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「阪和貨物線」の版間の差分

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関西本線 2010年10月6日 (水) 00:44 (UTC)から分割
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その後、阪和貨物線を運行する貨物列車は次第に減少し、阪和線と和歌山地区での貨物取り扱いの終了した[[1986年]]10月に線内を経由する定期貨物列車は全廃された。その後は[[南海電気鉄道]]向け車両の[[甲種輸送|甲種鉄道車両輸送]]が細々と行われていたが、甲種輸送の性格上路線の使用頻度は低かったため、線路保守のために[[錆取り列車]]が王寺駅 - [[鳳駅]]間で運転され、ファンの間で知られる所となっていた。納入ルートが変更されるとJR貨物による免許は[[2003年]][[4月1日]]に廃止となり<ref>[http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/08/080305_2_.html 日本貨物鉄道株式会社申請の第二種鉄道事業の一部廃止について]、国土交通省、2003年3月5日。</ref>、その後もJR西日本によって路線は保持されたものの、国土交通省による[[大和川]]の改修事業や[[おおさか東線]]建設工事の支障になることなどを理由に2004年6月末で休止され、関西本線からの接続部が撤去された。結局、2008年3月に[[天王寺駅]]構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線が複線化されたことにより使用されなくなったことから、[[2008年]][[11月17日]]にJR西日本が第1種鉄道事業の廃止届出を行い、その後廃止日の繰り上げが認められたため、[[2009年]][[3月31日]]付で廃止となった<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174079_799.html 関西線(八尾〜杉本町間)における鉄道事業廃止繰上届出書の提出について]{{リンク切れ}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年2月2日</ref>。

阪和貨物線の跡地については、国土交通省により大和川の[[堤防|スーパー堤防]]化が進められており、地下鉄御堂筋線との交差付近から阪神高速14号松原線との交差付近までが含まれている。
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ファイル:阪和貨物線.JPG|廃止直前の阪和貨物線([[近鉄南大阪線]]との交差付近)。
ファイル:JRW Hanwa Freight Line.jpg|現在、架線は撤去されたが、線路は踏切部分のみ残されている。
ファイル:阪和貨物線2.JPG|複線化用地は大部分で確保されている。
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2010年10月7日 (木) 12:58時点における版

阪和貨物線

阪和貨物線
STR
関西本線(大和路線)
BHF
163.1
0.0
八尾駅
BS2+l eBS2+r
STR exDST
163.9
0.8
竜華信号場 -1997年
BHF exSTR
164.3
1.2
久宝寺駅
BS2l eBS2r
AKRZu
近畿自動車道
STR tHST
出戸駅
ABZdrf etKRZ exSTRlg WASSER
おおさか東線
STR
exSTR WASSER
地下鉄谷町線
ÜWor exSTR WASSER
関西本線(大和路線)
exAKRZu MWWBRÜCKE1q
阪神高速14号松原線
xKRZu WBRÜCKEq
近鉄:南大阪線
xKRZt tWSTRq
地下鉄:御堂筋線
exSTR WASSERlf
大和川
STRq eABZ3lf BHFq
11.3
杉本町駅 阪和線

かつて関西本線八尾駅 - 阪和線杉本町駅間を結ぶ連絡線として、「阪和貨物線」「阪和連絡線」の通称を持つ支線があり、JR西日本の旅客営業キロ11.3kmが設定されていた(八尾駅 - 久宝寺駅間は本線と重複で実際は久宝寺駅 - 加美駅間から分岐)。これは阪和電気鉄道線(現在の阪和線)と関西本線との連絡の改善を図ったもので、戦前の1939年から測量および用地買収が開始され、戦後の1952年9月から単線電化で営業を開始した。全区間単線であるが、ほとんどの区間で複線化用地が確保されていた。この連絡線を経由して竜華操車場 - 和歌山操車場間で多数の貨物列車が運転されていたほか、国鉄時代の一時期に定期列車として設定された名古屋駅 - 東和歌山駅(現在の和歌山駅)間の特急「あすか」をはじめ、京都駅 - 白浜駅間の特急「しらはま」などの臨時列車団体専用列車が運転されたこともあった

高度経済成長期には大阪市の主導で、城東貨物線・阪和貨物線の旅客化(大阪外環状線)および杉本町駅から南港駅(現在の阪神高速4号湾岸線南港北出入口付近)に向かう路線(南港貨物線)が計画された。阪和貨物線内には出戸駅、瓜破駅、新矢田駅を設け、南港貨物線内には途中、北島(現在の新北島小学校新北島中学校の敷地)に操車場を設ける予定とされた。一方、北島操車場から南下する臨港鉄道も大阪府によって計画された。これは堺泉北臨海工業地帯に至るもので、さらに南下した泉北1号造成地に羽衣操車場を設置する構想もあった。国鉄もこの計画を承認したが、構想が拡大するのに合わせ公費が当初予定の三倍に膨れ上がったため、国鉄は用地買収と下部構造の費用の負担を大阪府に要求した。大阪府はこれを拒否したため、国鉄による直営は見送られ、大阪府と大阪市・国鉄・進出企業が出資する第三セクター「阪堺臨海鉄道」を設立して対応した。しかし、国鉄の経営悪化により外環状線は遅々として着工されず(おおさか東線#建設の経緯も参照のこと)、大阪外環状線の建設を前提としていた臨海鉄道の計画も進行しなかった。そうこうしているうちに大阪南港のコンビナート構想はオイルショックの影響で凍結されて実現はますます遠のいていき、時機を失った臨海鉄道計画は立ち消えとなった。その後、大阪市営地下鉄谷町線の開通によって阪和貨物線の旅客化の意義も薄れ、1980年代までに旅客化運動は終息する。

その後、阪和貨物線を運行する貨物列車は次第に減少し、阪和線と和歌山地区での貨物取り扱いの終了した1986年10月に線内を経由する定期貨物列車は全廃された。その後は南海電気鉄道向け車両の甲種鉄道車両輸送が細々と行われていたが、甲種輸送の性格上路線の使用頻度は低かったため、線路保守のために錆取り列車が王寺駅 - 鳳駅間で運転され、ファンの間で知られる所となっていた。納入ルートが変更されるとJR貨物による免許は2003年4月1日に廃止となり[1]、その後もJR西日本によって路線は保持されたものの、国土交通省による大和川の改修事業やおおさか東線建設工事の支障になることなどを理由に2004年6月末で休止され、関西本線からの接続部が撤去された。結局、2008年3月に天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線が複線化されたことにより使用されなくなったことから、2008年11月17日にJR西日本が第1種鉄道事業の廃止届出を行い、その後廃止日の繰り上げが認められたため、2009年3月31日付で廃止となった[2]

阪和貨物線の跡地については、国土交通省により大和川のスーパー堤防化が進められており、地下鉄御堂筋線との交差付近から阪神高速14号松原線との交差付近までが含まれている。

  1. ^ 日本貨物鉄道株式会社申請の第二種鉄道事業の一部廃止について、国土交通省、2003年3月5日。
  2. ^ 関西線(八尾〜杉本町間)における鉄道事業廃止繰上届出書の提出について[リンク切れ]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。 - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年2月2日