「三光作戦」の版間の差分
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よく知られた呼称が中国語であることなどから「三光作戦は中国側の[[プロパガンダ]]だ」と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。「中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある」という説を唱える者もいる。その中には「中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた」という説もある。<!--どちらもソース希望-->これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も近年[[新しい歴史教科書をつくる会|つくる会]]などから提唱されている。 |
よく知られた呼称が中国語であることなどから「三光作戦は中国側の[[プロパガンダ]]だ」と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。「中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある」という説を唱える者もいる。その中には「中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた」という説もある。<!--どちらもソース希望-->これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も近年[[新しい歴史教科書をつくる会|つくる会]]などから提唱されている。 |
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==中国共産党の報復青野を奨励する方法== |
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報復青野を奨励する方法(支那紙大公報所載より抜粋) |
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報復青野を奨励する方法 |
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共匪は大いに階級闘争を主張する故に地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略としてこれほど甚だしいものはない。 |
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== 脚註 == |
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2011年3月2日 (水) 23:43時点における版
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燼滅作戦(じんめつさくせん)、または燼滅掃討作戦(じんめつそうとうさくせん)は、日中戦争(支那事変)中に旧日本軍の陸軍、特に北支那方面軍などが1940年8月2日以降、中国華北を中心に、抗日ゲリラ対策として行われた根拠地とみなした地域への根絶作戦である。主に共産党の八路軍根拠地に対しておこなわれた。2004年7月に防衛庁はかねてから存在の知られていた戦時史料の歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」を公開し、その中で山西省での燼滅作戦における撒毒指示(毒ガスではないかとされる)が認められた[1][2]。
一方、この作戦自体が中国のプロパガンダだとする声もある。
三光作戦
対応する中国語の呼称は三光作戦であり、1941年の『解放日報』に初出が見られるという(尚、当時の『解放日報』は、中国共産党の博古が責任者を務めている)。三光とは、殺光・焼光・搶光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすの意である。日本の資料には燼滅作戦等の名称で記されている。日本では撫順戦犯管理所等に収容され後に解放された中国帰還者連絡会が1957年に発行した『三光』からこの「三光作戦」という呼称が広がったとされる。
よく知られた呼称が中国語であることなどから「三光作戦は中国側のプロパガンダだ」と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。「中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある」という説を唱える者もいる。その中には「中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた」という説もある。これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も近年つくる会などから提唱されている。
中国共産党の報復青野を奨励する方法
報復青野を奨励する方法(支那紙大公報所載より抜粋)
報復青野を奨励する方法
共匪は大いに階級闘争を主張する故に地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略としてこれほど甚だしいものはない。
脚註
- ^ 「戦史資料:致死性の毒ガス「イペリット」を使用 防衛庁」『毎日新聞』2004年7月26日。
- ^ 吉見義明『毒ガス戦と日本軍』p.351 岩波書店、2004年 ISBN 9784000241281
関連文献
- 神吉晴夫 編『三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白』(光文社カッパ・ブックス、1957年)
- 秦郁彦 編『昭和史20の争点』(文藝春秋)
- 田辺敏雄『検証旧日本軍の「悪行」』(自由社)
- 山上たつひこ 『光る風』(『少年マガジン』連載、1970年)