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太宰治などの作家・文豪にありがちなことだが、川端も借金の名手であった。といっても生来無口であったので、言い訳をしたり頼み込んだりはしない。ただじっと黙って待っているだけなのだ。 |
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ある日、[[菊池寛]]が自宅で将棋をさしていると、ふらっと川端がやってきた。菊池の部屋に通されると、菊池の後ろに腰を下ろし、一言も口を聞かない。ただ、そのミミズクのように大きな目でじっと菊池を見ているだけである。3時間ほどして、さすがに菊池も気味が悪いと思い始めると、川端がぼそっと「20円いるんです」。菊池が「20円?で、いつ?」と応じると、「今」。菊池はしぶしぶ財布から10円札を2枚取り出し川端に渡すと、川端は礼も言わずまたふらっと帰っていった。 |
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こんな調子だから金銭感覚もなかったらしい。1968(昭和43)年、ノーベル文学賞を受賞すると、その当時のノーベル賞の賞金が1000万円だとわかっているのに、高価な壺や屏風を買い、3000万円ほど使ってしまった。当然借金取りがひっきりなしに訪れるが、何しろ相手はノーベル賞受賞者である。そうそう強いことも言えず、「先生、お願いですから何とか返していただけませんかね?」と頼むと、「ないものはない。いずれ返します」という言葉を繰り返した。しかし、川端は借金を抱えたまま、4年後、謎のガス自殺を遂げる。 |
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== 作品一覧 == |
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2005年10月20日 (木) 07:53時点における版
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の作家、小説家。横光利一と共に新感覚派の代表として活躍した。1968年に日本初のノーベル文学賞を受賞した。代表作として、伊豆の踊子、雪国がある。
経歴
- 1899年 大阪市天満此花町で、開業医の家の長男として生まれる
- 1901年 父栄吉死去
- 1902年 母ゲン死去。祖父母と共に大阪府下三島郡豊川村(現在の茨木市)へ転居
- 1906年 祖母死去
- 1912年 茨木中学入学
- 1914年 祖父死去。大阪市の母の実家に引き取られる
- 1917年 茨木中学を卒業、第一高等学校に入学
- 1918年 伊豆を旅する
- 1920年 東京大学英文科に入学
- 1921年 東京大学国文科へ転科。「招魂祭一景」発表
- 1924年 東大卒業。同人誌『文芸時代』を創刊。この同人誌には、新感覚派(感覚的にとらえた現実を知的に構成していく作風)と呼ばれた、新進作家が集まった
- 1925年 「十六歳の日記」、「孤独の感情」を発表
- 1926年 「伊豆の踊子」を発表。結婚
- 1929年 「浅草紅団」の新聞連載開始
- 1933年 「禽獣」、「末期の眼」を発表
- 1935年 「雪国」を発表
- 1942年 「名人」を発表
- 1943年 高槻市の従兄の子供を養女にする。「故園」、「夕日」、「父の名」を発表
- 1947年 「哀愁」を発表
- 1948年 日本ペンクラブ会長就任。「反橋」を発表
- 1949年 「しぐれ」、「住吉」、「山の音」、「千羽鶴」、「骨拾い」を発表
- 1957年 国際ペンクラブ副会長として、国際ペンクラブ大会を日本で開催(京都と東京)
- 1961年 文化勲章受賞。「古都」執筆のため、京都で暮らす
- 1968年 ノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行う
- 1969年 茨木高校の文学碑除幕、茨木市名誉市民章受賞
- 1972年 ガス自殺。遺書はなかったが、理由として交遊の深かった三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺があげられる
- 1985年 茨木市立川端康成文学館開館
エピソード
太宰治などの作家・文豪にありがちなことだが、川端も借金の名手であった。といっても生来無口であったので、言い訳をしたり頼み込んだりはしない。ただじっと黙って待っているだけなのだ。
ある日、菊池寛が自宅で将棋をさしていると、ふらっと川端がやってきた。菊池の部屋に通されると、菊池の後ろに腰を下ろし、一言も口を聞かない。ただ、そのミミズクのように大きな目でじっと菊池を見ているだけである。3時間ほどして、さすがに菊池も気味が悪いと思い始めると、川端がぼそっと「20円いるんです」。菊池が「20円?で、いつ?」と応じると、「今」。菊池はしぶしぶ財布から10円札を2枚取り出し川端に渡すと、川端は礼も言わずまたふらっと帰っていった。
こんな調子だから金銭感覚もなかったらしい。1968(昭和43)年、ノーベル文学賞を受賞すると、その当時のノーベル賞の賞金が1000万円だとわかっているのに、高価な壺や屏風を買い、3000万円ほど使ってしまった。当然借金取りがひっきりなしに訪れるが、何しろ相手はノーベル賞受賞者である。そうそう強いことも言えず、「先生、お願いですから何とか返していただけませんかね?」と頼むと、「ないものはない。いずれ返します」という言葉を繰り返した。しかし、川端は借金を抱えたまま、4年後、謎のガス自殺を遂げる。
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