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「淫蕩」の版間の差分

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{{See Wiktionary|放埓な性生活全般|淫蕩}}{{複数の問題|独自研究=2011年7月|精度=2012年12月}}{{暫定記事名|date=2011年6月}}{{性的}}
{{性的}}


'''淫蕩'''(いんとう)とは不特定多数の異係を持つなどして生活が乱れること。あるはそのさまを指言葉
本記事では'''淫蕩'''(いんとう)について説明する。また'''[[行為|]]に関して奔放な人'''、につても説明


<!--{{要出典範囲|このような概念は、一般的に'''淫蕩'''(いんとう)、'''淫乱'''(いんらん)、あるいは'''多淫'''(たいん)などという語を伴って表現される。また、不特定多数の相手と性的関係を持つ人間や、その結果として生活が乱れる様子などを指す表現は、「[[プレイボーイ]]」「[[ビッチ]]」などといった[[通称|俗称]]や[[侮蔑#侮蔑表現の分類と種類|蔑称]]が多く存在する。|date=2011-7}}-->

<!--
要出典。『淫蕩』あるいは『性的に奔放な人』という出典が提示されていないまま、異常性欲と結び付けている。

[[精神医学]]における[[異常性欲]]の状態は「[[色情症]](色情狂または多淫症)」を参照のこと。
-->
==概要==
==概要==
「淫蕩」という言葉は、名詞や形容動詞として用いられ、淫蕩とは「酒色(しゅしょく)にふけって素行の悪い」者や「みだらな享楽(きょうらく)にふける」状態を指す
日本では本来性に関してはかなりおおらかであった。貴族や武士などには、家存続の目的から相応の性道徳が求められたものの、それは一神教の文化圏のように、宗教的な影響によるものではなかった。日本は、[[キリスト教]]文化圏のように結婚前の性行為を厳しく禁じるようなことはなかったし、日本の家族制度は中国・韓国とは異なり[[儒教]]道徳の影響が比較的薄かった。また日本の家族制度も、養子縁組が盛んに行われるなど血統には必ずしも重きをおかれず、父系の血統存続を最重視していた中国・韓国とはその性質を異にする。
<ref name="daijisen">[[大辞泉]]([[小学館]]、[[1995年]])</ref><ref name="kojien6">[[広辞苑]] 第六版([[岩波書店]]、[[2008年]])「淫蕩」の項目。</ref>。
<!--「{{要出典範囲|不特定多数の相手と性的関係を持つ人間やその生活習慣は、日本語で言うところの「淫蕩」「淫乱」「多淫」などといった否定的な語で形容され、批判の対象になりやすい|date=2012年12月}}」と誰が言った?-->
<ref group="注">
「淫(いん)」または「婬(いん)」という字について。


特に「男女の性行為に関して非難の意を込めていうことが多い」とある。
平安時代の上流貴族では、一夫多妻制の上に招婿婚という婚姻制度もあり、淫蕩や[[姦通]]に対する抵抗感は薄かった。しかし、平安後期には下級貴族や武士の間で一夫一婦制が定着。鎌倉時代には、[[御成敗式目]]に不倫密懐に関する処罰が規定され(第34条)、[[不倫]]は所領半分没収の上職務罷免とされ、武家文化の中で厳しく処罰される端緒となった(一方、[[男色]]は武士階級における主従関係の価値観と結びつけられ、大いに流行した)。江戸時代の[[武士]]には儒教道徳が浸透し、特に女性に対し貞操が要求された。
(出典:古語大辞典 第一巻([[角川書店]]、[[1982年]])


「淫」や「婬」という漢字そのものが性交や性器に関連する言葉として使用されている。古い使用例として、[[平安時代]](後期)の説話集「[[今昔物語]]」には「不浄の'''淫'''付きて染みたり(精液が付着すれば穢れてしまう)」や「男女娶がずと云えども、身の内に'''婬'''入ぬれば、此なむ子を生じける(男女が結婚せずに、身勝手にみだらな行いをすれば、望まぬ子供を妊娠してしまう)」などがある。
江戸時代には[[遊郭]]などにおいて売春が公然と行われており、男性の中には花魁や茶屋女に入れあげて稼ぎを使い果たしたり、生活が荒む者も見られた。こうした様子を「色に溺れる」「女色に溺れる」などと表現し、淫蕩の代表とされた。また多くの場合は遊びの代表とされる飲む([[アルコール飲料|酒]])、打つ([[ギャンブル|博打]])、買う([[売春|買春]])をひとまとめにしており、「酒色に溺れる」と表現した場合は酒と女で身を持ち崩したさまを言う。
</ref>


===日本===
一方で男性側のこうした遊びは男の[[甲斐性]]として考えられる傾向もあり、貞操重視の風潮も相まって、男性の遊びはしてよいもの、女性は(遊女以外は)貞淑であれ、とする考えが一部では存在していた。明治時代には[[姦通罪]]を定めた刑法が定められ、[[昭和]]にかけてこうした考えがしだいに庶民にまで浸透していった。
[[戦国武将]]の[[織田信長]]が、「山門、山下の僧衆王城の鎮守たりといえども、業躰業法(ぎょうたいぎょうほう、その実態や有様はといった意味)、出家の作法にも拘らず、天下の嘲弄をも恥じず、天道の畏れをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賂に耽り」([[信長公記]])と批判して、[[1571年]]に[[比叡山]]にあった[[天台宗]]の[[延暦寺]]を焼き払った([[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山焼き討ち]])。


{{要出典範囲|江戸時代における「淫蕩」とは、「飲む」「打つ」「買う」の全てを指す言葉だったという|date=2012年12月}}。
[[キリスト教]]、[[ユダヤ教]]では[[姦淫]]は重罪であり、許されることではなかった(しかし、性道徳において本音と建前は往々にして乖離するものであり、時代や文化圏によってはこのような道徳は必ずしも守られなかった)。


「{{要出典範囲|明治時代は、政府が庶民の性道徳を一気に近代化しようとした時代だった。|date=2012年12月}}」{{誰|date=2012年12月}}
[[イスラーム]]世界では女性の肌を見せることすら禁忌であるため、もちろん淫蕩は禁忌であるが、[[ハーレム]]の存在が誤解されて伝わり[[スルターン]]や[[シャイフ|シーク]]が多数の女性を性奴隷として囲うという誤ったイメージが生み出された。


[[江戸時代]]に入り、[[儒教]]の道徳感が[[武士道]]に組み込まれて浸透するようになると、女性に対する[[貞操観念]]が強く要求されるようになり、その後の[[処女]]崇拝への端緒となった{{要出典|date=2012年12月}}。一方で、[[江戸幕府]]公認の[[遊廓]]では[[商人]]や[[町人]]と共に武士も女遊びを楽しんでいたこと、[[血縁]]に頼らない[[養子縁組]]や[[妾]]の[[風習]]などが盛んであったこと、主従関係や[[義兄弟]]の絆を深めるために[[男色]]が流行したことなど、武士であっても性道徳に関しては柔軟な一面を残していたことがうかがえる{{要出典|date=2012年12月}}。また、[[庶民]]や地方の[[農村]]などでは依然として[[夜這い]]が男女共通の楽しみとして社会的に黙認されて存在しており、女性から男性を誘うことも特に恥ずかしいことではなく、地方によっては祭日などの特別な日に[[童貞]]が人妻へ指南を請うために夜這うことを黙認するような風習もあった{{要出典|date=2012年12月}}という{{誰|date=2012年12月}}。
===淫蕩の別称===
<!--
多くの女性と関係を持つ男性を指していくつかの呼び名がある。
{{参照方法}}
*男性の場合
<ref name="j" /><ref name="k" /><ref name="l" /><ref name="m" />
**ヤリチン
-->
**[[ドン・ファン]]
**[[ジゴロ]]
**プレイボーイ


江戸や明治の頃まで日常的だった[[混浴]]の風習は、渡来した欧米人たちから驚きをもって記録された。[[1853年]]の[[黒船来航]]でアメリカ艦隊を率い、[[1856年]]に帰国した[[マシュー・ペリー]]提督は[[アメリカ議会図書館]]に収めた公文書「ペリー艦隊日本遠征記(原題:Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan.)」の中で、「日本人は礼儀正しく大人しいが驚くべき習慣を持っている。ある公衆浴場での光景だが、男女が一緒に入り乱れて互いの裸体を気にしない。東洋諸国の中で優れた道徳を持つにもかかわらず、このような淫猥(いんわい)な行為は理解しがたい。」と述べた。また、[[春画]]や枕草紙についても見解を残しており、「淫乱の情を促す」もので「胸が悪くなるほど度が過ぎている」と不快感を露わにした<ref>オフィス宮崎編訳「ペリー艦隊日本遠征記」(万来舎、[[2009年]])。</ref><ref>中野明著「裸はいつから恥ずかしくなったか - 日本人の羞恥心」([[新潮選書]]、[[2010年]])</ref><ref group="注">{{要出典範囲|[[1855年]]にヴィンセント号で渡来したアメリカ人の士官アレクサンダー・ハバーシャムも、仮に「半分しか文明化していない[[東洋人]]」だとしても、「中流および下流階級の人々」は貞操観念に乏しく、「乱痴気(らんちき)なことに」若い女性であっても平気で混浴に入ることは理解出来ないと述べた。|date=2012年12月}}</ref>。{{要出典範囲|どのような時代であっても行き過ぎた遊びが[[恋人]]や[[夫婦]]の仲といった男女関係や[[人間関係]]を険悪にしてしまうのは当然の結末であり、性道徳にだらしのないことが[[性病]]の危険性まで高めてしまうことなどは(よい意味での)[[迷信]]まで含めて社会的にも充分認識されていた。|date=2012年12月}} <ref name="o">[[山本真鳥]]編「性と文化」([[法政大学出版局]]、[[2004年]])の苅谷春郎著「第2章・梅毒流行諸相」</ref>。<!-- 脱線 「淫蕩」あるいは「性的に奔放な人」というテーマの出典が欠如している。
女性の淫蕩の場合は女性に貞淑を求めて来た背景から蔑称、差別的な侮蔑を含むものになることが多い。

*女性の場合
<ref group="注">日本での[[梅毒]]の蔓延について、[[1563年]]に渡来した宣教師[[ルイス・フロイス]]は「男も女もそれを普通の事として少しも羞じない」、[[1857年]]に渡来した軍医ポンベ(ポンペ Johannes Lydius Catherinus Pompe van Meerdervoort)は「恐るべき状態がますます深刻に拡大しつつある」などと記録に残した。また、[[遊女]]たちは[[職業病]]とも言える梅毒になると「扱いは冷酷を極め、(中略)[[廓]]内の行灯部屋に閉じ込め看護も食事も充分に与えられず、(中略)放置された」という。その為、「[[投げ込み寺]]」としても知られる[[浄閑寺|箕輪浄閑寺]]([[東京都]][[台東区]][[三ノ輪]])に残る[[過去帳]]では「遊女の死亡平均年齢は22.7歳という悲しい数字」であり、「一見華やかに見える廊社会の過酷な実態」がうかがえるとした。([[花咲一男]]著「大江戸ものしり図鑑」([[主婦と生活社]]、[[2000年]])。「別世界吉原」や「市中の性風俗」より。)</ref>
**[[ヤリマン]]

**[[サセ子]]
[[幕末]]から[[明治]]になり、[[欧米諸国]]を参考に急激な近代化を目指した[[明治政府]]は[[1870年]]に「[[律令法|新律綱領]](しんりつこうりょう)」を発布する。これはひとつの事例に過ぎないが、同時期に地位の高い男性や経済的に裕福な男性が本妻以外の女性を妾として養うことは男女共に認知されており、[[戸籍]]に入れることも社会的に問題視されていなかった。しかし、[[1876年]]の元老院会議では「蓄妾(ちくしょう、妾を囲うこと)」という言葉と「廃妾(はいしょう、妾を廃止すること)」という言葉を用いて議題に掲げられ、「本妻が跡継ぎの男児を産まない可能性もあるので、妻の代わりとしての妾は有用」といった意見や、「性的欲求を満たすための妾は無用」などといった意見が議論として実際に交わされたという。結果的には、手本とした欧米諸国に照らし合わせて一夫一妻制や[[姦通罪]]を制定周知し、妾や夜這いといった風習は全て{{要出典範囲|淫蕩な行為として|date=2012年12月}}禁止になり、[[近代]]から[[現代]]へ至る性道徳や[[社会通念]]が成立するようになった。<ref>[[三橋修]]著「明治のセクシュアリティ-差別の心性史」(日本エディタースクール出版部、[[1999年]])。</ref><ref>[[黒岩比佐子]]著「明治のお嬢さま」([[角川学芸出版]]、[[2008年]])。第四章「家の存続と妾問題」より。<ref group="トリビア">なお「妾腹(めかけばら)という言葉が示しているように、女を腹として(道具のように見下して)扱うことを許す発想」が現代の「女は生む機械」に繋がるとしている。「生む(産む)機械」という言葉は、[[2007年]]の[[安倍内閣]]で第7代[[厚生労働大臣]]を務めた[[柳澤伯夫]]によるもので、女性への差別発言として当時のマスコミで大きく報道された。</ref>
**[[イエローキャブ (スラング)|イエローキャブ]]
-->
**[[公衆便所 (隠語)|公衆便所]]

**[[肉便器]]
===海外===
**[[パンパン]]
[[海外]]では、[[キリスト教]]や[[ユダヤ教]]なら[[婚前交渉]]や[[姦淫]]は重罪とされ、[[イスラム教]]なら女性の肌を他者へ見せることすら禁忌([[タブー]])として考えられているなど、淫蕩であることに対して非常に厳しい[[教義]]や処罰が多く存在している。
**[[ビッチ]]

**プレイガール
<!--{{要出典}}何れにしても、海外に限らず、教義や性道徳は厳格すぎても自由すぎても完璧に維持継続することは困難であり、性行為に関連する事象や淫蕩と看做された場合は往々にして誤解や[[風評被害]]を招きやすいとも言える。-->

<!--
『淫蕩』あるいは『性的に奔放な人』というタイトルの単行本、論文などの出典がまったく示されていない。

{{要出典範囲|過去、欧米諸国において[[オリエンタリズム]](東方趣味)が偏った憧憬や誤った思い込みを形成してしまい、[[中東]]の[[ハンマーム]](日本における[[性風俗]]としての「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」)や[[ハレム]](日本における一人の男性が複数の女性を独占する「[[ハーレム (曖昧さ回避)|ハーレム]]」)などが、淫蕩なイメージの一種として諸外国へ伝わってしまったような事例も多く存在している。|date=2012年12月}}

逆に、宗教や思想を悪用し、性に自由であることを拡大解釈したり、[[乱婚]](多夫多妻制)に寛容であることを教義などで定めた結果、単なる[[カルト]]集団となってしまった事例もある{{要出典|date=2012年12月}}。[[1969年]]にハリウッド女優[[シャロン・テート]]の殺害事件に関わった被告の[[チャールズ・マンソン]]([[:en:Charles Manson|Charles Manson]])は、一種の[[コミュニティー]](マンソン・ファミリー)を作って複数の女性を囲い、[[ドラッグ]]を服用しながらフリーセックスと称して[[乱交]]に耽ることもあった。同時代の[[大衆文化]]に大きな影響を与えた[[ヒッピー|ヒッピー・カルチャー]]([[:en:hippie culture|Hippie culture]])は、本来は[[カウンターカルチャー]]([[:en:counterculture|Counterculture]]、既存文化に対する抵抗文化)として、過去の慣習や従来の道徳観に縛られない「フリーラブ(Free Love)」と呼ばれる[[友愛]]思想を謳っていたものの、大概において「フリーセックス(Free Sex)」などと曲解して悪用されてしまうことが多く存在した。なお、実際にテートを殺害したのはマンソンを狂信していた女性たち、スーザン・アトキンス([[:en:Susan Atkins|Susan Atkins]])やパトリシア・クレンウィンケル([[:en:Patricia Krenwinkel|Patricia Krenwinkel]])であるが、彼女たちは殺害後の現場に「豚どもに死を(Death To Pigs)」との血文字まで残している。また、[[1978年]]に[[ガイアナ]]で900人以上の[[信者]]が[[集団自殺]]した「[[人民寺院|人民寺院(ジョーンズ・タウン)]]事件」では、[[教祖]]であり首謀者の[[ジム・ジョーンズ]]([[:en:Jim Jones|Jim Jones]])が複数の女性信者を[[性的奴隷]]として扱ったりしている。<ref>[[柳下毅一郎]]および[[アイカワタケシ]]著「コンプリート:チャールズ・マンソン ~ チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」([[コアマガジン]]、[[1999年]])。歴史に名を残す犯罪者の多くがその時代を象徴するように、マンソンも[[ヒッピー]]・カルチャーの負の側面を代表する人物として様々な物語で描かれている。 また、彼が[[ビートルズ]]の曲「[[ヘルター・スケルター]]」を[[黙示録]]の暗示として解釈し、インスピレーション([[霊感]])の源として崇めていたことは有名である。文献により、彼が囲い、彼を狂信していた女性たちはチャーリーズ・エンジェル(Charlie's Angels)と呼ばれる。</ref><ref>ティム・レイターマン([[:en:Tim Reiterman|Tim Reiterman]])およびジョン・ジェーコブズ(John Jacobs)著「人民寺院 ジム・ジョーンズとガイアナの大虐殺」(ジャプラン出版、[[1991年]])。原題は「[[:en:Raven (book)|Raven : The Untold Story of the Rev. Jim Jones and His People.]](レイベン:ジム・ジョーンズと、その人々の知られざる物語)」。-->

{{clear}}

<!--
百科辞典は類語辞典ではないし、連想辞典でもないので以下のような記述はしてはいけない。

==俗称・蔑称==
{{独自研究|section=1|date=2011年7月}}
-->
<!--
百科辞典は類語辞典ではないし、連想辞典でもないので以下のような記述はしてはいけない。

[[日本]]において使用される淫蕩の[[通称|俗称]]・[[侮蔑#侮蔑表現の分類と種類|蔑称]]、または[[隠語]]([[スラング]])を以下に挙げる。なお、該当すると思われる人間や状態を[[揶揄]]したり[[侮蔑]]する意味合いで[[差別]]的に使用することが多いので、実際に使用する際には充分な注意が必要である。また、詳細はリンク先の各項目を参照のこと。<ref name="d">精選版 日本国語大辞典([[小学館]]、[[2006年]])。第一巻から第十三巻の該当項目より。</ref><ref name="e">日本俗語大辞典([[東京堂出版]]、[[2006年]])。該当項目より。</ref><ref name="f">江戸語大辞典([[講談社]]、[[1974年]])。該当項目より。</ref>

=== 男性 ===
不特定多数の[[女性]]と性的関係を持つ[[男性]]を指す淫蕩の俗称・蔑称を挙げる。なお、使用する状況によって、男性の甲斐性として解釈されたり、男性にとっての[[色気]]や性的魅力といった意味合いになる場合もある。<ref name="d" /><ref name="e" /><ref name="f" />
;[[プレイボーイ]](Playboy)
:[[英語]]。[[日本語]]の俗称「遊び人」や「女好き」に相当する。軽い意味合いで使用される場合が多い。同様の意味で使用されるようになったのは[[20世紀]]初頭頃からで、日本へは[[大正]]頃に入ってきたとされる。[[1953年]]に創刊された[[アメリカ]]の男性向け月刊雑誌「[[PLAYBOY]]」の雑誌名としても知られている。一部の辞書には「プレーボーイ」との記述も見られる。<ref name="n">「外来語の語源」([[角川書店]]、[[1979年]])。該当項目より。</ref><ref>[[1907年]]にアイルランドを代表する作家[[ジョン・ミリントン・シング]](John Millington Synge)が発表した戯曲「The Playboy of the Western World」は、プレイボーイという英単語を日本語の「人気者」などに翻訳することが多い。</ref>
;[[ジゴロ]](Gigolo)
:[[フランス語]]。日本語の俗称「[[ヒモ]]」や「スケコマシ」、あるいは年上の女性に養われる男性の俗称「[[つばめ]]」などに相当し、本来は女性に対して意図的に頼って生活しようとする、悪意を持ったような男性を指していた。また、「[[男娼]](だんしょう)」や「男妾(おとこめかけ)」を指すこともあった。ただし、現代の日本では「遊び人」程度の軽い意味合いで使用されることが多い。<ref>[[1930年]]に言語学者の桃井鶴夫が発刊した「アルス新語辞典」では、社交場などでダンスのパートナーになることを専門の職業にしていた男性を指してジゴロと呼んでいたとの解説がある。</ref>
;[[ドン・ファン]](Don Juan)
:[[17世紀]]頃の[[スペイン]]に実在したとされる伝説上の貴族[[ドン・ファン|ドン・ファン・テノーリオ]](Don Juan Tenorio)の名前から。後年、「女遊び」や「好色」な男性、「漁色(ぎょしょく)」が過ぎて身を持ち崩すような男性を指す代名詞となった。なお、「ドン(Don)」とは、ボスや首領など高位にある者を指す[[敬称]]である。[[1787年]]に[[モーツァルト]]が作曲したオペラ「[[ドン・ジョバンニ]](Don Giovanni)」は、ドン・ファンを[[イタリア語]]の発音綴りに置き換えたものであり、以降も多くの戯曲や小説で題材となっている。一部の辞書では「ドンファン」とも表記される。<ref>ドン・ファンを最初に題材として扱った作品は、[[1630年]]にスペインの劇作家[[ティルソ・デ・モリーナ]](Tirso de Molina)が発表した[[ピカレスク小説]](悪漢小説)「El Burlador de Sevilla y Convidado de piedra(セビーリャの色事師と石の招客)」とする説がある。</ref>
;[[カサノバ]](Casanova)
:[[18世紀]]の[[イタリア]]に実在した作家[[ジャコモ・カサノヴァ|ジャコモ・ジローラモ・カサノヴァ]](Giacomo Girolamo Casanova)の名前から。千人以上の[[女性経験]]を持つとされ、[[同性愛]]や[[異性装]]の実践、[[性病]]などの研究にも熱心だった。後年、「女好き」や「好色」な男性、「漁色家(ぎょしょくか)」の男性などを指す代名詞となった。戯曲や小説などで題材となることも多く、[[1976年]]に映画監督の[[フェデリコ・フェリーニ]]が映画化したり、[[1992年]]に映画俳優の[[アラン・ドロン]]が主役として演じたりしている。一部の辞書では「カサノーバ」とも表記される。<ref>同様の放蕩児や漁色家による記録文献は当時の風俗や大衆文化を知る上で貴重とされるが、カサノバによる伝記「[[我が生涯の物語]](Histoire de ma vie)」はあまりにも性的な描写が多く、過去に度々発禁処分となっている。</ref>
;淫夫(いんぷ)
:「情夫(じょうふ)」などの愛人に相当し、異性関係のだらしない男性や浮気者の男性を指す。<ref name="g">[[1878年]]に[[福沢諭吉]]が初編を発表した「[[学問のすゝめ]]」には、「淫夫にても姦夫にても既に己が夫と約束したる上は、女何なる恥辱を蒙るもこれに従わざるを得ず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諌むるの権義あるのみ」や「姦夫淫婦の話なれども、ここに妾の議論あり」とある。</ref>
;姦夫(かんぷ)
:「間男(まおとこ)」や「間夫(まぶ)」、「情夫(じょうふ)」などの愛人に相当し、正妻や恋人のいる女性と性的関係を持った男性を指す。「奸夫(かんぷ)」とも書く。なお、間夫は江戸時代の[[遊郭]]では「ヒモ」という意味合いも持っていた。<ref name="g" /><ref name="h">[[1875年]]に英文学者の永峰秀樹が初めて翻訳した「[[千一夜物語]](アラビアンナイト)」の日本語版「暴夜物語(あらびやものがたり)」には、「忽ち姦婦奸夫を四断となし」とある。</ref>
;[[色事師]](いろごとし)
:本来は[[歌舞伎]]用語であり、色事([[恋愛]])を演じるのが得意な女形(男優)を指した。濡れ場(性的な演出場面)を演じることから「濡れ事師(ぬれごとし)」とも呼ばれる。後年、性行為が巧みな男性や[[情事]]に秀でた男性を指すようになった。<ref>[[1763年]]から[[平賀源内]]が風来山人(ふうらいさんじん)とのペンネームで発表した「根無草」の後編([[1769年]])には「色事師の名代にて」とあり、[[1776年]]に[[八文字屋自笑]](はちもんじやじしょう)が編纂したといわれる談話集「役者論語(やくしゃばなし)」には「女形の心得」として「色事師の立役とならびて、むさむさと物をくひ、さてやがてぶたいに出て、色事をする時、その立役しんじつから思ひつく心おこらぬゆへ、たがひに不出來なるべし」とある。後者は、「色事師を演じる女形(男優)が、(たとえ舞台裏の休憩中であっても弁当などを)むしゃむしゃと貪り食ってから適当に舞台に出ているようでは、相手となる立役(男優)も恋愛の場面でその気になれない」という意味である。</ref><ref>[[1780年]]の[[滑稽本]]「風来六部集」には、「ぬれ事師、女に贔屓(ひいき)せらるれば」とある。</ref>
;ヤリチン
:日本語の「やりたがる」や「やりまくる」という動詞の「やり(ヤリ)」と、男性器を指す俗称の「[[おちんちん|チンチン]]」や「[[おちんちん|チンポ]]」という名詞の「ちん(チン)」を合わせて縮めた言葉である。女遊びに精力的な男性や、女性経験の豊富な男性を指す。

===女性===
不特定多数の[[男性]]と性的関係を持つ[[女性]]を指す淫蕩の俗称・蔑称を挙げる。なお、女性に対して貞淑であることを強く求めてきた近代社会の常識や性道徳などの歴史的な背景から、男性の淫蕩を指す言葉よりも種類が多くなる傾向にある。また、そのような理由から、本来はプロの[[セックスワーカー]]や[[売春婦]]のみを指していた[[隠語]]([[スラング]])が、一般の女性に対しても広義に解釈されて転用するようになった例がある。<ref name="d" /><ref name="e" /><ref name="f" />
;[[プレイガール]](Playgirl)
:[[英語]]。[[日本語]]で女性の「遊び人」や「男好き」に相当し、軽い意味合いで使用されることが多い。同様の意味で使用されるようになったのは[[20世紀]]初頭頃からで、日本へは[[大正]]頃に入ってきたとされる。一部の辞書には「プレーガール」との記述も見られる。なお、アメリカでは[[1953年]]に創刊された男性向け月刊雑誌「PLAYBOY」に対して、[[1973年]]に女性向けの月刊雑誌「PLAYGIRL」が創刊されている。<ref name="n" />
;[[イエローキャブ (スラング)|イエローキャブ]](Yellow cab)
:英語。本来はアメリカにおいて主にアジア人の娼婦を指すマイナーな隠語でしかなかったが、[[1989年]]に作家の[[家田荘子]]が同名作品で使用したことから日本では大きな話題となった。アメリカで定番色として認識されている黄色いタクシー([[イエローキャブ (タクシー)|イエローキャブ]]、Yellow cab)の「誰でも乗車できる」という意味合いと、[[有色人種]](カラード、Colored)の一種としてアジア人の肌色を黄色(イエロー、Yellow)として差別的に呼称した意味合いが重なっており、国内の解釈としては「白人男性を好む日本人女性」に対して使用するというイメージが広がった。
;[[ビッチ]](Bitch)
:英語。もともとは「雌犬」という意味の名詞で、道徳観念の低い女性や下品な女性を指す。なお、性的にだらしがないことを強調する場合には名詞「スラッツ(Slut)」が使用される。また、形容詞「ナスティ(Nasty)」を用いた Nasty girl は「最低の女」という意味が転じて「浮気女」や「尻軽女」という意味合いで使用される。
;[[売女]](ばいた)
:非常に古くから存在する隠語で、本来はプロの[[セックスワーカー]]や[[売春婦]]を指していた。これが「金さえ払えば誰とでも寝る」という意味から広義に転じて、いつからともなく不特定多数の男性と性的関係を持つ一般の女性まで指すようになった。「ばいじょ」と読む場合もある。更に古くは「淫女(いんにょ)」「淫婦(いんぷ、いんふ)」「淫売(いんばい)」などとも言った。<ref>[[984年]]の仏教説話集「[[三宝絵詞]]」には、「婬女(いんにょ)は色好(いろずき)の名也」とある。</ref><ref>[[室町時代]]からあった国語辞典の一種「[[節用集|文明本節用集]]」([[1400年代]]の中期頃)には、「淫婦」の漢字に「インフ」の読み仮名を振っている。</ref><ref>[[1780年]]の[[滑稽本]]「風来六部集」では、「土娼」と書いて「ばいじょ」と読ませており、売春婦に関連する俗称や蔑称は種類が非常に多い。なお、土娼とは、地元の娼婦といった程度の隠語である。</ref><ref>[[1885年]]の[[坪内逍遥]]による「[[当世書生気質]]」には、「淫売といふ陋習(ろうしゅう)のみは尚禁じがたき」とある。「売春という悪い習慣だけは未だに禁じようがない」という意味である。</ref><ref>現在の「商売」という漢字と同じ意味を持つ言葉を使用した最も古い文献のひとつに、[[1694年]]の堀流水軒(ほり・りゅうすいけん)による教科書「[[商売往来]](しょうばいおうらい)」がある。従って、古くは淫女や淫婦と呼ばれていた言葉が、同時期から「売る」や「買う」という言葉が日常的に普及するようになり、次第に売女や淫売といった言葉に推移していったと思われる。</ref>
;姦婦(かんぷ)
:「間女(まおんな)」や「間女房(まにょうぼう)」、「情婦(じょうふ)」や「淫婦(いんぷ)」などの愛人に相当し、夫や付き合っている恋人のいる男性と性的関係を持った女性を指す。「奸婦(かんぷ)」とも書く。<ref name="g" /><ref name="h" />
;[[あばずれ]]
:[[江戸時代]]の[[流行語]]で、「暴れる」の「あば」と、「人擦れ(ひとすれ、ひとずれ)」や「擦れっ枯らし(すれっからし)」の「すれ(ずれ)」を合わせて縮めた言葉とされる。当て字で「阿婆擦(あばずれ)」や「阿婆擦女(あばずれおんな)」とも書く。本来は男女の別なく使用していたが、後年になるにつれて女性のみ指す俗称となった。片仮名で「アバズレ」と書くことも多い。同義語として「莫連(ばくれん)」や「莫連女(ばくれんあま、ばくれんおんな)」などとも呼ばれる。<ref>「擦れっ枯らし」は、本来「すれからし」や「すれがらし」という口語が主体の言葉であり、促音の「っ」は加えていなかった。漢字による「擦枯」や「摩枯」、「擦れ枯らし」などは当て字である。[[1761年]]の[[洒落本]]「くたまき網目」には、「すれがらしなるけつの指髪を切るに」とある。</ref><ref>[[江戸時代]]の大衆小説に相当する[[浮世草子]]などでは様々に表記されており、[[1802年]]の[[洒落本]]「祇園祭挑燈蔵」では「悪女」と書いて「ばくれん」と読ませている。</ref><ref>[[1887年]]に[[中村座]]で初演され、盗賊の因幡小僧を題材にした講談「因幡小僧雨夜噺(いなばこぞうあめのよばなし)」には「莫連女(ばくれんあま)の根性ぢゃあ」などの台詞があり、これを阿婆擦女に同義としている。また、[[1889年]]に小説家の[[饗庭篁村]]が発表した「権妻の果」には、「莫連女(ばくれんおんな)とは知らず」とある。</ref>
;すべた
:江戸時代にポルトガルから輸入された[[かるた]]([[トランプ]])が流行し、エスペラーダ([[スペード]])の中で配点にならない札([[カード]])があったことから、これらが合わさって「不細工な女」や「無用の女」といった意味合いで使用されるようになった。その後、更に転訛して娼婦や下品な女性を指す言葉となった。片仮名で「スベタ」と書くこともある。<ref>[[1776年]]の[[洒落本]]「風俗問答」には「愚鈍はあざとすべたを知らず」とあり、[[1960年]]に小説家の[[山本周五郎]]が発表した「青べか物語」([[文藝春秋読者賞]]候補作品)には、「よくもあんなすべたあまと見替えやがった」とある。</ref>
;[[羅紗緬]](らしゃめん)
:江戸時代の後期([[幕末]]頃)から使用されるようになり、日本へ渡来した西洋人を相手にしていた娼婦や彼らの[[妾]]となった女性を指した。本来の羅紗緬とは[[羊毛]]で織られた布地のことであるが、西洋人が遠洋航海の際に食欲と性欲を同時に解消する手段として[[羊]]を一緒に乗船させていたと信じられていた為に、これが転じて使用されるようになった。人間と動物による性行為については[[獣姦]]も参照のこと。<ref>[[1780年]]の[[滑稽本]]「風来六部集」では、そもそも羅紗緬という言葉の成立そのものが非常に曖昧であり、「らしゃめんなんどあてじまいな名をつけ」などとしている。</ref>
;[[パンパン]]
:戦後、主に在日米軍の外国人男性を相手にした娼婦を指した。語源には諸説があり、「パンパン・ガール」や「パン助(ぱんすけ)」とも呼ばれた。<ref>語源には諸説があるものの、娼婦やふしだらな女性を指す隠語として戦後の一時期に定着していたことは確かであり、[[1947年]]に小説家の[[田村泰次郎]]が発表した「[[肉体の門]]」には「お嬢さん面したパンパン娘」とある。</ref>
;ズベ公(ずべこう)
:[[戦後]]の時期に、「ずぼら」の語源である「ずべら」の「ずべ」と、相手を侮蔑する意味合いの「公(こう)」を縮めて合わせた言葉として使用された。[[不良]]や[[ならず者]]の女性という意味もあった。<ref>[[1948年]]に小説家の[[平林たい子]]が発表した「地底の歌」には、「案外したたかなズベ公だ」とある。</ref>
;[[ヤリマン]]
:日本語の「やりたがる」や「やりまくる」という動詞の「やり(ヤリ)」と、女性器を指す俗称の「[[おまんこ|まんこ]]」という名詞の「まん(マン)」を縮めて合わせた言葉である。
;[[サセ子]](させこ)
:どんな男性にもセックスを「させ(サセ)てくれる女性(子)」を指す。接頭語の「御(お)」のみを付けて「おさせ」と書く場合もある。
;[[公衆便所 (隠語)|公衆便所]](こうしゅうべんじょ)
:女性を「誰でも使うことができる便所」と同一に看做し、男性が性欲処理の相手として卑下するような女性を指す。
;肉便器(にくべんき)
:女性器を「肉で出来た便器」と看做し、男性が性欲処理の相手として卑下するような女性を指す。

=== 男女共通 ===
不特定多数の相手と性的関係を持つ者として、男女共通で使用される淫蕩の俗称・蔑称を挙げる。接尾に男や女を付けて使用する例も多い。<ref name="d" /><ref name="e" /><ref name="f" />
;淫乱(いんらん)
:「淫乱男(いんらんおとこ)」や「淫乱女(いんらんおんな)」、「淫乱者(いんらんもの)」など。古くは「婬」という漢字を使用することが多かったが、次第に「淫」の漢字が使用されるようになった。<ref name="i">古くは[[14世紀]]頃の[[軍記物語]]「[[太平記]]」にて「婬乱日を重ねて更に止む時無かりしかば」や、[[1609年]]の「慶長見聞録案紙」にて「公家衆所々にて婬乱不行儀之由」など、「淫」ではなく「婬」の漢字が用いられていた。なお、「婬」から「淫」へ推移した経緯については、原因を特定できる文献に乏しい。</ref>
;[[浮気]](うわき)
:「浮気男(うわきおとこ)」や「浮気女(うわきおんな)」、「浮気者(うわきもの)」など。
;[[愛人]](あいじん)
:「情人(じょうじん、じょうにん)」とも書く。男性の「情夫(じょうふ)」や女性の「情婦(じょうふ)」を指し、古くは「[[妾]](めかけ)」と呼ばれた。現代の一夫一妻制では、[[不倫]]や浮気などの[[情事]](逢引や性行為)と共に使用されることが多い。
;好色(こうしょく)
:「好色男(こうしょくおとこ)」や「好色女(こうしょくおんな)」、「好色者(こうしょくもの)」など。異性や恋愛に積極的な男性を「女好き(おんなずき)」、対して同様に女性を「男好き(おとこずき)」などとも言う。男女を区別しない場合、「好色家(こうしょくか)」や「好き者(すきもの)」などとも言う。[[江戸時代]]の作家、[[井原西鶴]]による[[1682年]]の「[[好色一代男]]」や[[1686年]]の「[[好色一代女]]」などでも有名である。なお、漢字の「色」は、現代では主に色彩(Color)のことを指すが、古くは性的な意味合いや優れた[[容貌|容姿容貌]]などに対して使用される言葉であり、「[[色気]](いろけ)」や「色事(いろごと、[[恋愛]])」、好色と同義の「色魔(しきま)」などといった言葉がある。このことから、「[[性欲]]を貪る」と同様に「色を漁る(あさる)」とも呼ばれ、「漁色(ぎょしょく)」や「漁色家(ぎょしょくか)」などとも呼ばれる。<ref>漢字「色([[音読]]:しょく、しき・[[訓読]]:いろ)」の日本における意味の成り立ちには諸説があり、[[1887年]]の[[谷川士清]]による「和訓栞」では「[[漢語]]で女のことを色という」としており、[[1920年]]代の[[与謝野鉄幹]]による「日本語原考」では「男女の放縦な情交(じょうこう、性行為)を指す淫(いん)の語尾を略し、[[ら行|ラ行]]音を添えた」としている。なお、国文学者の[[折口信夫]]は「古代の貴族階級にて家族内での女性順位を指した言葉の一種で、イロネなどに起因する」と捉え、「いろ兄」や「いろ姉」と書くイロネは何れも母親を同じにする兄弟姉妹を意味し、「色」という言葉や「いろ」という発音が血縁関係や性的な関連事象から発生したと推論している。</ref><ref>辞書「全訳 古語辞典 携帯版」([[ベネッセコーポレーション]]、[[2005年]])、「色なり」の項目より。使用例として、[[平安時代|平安中期]]頃の[[清少納言]]による随筆「[[枕草子]]」にて「髪、色に、こまごまとうるはしう(髪は、とても艶やかで、非常に細やかに整っている)」とある。</ref><ref>[[窃視症]]の代名詞的な俗語「[[出歯亀]](でばがめ)」の由来となった池田亀太郎(出歯の亀吉、[[上顎前突症|出っ歯]]の亀太郎)について、[[1908年]]8月11日付の[[東京朝日新聞]]は「大久保の色魔、出歯亀に対して無期徒刑(強制労働)を宣告」と報じている。</ref>
;[[尻軽]](しりがる)
:尻軽男や尻軽女など。ただし、尻軽という言葉そのものが売春婦を指していた地域もあり、現代では女性に対して多く使用される傾向もある。
;[[二股]](ふたまた)
:二股男や二股女など。ある一人の人間が、同時に二人以上の相手と恋愛関係や性的関係を持っている状態を指す。相手が増えると人数に応じて三股(さんまた)や四股(よんまた)となる。
;[[すけべ]]
:すけべ男やすけべ女など。本来は助兵衛(すけべえ)と書き、言葉そのものは非常に古くから存在していた。江戸時代の頃から現在と同様の意味合いを持つようになり、主に猥褻な男性を指す傾向にある。
;[[エッチ]]
:明治時代の頃から女子学生の間で猥褻な男性を指して使用されるようになり、語源には諸説がある。
;[[セックスフレンド]]
:フリーラブやフリーセックスと共に知られるようになり、婚姻を前提とせず性的欲求の解消だけを目的に付き合っているような相手を指す。

==反義語==
{{独自研究|section=1|date=2011年7月}}
以上のように「淫蕩」「淫乱」「多淫」といった概念の周辺には多様な類語が存在する。一方で、これらに対応する[[反義語]]は、俗称や蔑称も含めた種類と比べると数は少ない。単純に反対の意味となる語としては、「'''貞操'''(ていそう)」や「'''操'''(みさお)」、「'''貞淑'''(ていしゅく)」や「'''貞節'''(ていせつ)」などがあり、これらは「貞操観念がある」や「堅い操」、「貞淑な人」や「貞節がある」などといった表現で使用され、高い[[性道徳]]の観念や意識を持っていることを指す。また、より一般的には「'''真面目'''(まじめ)」であると表現したり、「'''身持ちが良い'''」や「'''身持ちが堅い'''」といった表現が使用される。<ref name="a" />

なお、近年増加傾向にあるとされる、恋愛やセックスに消極的な若い男女を表現する俗語に「'''[[草食系男子]]'''」や「'''[[草食系女子]]'''」などがある。これらの対語は「[[肉食系男子]]」や「[[肉食系女子]]」である。
-->

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要出典。『淫蕩』あるいは『性的に奔放な人』という出典が提示されていないまま、性行為感染症と結び付けている。

==性行為感染症・風評被害==
{{独自研究|section=1|date=2011年7月}}
[[File:Neisseria gonorrhoeae 01.png|thumb|right|200px|[[アメリカ疾病予防管理センター]](CDC)がシャーレ上で培養した[[淋菌]]。抗生物質を入れていない左側のシャーレでは、茶色い寒天の上に白っぽい淋菌のコロニーが形成されている。]]

[[File:HIV-budding-Color.jpg|thumb|right|200px|[[リンパ球]]を襲う[[ヒト免疫不全ウイルス]](HIV-1型、緑色部分)。CDCが電子顕微鏡で撮影した白黒写真に着色したもの。]]


==性感染症と淫蕩==
{{medical}}
{{medical}}
人類史と共に[[性行為感染症]]による罹患者は存在していたが、[[1990年代]]頃から[[ヒト免疫不全ウイルス]](HIV)による[[後天性免疫不全症候群]](AIDS)の急激な感染拡大が世界的に懸念されるようになった。また、性道徳の多様化や交通機関の発達によって感染拡大にかかる時間差や地域差、年齢差などが急速に失われるようになり、古来からの[[性病]]とされる[[梅毒]]や[[淋病]]に加わって、[[クラミジア]]や[[ヘルペス]]といった新しい感染症が一般社会でも認知されるようになった。<ref>[http://idsc.nih.go.jp/iasr/29/343/tpc343-j.html 感染症情報センター「性感染症 2007年現在」]([[国立感染症研究所]]、[[2008年]]9月号のPDF資料)。[[梅毒]]、[[クラミジア]]、[[ヘルペス]]、[[尖圭コンジローマ|コンジローマ]]などの感染症発生調査。</ref><ref>[http://www.aidssti.com/ AIDS/STI Related Database Japan 厚生労働科学研究エイズ対策研究事業Official Web Site]([[国際連合エイズ合同計画]] UNAIDS)。「日本におけるHIV流行の現状」や「日本の社会的状況」など。特に、若年層における性道徳の急激な変化が懸念されている。</ref><ref>[http://api-net.jfap.or.jp/index.html API-Net エイズ予防情報ネットOfficial Web Site]([[エイズ予防財団]])。「世界・日本の状況」や「エイズ動向委員会調査報告」など。なお、UNAIDSによる報告書「世界のエイズ流行 2010年版」によると、「ARV('''A'''ssociated '''R'''etro'''v'''irus)治療が1人に施されている間に、新たに2人が感染している」という。</ref><ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad199901/hpad199901_2_171.html 文部科学省「平成11年度 我が国の文教施策」]([[文部科学省]]、[[1999年]])。第2編(文教施策の動向と展開)第7章(心と体の健康とスポーツ)第一節(健康教育の充実)より、「1.新たな心と体の健康問題への対応」の「(4)性教育の充実」と「(5)エイズ教育の充実」から。「エイズは近年、世界各国で爆発的に増加し、深刻な社会問題となっている。我が国でも、患者・感染者が増加しているのみならず、20歳代を中心とした若い世代にも広がりつつあることが指摘されており、今後の急激なまん延を防ぐための対策が緊急の課題」であることや、「中学校の教科『保健体育』(保健分野)において、エイズについて取り扱うことを明示」などと述べられている。</ref><ref>[https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000121rr.html 厚生労働省「平成22年第4四半期におけるエイズ発生件数」]([[厚生労働省]]、[[2011年]]2月7日付)。[[2010年]]9月27日から同年12月26日までの調査結果。</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011020701000669.html 共同通信「新規エイズ患者、過去最多・2010年、検査は減少」]([[共同通信]]、[[2011年]]2月7日付)。厚生労働省「平成22年第4四半期におけるエイズ発生件数」を報じる記事。</ref>
[[1990年代]]以降、日本では乱れた性生活により[[性病]]罹患が懸念され、特に[[ヒト免疫不全ウイルス]]([[ヒト免疫不全ウイルス|HIV]])感染が性交によって伝染しやすいという知識が普及するにつれ、必ずしもこのような用語に該当する人々が羨望を集めるとは限らないとされている。


性的に奔放であることが全ての性行為感染症の感染原因であるとは断言できないが、不特定多数の相手との性行為による身体的な接触が大きな原因を占めていることは、各種報告書の結論から容易に推測することができる。従って、性病予防の啓蒙団体やマスメディアから提供される関連情報も併せ、以前のように性的に活動的(精力的)であることが「男の甲斐性」として評価されたり、性に開放的である女性が男性から羨望の対象となるようなことは減少傾向にあるとする意見もある。(恋愛やセックスに消極的な若い男女を指す俗語「[[草食系男子]]」や「[[草食系女子]]」も参照のこと。)<ref>[http://nk.jiho.jp/servlet/nk/release/pdf/1226502324050 厚生労働省「第5回男女の生活と意識に関する調査結果」]([[厚生労働省]][[科学研究費補助金]]、[[2011年]]1月7日付のPDF資料)。調査の目的は「国民男女の生活と意識について知る」為であり、「層化二段無作為抽出法」という手段で実施された。人工中絶や性的虐待についての認識調査と併せ、「性に関する以下の事柄について、15歳までに知るべきと思う割合」や「セツクス(性交渉)をすることに、関心がない、または嫌悪している割合」などといった調査結果を見ることができる。</ref><ref>[http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY201101120598.html 朝日新聞「虐待経験5%、セックス関心ないも増加 厚労省調査」]([[朝日新聞]][[asahi.com]]、[[2011年]]1月13日付)。厚生労働省「第5回男女の生活と意識に関する調査結果」を受け、特に「若年男性の草食系化傾向が強まって」おり、「セックスに関心がない一因は『異性と関わることが面倒だ』と感じることにあるようで、全体の4割の回答者が『面倒だ』と回答」などと報じている。</ref>
性病罹患率は1990年代後半より、10代を中心に急激に増大する傾向もあり、10代に多く見られるだけに、彼らが人知れず性病に苦しんでいるケースも漏れ聞かれる。また性病の症状には性差があり、自覚症状の無いまま感染が拡大するケースがある。例えば[[淋病]]は男性には七転八倒の苦しみを与えるが、女性はあまり自覚症状が無いとされている。このようなケースでは、[[泌尿器科学|泌尿器科]]に掛かるのを恥ずかしがって苦しんだという話も流布される。この「武勇伝」も、このような用語を必ずしも尊称扱いさせない要因となっている。[[コンドーム]]を使用せずに性交をして行えば、男性は淋病に罹患する危険性が高く、女性側も罹患する危険性がある。性交に奔放とされている彼らが性病の蔓延に一役買っているとも解釈されている。なお直接的な性交ではない[[オーラルセックス]]を行った後に、[[風邪]]に似た微熱・[[喉]]の痛みを訴えて病院に掛かったら、喉が[[淋病]]に侵されていたとするケースも報告されている。


一方で、1990年頃から[[日本ビデオ倫理協会]]の推奨により[[アダルトビデオ]]の冒頭に[[コンドーム]]の使用による性病予防や[[避妊]]対策を啓蒙する広告が入るようにはなったものの、その内容は「中出し物(コンドームを使用しない[[膣内射精]])」と呼ばれるジャンルが顧客層から多くの支持を得るといった矛盾も散見されている。また、[[経口避妊薬]]の安易な乱用や、未だに根強い誤った性知識や科学的な根拠のない[[性的空想]](性的幻想)などが依然として感染拡大を招いているとする意見もある。これらの問題点は、教育機関における[[性教育]]が早急に取り組むべき課題として扱われることも多い。<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/12/06022203/001.htm 文部科学省「義務教育諸学校における性教育の実態調査結果」]([[文部科学省]]、[[2005年]])。都道府県別による指導要綱の作成や委員会の設置の割合など。なお、最も早い義務教育の時期として、小学校における性教育の指導要綱や教材作成について、都道府県の合計として「学校全体または学年全体で決定している」のは64.9%、「各教論に任せている」のは35.1%となっている。また、小学校における性教育に対する保護者からのクレームでは、都道府県の合計として「指導内容や教材が発達段階を踏まえていない(時期尚早である)」が最も多く約30.0%、次いで「保護者に説明なく進められている」が約8.2%となっている。</ref>
== 関連語 ==
*[[色情狂]]
*[[淫乱]]
*[[エロトマニア]]
*[[ポリアモリー]]
*[[セックスフレンド]]
*[[リベルタン]]


また、[[マスメディア]]が誤解を与えるような情報を扱ったり、[[インターネット]]が間違った情報を拡散させる場合もあるので、淫蕩という言葉の使用や解釈には[[風評被害]]や[[妄想]]、[[価値観]]まで含めて冷静に見極め、自主的に判断できるような[[メディアリテラシー]]が求められる。
{{性}}
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== 脚注・出典 ==
=== 注 ===
<references group="注"/>

=== 出典 ===
<references/>

==関連項目==
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百科事典は類語辞典ではない。連想辞典でもない。
『淫蕩』あるいは『性的に奔放な人』という出典がまったくないのに恣意的に語彙を選んでいるので独自研究。

===社会===
*[[モノガミー]] (Monogamy、一夫一婦制や一夫一妻、単婚など)
*[[ポリガミー]] (Polygamy、多夫多妻制や一夫多妻、複婚など)
*[[ポリアモリー]] (Polyamory、複数恋愛)
*[[常識]]
*[[道徳]]
*[[社会通念]]
*[[男女平等]]
*[[男尊女卑]]
*[[女尊男卑]]
*[[性道徳]]
*[[性教育]]
*[[純潔教育]]
*[[夜這い]]
*[[姦淫]]
*[[姦通罪]] (布告1880年、現在は廃止)
*[[不貞行為]] ([[民法 (日本)|民法]]第770条における、[[配偶者]]の貞操義務の不履行)

===医学===
*[[性行為]] (セックスを含む)
*[[性依存症]] (セックス症候群などの精神疾患)
*[[色情症]] (多淫症または色情狂、男性のサチリアジスや女性のニンフォマニアなど)
*[[異常性欲]] (性欲における量的または質的な異常)
*[[エロトマニア]] (Erotomania、クラレンボー症候群など)
*[[フェティシズム]] (Fetishism)
*[[性行為感染症]] (Sexually Transmitted Disease、STD)
*[[ヒト免疫不全ウイルス]] (Human Immunodeficiency Virus、HIV)
*[[後天性免疫不全症候群]] (Acquired Immune Deficiency Syndrome、AIDS)
*[[性病]]
*[[避妊]]
*[[感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律]] (感染症新法)

===性風俗===
*[[セックスワーカー]] (Sex Worker)
*[[売春]]
*[[娼婦]] (売春婦)
*[[遊廓]]
*[[遊女]]
*[[公娼]]
*[[私娼]]
*[[風俗店]]
*[[風俗嬢]]
*[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律]](風営法)
*[[売春防止法]]

===俗語・隠語(男性)===
*[[プレイボーイ]]
*[[ジゴロ]]
*[[ドン・ファン]]
*[[カサノバ]] ([[ジャコモ・カサノヴァ]])

===俗語・隠語(女性)===
*[[プレイガール]]
*[[イエローキャブ (スラング)|イエローキャブ]]
*[[ビッチ]]
*[[売女]]
*[[あばずれ]]
*[[羅紗緬]]
*[[パンパン]]
*[[ヤリマン]]
*[[サセ子]]
*[[公衆便所 (隠語)|公衆便所]]

===俗語・隠語(男女共通)===
*[[浮気]]
*[[愛人]]
*[[不倫]]
*[[尻軽]]
*[[すけべ]]
*[[エッチ]]
*[[セックスフレンド]]
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[[Category:性に関連する項目|いんとう]]
[[Category:性の文化|いんとう]]
[[Category:性の俗語|いんとう]]
[[Category:日本のスラング|いんとう]]


{{DEFAULTSORT:いんとう}}
[[de:Schlampe]]
[[Category:ジェンダー関連のステレオタイプ]]
[[en:Slut]]
[[Category:性倫理]]
[[fi:Huora-sanan käyttö]]
[[nl:Slet]]
[[simple:Slut]]

2024年2月19日 (月) 14:44時点における最新版

本記事では淫蕩(いんとう)について説明する。また、に関して奔放な人、についても説明する。


概要

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「淫蕩」という言葉は、名詞や形容動詞として用いられ、淫蕩とは「酒色(しゅしょく)にふけって素行の悪い」者や「みだらな享楽(きょうらく)にふける」状態を指す [1][2][注 1]

日本

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戦国武将織田信長が、「山門、山下の僧衆王城の鎮守たりといえども、業躰業法(ぎょうたいぎょうほう、その実態や有様はといった意味)、出家の作法にも拘らず、天下の嘲弄をも恥じず、天道の畏れをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賂に耽り」(信長公記)と批判して、1571年比叡山にあった天台宗延暦寺を焼き払った(比叡山焼き討ち)。

江戸時代における「淫蕩」とは、「飲む」「打つ」「買う」の全てを指す言葉だったという[要出典]

明治時代は、政府が庶民の性道徳を一気に近代化しようとした時代だった。[要出典][誰?]

江戸時代に入り、儒教の道徳感が武士道に組み込まれて浸透するようになると、女性に対する貞操観念が強く要求されるようになり、その後の処女崇拝への端緒となった[要出典]。一方で、江戸幕府公認の遊廓では商人町人と共に武士も女遊びを楽しんでいたこと、血縁に頼らない養子縁組風習などが盛んであったこと、主従関係や義兄弟の絆を深めるために男色が流行したことなど、武士であっても性道徳に関しては柔軟な一面を残していたことがうかがえる[要出典]。また、庶民や地方の農村などでは依然として夜這いが男女共通の楽しみとして社会的に黙認されて存在しており、女性から男性を誘うことも特に恥ずかしいことではなく、地方によっては祭日などの特別な日に童貞が人妻へ指南を請うために夜這うことを黙認するような風習もあった[要出典]という[誰?]

江戸や明治の頃まで日常的だった混浴の風習は、渡来した欧米人たちから驚きをもって記録された。1853年黒船来航でアメリカ艦隊を率い、1856年に帰国したマシュー・ペリー提督はアメリカ議会図書館に収めた公文書「ペリー艦隊日本遠征記(原題:Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan.)」の中で、「日本人は礼儀正しく大人しいが驚くべき習慣を持っている。ある公衆浴場での光景だが、男女が一緒に入り乱れて互いの裸体を気にしない。東洋諸国の中で優れた道徳を持つにもかかわらず、このような淫猥(いんわい)な行為は理解しがたい。」と述べた。また、春画や枕草紙についても見解を残しており、「淫乱の情を促す」もので「胸が悪くなるほど度が過ぎている」と不快感を露わにした[3][4][注 2]どのような時代であっても行き過ぎた遊びが恋人夫婦の仲といった男女関係や人間関係を険悪にしてしまうのは当然の結末であり、性道徳にだらしのないことが性病の危険性まで高めてしまうことなどは(よい意味での)迷信まで含めて社会的にも充分認識されていた。[要出典] [5]

海外

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海外では、キリスト教ユダヤ教なら婚前交渉姦淫は重罪とされ、イスラム教なら女性の肌を他者へ見せることすら禁忌(タブー)として考えられているなど、淫蕩であることに対して非常に厳しい教義や処罰が多く存在している。



脚注・出典

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  1. ^ 「淫(いん)」または「婬(いん)」という字について。 特に「男女の性行為に関して非難の意を込めていうことが多い」とある。 (出典:古語大辞典 第一巻(角川書店1982年) 「淫」や「婬」という漢字そのものが性交や性器に関連する言葉として使用されている。古い使用例として、平安時代(後期)の説話集「今昔物語」には「不浄の付きて染みたり(精液が付着すれば穢れてしまう)」や「男女娶がずと云えども、身の内に入ぬれば、此なむ子を生じける(男女が結婚せずに、身勝手にみだらな行いをすれば、望まぬ子供を妊娠してしまう)」などがある。
  2. ^ 1855年にヴィンセント号で渡来したアメリカ人の士官アレクサンダー・ハバーシャムも、仮に「半分しか文明化していない東洋人」だとしても、「中流および下流階級の人々」は貞操観念に乏しく、「乱痴気(らんちき)なことに」若い女性であっても平気で混浴に入ることは理解出来ないと述べた。[要出典]

出典

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  1. ^ 大辞泉小学館1995年
  2. ^ 広辞苑 第六版(岩波書店2008年)「淫蕩」の項目。
  3. ^ オフィス宮崎編訳「ペリー艦隊日本遠征記」(万来舎、2009年)。
  4. ^ 中野明著「裸はいつから恥ずかしくなったか - 日本人の羞恥心」(新潮選書2010年
  5. ^ 山本真鳥編「性と文化」(法政大学出版局2004年)の苅谷春郎著「第2章・梅毒流行諸相」

関連項目

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