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「アウトサイダー・アート」の版間の差分

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'''アウトサイダー・アート''' (outsider art) とは、身体・精神障害者などによる[[芸術]]のこと。広義には、[[子ども]]や、正式な美術[[教育]]を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。<br>
Art Brutとも呼ばれる。
ジャン・デュビュッフェは、これらの作品に注目・収集し、Art Brut(アール・ブリュットまたはアール・ブリュ)と呼び、高く評価した。この言葉は、「生(なま)の芸術」の意味で、現代的な[[文化]]や芸術教育などにさらされず、(悪い)影響を与えられていない、本能的・内在的な、いい意味で洗練されていない芸術を意図する言葉である。<br>
アウトサイダー・アートとは、身体・精神障害者などの芸術のこと。
デュビュッフェの作品をArt Brutに含めるケースもある。
天才と呼ばれる芸術家の多くは、実は障害者なのである。

[[日本]]においては、[[1993年]]に[[世田谷美術館]]における「パラレル・ヴィジョン」という企画によって、本格的に紹介されている。<br>
また、デュビュッフェによるコレクションは、現在、[[スイス]]・[[ローザンヌ]]市で「アール・ブリュット・コレクション」として所蔵されている。

アウトサイダー・アートに関連しては、[[天才]]と呼ばれる[[芸術家]]と[[障害者]]との類似性、天才芸術家の「障害者性」などについて、さらなる考察が必要とされている。

なお、アウトサーダー・アートの評価であるが、いわば、こちら側の視点で、あちら側の「芸術」を評価しているという構造自体がおかしい、と、現在の「評価方法」の根本に疑問を呈する論者もいる(アウトサイダー・アートの価値自体を認めないという立場とは異なる)。これは、プリミティブ・アートに対する西欧(文明)からの評価に対する批判と同じ視点である。

==参考文献==
*パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート/モーリス・タックマン、キャロル・S.エリエル/淡交社/1993年
*アウトサイダー・アート/求龍堂/2000年
*アウトサイダー・アート/服部正/光文社新書/2003年

==関連項目==
*[[美術]]
*素朴派(ナイーフ・アート、ナイーブ・アート)
*プリミティブ・アート(プリミティヴィズム・未開芸術)

2004年4月13日 (火) 02:44時点における版

アウトサイダー・アート (outsider art) とは、身体・精神障害者などによる芸術のこと。広義には、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。
ジャン・デュビュッフェは、これらの作品に注目・収集し、Art Brut(アール・ブリュットまたはアール・ブリュ)と呼び、高く評価した。この言葉は、「生(なま)の芸術」の意味で、現代的な文化や芸術教育などにさらされず、(悪い)影響を与えられていない、本能的・内在的な、いい意味で洗練されていない芸術を意図する言葉である。
デュビュッフェの作品をArt Brutに含めるケースもある。

日本においては、1993年世田谷美術館における「パラレル・ヴィジョン」という企画によって、本格的に紹介されている。
また、デュビュッフェによるコレクションは、現在、スイスローザンヌ市で「アール・ブリュット・コレクション」として所蔵されている。

アウトサイダー・アートに関連しては、天才と呼ばれる芸術家障害者との類似性、天才芸術家の「障害者性」などについて、さらなる考察が必要とされている。

なお、アウトサーダー・アートの評価であるが、いわば、こちら側の視点で、あちら側の「芸術」を評価しているという構造自体がおかしい、と、現在の「評価方法」の根本に疑問を呈する論者もいる(アウトサイダー・アートの価値自体を認めないという立場とは異なる)。これは、プリミティブ・アートに対する西欧(文明)からの評価に対する批判と同じ視点である。

参考文献

  • パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート/モーリス・タックマン、キャロル・S.エリエル/淡交社/1993年
  • アウトサイダー・アート/求龍堂/2000年
  • アウトサイダー・アート/服部正/光文社新書/2003年

関連項目

  • 美術
  • 素朴派(ナイーフ・アート、ナイーブ・アート)
  • プリミティブ・アート(プリミティヴィズム・未開芸術)