった」と回想している<ref name="草鹿回想169">[[#草鹿回想]]169頁</ref>。また後方のトラック島に停泊中の戦艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」では、[[宇垣纏]]連合艦隊参謀長が「翔鶴」の損傷と第一航空戦隊の後退を知り、撤退の禁止と米艦隊攻撃続行を命じた<ref name="吉田比叡182">[[#吉田比叡]]182-183頁</ref>。するとある参謀が「敵と距離をとることは、むしろ敵をアウトレンジするのに有利」と進言し、その消極的な姿勢で宇垣を激怒させている<ref>[[#戦藻録(九版)]]218頁、[[#吉田比叡]]183頁</ref>。 |
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一方で南雲中将は、[[ミッドウェー海戦]]以降、数少なくなった空母を危険にさらすことを恐れ、敵の索敵機に発見されては避退の為に反転を繰り返すといった慎重な行動がみられる。「[[瑞鳳]]」と「[[翔鶴]]」の損傷後は、残る「[[瑞鶴]]」の指揮を角田少将に委ねて戦場を後にしている。この後に「エンタープライズ」を撃破し、先の攻撃で炎上していた「ホーネット」に止めを刺したのは指揮権を移譲された角田少将の指揮によるものである。なお、[[翔鶴]](最高速度34ノット)は損傷しつつも駆逐艦を追い抜いたという逸話が残っている。 |
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==参加艦艇== |
==参加艦艇== |
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===日本=== |
===日本=== |
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連合艦隊司令長官 [[山本五十六]]大将(<!--司令部・-->[[チューク島|トラック島]]) |
連合艦隊司令長官 :[[山本五十六]]大将 参謀長:[[宇垣纏]]少将(<!--司令部・-->[[チューク島|トラック島]]) |
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*第一戦隊 |
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**[[戦艦]]:[[大和 (戦艦)|大和]]、[[陸奥 (戦艦)|陸奥]] |
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====第二艦隊==== |
====第二艦隊==== |
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[[近藤信竹|近藤信竹中将]] |
司令官:[[近藤信竹|近藤信竹中将]] 参謀長:[[白石万隆]]少将 |
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*第三戦隊 |
*第三戦隊 司令官:[[栗田健男]]少将 |
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**[[戦艦]]:[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]] |
**[[戦艦]]:[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]] |
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*第四戦隊 |
*第四戦隊 |
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**[[重巡洋艦]]:愛宕、高雄 |
**[[重巡洋艦]]:[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]](第二艦隊旗艦)、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]] |
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*第五戦隊 |
*第五戦隊 司令官:[[大森仙太郎]]少将 |
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**重巡洋艦:妙高、摩耶 |
**重巡洋艦:[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]] |
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*第二航空戦隊 司令官:[[角田覚治|角田覚治少将]] |
*第二航空戦隊 司令官:[[角田覚治|角田覚治少将]] |
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**[[航空母艦]]:[[隼鷹]]―[[航空機|艦載航空機]]48機 |
**[[航空母艦]]:[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]―[[航空機|艦載航空機]]48機 |
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*第二水雷戦隊 司令官:[[田中頼三|田中頼三少将]] |
*第二水雷戦隊 司令官:[[田中頼三|田中頼三少将]] |
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**軽巡洋艦:[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]] |
**軽巡洋艦:[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]] |
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==== 第三艦隊 ==== |
==== 第三艦隊 ==== |
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[[南雲忠一|南雲忠一中将]] |
司令官:[[南雲忠一|南雲忠一中将]] 参謀長:[[草鹿龍之介]] |
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* 第一航空戦隊 |
* 第一航空戦隊 司令官:[[南雲忠一]]中将 |
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** 航空母艦:[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]] |
** 航空母艦:[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]] |
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* 第四駆逐隊 |
* 第四駆逐隊 司令官:[[有賀幸作]]大佐 |
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** [[駆逐艦]]:[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]、[[舞風 (駆逐艦)|舞風]] |
** [[駆逐艦]]:[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]、[[舞風 (駆逐艦)|舞風]] |
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* 第一六駆逐隊 |
* 第一六駆逐隊 司令官:[[荘司喜一郎]]大佐 |
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** 駆逐艦:[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[天津風 (駆逐艦)|天津風]]、[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]]、[[浜風 (駆逐艦)|浜風 |
** 駆逐艦:[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[天津風 (駆逐艦)|天津風]]、[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]]、[[浜風 (駆逐艦)|浜風]] |
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* 第一 |
* 第六一駆逐隊 司令官:[[則満宰次]]大佐 |
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** 駆逐艦:[[照月 (駆逐艦)|照月]] |
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* 第一一戦隊 司令官:[[阿部弘毅|阿部弘毅少将]] |
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** [[戦艦]]:[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]] |
** [[戦艦]]:[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]] |
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* 第七戦隊 |
* 第七戦隊 司令官:[[西村祥治]]少将 |
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** 重巡洋艦:[[鈴谷 (重巡洋艦)|鈴谷]]、[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]] |
** 重巡洋艦:[[鈴谷 (重巡洋艦)|鈴谷]]、[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]] |
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* 第八戦隊 |
* 第八戦隊 司令官:[[原忠一]]少将 |
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** 重巡洋艦:[[利根 (重巡洋艦)|利根]]、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]] |
** 重巡洋艦:[[利根 (重巡洋艦)|利根]]、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]] |
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* 第一〇戦隊 |
* 第一〇戦隊 司令官:[[木村進]]少将 |
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** 軽巡洋艦:長良 |
** 軽巡洋艦:長良 |
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* 第一〇駆逐隊 |
* 第一〇駆逐隊 司令官:[[阿部俊雄]]大佐 |
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** 駆逐艦:[[秋雲 (駆逐艦)|秋雲]]、[[風雲 (駆逐艦)|風雲]]、[[巻雲 (夕雲型駆逐艦)|巻雲]]、[[夕雲 (駆逐艦)|夕雲]] |
** 駆逐艦:[[秋雲 (駆逐艦)|秋雲]]、[[風雲 (駆逐艦)|風雲]]、[[巻雲 (夕雲型駆逐艦)|巻雲]]、[[夕雲 (駆逐艦)|夕雲]] |
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* 第一七駆逐隊 |
* 第一七駆逐隊 司令官:[[北村昌幸]]大佐 |
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** 駆逐艦:[[浦風 (駆逐艦)|浦風]]、[[磯風 (駆逐艦)|磯風]]、[[谷風 (駆逐艦)|谷風]] |
** 駆逐艦:[[浦風 (駆逐艦)|浦風]]、[[磯風 (駆逐艦)|磯風]]、[[谷風 (駆逐艦)|谷風]] |
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'''第17任務部隊''' |
'''第17任務部隊''' |
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*ジョージ・D・マレ |
*[[ジョージ・D・マレー]]少将 |
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*空母 「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」、航空機85機 (F4F 38機 SBD 31機 TBF 16機) |
*空母 「[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]」、航空機85機 (F4F 38機 SBD 31機 TBF 16機) |
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*稼動機は73機(F4F 33機、SBD 24機、TBF 16機) |
*稼動機は73機(F4F 33機、SBD 24機、TBF 16機) |
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*大破:重巡 「筑摩」 |
*大破:重巡 「筑摩」 |
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*中破:空母 「翔鶴」、軽空母 「瑞鳳」 |
*中破:空母 「翔鶴」、軽空母 「瑞鳳」 |
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*小破:駆逐艦 「秋月」「照月」 |
*小破:駆逐艦 「秋月」、「照月」(26日夜、大型機爆撃による) |
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*航空機損失:92機 |
*航空機損失:92機 |
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*航空機搭乗員戦死:148名 |
*航空機搭乗員戦死:148名 |
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*航空機搭乗員戦死:39名 |
*航空機搭乗員戦死:39名 |
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*艦船乗組員戦死:254名<ref>The Office of Navy Intelligence, p.67.</ref> |
*艦船乗組員戦死:254名<ref>The Office of Navy Intelligence, p.67.</ref> |
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==脚注== |
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==南太平洋海戦が描かれた作品== |
==南太平洋海戦が描かれた作品== |
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===書籍(ノンフィクション)=== |
===書籍(ノンフィクション)=== |
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*[[空母艦攻隊]] [[滝沢聖峰]]のコミックス [[ウェーク島]]攻略から[[南太平洋海戦]]までを[[九七式艦上攻撃機]]のペアを中心に描いている。 |
*[[空母艦攻隊]] [[滝沢聖峰]]のコミックス [[ウェーク島]]攻略から[[南太平洋海戦]]までを[[九七式艦上攻撃機]]のペアを中心に描いている。 |
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*[[豊田穣]]『{{small|悲劇の提督・南雲忠一中将}} 波まくらいくたびぞ』[[講談社]] |
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==脚注== |
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==参考文献== |
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===主要参考文献=== |
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* [http://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)] |
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**Ref.A06031047900「週報 第317号」(1942年11月4日号)「南太平洋海戦の戦果」 |
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**Ref.A06031084100「写真週報 246号」(1942年11月11日号)「反攻の敵艦隊撃滅」 |
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**Ref.A06031084300「写真週報 248号」(1942年11月25日号)「壮絶南太平洋海戦」 |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030051700|title=昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)|ref=11戦隊日誌(4)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030041700|title=昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)|ref=3戦隊日誌(1)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030749500|title=昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(1)|ref=筑摩日誌(1)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030749600|title=昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(2)|ref=筑摩日誌(2)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030048500|title=昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(4)|ref=8戦隊日誌(4)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030745600|title=昭和17年3月~ 軍艦愛宕戦闘詳報(2)|ref=愛宕詳報(2)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030744500|title=昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(3)|ref=愛宕日誌(3)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030744600|title=昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(4)|ref=愛宕日誌(4)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051577300|title=昭和16年12月~昭和18年11月 翔鶴飛行機隊戦闘行動調書(3)|ref=翔鶴飛行調書(3)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051577900|title=昭和16年12月~昭和18年4月 瑞鶴飛行機隊戦闘行動調書(4)|ref=瑞鶴飛行調書(4)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051583500|title=昭和17年6月~昭和18年1月 隼鷹飛行機隊戦闘行動調査(2)|ref=隼鷹飛行調書(2)}} |
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**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051580500|title=昭和17年4月~昭和17年12月 瑞鳳飛行機隊戦闘行動調書(2)|ref=瑞鳳飛行調書(2)}} |
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===参考文献=== |
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*{{Cite book|和書|author=[[宇垣纏]]著|coauthors=[[成瀬恭]]発行人|year=1968|title=戦藻録|publisher=原書房|ref=戦藻録(九版)}} |
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*{{Cite book|和書|author=草鹿龍之介|authorlink=草鹿龍之介|year=1979|title=連合艦隊参謀長の回想|publisher=光和堂|isbn=4-87538-039-9|ref=草鹿回想}} |
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*{{Cite book|和書|author=[[福地周夫]]|year=1982|title=続・海軍くろしお物語|publisher=光人社|isbn=4-7698-0179-3|ref=続・海軍くろしお}} 福地は翔鶴運用長として本海戦に参加。 |
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* {{Cite book|和書|author=[[橋本衛]]|year=1984|month=3|title=奇蹟の海から {{small|特型駆逐艦水兵物語}}|publisher=光人社|isbn=4-7698-0230-7|ref=奇蹟の海から}} 橋本は「雷」主砲発令所配置。 |
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*{{Cite book|和書|author=[[福地周夫]]|year=1985|title=海軍美談よもやま物語|publisher=光人社|isbn=4-4698-0287-0|ref=海軍美談}} |
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*{{Cite book|和書|author=吉田俊雄|authorlink=吉田俊雄|year=1985|title=戦艦比叡|publisher=朝日ソノラマ|isbn=4-257-17051-4|ref=吉田比叡}}<br />吉田は軍令部参謀。本海戦における陸軍と海軍の連携問題について言及。 |
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*{{Cite book|和書|author=山川新作|authorlink=山川新作|year=1985|title=空母艦爆隊 {{small|艦爆搭乗員死闘の記録}}|publisher=今日の話題社|isbn=4-87565-118-x|ref=山川艦爆隊}}<br />山川は「隼鷹」九九艦爆操縦者。真珠湾攻撃時「加賀」所属のベテラン。 |
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*{{Cite book|和書|author=[[イヴァン・ミュージカント]]著|coauthors=[[中村定]]訳|year=1988|title=戦艦ワシントン {{Small|米主力戦艦から見た太平洋戦争}}|publisher=光人社|isbn=|ref=ワシントン}} |
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*{{Cite book|和書|author=[[松田憲雄]]|year=1993|month=10|title=忘れ得ぬ「ト連送」 {{small|雷撃機電信員50年目の遺稿}}|publisher=光人社|isbn=4-7698-0663-9|ref=電信員遺稿}}<br/>松田は九七式艦攻電信員。「赤城」沈没後「翔鶴」配属。翔鶴第一次攻撃隊として本海戦に参加。 |
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* 安永弘『死闘の水偵隊』(朝日ソノラマ 1994)著者は「妙高」偵察操縦者。本海戦でも索敵任務にあたった。 |
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** 安永弘『サムライ索敵機 敵空母見ゆ! {{small|予科練パイロット3300時間の死闘}}』(光人社、2002)朝日ソノラマ文庫の改訂版。 |
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*{{Cite book|和書|author=生出寿|authorlink=生出寿|year=1996|title=戦艦「大和」最後の艦長 {{small|海上修羅の指揮官}}|publisher=光人社NF文庫|ref=大和 艦長}}<br/>[[有賀幸作]](第四駆逐隊司令官)から見た南太平洋海戦を描写。 |
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* 別冊歴史読本『第22(517)号 海軍機動部隊全史』(新人物往来社、1999年) ISBN 4-404-02722-2 |
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*{{Cite book|和書|author=高戸顕隆|authorlink=高戸顕隆|year=1999|title=海軍主計大尉の太平洋戦争 {{small|私記ソロモン海戦・大本営海軍報道部}}|publisher=光人社NF文庫|isbn=4-7698-2227-8|ref=高戸主計大尉}}<br/>高戸は駆逐艦「照月」主計長。南太平洋海戦を「照月」艦橋で体験。 |
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* 牧島貞一『炎の海 {{small|報道カメラマン空母と共に}}』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4-7698-2328-2<br />牧島は日映カメラマン。空母「翔鶴」に乗艦し、本海戦に参加する。 |
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*{{Cite book|和書|author=橋本廣|authorlink=橋本廣|year=2001|title=機動部隊の栄光 {{small|艦隊司令部信号員の太平洋海戦記}}|publisher=光人社|isbn=4-7698-1028-8|ref=橋本信号員}}<br/>橋本は司令部信号兵。南雲司令部の一員として「翔鶴」艦橋勤務。 |
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*{{Cite book|和書|author=金沢秀利|authorlink=金沢秀利|year=2002|title=空母雷撃隊 {{small|艦攻搭乗員の太平洋海空戦記}}|publisher=光人社|isbn=4-7698-1055-5|ref=空母雷撃隊}}<br/>金沢は元「飛龍」所属で、沈没後「飛鷹」艦攻搭乗員。本海戦では「隼鷹」第二次攻撃隊として出撃した。 |
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*{{Cite book|和書|author=[[豊田穣]]|coauthors=|year=2004|title=雪風ハ沈マズ {{small|強運駆逐艦栄光の生涯}}|publisher=光人社NF文庫新装版|isbn=978-4-7698-2027-7|ref=雪風ハ沈マズ新装}} |
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*{{Cite book|和書|author=エドワード・P・スタッフォード 著|coauthors=井原裕司 訳|year=2007|title=空母エンタープライズ {{small|THE BIG E}} 上巻|publisher=元就出版社|isbn=978-4-86106-157-8|ref=BIG E上}} |
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*{{Cite book|和書|author=小板橋孝策|authorlink=小板橋孝策|year=2008|title=「愛宕」奮戦記 {{small|旗艦乗組員の見たソロモン海戦}}|publisher=光人社NF文庫|isbn=978-4-7698-2560-9|ref=愛宕奮戦記}}<br />高橋武士(艦長伝令、艦橋勤務)の戦時日記を元に小板橋が編集。小板橋は「愛宕」沈没時の航海士。 |
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*大塚好古、「ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦」『歴史群像太平洋戦史シリーズ59 ソロモンの激闘 ガダルカナル島争奪を巡る日米機動部隊総力戦の全貌』、学習研究社、2007年、ISBN 978-4-05-604823-0 |
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*{{Cite book|和書|author=淵田美津雄|authorlink=淵田美津雄|coauthors=[[奥宮正武]]||year=2008|title=機動部隊|publisher=学研M文庫|isbn=978-4-05-901222-1|ref=機動部隊}} |
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==関連項目== |
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{{太平洋戦争・詳細}} |
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[[cs:Bitva u ostrovů Santa Cruz]] |
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[[de:Schlacht bei den Santa-Cruz-Inseln]] |
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[[el:Αεροναυμαχία της Σάντα Κρουζ]] |
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[[en:Battle of the Santa Cruz Islands]] |
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[[es:Batalla de las Islas Santa Cruz]] |
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2011年8月30日 (火) 14:26時点における版
南太平洋海戦 | |
---|---|
攻撃を受けるアメリカ海軍の空母「ホーネット」 | |
戦争:太平洋戦争 / 大東亜戦争 | |
年月日:1942年10月26日 | |
場所:ソロモン諸島、サンタ・クルーズ諸島沖 | |
結果:日本軍の戦術的勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
山本五十六大将 南雲忠一中将 近藤信竹中将 |
ウィリアム・F・ハルゼー中将 トーマス・C・キンケイド少将 ジョージ・D・マレー少将 |
戦力 | |
空母4 戦艦4 重巡洋艦8 軽巡洋艦2 駆逐艦22 |
空母2 戦艦1 重巡洋艦4 軽巡洋艦5 駆逐艦14 |
損害 | |
重巡1大破 空母2中破 駆逐艦2小破 |
空母1、駆逐艦1沈没 駆逐艦1大破 空母1中破 戦艦1、軽巡洋艦1小破 |
南太平洋海戦(みなみたいへいようかいせん)とは、1942年10月26日にソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦を示す[1]。アメリカ軍側の呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)。日本軍は米空母1隻を撃沈、米空母1隻を大破させたが、日本空母2隻も大破・中破し、多数の航空機と搭乗員を失った。
背景
1942年6月のミッドウェー海戦で日本軍主力空母4隻(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)を撃沈して勝利した米軍は、2ヵ月後の8月7日ウォッチタワー作戦を発動し、米軍海兵隊がツラギ島・ガダルカナル島を占領した。日本軍は三川軍一中将率いる第八艦隊と海軍陸戦隊に米軍撃退を命じ、第一次ソロモン海戦で勝利を収めた。だが測量艦「宗谷」(後の南極観測船)以下海軍陸戦隊輸送船団はツラギ島に到着できず、米海兵隊の早期撃退企図は頓挫した。さらにガダルカナル島のヘンダーソン飛行場から発進した米軍機により、同島へ向かう日本軍増援輸送船団は次々に撃沈・撃退され、日本海軍艦艇の行動にも制約を与えた。
日本海軍連合艦隊は日本陸軍第17軍が予定していたガダルカナル島での総攻撃支援のために近藤信竹中将指揮下の第二艦隊(第三戦隊:戦艦金剛、榛名、第二航空戦隊:空母隼鷹、飛鷹)および南雲忠一中将指揮下の第三艦隊(第一航空戦隊:空母瑞鶴、翔鶴、龍驤、瑞鳳等)を派遣する。第一航空戦隊と第二航空戦隊にはミッドウェー海戦で乗艦を失ったパイロット達も多数着任しており、士気旺盛だったという[2]。
8月24日、南雲機動部隊は米軍第11・16任務部隊と第二次ソロモン海戦(東部ソロモン海戦)を戦った。この戦いで米軍は日本軍軽空母「龍驤」を撃沈し、日本軍の輸送船団増援を阻止して勝利を収めた。その一方、空母「エンタープライズ」が損傷を受け、8月31日に日本軍潜水艦の攻撃で空母「サラトガ」が大破本国回航、9月15日には空母「ワスプ」を撃沈され、作戦行動をとれる空母は「ホーネット」のみとなった。アメリカ軍は「エンタープライズ」と「サラトガ」を真珠湾に帰港させ、急ピッチで修理を行い、「エンタープライズ」は10月中旬までに対空火砲の強化を含む修理が完了した[3]。同艦は10月24日にエスピリッツサント島から北東約500kmの地点で「ホーネット」以下と合流した。また、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、南西地区の司令官をゴームレー中将からハルゼー中将に交代させた。ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼーは着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。
10月9日、日本軍第二航空戦隊(空母隼鷹、飛鷹)がトラック泊地に進出する[4]。日本陸軍第十七軍は、10月13日~14日にかけて行われた挺身隊(栗田健男少将:戦艦金剛、榛名)によるヘンダーソン飛行場への艦砲射撃の成功を受けて総攻撃を企図したが、無事だった飛行場から飛来した米軍攻撃機により日本軍の増援輸送船団6隻が全滅した[5]。総攻撃実施日(Y日)は10月21日から23日、24日と延長された。10月15日、重巡洋艦「妙高」「摩耶」が飛行場を砲撃する。10月17日、第二航空戦隊は零式艦上戦闘機18、九七式艦上攻撃機18機の攻撃隊をヘンダーソン飛行場とルンガ泊地に送り込んだが、米軍戦闘機F4Fワイルドキャットの迎撃により「隼鷹」は艦攻8機(不時着2)[6]、「飛鷹」は艦攻2機(1機不時着)、零戦1機(不時着)を失った[7]。10月19日、連合艦隊は電令作第346号により、ガダルカナル島周辺海域の索敵と、敵艦隊の撃滅を命じた[8]。翌20日夜、第二航空戦隊の旗艦「飛鷹」で火災と機関故障が発生し、速力低下により航空戦続行が不可能となる[9][10]。22日、「飛鷹」は旗艦任務と搭載機を姉妹艦「隼鷹」に移し、トラック泊地に帰還した[11]。日本軍は米軍と戦う前から空母1隻を事実上失ったことになる[12]。一方で、10月17日のガダルカナル島飛行場攻撃で消耗していた「隼鷹」の戦力は回復した[13]。また「飛鷹」の零戦16、九九艦爆17がラバウルに移動した[14]。22日夜、原忠一少将率いる利根型重巡洋艦「筑摩」と秋月型駆逐艦「照月」が牽制部隊となり、日本軍機動部隊から分離して南方200浬(370km)地点に進出した[15]。利根型重巡洋艦は水上偵察機5-6機を搭載する偵察能力に優れた艦種、秋月型駆逐艦は10cm連装高角砲を装備した防空駆逐艦である。なお草鹿龍之介や奥宮参謀の著作では、南下した艦を「利根」としているが[16]、戦闘詳報では「筑摩」である[17][18]。「筑摩」は偵察機を発進させるが米艦隊を発見できず、米軍飛行艇の雷撃を回避したあと[19]、南雲部隊本隊に合流した。10月23日、連合艦隊は以下の警告を発した。
- ここの数日来、敵空母の所在不明。敵機動部隊に対し、サンタクルーズ島方面、とくに警戒の要ありと認む。
- 24日、X区哨戒機および二式飛行艇はなるべく早く発進し、かつ許す限り長く哨戒のことに取り計らわれたし。
午前8時45分、水上機母艦「千歳」の偵察機から「ガダルカナル方面に敵戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦4隻急行中」との報告を受ける[20]。日本軍機動部隊は23日正午に前衛艦隊を分離し、陸軍支援の態勢に入った。しかし日本陸軍から総攻撃延長の連絡があり、日本軍機動部隊は北上した。南雲機動部隊は駆逐艦「嵐」(第四駆逐隊司令艦)を東方に派遣し、26日まで北方に待機する旨を連合艦隊司令部に報告させた[21]。宇垣纏連合艦隊参謀長は第三艦隊の行動を優柔不断・独断的措置と解釈し、第二艦隊が孤立する事への懸念も示した[22]。24日午後6時44分、山本五十六連合艦隊長官は南下を命じ、日本軍機動部隊は再び南下した[23]。南雲機動部隊の北上と南進の反復行動は草鹿龍之介参謀長の指示によるものだったが、南雲忠一長官は草鹿を呼び出すと今後の作戦方針について検討を行い、連合艦隊の命令に従って南下を決定した[24]。
その夜、日本陸軍はガダルカナル島で総攻撃を行うが、重装備を持たず猖獗を極めるジャングルでの戦闘で指揮系統も混乱。兵力を増強し防御陣地で待ち構えていた米軍海兵隊の反撃に遭い失敗に終わった[25]。にもかかわらず「右翼隊飛行場占領」との誤報が日本海軍に伝わり、艦隊は一気に沸き立った[26]。その後、誤報とわかり落胆している[27]。宇垣纏連合艦隊参謀長の「戦藻録」からも、日本陸軍の度重なる総攻撃予定変更に対する当惑と苛立ちがうかがえる[28]。(詳しくはガダルカナル島の戦いを参照)
日本軍の第六駆逐隊(暁、雷、電)と第四水雷戦隊は24日深夜から25日にかけてガダルカナル島泊地に突入し、直接艦砲を撃ち込んで日本陸軍を支援しようとした。第六駆逐隊は突入に成功し、連合軍輸送船団に若干の損害を与えた[29]。だが続いて攻撃に向った第四水雷戦隊は、軽巡洋艦「由良」が米潜水艦「グランパス」 (USS Grampus, SS-207)もしくは「スカルピン」 (USS Sculpin, SS-191)に雷撃されるなどして、戦果なく撃退されている[30]。その後、「由良」は米軍機の空襲で沈没、護衛の駆逐艦「秋月」も中破した。日本軍小規模水上艦隊によるガダルカナル島泊地突入には、米軍機動部隊に対する陽動の意味合いもあったとされる[31]。
アメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「ホーネット」を中心とする艦隊(第16任務部隊および第17任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。
戦闘経過
日本軍部隊は、南雲忠一中将が指揮する第三艦隊(第一航空戦隊:空母翔鶴 、瑞鶴、軽空母瑞鳳)、阿部弘毅少将が指揮する機動部隊前衛部隊(第十一戦隊:戦艦比叡、霧島)、本隊の後方にタンカー4隻・貨物船3隻・駆逐艦5隻の補給部隊、近藤信竹中将が指揮する前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)という4つの集団にわかれて行動していた。10月26日海戦当日の前衛部隊は、南雲の本隊から前方50-80浬に進出し、右から「筑摩」、「利根」、「比叡」、「霧島」、「長良」、「鈴谷」という横一列陣形で進んだ[32]。
両軍の索敵
10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが[33]、米軍機動部隊の発見には至らなかった。対する米軍は哨戒中のPBYカタリナ飛行艇が午前7時40分に日本軍機動部隊を発見した[34]。日本軍前衛部隊も午前8時15分に、カタリナ飛行艇に発見されたと認識している[34]。すると南雲中将は前衛部隊に反転北上を命じた。キンケイド少将は1時間後、「エンタープライズ」から索敵を兼ねてF4Fワイルドキャット戦闘機16機、SBDドーントレス急降下爆撃機12機、TBFアヴェンジャー雷撃機7機からなる攻撃隊を発進させた[35]。その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転した事が判明したが、キンケイド少将は無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。米軍攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず、燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機(『THE BIG E』では7機)を失った[35]。また朝の着艦事故でF4F4機が失われており「エンタープライズ」の航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けている[36]。
午前9時、山本五十六連合艦隊長官は前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)の航空兵力で、ガダルカナル島陸軍陣地・米艦隊の攻撃を命じた[34][37]。これを受けて空母「隼鷹」から発進した零戦12機、九九艦爆12機がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を爆撃し[38]、石油タンクの炎上を確認した[39]。午前10時、前衛部隊索敵機が「米軍戦艦2-3、防空巡洋艦4、巡洋艦1、駆逐艦12、ツラギより方位160度、170マイル」を報じた[40]。南雲機動部隊への連絡は午前11時頃である[27]。19時18分、連合艦隊電令作第354号は『陸軍は今夜19時、ガ島突入の予定にして、26日、敵艦隊はガ島南東海面に出現の算大なり。連合艦隊は26日敵艦隊を補足撃滅せんとす』と伝える[41]。この電令の中で山本長官は日本軍基地航空隊も米艦隊を攻撃するよう求めているが[42]、実際の海戦は機動部隊と機動部隊の正面衝突となり、基地航空隊は全く関与しなかった[43]。第二航空戦隊参謀の奥宮によれば、日本軍は「近くソロモン方面で大海空戦が行われる。米国民に良きプレゼントを送る」という米軍宣伝放送を傍受し、アメリカ海軍記念日に米軍が大規模反撃に出る可能性を思案していたという[44]。
10月26日、南雲忠一中将の機動部隊本隊は午前0時30-50分に米軍飛行艇から爆撃を受け、「瑞鶴」の至近距離に爆弾が落下した[45]。米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した南雲機動部隊はガダルカナル島北東460km地点で反転北上する[46]。そして黎明から二段索敵を開始した[45]。レーダーがないと夜間は索敵できないため、夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵、夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。日本軍前進部隊(第二艦隊)からも、巡洋艦「妙高」、「高雄」、「摩耶」、「五十鈴」から零式水上偵察機や九四式水上偵察機が発進し、索敵にあたった[47]。一方米軍も、空母「エンタープライズ」からドーントレス16機が発進し、2機ずつのペアになって索敵に向かった[48]。
両軍の攻撃隊発進
日の出は午前3時45分である[49]。午前4時50分、日本軍翔鶴四番索敵機はアメリカ軍機動部隊を発見し「敵空母サラトガ型1、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦16、針路北西」を報告した[50]。日本軍は米軍機動部隊戦力を空母3隻と判断した[51]。午前5時30分頃、第一次攻撃隊として旗艦「翔鶴」から24機(村田重治少佐指揮、九七式艦上攻撃機20機、零式艦上戦闘機4機)が発進[52]、「瑞鶴」から(九九式艦上爆撃機21機、零式艦上戦闘機8機)[53]、「瑞鳳」から(九九艦爆1機、零戦9機)[54]、三艦合計62機が発進[55]。続いて第2次攻撃隊として44機(九七艦攻16機、九九艦爆19機、零戦9機)が発進、米機動部隊に向かった[56]。このうち第2次攻撃隊は「翔鶴」のレーダーが米軍機の機影をとらえたため全機が揃うまで発進を調整せず[57]、まず「翔鶴」から(関衛少佐・翔鶴飛行隊長:艦爆19、新郷少佐・翔鶴飛行隊長:零戦5)が発進し[58]、30分遅れた午前6時45分、「瑞鶴」から(今宿大尉・瑞鶴飛行隊長:艦攻16、零戦4)が発進した[59]。母艦上空直掩に零戦を配備したため、南雲部隊は攻撃隊に十分な数の護衛機をつけられなかった[60]。
また米軍機動部隊発見の報告は日本軍前進部隊(第二艦隊)空母「隼鷹」にも伝えられ、前進部隊はガダルカナル島攻撃を中止[61]。米軍機動部隊の攻撃に向け、航空隊の発進準備がはじまった[62]。近藤信竹中将は指揮下の第二航空戦隊を南雲機動部隊の指揮下に預けると[63]自身は米軍方向に南下し、同時に機動部隊前衛(第十一戦隊:戦艦比叡、霧島等)を指揮下に入れ夜戦を挑む考えを各部隊に通達した[64]。奥宮参謀は、最大速力26ノットの空母「隼鷹」が32ノットを発揮する近藤中将指揮の第四戦隊(重巡洋艦愛宕、高雄)を追い越したと角田少将の闘志を賞賛している[65]。ただし、第二航空戦隊は近藤中将の命令により、午前9時15分に第二艦隊と分離しただけである[66]。
ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見した。第10爆撃隊は「フロート1つ」の日本軍水上偵察機とすれ違い、20分後に金剛型戦艦を発見した[48]。キンケイド少将は『戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦7隻、南緯8度10分、東経163度55分、針路北、速度20ノット』という報告を受け取る[67]。まもなく、第10偵察隊隊長J・R・"バッキー"・リー少佐と僚機から『空母2隻、護衛艦、南緯7度5分、東経163度38分』(距離320km)の連絡が入った[67]。リー機と部下機は襲ってきた零戦3機を返り討ちにしたと主張し、2機とも生還した[68]。日本軍機動部隊の位置をつかんだキンケイドは、直ちに攻撃隊発進を命令する。空母「ホーネット」から第1次攻撃隊29機(F4F8機、SBD15機、TBF6機)、空母「エンタープライズ」から第2次攻撃隊19機(F4F8機、SBD3機、TBF8機)[69]、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機(F4F7機、SBD9機、TBF9機)が発進した。
南雲機動部隊から空母「翔鶴」の第二次攻撃隊の発艦準備が終了しかけたとき、「瑞鶴」より「発艦作業30分遅れる」と報告が来た。さらに、索敵中の米軍SBDドーントレス2機(バーニー・ストロング大尉機、チャールズ・アーヴィン少尉機)が彼らに全く気付いていない軽空母「瑞鳳」に奇襲をかける[70]。2機が投下した爆弾は「瑞鳳」第二次攻撃隊が発進準備中の飛行甲板を直撃した[71]。日本軍にとって幸運なことに被弾箇所が最後部であったこと、被害艦が第二次攻撃隊を艦内に抱えていた「瑞鶴」でなかったため、艦載機の誘爆によるミッドウェー海戦の悪夢再現は避けられた[72]。しかし、これにより「瑞鳳」は発進可能だが着艦不能となり、戦線を離脱する[65]。このため南雲長官は瑞鶴隊を置いて、翔鶴隊を発進させた。攻撃隊が発進すると「翔鶴」では被弾に備えて可燃物を全て捨てたが、この時、演芸会用の女着物とかつらが投げ込まれるのが目撃された[73]。なお、ストロング機とアーヴィン機は日本軍の対空砲火と零戦の迎撃をふりきり、逆に計2機の零戦の撃墜を主張して生還している[70]。
日本の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のホーネット隊とすれ違った。お互いに相手を視認しながら、両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごそうとする[74]。しかし、次にエンタープライズ隊とすれ違って間もなく瑞鳳零戦隊9機が反転し、エンタープライズ隊19機を追撃した[75]。攻撃隊右翼を飛んでいたF4F4機は一方的に奇襲を受けた。3機が撃墜され、1機は被弾し機銃と無線を破壊されて母艦「エンタープライズ」への帰投を余儀なくされた[76]。また雷撃隊も指揮官機を含む2機を撃墜され、1機が不時着し、別の1機が被弾により攻撃を諦め母艦へ帰還した[77][76]。エンタープライズ隊はF4F4機、SBD3機、TBF4機となったが、進撃を続けた[76]。一方瑞鳳隊(零戦9、艦爆1)は零戦2機が撃墜され、2機が行方不明、被弾大破2機、誘導の九九艦爆1機も帰投しなかった[78]。
米空母被弾
6時55分、日本軍第1次攻撃隊は米艦隊を発見、「ホーネット」に攻撃を集中した。まず瑞鶴艦爆隊第二中隊が攻撃し、1発目の爆弾は至近弾となり、2発目は飛行甲板中央部に命中[79]。さらにこの後爆弾2発が命中した[79]。続いて第一中隊と第三中隊が攻撃、爆弾は命中しなかったが被弾した佐藤兵曹長機がホーネットの煙突前部に突入し火災を生じさせた[79]。その後瑞鶴艦攻隊が攻撃を実施し、ホーネットの右舷の前部機械室と対空砲弾庫付近に魚雷が命中した[79]。被雷による浸水でホーネットは全動力を失い停止した[79]。 また付近にいた護衛艦艇も攻撃を受け、雷撃機1機は重巡「ペンサコラ」を攻撃したが魚雷は外れた。被弾した雷撃機は「ペンサコラ」に突入を試みたものの、艦首外側数メートルの海中に墜落した。また駆逐艦「アンダーソン」は雷撃機から機銃掃射を受けたものの目立った被害はなかった。
日本軍攻撃隊は7時20分には引き上げ、海上では「ホーネット」が激しく炎上していた。ホーネットでは電気系統の全滅により消火ポンプが使用不能であったため消火器やバケツリレーによる消火作業が行われ、さらに駆逐艦モリス、ラッセル、マスティンによる消火作業の支援により8時ごろまでにはほぼ消火に成功した[80]。重巡洋艦ノーザンプトンが依然航行不能であったホーネットの曳航を開始したが、曳航策が切れ作業はやり直しとなった[81]。日本軍第一次攻撃隊は「ホーネット」に重大な損傷を与えたものの村田少佐を含む艦攻10機、艦爆12機、零戦3機が失われ[52]、更に不時着により艦攻6機、艦爆5機、零戦2機が失われた。
日本側第2次攻撃隊は、8時15分空母「エンタープライズ」および炎上漂流中の「ホーネット」を発見する。先に到着した翔鶴艦爆隊19機は無傷の「エンタープライズ」に攻撃を集中し2発の直撃弾を与えた。1発目の爆弾は、艦首から5メートルの飛行甲板に命中し爆弾はそのまま艦首上甲板を貫通して海面で炸裂、飛行甲板のドーントレス1機を海に吹き飛ばし、艦首付近を穴だらけにして小火災を発生させた[82]。格納庫ではドーントレスが炎上し、整備兵は自軍の爆弾を海中に投棄した[82]。2発目の爆弾は、前部エレベータ後方3メートルの飛行甲板に命中し、3層を貫いて前部応急指揮所で炸裂した[82]。こちらの火災はひどく、火のついたガソリンが前部エレベーターの孔に流れ込んだほどである[83]。右舷3メートルの所には至近弾1発が落下し、舷側に損害を受けた。また艦爆隊が到着する直前の8時1分、不時着した「エンタープライズ」の雷撃機の救助に向かった駆逐艦「ポーター」に雷撃機から誤って発射された魚雷が命中した。「ポーター」は航行不能になり僚艦の砲撃により処分された。8時35分、遅れて発進した瑞鶴雷撃隊16機は「エンタープライズ」に魚雷を発射したが命中せず、炎に包まれた1機は駆逐艦「スミス」の2番砲塔に体当たりした。艦攻が搭載していた魚雷が爆発し、砲塔付近にあった弾薬が誘爆して大火災が発生した[84]。しかし艦長の判断で付近を航行中の戦艦「サウスダコタ」に接近し、「サウスダコタ」の艦尾波で「スミス」は奇跡的に消火に成功した[85][84]。日本軍第2次攻撃隊は、「エンタープライズ」等に損害を与えたものの、艦攻9機、艦爆10機、零戦1機が未帰還になり、不時着水により艦攻1機、艦爆2機、零戦2機が失われた。
翔鶴被弾と日本軍の追撃
日本軍南雲機動部隊では、午前7時18分にSBDドーントレス爆撃機15機を確認する[86]。まず重巡洋艦「熊野」が攻撃されたが、命中弾はなかった[86]。ホーネット第1次攻撃隊は午前7時27分、日本機動部隊を発見する。直後に零戦9機からなる日本軍直掩隊が現れF4F2機が撃墜された。急降下爆撃隊15機は戦闘機の掩護なく進撃を続けたが、更に20機前後の零戦に襲われた。SBD2機が撃墜され、2機が被弾により母艦に帰投した。残る11機は南雲機動部隊の旗艦「翔鶴」を攻撃し、飛行甲板後部に450キロ爆弾4発命中という戦果を挙げる[87]。「翔鶴」乗組員には6発命中と証言する者もおり、奥宮参謀の実物検分では5発命中だったという[88]。この攻撃で「翔鶴」では高角砲弾が誘爆するも、ミッドウェー海戦の時とは異なり航空機用燃料・弾薬誘爆を避けられたため、沈没には至らなかった[89]。「翔鶴」は消火作業を行いつつ北上し、「瑞鳳」と共に戦場から避退した[90]。「瑞鳳」から発進した零戦14機のうち、1機が撃墜され、1機が行方不明となった[91]。一方、午前7時30分に「敵サラトガ型に魚雷命中、火災発生」、午前9時45分「敵空母1隻撃沈、1隻大破」等の誤報が入り、乗組員の士気が上がっている[92]。
エンタープライズ隊およびホーネット第3次攻撃隊は日本空母を発見できなかった。特にエンタープライズ隊は瑞鳳零戦隊と空中戦をおこなったため燃料が不足しており、目の前の敵(前衛部隊)を攻撃するしかなかった[76]。3機のドーントレスは金剛型戦艦を攻撃し、二番砲塔と右舷中央に命中させたと主張する[93]。実際に彼らが攻撃し大破させたのは、戦艦ではなく利根型重巡洋艦「筑摩」だった[94]。雷撃隊も重巡洋艦に攻撃をおこなったが、回避された[93]。最大発揮速力23ノットとなった「筑摩」は駆逐艦「谷風」、「浦風」に護衛されて退避した[95]。
日本軍前進部隊(第二艦隊近藤信竹中将)に属していた角田覚治少将麾下の第二航空戦隊(空母隼鷹)は、航空戦の開始と共に南雲忠一中将の指揮下に入り[63]、続いて南雲部隊旗艦「翔鶴」の被弾と通信能力喪失により航空戦の指揮をまかされた[96]。まず午前7時に第1次攻撃隊29機(艦爆17機、零戦12機)を発進させた[97]。隼鷹第1次攻撃隊は、爆撃を受ける空母「翔鶴」や損傷した重巡洋艦「筑摩」の上空を通過し[98]、午前8時40分ごろ米軍機動部隊を発見[99]。午前9時15分に攻撃を開始する。雲高3500メートル雲底500メートルと視界が悪く、攻撃は分散され、また爆撃精度も悪化した[100]。空母を狙おうとして果たせず、仕方なく護衛の戦艦や巡洋艦を爆撃した機もある[101]。攻撃隊は「エンタープライズ」に至近弾1発を与え、右舷中央部の船体を60センチ陥没させ、若干の浸水が始まった[102]。戦艦「サウスダコタ」には4発の爆弾が投下され、1発が第一砲塔に命中する[103]。艦長が軽傷を負い、付近の銃座に損害を与えたが、決定的打撃とはならなかった[104]。にも関わらず、動揺した士官が操舵系を無断で第2戦闘指揮所に切り換えたため数分間操艦不能となり、結果「サウスダコタ」は空母「エンタープライズ」に突進した[104]。この時は「エンタープライズ」が4万トンの巨艦を回避し、大惨事をまぬかれた[105]。また軽巡「サン・ファン」には6発の爆弾が投下され、内1発が艦尾に命中したが、船体を貫通して海中で爆発した[105]。「サン・ファン」は一時的に操舵不能となった[105]。隼鷹第1次攻撃隊は攻撃終了後、集合点に集まったところを先回りした米軍戦闘機に襲われ、艦爆9機が一挙に撃墜されたという[106]。
米軍撤退
ホーネットの戦闘力喪失とエンタープライズ損傷の一方、日本軍には無傷の空母が残っているという状況でキンケイド少将は撤退を決め、マレー少将にホーネットの曳航作業継続を命じると第16任務部隊は南東へ退避をはじめた[107]。ノーザンプトンはより太い曳航索を用いて曳航を再開した[108]。
一方日本軍は航空機に多大な損害を受けていたが、残存機をすべて投入して米艦隊の追撃を開始した。午前10時20分、山本五十六長官は第二艦隊に対しサンタクルーズ諸島北方の敵艦隊と、ガダルカナル島南方の敵戦艦部隊を同時攻撃するよう求めたが、日本軍に戦力を分ける余裕などなかった[109]。午前11時13分、「隼鷹」から第2次攻撃隊(艦攻7機、零戦8機)が発進した[110]。零戦のうち2機は瑞鶴所属機(白根大尉)、1機は瑞鳳所属機だった[111]。この時の第二航空戦隊には、白根大尉の零戦だけではなく、被弾した瑞鶴艦攻が数機着艦している[112]。続いて11時15分に「瑞鶴」から残存機すべての艦爆2機、艦攻6機、零戦5機からなる第3次攻撃隊が発進[113]。艦攻6機のうち5機は「瑞鳳」所属機だった[114]。彼らは索敵から帰還後被弾した「瑞鳳」に降りられず、「瑞鶴」に着艦していたのである。また「翔鶴」所属の零戦2、艦爆1も参加している[115]。13時35分に「隼鷹」からこの日最後となる艦爆4機、零戦6機からなる隼鷹第3次攻撃隊が発進した[116]。攻撃前、奥宮航空参謀が加藤中尉・艦爆隊先任将校に出撃を命じると、加藤は「またいくんですか」と仰天して立ち上がったという[117]。
「隼鷹」の第2次攻撃隊は13時13分に戦場に到達し、硝煙で視界がぼやける中[118]、空母「ホーネット」と同艦を曳航中の重巡「ノーザンプトン」を雷撃した。「ノーザンプトン」は曳航索を切って魚雷をすべて回避したが「ホーネット」には魚雷1本が命中、傾斜が14度に増大する。また電気系統の復旧も不可能となった[119]。そのためホーネットのメーソン艦長は総員退艦準備を発令した[119]。隼鷹第2次攻撃隊は敵空母と重巡洋艦に魚雷命中を報告し、零戦2機が行方不明、3機が不時着、艦攻2機が撃墜、残る艦攻も全て被弾という損害を出した[120]。1機の艦攻は魚雷を発射できず、「隼鷹」着艦寸前に魚雷を棄てている[121]。
数十分後、瑞鶴第3次攻撃隊が「ホーネット」を爆撃。まず艦爆2機による爆撃で1発が至近弾となり、それにより傾斜が20度となった[119]。ここに至って艦長は退艦命令を出した[119]。次いで艦攻隊が800キロ爆弾による水平爆撃を行い、1発が飛行甲板後端に命中。他の5発は至近距離に落下し、衝撃波により「ホーネット」に大きな損害を与えた。この時、重巡洋艦「鈴谷」索敵機が「ホーネット」がまだ沈没していないことを報告した[122]。15時10分、隼鷹第3次攻撃隊は漂流中の「ホーネット」を発見する。20分ほど「エンタープライズ」を捜索したが発見できず、「ホーネット」に目標として爆撃を開始した[123]。爆弾1発が命中し、「ホーネット」は炎上しつつ右舷に傾斜した。隼鷹第3次攻撃隊は爆弾4発命中を記録し、全機が帰還している[124]。近藤中将の前進部隊(第二艦隊)は米軍機動部隊に水上戦闘を挑むため、追撃戦に移った[125]。午後2時19分には第十一戦隊(比叡、霧島)が第二艦隊に合流している[66]。
米軍は「ホーネット」から総員を退艦させると、駆逐艦「マスティン」に大破した空母の魚雷処分を命令。「マスティン」からは搭載魚雷すべての8発の魚雷が発射されたが3本しか命中しなかった。代わって攻撃を行った「アンダーソン」は6発の魚雷を命中させたが「ホーネット」の傾斜角、喫水はほとんど変わらず、米軍の報告書によると『駆逐艦による魚雷攻撃の結果にはとても失望した。駆逐艦の攻撃はホーネットに殆どダメージを与えられなかった』とある[126]。魚雷を使い果たした両艦は12.7cm砲弾300発を撃ち込んだが「ホーネット」は沈まず、日本軍索敵機に発見されたため急いで現場海域から離脱した。日本軍前進部隊は午後7時47分に傾斜炎上する「ホーネット」を発見[127]。さらに重巡「摩耶」の水上偵察機が照明弾を投下して「マスティン」と「アンダーソン」を追跡したが[128]、全速で逃走する駆逐艦の補足は難しく、近藤艦隊は追跡を諦めて「ホーネット」の傍に戻った[129]。
連合艦隊司令部はドーリットル空襲で日本に衝撃を与えた「ホーネット」を捕獲しようと試み、「事情許さば、拿捕曳航されたし」と前進部隊に迫った[130]。だが「ホーネット」は火災と浸水でひどく損傷しており、曳航は不可能だった。「鉄の船があんなによく燃えるものか」という「愛宕」乗組員の感想が残っている[129]。第一〇駆逐隊の「秋雲」「巻雲」は魚雷4本を発射し「ホーネット」を雷撃処分した。合わせて魚雷16本、爆弾8発、12.7cm砲弾300発を喫した「ホーネット」は22時ついに南太平洋の波間に姿を消した。日本軍は救助した米軍兵士の尋問結果から、米軍の戦力と、沈んだ空母が「ホーネット」であることを知った[131]。
結果
この海戦でアメリカ軍は「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」も大破したため、太平洋における稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた[132]。しかし搭乗員の損害は少なく、「エンタープライズ」をヌーメア(ニューカレドニア)で応急修理を実施して第三次ソロモン海戦を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。
日本側はこの海戦において勝利を収めたが、宇垣纏が翔鶴艦長や瑞鳳艦長に「敵ばかりやっつけて味方が何の損害のないと云う事はあり得ない」と諌めた通り、大きな損害を出した[133]。特に艦爆隊や艦攻隊の損害が大きく、村田重治少佐(戦死後大佐)をはじめとする真珠湾攻撃以来のベテラン搭乗員を多数失い、これ以上の攻勢に打って出ることが困難となった。奥宮によれば、4隻の空母から零戦90機、艦爆72機、艦攻54機が本海戦に参加し、残存使用可能機は零戦44、艦爆18、艦攻24だった[134]。「翔鶴」からは航空搭乗員54名が戦死している[135]。特に急降下爆撃機の損害が大きく、その後の母艦搭載機定数は艦爆の数を減らしている[136]。本海戦の損害を補うべく、日本海軍は教育部隊の教官を前線に出したり、飛行学生を卒業したばかりの士官を母艦に配属するなど、必死で穴埋めをする[137]。奥宮参謀は、新任搭乗員が本海戦前母艦航空隊の技量になる時期を1943年6月以降と推測したが[138]、その再建した航空兵力はい号作戦、ろ号作戦、ギルバート諸島沖航空戦、ギルバート・マーシャル諸島の戦い、トラック島空襲、マリアナ・パラオ諸島の戦いといった航空戦における大敗北で完全に消耗してしまい、終戦までその損害を補うことが出来なかった。
また本海戦の目的の一つとも言うべき日本陸軍部隊の支援についても結果的には失敗している。山本五十六連合艦隊長官は「海軍の大戦果に呼応し、このさい一挙に敵を撃滅されたし」と陸軍に連絡したが、陸軍は予備兵力なしとして断ったという[139]。日本海軍では下士官兵はおろか将校までが陸軍を批判していたのが目撃されている[139]。
日本側は、「米空母3(エンタープライズ、ホーネット、サラトガ)、戦艦サウスダコタ、巡洋艦3隻(内1隻戦艦なるやもしれず)、駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦3隻大破、駆逐艦3隻大破または中破、航空機50以上撃墜」という戦果を挙げたと誤認した[140]。10月27日午後8時30分、大本営海軍部は『米空母3-4隻、戦艦1隻撃沈。大破戦艦1隻、巡洋艦1隻、艦種不明1隻。中破戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻。敵機200機以上を喪失せしむ。わが方の損害は空母2隻、巡洋艦1隻小破せるも、戦闘航海に支障なし。未帰還機40機、本海戦を南太平洋海戦と呼称す』と大勝利を宣伝した[141]。11月16日の大本営発表では『戦艦1隻、空母エンタープライズ、ホーネット撃沈、大型空母1、巡洋艦3、駆逐艦1大破、航空機200機撃墜』となっている[142]。また「愛宕」が傍受した日本語のハワイ放送(日本向け宣伝放送)によれば『日本軍空母7隻、大巡5隻、駆逐艦数隻撃沈、米軍損害は駆逐艦1隻沈没』だったという[143]。
日本軍大勝利の報道に対し、奥宮参謀は「空母1隻撃沈程度と推定しつつも、搭乗員の申告を黙認せざるを得なかった」と述べている[132]。これは双方の機動部隊が広範囲に展開するため敵軍の全貌をつかみにくいという問題も絡んでおり[144]、第十一戦隊は二式艦上偵察機のような高速偵察機の本格的な投入と、常に敵艦隊と接触し続けることの重要性を報告している[144]。二式艦上偵察機は彗星艦上爆撃機の偵察機型で、ミッドウェー海戦でもプロトタイプの十三試艦上爆撃機が空母「蒼龍」から発進して活躍している。本海戦では空母「翔鶴」から2機が発進したが、米軍機動部隊と違う方向を偵察してしまい、索敵に失敗したという[145]。「翔鶴飛行機隊戦闘行動調書」には記録が残っていない。
日本軍は軍令部や大本営を含めて本海戦で大勝利を収めたと信じ、ガダルカナル島の戦いに勝利するのも目前だと考えた[146]。そこで陸軍第三十八師団を輸送船11隻に分乗させ、ガダルカナル島へ強行輸送する作戦を立案する。日本軍の作戦を察知した米軍は、空母「エンタープライズ」に応急修理を施して戦線に復帰させ、さらに大和型戦艦に匹敵する戦艦「サウスダコタ」、「ワシントン」をガダルカナル島周辺海域に投入した。こうしてガダルカナル島へ向かう日本軍艦隊との間に第三次ソロモン海戦が発生し、鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)に多数の両軍艦艇が沈むことになる。
人物像
攻撃を命じる際、角田少将の意を受けて空母「隼鷹」の崎長飛行長が発した「敵の位置は、まだ飛行隊の行動範囲外であるが、本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という命令は[147]、彼の猛将ぶりを示すものとして伝説になっている。更に、炎上中の空母「ホーネット」に向かった攻撃隊を、無傷の「エンタープライズ」が発見されるや即座に攻撃目標の変更を命じるなど、柔軟にして即断即決の指揮は、高く評価されている。奥宮正武第二航空戦隊参謀は、日本軍水上艦艇(近藤中将)の追撃は及び腰で「水上部隊にも角田がいれば」と述べている[148]。
一方で南雲忠一中将は、ミッドウェー海戦以降、数少なくなった空母を危険にさらすことを恐れ、敵の索敵機に発見されては避退の為に反転を繰り返すといった慎重な行動がみられる。「瑞鳳」と「翔鶴」の損傷後は、残る「瑞鶴」の指揮を角田少将に委ねて戦場を後にした。この後に「エンタープライズ」を撃破し、先の攻撃で炎上していた「ホーネット」に「隼鷹」攻撃隊を送り込んで止めを刺したのは、指揮権を移譲された角田少将の指揮によるものである。南雲は戦場を離れると17時30分に第四駆逐艦隊(有賀幸作司令)旗艦「嵐」に移乗し、近藤艦隊を追いかけている[149]。なお、南雲の乗艦する空母「翔鶴」(最高速度34ノット)は損傷しつつも駆逐艦を追い抜いたという逸話が残っている。「翔鶴」は珊瑚海海戦で被弾した時にも、40ノットを発揮していた駆逐艦「潮」が戦場を離脱する「翔鶴」に追いつけなかったという逸話を持っている[150]。有馬正文翔鶴艦長は高角砲しか使えない「翔鶴」で米軍機動部隊を追撃することを意図したが、草鹿参謀長に「飛行甲板の大破した空母で戦えるのか」と一喝された[151]。
奥宮とは対照的に、草鹿龍之介参謀長と吉田俊雄(当時海軍少佐、軍令部参謀)は、角田よりも近藤信竹中将を高く評価している[152]。たとえば近藤と南雲は同じ階級の中将だが、日本海軍の不文律(草鹿は"規定"と表現)では先任である近藤が南雲の指揮をとることになっていた[153]。しかし近藤は第二次ソロモン海戦に続き、本海戦でも南雲機動部隊の行動に従い、機動部隊の行動に制約をあたえなかった[153]。また近藤は指揮下の第二航空戦隊(空母「隼鷹」)を第三艦隊に預けると、自身は前進部隊を率いて米機動部隊を追撃し、空母「ホーネット」を捕捉した。吉田は「武人らしい気魂を感じさせるのは、近藤の采配が最も圧巻である」と述べている[154]。草鹿は「近藤の宏大な度量、人格は私の大きな力になった」と回想している[155]。また後方のトラック島に停泊中の戦艦「大和」では、宇垣纏連合艦隊参謀長が「翔鶴」の損傷と第一航空戦隊の後退を知り、撤退の禁止と米艦隊攻撃続行を命じた[156]。するとある参謀が「敵と距離をとることは、むしろ敵をアウトレンジするのに有利」と進言し、その消極的な姿勢で宇垣を激怒させている[157]。
参加艦艇
日本
連合艦隊司令長官 :山本五十六大将 参謀長:宇垣纏少将(トラック島)
第二艦隊
- 第三戦隊 司令官:栗田健男少将
- 第四戦隊
- 第五戦隊 司令官:大森仙太郎少将
- 第二航空戦隊 司令官:角田覚治少将
- 第二水雷戦隊 司令官:田中頼三少将
- 軽巡洋艦:五十鈴
- 第一五駆逐隊
- 第二四駆逐隊
- 第三一駆逐隊
第三艦隊
- 第一航空戦隊 司令官:南雲忠一中将
- 第四駆逐隊 司令官:有賀幸作大佐
- 第一六駆逐隊 司令官:荘司喜一郎大佐
- 第六一駆逐隊 司令官:則満宰次大佐
- 駆逐艦:照月
- 第一一戦隊 司令官:阿部弘毅少将
- 第七戦隊 司令官:西村祥治少将
- 第八戦隊 司令官:原忠一少将
- 第一〇戦隊 司令官:木村進少将
- 軽巡洋艦:長良
- 第一〇駆逐隊 司令官:阿部俊雄大佐
- 第一七駆逐隊 司令官:北村昌幸大佐
アメリカ
- 南太平洋部隊司令官 ウィリアム・F・ハルゼー中将(ヌーメア)
第16任務部隊
- トーマス・C・キンケイド少将
- 空母 「エンタープライズ」、航空機90機(F4F 36機、SBD 41機、TBF 13機)
- 但し航空機の収納スペースの関係で稼動機は69機(F4F 29機、SBD 27機 TBF 13機)
- 戦艦 「サウスダコタ」
- 第4巡洋艦戦隊
- 第5駆逐艦戦隊
- 駆逐艦:マハン、カッシング、ポーター、スミス、プレストン、モーレー、ショー、カニンガム
第17任務部隊
- ジョージ・D・マレー少将
- 空母 「ホーネット」、航空機85機 (F4F 38機 SBD 31機 TBF 16機)
- 稼動機は73機(F4F 33機、SBD 24機、TBF 16機)
- 第5巡洋艦戦隊
- 第2駆逐艦戦隊
- 駆逐艦:モーリス、アンダーソン、ヒューズ、オースチン、ラッセル、バートン
第64任務部隊
ガダルカナル島
- ヘンダーソン基地:航空機60機
損害
日本
- 大破:重巡 「筑摩」
- 中破:空母 「翔鶴」、軽空母 「瑞鳳」
- 小破:駆逐艦 「秋月」、「照月」(26日夜、大型機爆撃による)
- 航空機損失:92機
- 航空機搭乗員戦死:148名
- 艦船乗組員戦死:250-350名[158]
アメリカ
- 沈没:空母 「ホーネット」、駆逐艦 「ポーター」
- 大破:駆逐艦 「スミス」
- 中破:空母 「エンタープライズ」
- 小破:戦艦 「サウスダコタ」、軽巡 「サン・ファン」
- 航空機損失:74機
- 航空機搭乗員戦死:39名
- 艦船乗組員戦死:254名[159]
南太平洋海戦が描かれた作品
映画
- 日本ニュース第177号「決戦」 - アメリカ側が撮影した戦闘中のホーネットのフィルム映像を日本側が押収し編集したもの。同時上映の学徒出陣に関する映像とともに、「日本のニュース映画史上最高の名作」とも言われている。
- 連合艦隊
- 連合艦隊司令長官 山本五十六
書籍(ノンフィクション)
脚注
- ^ 「写真週報」等
- ^ #機動部隊31頁
- ^ #BIG E上231頁
- ^ #空母雷撃隊217頁
- ^ #機動部隊76頁
- ^ #機動部隊75頁、#隼鷹飛行調書(2)p.4
- ^ 「飛鷹飛行機隊戦闘行動調書(1)」pp.15-16
- ^ #高戸主計大尉25頁
- ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.17「20日夜間、飛鷹補機室火災、高速を出し得ず、作戦行動不能と認め」
- ^ #愛宕奮戦記201頁、#機動部隊77頁
- ^ #愛宕日誌(4)p.36、#愛宕奮戦記207頁
- ^ #戦藻録(九版)213頁
- ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.16、#隼鷹飛行調書(2)pp.3-5、#山川艦爆隊126-129頁、#空母雷撃隊227頁
- ^ #機動部隊78頁
- ^ #高戸主計大尉25頁、#橋本信号員235頁
- ^ #機動部隊85頁、#草鹿回想172頁
- ^ #筑摩日誌(1)p.5「照月を率い索敵のため機動部隊より分離南下」
- ^ #筑摩日誌(2)pp.7,16
- ^ #筑摩日誌(1)p.5「10月23日2354、敵飛行艇の雷撃を受く。被害なし」
- ^ #橋本信号員236頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装142頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装143頁
- ^ #高戸主計大尉26頁、#雪風ハ沈マズ新装143頁
- ^ #海軍美談139-140頁
- ^ #愛宕奮戦記209-211頁
- ^ #機動部隊79頁、#愛宕日誌(4)p.4「2100飛行場占領」
- ^ a b 牧島『炎の海』304頁
- ^ #戦藻録(九版)pp.213-214
- ^ #戦藻録(九版)216頁、#愛宕日誌(3)p.10「一、第六駆逐隊はガ島沖に突入、敵三隻を撃沈す。一、由良爆弾命中」
- ^ 木俣『日本水雷戦史』210頁
- ^ #奇蹟の海から181頁
- ^ #吉田比叡79頁、#機動部隊85頁、#8戦隊日誌(4)p.5
- ^ #11戦隊日誌(4)pp.3-4
- ^ a b c #高戸主計大尉28頁
- ^ a b #BIG E上227頁
- ^ Eric M. Hammel, Carrier Strike, p. 174.
- ^ #機動部隊80頁
- ^ #隼鷹飛行調書(2)pp.15-16
- ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「飛行場及び敵陣地を攻撃し相当の損害を与えたり、我が方被害なし」、#山川艦爆隊130-131頁
- ^ #戦藻録(九版)217頁、#高戸主計大尉29頁、#橋本信号員238頁
- ^ #高戸主計大尉29頁
- ^ #11戦隊日誌(4)p.24
- ^ #戦藻録(九版)219頁
- ^ #機動部隊84頁、牧島『炎の海』304頁
- ^ a b #機動部隊86-87頁、#草鹿回想174頁、#橋本信号員239頁
- ^ #機動部隊86-87頁、#海軍美談145頁、#11戦隊日誌(4)p.5
- ^ #愛宕奮戦記213頁、#愛宕日誌(4)p.6
- ^ a b #BIG E上229頁
- ^ #高戸主計大尉30頁
- ^ #機動部隊86-87頁、#橋本信号員240頁
- ^ #戦藻録(九版)218頁、#11戦隊日誌(4)p.6
- ^ a b #翔鶴飛行調書(3)pp.14-15
- ^ #瑞鶴飛行調書(4)pp.6-7
- ^ #瑞鳳飛行調書(2)pp.19-20
- ^ #機動部隊88頁、#橋本信号員240頁
- ^ #機動部隊88頁、#橋本信号員241頁
- ^ #海軍美談150頁
- ^ #翔鶴飛行調書(3)pp.16-17
- ^ #機動部隊88頁、#瑞鶴飛行調書(4)pp.8-10
- ^ #機動部隊88頁
- ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「〇四五〇、KDB索敵機の敵大部隊を発見の報を得(中略)本隊は直ちに敵方に追撃、KDBと共に之を攻撃す」
- ^ #山川艦爆隊133頁、#機動部隊89頁
- ^ a b #11戦隊日誌(4)pp.7,12
- ^ #愛宕日誌(4)p.7「0828:第二航空戦隊(飛鷹欠)、親潮、黒潮をKDB指揮官の指揮下に入る(中略)残る前進部隊は本職之を率い敵方に進出」「1045:機動部隊前衛を本職の直接指揮下に入る」、#8戦隊日誌(4)p.13、#11戦隊日誌(4)pp.7,12
- ^ a b #機動部隊89頁
- ^ a b #3戦隊日誌(1)p.24
- ^ a b #BIG E上230頁
- ^ #BIG E上231頁
- ^ #BIG E上236頁
- ^ a b #BIG E上233頁
- ^ #機動部隊89頁、#橋本信号員241頁
- ^ #海軍美談150-151頁
- ^ 牧島『炎の海』309頁
- ^ #電信員遺稿143-144頁
- ^ #機動部隊94頁
- ^ a b c d #BIG E上241頁
- ^ The Office of Navy Intelligence, The Battle of the Santa Cruz Islands, p.45.
- ^ 柳田邦男「零戦燃ゆ-飛翔篇」p.521、#瑞鳳飛行調書(4)p.19
- ^ a b c d e ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、176ページ
- ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180ページ
- ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180-181ページ
- ^ a b c #BIG E上249頁
- ^ #BIG E上259頁
- ^ a b #BIG E上255頁
- ^ The Office of Navy Intelligence, p.65.
- ^ a b #橋本信号員242頁
- ^ #海軍美談166-167頁、#橋本信号員242頁
- ^ #機動部隊93頁
- ^ #海軍美談168頁、牧島『炎の海』313頁
- ^ #橋本信号員244頁
- ^ #瑞鳳飛行調書(2)p.17
- ^ 牧島『炎の海』315頁、#橋本信号員244頁
- ^ a b #BIG E上242頁
- ^ #8戦隊日誌(4)p.6
- ^ #筑摩日誌(1)p.37
- ^ #機動部隊93-94頁
- ^ #隼鷹飛行調書(2)pp.20-22、#山川艦爆隊134-135頁、#機動部隊97頁
- ^ #山川艦爆隊136頁
- ^ #山川艦爆隊137頁
- ^ #山川艦爆隊138頁
- ^ #山川艦爆隊139頁
- ^ #BIG E上262頁
- ^ #山川艦爆隊140頁
- ^ a b #ワシントン128頁
- ^ a b c #BIG E上265頁
- ^ #山川艦爆隊141-142頁
- ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、189ページ
- ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、192ページ
- ^ #11戦隊日誌(4)p.26「先遣部隊は其の大部分を以てサンタクルース諸島北方の敵艦隊を、一部を以ってガ島南方の敵戦艦を攻撃せよ」
- ^ #隼鷹飛行調書(2)p.2、#山川艦爆隊145-146頁
- ^ #隼鷹飛行調書(2)p.24、#山川艦爆隊145-146頁、#機動部隊101頁
- ^ #機動部隊99-100頁
- ^ #瑞鶴飛行調書(4)pp.11-12
- ^ #瑞鳳飛行調書(2)pp.23-24、#瑞鶴飛行調書(4)p.12
- ^ #翔鶴飛行調書(3)p.17、#瑞鶴飛行調書(4)p.12
- ^ #山川艦爆隊152頁、#隼鷹飛行調書(2)p.25
- ^ #機動部隊103頁
- ^ #空母雷撃隊252頁
- ^ a b c d ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、193ページ
- ^ #山川艦爆隊145頁
- ^ #空母雷撃隊259頁
- ^ #11戦隊日誌(4)p.14
- ^ #山川艦爆隊148頁
- ^ #山川艦爆隊152頁
- ^ #愛宕奮戦記215頁
- ^ Ibid, p.73.
- ^ #愛宕日誌(4)p.42「敵空母艦影を左38度33kmに認む」
- ^ #愛宕日誌(4)p.4「2003:摩耶飛行機吊光投弾2を敵駆逐艦上に投下」
- ^ a b #愛宕奮戦記216頁
- ^ #戦藻録(九版)219頁
- ^ #愛宕奮戦記217頁、#戦藻録(九版)222頁
- ^ a b #機動部隊115-116頁
- ^ #戦藻録(九版)223頁
- ^ #機動部隊143頁
- ^ #電信員遺稿168頁
- ^ #機動部隊138頁
- ^ #機動部隊139頁
- ^ #機動部隊142頁
- ^ a b 牧島『炎の海』320頁
- ^ #戦藻録(九版)220頁、#8戦隊日誌(4)p.27、#11戦隊日誌(4)p.39
- ^ 「週報 第317号」p.5、「写真週報 246号」p.4、#大和 艦長195頁、#愛宕奮戦記222頁、#山川艦爆隊151頁、#高戸主計大尉56頁、牧島『炎の海』319頁(各著、戦果・損害数に1隻程度の誤差があるが概ね同じ)
- ^ #高戸主計大尉57頁
- ^ #愛宕奮戦記225頁
- ^ a b #11戦隊日誌(4)p.40
- ^ 別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』167頁
- ^ #吉田比叡186頁
- ^ #山川艦爆隊134頁
- ^ #機動部隊109-110頁
- ^ #続・海軍くろしお231-232頁、#橋本信号員246頁
- ^ 大高勇治『第七駆逐隊海戦記』(光人社NF文庫、2010年)249頁
- ^ #草鹿回想176頁
- ^ #吉田比叡180-181頁、#草鹿回想169頁
- ^ a b 別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』158頁、#草鹿回想169頁
- ^ #吉田比叡180-181頁
- ^ #草鹿回想169頁
- ^ #吉田比叡182-183頁
- ^ #戦藻録(九版)218頁、#吉田比叡183頁
- ^ Richard B. frank, Guadalcanal: The Definitive Account of the Landmark Battle, p.400-401.
- ^ The Office of Navy Intelligence, p.67.
参考文献
主要参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)
- Ref.A06031047900「週報 第317号」(1942年11月4日号)「南太平洋海戦の戦果」
- Ref.A06031084100「写真週報 246号」(1942年11月11日号)「反攻の敵艦隊撃滅」
- Ref.A06031084300「写真週報 248号」(1942年11月25日号)「壮絶南太平洋海戦」
- Ref.C08030051700『昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
- Ref.C08030041700『昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
- Ref.C08030749500『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(1)』。
- Ref.C08030749600『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(2)』。
- Ref.C08030048500『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(4)』。
- Ref.C08030745600『昭和17年3月~ 軍艦愛宕戦闘詳報(2)』。
- Ref.C08030744500『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(3)』。
- Ref.C08030744600『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(4)』。
- Ref.C08051577300『昭和16年12月~昭和18年11月 翔鶴飛行機隊戦闘行動調書(3)』。
- Ref.C08051577900『昭和16年12月~昭和18年4月 瑞鶴飛行機隊戦闘行動調書(4)』。
- Ref.C08051583500『昭和17年6月~昭和18年1月 隼鷹飛行機隊戦闘行動調査(2)』。
- Ref.C08051580500『昭和17年4月~昭和17年12月 瑞鳳飛行機隊戦闘行動調書(2)』。
参考文献
- 宇垣纏著、成瀬恭発行人『戦藻録』原書房、1968年。
- 草鹿龍之介『連合艦隊参謀長の回想』光和堂、1979年。ISBN 4-87538-039-9。
- 福地周夫『続・海軍くろしお物語』光人社、1982年。ISBN 4-7698-0179-3。 福地は翔鶴運用長として本海戦に参加。
- 橋本衛『奇蹟の海から 特型駆逐艦水兵物語』光人社、1984年3月。ISBN 4-7698-0230-7。 橋本は「雷」主砲発令所配置。
- 福地周夫『海軍美談よもやま物語』光人社、1985年。ISBN 4-4698-0287-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。。
- 吉田俊雄『戦艦比叡』朝日ソノラマ、1985年。ISBN 4-257-17051-4。
吉田は軍令部参謀。本海戦における陸軍と海軍の連携問題について言及。 - 山川新作『空母艦爆隊 艦爆搭乗員死闘の記録』今日の話題社、1985年。ISBN 4-87565-118-x{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。。
山川は「隼鷹」九九艦爆操縦者。真珠湾攻撃時「加賀」所属のベテラン。 - イヴァン・ミュージカント著、中村定訳『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』光人社、1988年。
- 松田憲雄『忘れ得ぬ「ト連送」 雷撃機電信員50年目の遺稿』光人社、1993年10月。ISBN 4-7698-0663-9。
松田は九七式艦攻電信員。「赤城」沈没後「翔鶴」配属。翔鶴第一次攻撃隊として本海戦に参加。 - 安永弘『死闘の水偵隊』(朝日ソノラマ 1994)著者は「妙高」偵察操縦者。本海戦でも索敵任務にあたった。
- 安永弘『サムライ索敵機 敵空母見ゆ! 予科練パイロット3300時間の死闘』(光人社、2002)朝日ソノラマ文庫の改訂版。
- 生出寿『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』光人社NF文庫、1996年。
有賀幸作(第四駆逐隊司令官)から見た南太平洋海戦を描写。 - 別冊歴史読本『第22(517)号 海軍機動部隊全史』(新人物往来社、1999年) ISBN 4-404-02722-2
- 高戸顕隆『海軍主計大尉の太平洋戦争 私記ソロモン海戦・大本営海軍報道部』光人社NF文庫、1999年。ISBN 4-7698-2227-8。
高戸は駆逐艦「照月」主計長。南太平洋海戦を「照月」艦橋で体験。 - 牧島貞一『炎の海 報道カメラマン空母と共に』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4-7698-2328-2
牧島は日映カメラマン。空母「翔鶴」に乗艦し、本海戦に参加する。 - 橋本廣『機動部隊の栄光 艦隊司令部信号員の太平洋海戦記』光人社、2001年。ISBN 4-7698-1028-8。
橋本は司令部信号兵。南雲司令部の一員として「翔鶴」艦橋勤務。 - 金沢秀利『空母雷撃隊 艦攻搭乗員の太平洋海空戦記』光人社、2002年。ISBN 4-7698-1055-5。
金沢は元「飛龍」所属で、沈没後「飛鷹」艦攻搭乗員。本海戦では「隼鷹」第二次攻撃隊として出撃した。 - 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』光人社NF文庫新装版、2004年。ISBN 978-4-7698-2027-7。
- エドワード・P・スタッフォード 著、井原裕司 訳『空母エンタープライズ THE BIG E 上巻』元就出版社、2007年。ISBN 978-4-86106-157-8。
- 小板橋孝策『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』光人社NF文庫、2008年。ISBN 978-4-7698-2560-9。
高橋武士(艦長伝令、艦橋勤務)の戦時日記を元に小板橋が編集。小板橋は「愛宕」沈没時の航海士。 - 大塚好古、「ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦」『歴史群像太平洋戦史シリーズ59 ソロモンの激闘 ガダルカナル島争奪を巡る日米機動部隊総力戦の全貌』、学習研究社、2007年、ISBN 978-4-05-604823-0
- 淵田美津雄、奥宮正武『機動部隊』学研M文庫、2008年。ISBN 978-4-05-901222-1。