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'''渡辺 淳一'''(わたなべ じゅんいち、{{Jdate|1933|10|24}} - )は、日本の作家。[[北海道]][[上砂川町]]出身。1958年[[札幌医科大学]][[医学部]]卒業。[[博士 (医学)|医学博士]]。
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==来歴==
== 来歴 ==
1964年[[札幌医科大学]]助手、1966年同大医学部[[整形外科学|整形外科]]教室[[講師 (教育)|講師]]。同大学の[[和田寿郎]]教授による[[和田心臓移植事件]]を題材にした『小説・心臓移植』(1969年3月。後に『白い宴』と改題、[[角川文庫]])を発表し、大学を去る。1970年、37歳の時に総理大臣[[寺内正毅]]をモデルとしたとされる『[[光と影 (渡辺淳一)|光と影]]』で第63回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞し、本格的に作家活動を開始した。直木賞、[[吉川英治文学賞]]、[[中央公論文芸賞]]、[[柴田錬三郎賞]]、[[島清恋愛文学賞]]選考委員。
[[1964年]][[札幌医科大学]]助手、[[1966年]]同大医学部[[整形外科学|整形外科]]教室[[講師 (教育)|講師]]。同大学の[[和田寿郎]]教授による[[和田心臓移植事件]]を題材にした『小説・心臓移植』([[1969]]3月。後に『白い宴』と改題、[[角川文庫]])を発表し、大学を去る。1970年、37歳の時に総理大臣[[寺内正毅]]をモデルとしたとされる『[[光と影 (渡辺淳一)|光と影]]』で第63回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞し、本格的に作家活動を開始した。直木賞、[[吉川英治文学賞]]、[[中央公論文芸賞]]、[[柴田錬三郎賞]]、[[島清恋愛文学賞]]選考委員。


=== 作風とその変化 ===
=== 作風とその変化 ===
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[[直木三十五賞|直木賞]]、[[吉川英治文学賞]]はじめ多くの文学賞の選考委員を務めている。今日では少なくなった、[[同人誌]]経験のある作家であることから、相互批判は当然のこととしており、そのせいか発言に容赦はなく、それがかえって批判の対象となることもある。
[[直木三十五賞|直木賞]]、[[吉川英治文学賞]]はじめ多くの文学賞の選考委員を務めている。今日では少なくなった、[[同人誌]]経験のある作家であることから、相互批判は当然のこととしており、そのせいか発言に容赦はなく、それがかえって批判の対象となることもある。


2005年(平成17年)11月15日に午前中での[[福岡県]][[北九州市]]での講演を終えて東京に戻る飛行機に乗る為に[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]から[[博多駅]]まで[[山陽新幹線]]の『[[のぞみ]]』で移動した際に自由席特急券と乗車券で乗車したのにも関らず指定席に乗車して山陽新幹線で小倉から博多へ向かう時は、自由席特急券と乗車券で『[[ひかり]]』と『[[こだま]]』の空いている指定席に乗車可能だが、『のぞみ』は例外)乗務していた車掌から注意を受けて移動したが、その際に[[グリーン車]]に座っていたために再度指定席で注意した車掌に注意を受ける。
[[2005年]](平成17年)[[11月15日]]に午前中での[[福岡県]][[北九州市]]での講演を終えて東京に戻る飛行機に乗る為に[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]から[[博多駅]]まで[[山陽新幹線]]の『[[のぞみ]]』で移動した際に自由席特急券と乗車券で乗車したのにも関らず指定席に乗車して<ref>山陽新幹線で小倉から博多へ向かう時は、自由席特急券と乗車券で『[[ひかり]]』と『[[こだま]]』の空いている指定席に乗車可能だが、『のぞみ』は例外である。参考までに[[東海道新幹線]]では平日の始発から午前9時までに[[新横浜駅]]を出発するのぞみ・ひかりに限り(注:この時間帯のこだまは普通車全車自由席である新横浜駅から東京駅まで自由席特急券で普通車指定席に乗車できる。'''ただし、いずれも[[グリーン車]]指定席には乗車できない'''。</ref>乗務していた車掌から注意を受けて移動したが、その際に[[グリーン車]]に座っていたために再度指定席で注意した車掌に注意を受ける。


しかし、注意した車掌に対して「これ位は大目に見る物だよ! 本当に融通が利かないね!」と説教した挙句、その1週間後の同年11月22日の日記に「堅すぎる車掌さん」というタイトルで自身のブログに掲載した。大型掲示板『[[2ちゃんねる]]』からの情報等で、この日記に対しての批判が相次ぎ、渡辺自身もそうした批判を「荒らし」扱いで切り捨てた挙句、該当日記を削除した。
しかし、注意した車掌に対して「これ位は大目に見る物だよ! 本当に融通が利かないね!」と説教した挙句、その1週間後の同年[[11月22日]]の日記に「堅すぎる車掌さん」というタイトルで自身のブログに掲載した。大型掲示板『[[2ちゃんねる]]』からの情報等で、この日記に対しての批判が相次ぎ、渡辺自身もそうした批判を「荒らし」扱いで切り捨てた挙句、該当日記を削除した。


===鈍感力===
=== 鈍感力 ===
「鈍感力」(どんかんりょく)は、[[2007年]]に発売した[[エッセイ]]集の題名でもある。
「鈍感力」(どんかんりょく)は、[[2007年]]に発売した[[エッセイ]]集の題名でもある。


元首相の[[小泉純一郎]]は同年2月20日、国会内で当時の幹事長[[中川秀直]]、官房長官[[塩崎恭久]]らと会い、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな」と発言し、その中で『鈍感力』という言葉を引用したため流行語となった。同書は同年夏までに100万部を売るベストセラーとなっている。
元首相の[[小泉純一郎]]は同年2月20日、国会内で当時の幹事長[[中川秀直]]、官房長官[[塩崎恭久]]らと会い、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな」と発言し、その中で『鈍感力』という言葉を引用したため流行語となった。同書は同年夏までに100万部を売るベストセラーとなっている。


==受賞歴==
== 受賞歴 ==
*1965年(昭和40年) 第12回[[同人雑誌賞|新潮同人雑誌賞]] - 『死化粧』
*[[1965年]](昭和40年) 第12回[[同人雑誌賞|新潮同人雑誌賞]] - 『死化粧』
*1970年(昭和45年) 第63回[[直木三十五賞|直木賞]] - 『[[光と影 (渡辺淳一)|光と影]]』
*[[1970年]](昭和45年) 第63回[[直木三十五賞|直木賞]] - 『[[光と影 (渡辺淳一)|光と影]]』
*1979年(昭和54年) 第14回[[吉川英治文学賞]]- 『[[遠き落日]]』『長崎ロシア遊女館』
*[[1979年]](昭和54年) 第14回[[吉川英治文学賞]]- 『[[遠き落日]]』『長崎ロシア遊女館』
*1983年(昭和58年) 第48回[[文藝春秋読者賞]] - 『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』
*[[1983年]](昭和58年) 第48回[[文藝春秋読者賞]] - 『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』
*2001年(平成13年) [[アイスランド]]隼勲章騎士章<ref>{{Cite web|url=http://www.forseti.is/Forsida/Falkaordan/Falkaordan2001/|title={{Lang|is|Fálkaorðan 2001}}|work={{Lang|is|Forseti Íslands}}|publisher={{Lang|is|Skrifstofa forseta Íslands}}(アイスランド大統領府)|language=アイスランド語|accessdate=2008-10-14}}</ref>
*[[2001年]](平成13年) [[アイスランド]]隼勲章騎士章<ref>{{Cite web|url=http://www.forseti.is/Forsida/Falkaordan/Falkaordan2001/|title={{Lang|is|Fálkaorðan 2001}}|work={{Lang|is|Forseti Íslands}}|publisher={{Lang|is|Skrifstofa forseta Íslands}}(アイスランド大統領府)|language=アイスランド語|accessdate=2008-10-14}}</ref>
*2003年(平成15年) [[紫綬褒章]]
*[[2003年]](平成15年) [[紫綬褒章]]


==経歴==
== 経歴 ==
*1933年10月24日 数学教師の長男として誕生
*1933年10月24日 数学教師の長男として誕生
*1946年 [[札幌市立幌西小学校]]卒業
*1946年 [[札幌市立幌西小学校]]卒業

2011年2月16日 (水) 07:46時点における版

渡辺 淳一
画像募集中
誕生 (1933-10-24) 1933年10月24日(91歳)
北海道上砂川町
職業 作家、医師
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1970年ごろ - 現在
主題 小説
代表作光と影
遠き落日
『長崎ロシア遊女館』
『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』
失楽園
主な受賞歴 受賞歴を参照
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渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年昭和8年)10月24日 - )は、日本作家北海道上砂川町出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士

来歴

1964年札幌医科大学助手、1966年同大医学部整形外科教室講師。同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした『小説・心臓移植』(1969年3月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。1970年、37歳の時に総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる『光と影』で第63回直木賞を受賞し、本格的に作家活動を開始した。直木賞、吉川英治文学賞中央公論文芸賞柴田錬三郎賞島清恋愛文学賞選考委員。

作風とその変化

主題は、伝記(『花埋み』『女優』『遠き落日』など)、医療(『白い宴』『麻酔』など)、性的描写の濃い男女関係(『化身』『失楽園』『愛の流刑地』など)の三つに大別されるが、各ジャンルを融合したものも少なくない。概ね初期においては医療をテーマとした社会派的な作品が多かったが、後期以降は中年男女の性愛を大胆に描いた作品で話題を呼んでいる。伝記は時期を問わず書き続けられており、現代日本の代表的な伝記作家の一人となっている。

この他、医療や身体から恋愛論、身辺雑記にいたるまで、幅広いテーマでエッセーも多く手がけている。

評価

デビュー以来40年に亘り第一線で執筆を続け、ミリオン・セラーも複数ある。作品の幅は広く、多くの文学賞の選評委員を務める。作品や発言がセンセーショナルな話題を呼ぶことも少なくない一方、物議を醸すことも少なくなく、毀誉褒貶の激しい作家である。

初期の医療を主題にした作品、中期以降の伝記的な作品はおおむね高い評価が向けられる。その一方、多くの読者を獲得した後期の一連のエロティシズムを主題とした作品群は、好色的関心に訴える一種のポルノとして受け止められ、文学的に正面から論じられないばかりか、揶揄するような批評もある。例えば豊崎由美は「中年男の願望充足小説」とのレッテル貼りを行い、渡辺を「ジュンちゃん」「下半身ご意見番」と呼んで性愛に関わる発言を揶揄している。福田和也は『作家の値うち』において「亡国的作家」「紋切り型のポルノグラフィー」と斬り捨てている。このように多くの評論家の評価は極めて低いが、川西政明のように高い評価を与えている者もいる。

特筆すべきは近年の中国における評価であり、特に後期の性愛ものの人気が高い。ある調査によれば、1990年代末以降、中国で最も翻訳されている日本の作家は村上春樹と渡辺であるという。[要出典]中国の女流人気作家で結婚生活や不倫を描いた小説で話題を呼んでいる王海鴒など、渡辺の不倫小説の影響を強く受けた作家も登場している。都市化による家族の紐帯の希薄化により、精神的支柱としての家庭が崩壊しつつあることが背景にあると言われる(『朝日新聞』2006年5月7日)。

中国での加熱する人気は訴訟沙汰も引き起こしている。著作6冊を無断で出版されたことによる著作権侵害を理由に、2008年夏に渡辺は中国の出版社を相手取り、上海市法院に提訴した。これは地元紙のトップを飾るなど大きな話題を呼んだ。

人物

活動・主張

テレビ番組にコメンテーターとして出演した際、時事問題について独自に調べ、ごく稀に鋭い指摘をする一方で、PS3の発売騒動に対し「ただの黒い箱。このような物に熱狂するからいじめ自殺が増加するんだ」など、浅薄で偏見的なコメントをしている。こういった批判は『デジモンアドベンチャー』の紹介がされた際にも、「観る価値があるんですか?」と発言している。また、女性に対する著しい偏見などが作品の中に散見する。整形外科医師として在籍していた医科大で行われた日本初の心臓移植手術に対し、学内にありながら疑義を呈したため、大学を去ることとなり、筆一本で生きていくことになった。

直木賞吉川英治文学賞はじめ多くの文学賞の選考委員を務めている。今日では少なくなった、同人誌経験のある作家であることから、相互批判は当然のこととしており、そのせいか発言に容赦はなく、それがかえって批判の対象となることもある。

2005年(平成17年)11月15日に午前中での福岡県北九州市での講演を終えて東京に戻る飛行機に乗る為に小倉駅から博多駅まで山陽新幹線の『のぞみ』で移動した際に自由席特急券と乗車券で乗車したのにも関らず指定席に乗車して[1]乗務していた車掌から注意を受けて移動したが、その際にグリーン車に座っていたために再度指定席で注意した車掌に注意を受ける。

しかし、注意した車掌に対して「これ位は大目に見る物だよ! 本当に融通が利かないね!」と説教した挙句、その1週間後の同年11月22日の日記に「堅すぎる車掌さん」というタイトルで自身のブログに掲載した。大型掲示板『2ちゃんねる』からの情報等で、この日記に対しての批判が相次ぎ、渡辺自身もそうした批判を「荒らし」扱いで切り捨てた挙句、該当日記を削除した。

鈍感力

「鈍感力」(どんかんりょく)は、2007年に発売したエッセイ集の題名でもある。

元首相の小泉純一郎は同年2月20日、国会内で当時の幹事長中川秀直、官房長官塩崎恭久らと会い、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな」と発言し、その中で『鈍感力』という言葉を引用したため流行語となった。同書は同年夏までに100万部を売るベストセラーとなっている。

受賞歴

経歴

  • 1933年10月24日 数学教師の長男として誕生
  • 1946年 札幌市立幌西小学校卒業
  • 1949年 学制改革で北海道立第一中学校卒業
  • 1952年 北海道札幌南高等学校卒業
  • 北海道大学理類入学
  • 1954年 札幌医科大学医学部入学
  • 1958年 札幌医科大学医学部卒業
  • 三井厚生年金病院でインターン
  • 1959年 医師免許取得
  • 札幌医科大学大学院医学研究科博士課程入学
  • 1963年 大学院修了、医学博士(論文名『P32による骨移植の実験的研究』)
  • 1964年 札幌医科大学整形外科教室助手
  • 1966年 札幌医科大学整形外科教室講師
  • 1969年 札幌医科大学を退職
  • 1970年 作家専業

著書

小説

  • ダブル・ハート 文藝春秋 1969 「死化粧」角川文庫、文春文庫
  • 北方領海 学習研究社 1969
  • プレパラートの翳 講談社 1969 「自殺のすすめ」角川文庫、文春文庫、「病める岸」講談社文庫
  • 小説心臓移植 文藝春秋 1969 (ポケット文春)
  • 光と影 文藝春秋 1970 のち文庫
  • 二つの性 広済堂出版 1970 「酔いどれ天使」角川文庫
  • ガラスの結晶 講談社 1970 「秋の終りの旅」講談社文庫
  • 母胎流転 角川書店 1971
  • リラ冷えの街 河出書房新社 1971 のち新潮文庫
  • 恐怖はゆるやかに 角川書店 1971 のち文庫、中公文庫
  • 富士に射つ 文藝春秋 1972 のち文庫
  • パリ行最終便 河出書房新社 1972 のち新潮文庫
  • 無影燈 毎日新聞社 1972 のち角川文庫、文春文庫
  • 空白の実験室 青娥書房 1972
  • 白き手の報復 毎日新聞社 1972 のち中公文庫、新潮文庫
  • 十五歳の失踪 講談社 1972
  • 阿寒に果つ 中央公論社 1973 のち文庫、角川文庫、扶桑社文庫
  • 雪舞 河出書房新社 1973 のち文春文庫
  • 野わけ 集英社 1974 のち文春文庫、集英社文庫、角川文庫
  • 北都物語 河出書房新社 1974 のち新潮文庫
  • 氷紋 講談社 1974 のち文庫
  • 白き狩人 祥伝社 1974 (ノン・ノベル)のち集英社文庫
  • 冬の花火 角川書店 1975 のち文庫、集英社文庫、文春文庫
  • 白き旅立ち 新潮社 1975 のち文庫
  • 四月の風見鶏 文藝春秋 1976 のち文庫、角川文庫
  • 夜の出帆 文藝春秋 1976 のち文庫、角川文庫
  • 白い宴 角川文庫 1976
  • 失われた椅子 文春文庫 1976 のち角川文庫
  • 廃礦にて 角川文庫 1976 のち中公文庫
  • まひる野 新潮社 1977 のち文庫
  • 神々の夕映え 講談社 1978 のち文庫
  • 公園通りの午後 毎日新聞社 1978 のち角川文庫、集英社文庫
  • ふたりの余白 中央公論社 1978 のち文庫、集英社文庫
  • 峰の記憶 文藝春秋 1978 のち文庫
  • 優しさと哀しさと 集英社文庫 1978
  • くれなゐ 集英社 1979 のち文庫
  • 午後のヴェランダ 新潮社 1979 のち文庫
  • 白夜 1-5 中央公論社 1980-88(自伝小説) のち文庫、新潮文庫、嶋中文庫、ポプラ文庫
  • 流氷への旅 集英社 1980 のち文庫、角川文庫
  • 麗しき白骨 毎日新聞社 1981 のち集英社文庫
  • 七つの恋の物語 新潮社 1981 のち文庫
  • 北国通信 集英社 1981 のち文庫、中公文庫
  • 桐に赤い花が咲く 集英社文庫 1981 のち新潮文庫
  • 化粧 朝日新聞社 1982 のち新潮文庫、講談社文庫、新潮文庫
  • 退屈な午後 毎日新聞社 1982 のち新潮文庫
  • 雲の階段 講談社 1982 のち文庫、角川文庫
  • ひとひらの雪 文藝春秋 1983 のち文庫、角川文庫、集英社文庫
  • 愛のごとく 新潮社 1984 のち文庫
  • 風の岬 毎日新聞社 1985 のち角川文庫
  • 長く暑い夏の一日 講談社 1985 のち文庫
  • 化身 集英社 1986 のち文庫
  • 別れぬ理由 新潮社 1987 のち文庫、中公文庫
  • 浮島 角川書店 1988 のち文庫、文春文庫
  • 桜の樹の下で 朝日新聞社 1989 のち新潮文庫、朝日文庫
  • うたかた 講談社 1990 のち文庫、集英社文庫
  • 風の噂 新潮社 1990 のち講談社文庫、新潮文庫
  • 小指のいたみ 広済堂文庫 1990 のち文春文庫
  • 影絵 ある少年の愛と性の物語 中央公論社 1990 のち文庫、扶桑社文庫
  • メトレス愛人 文藝春秋 1991 のち文庫
  • 何処へ 新潮社 1992 のち文庫
  • 麻酔 朝日新聞社 1993 のち講談社文庫、朝日文芸文庫
  • 夜に忍びこむもの 集英社 1994 のち文庫、文春文庫
  • ヴェジタブル・マン(植物人間) 新潮文庫 1996
  • 失楽園 講談社 1997 のち文庫、角川文庫
  • かりそめ 新潮社 1999 のち文庫
  • 泪壺 講談社 2001 のち文庫
  • シャトウルージュ 文藝春秋 2001 のち文庫
  • エ・アロール それがどうしたの 角川書店 2003 のち文庫
  • 幻覚 中央公論新社 2004 のち文庫
  • 愛の流刑地 幻冬舎 2006 のち文庫
  • あじさい日記 講談社 2007

伝記小説

  • 花埋み 河出書房新社 1970(荻野吟子の伝記小説)のち新潮文庫、角川文庫、集英社文庫
  • 遠き落日 角川書店 1979(野口英世の伝記小説)のち文庫、集英社文庫
  • 長崎ロシア遊女館 講談社 1979 のち文庫
  • 女優 集英社 1983(松井須磨子の伝記小説)のち文庫、角川文庫
  • 静寂の声 乃木希典夫妻の生涯 文藝春秋 1988 のち文庫
  • 君も雛罌粟われも雛罌粟 与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯 文藝春秋 1996 のち文庫

随筆など

  • 解剖学的女性論 講談社 1972 のち文庫
  • 渡辺淳一クリニック 対談集 文藝春秋 1974 のち文庫
  • 雪の北国から 中央公論社 1976 のち文庫、角川文庫
  • わたしの女神たち 角川書店 1976 のち文庫、集英社文庫
  • 華麗なる年輪 対談集 光文社 1982 のち角川文庫
  • 渡辺淳一未来学対談 講談社 1984 「ロマンチシズムとしての未来」文庫
  • 12の素顔 渡辺淳一の女優問診 朝日新聞社 1984 のち角川文庫
  • みずうみ紀行 光文社 1985 のち文庫、「湖畔幻想」角川文庫
  • 男と女のいる風景 愛と生をめぐる言葉の栞334 新潮文庫 1987
  • わたしの京都 講談社 1989 のち文庫
  • 新釈・からだ事典 集英社 1989 のち文庫
  • いま、ワーキングウーマンは… 対談集 朝日新聞社 1990
  • いま脳死をどう考えるか 講談社 1991 のち文庫
  • 脳は語らず 新潮文庫 1991 のち中公文庫
  • 恋愛学校 集英社 1992 「シネマティク恋愛論」文庫
  • 渋谷原宿公園通り 講談社 1992 「風のように・みんな大変」文庫
  • 風のように・母のたより 講談社 1993 のち文庫
  • 風のように・忘れてばかり 講談社 1994 のち文庫
  • 創作の現場から 集英社 1994 のち文庫
  • 風のように・返事のない電話 講談社 1995 のち文庫
  • 遠い過去近い過去 角川書店 1995 のち文庫
  • これを食べなきゃ わたしの食物史 集英社 1995 のち文庫
  • ものの見かた感じかた 渡辺淳一エッセンス 講談社 1995 のち文庫
  • 本屋でぼくの本を見た メディアパル、1996 のち角川文庫
  • 風のように・嘘さまざま 講談社 1996 のち文庫
  • 新釈・びょうき事典 Medical essay 集英社 1996 のち文庫
  • 男というもの 中央公論社 1998 のち文庫
  • 反常識講座 光文社 1998 「知的冒険のすすめ」知恵の森文庫
  • 風のように・別れた理由 講談社 1998 のち文庫
  • 風のように・不況にきく薬 講談社文庫 1999
  • 源氏に愛された女たち 集英社 1999 のち文庫
  • 男と女 講談社 1999 のち小学館文庫
  • 風のように・贅を尽くす 講談社 2000 のち文庫
  • マイセンチメンタルジャーニイ 集英社 2000 のち文庫
  • 秘すれば花 サンマーク出版 2001 のち講談社文庫
  • キッスキッスキッス 小学館 2002 「ラヴレターの研究」集英社文庫
  • 手書き作家の本音 風のように 講談社 2002 のち文庫
  • シニアのためのスーパーゴルフ塾 金井清一 文春ネスコ 2002
  • 男の手のうち女の胸のうち 対談集 光文社 2003
  • 男時・女時 風のように 講談社 2003 のち文庫
  • 夫というもの 集英社 2004 のち文庫
  • しなやかにしたたかに 日本放送出版協会 2004
  • 風のように 女がわからない 講談社 2005 のち文庫
  • 懲りない男と反省しない女 渡辺淳一と女たち 中央公論新社 2005 のち文庫
  • 恋愛の毛沢東 あとの祭り 新潮社 2005 「指の値段」文庫
  • みんな大変 講談社 2006 のち文庫
  • 恋愛は革命 あとの祭り 新潮社 2006 「冬のウナギと夏のふぐ」文庫
  • これだけ違う男と女 渡辺淳一と女たち 中央公論新社 2006 のち文庫
  • 鈍感力 集英社 2007
  • 知より情だよ あとの祭り 新潮社 2007 のち文庫
  • 熟年革命 講談社 2008
  • 人間も偽装が好き あとの祭り 新潮社 2008
  • あきらめるのはまだ早い 対談ここまできた最新医学1-2 講談社 2008
  • 欲情の作法 幻冬舎 2009
  • 告白的恋愛論 角川書店、2009

作品集

  • 渡辺淳一作品集 全23巻 文藝春秋 1980-81
  • 渡辺淳一全集 24巻 角川書店 1995-97
  • 渡辺淳一自選短篇コレクション 全5巻 朝日新聞社 2006

映像化された作品

その他の作品

『渡辺淳一作品集』全23巻が、文藝春秋から刊行されている。

関連項目

外部リンク

脚注・出典

  1. ^ 山陽新幹線で小倉から博多へ向かう時は、自由席特急券と乗車券で『ひかり』と『こだま』の空いている指定席に乗車可能だが、『のぞみ』は例外である。参考までに東海道新幹線では平日の始発から午前9時までに新横浜駅を出発するのぞみ・ひかりに限り(注:この時間帯のこだまは普通車全車自由席である)新横浜駅から東京駅まで自由席特急券で普通車指定席に乗車できる。ただし、いずれもグリーン車指定席には乗車できない
  2. ^ Fálkaorðan 2001” (アイスランド語). Forseti Íslands. Skrifstofa forseta Íslands(アイスランド大統領府). 2008年10月14日閲覧。