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'''ドライビール'''は、[[アルコール度数]]を従来の[[ビール]]より高め<ref>たとえばそれまでの主要銘柄であるキリンラガービールは4.5%、アサヒスーパードライは5%である。</ref>、辛口(英語では"DRY")に仕上げたビールのことである<ref name="daijisen">{{Cite book|和書
'''ドライ戦争'''(ドライせんそう)とは、[[1987年]]に[[アサヒビール]]が発売した『'''[[アサヒスーパードライ]]'''』が大ヒットしたことを受け、翌[[1988年]]から他のビールメーカーが次々に[[ドライビール]]市場に参戦し、販売合戦したことをいう。
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| title = 大辞泉
| origyear= 2006
| url = http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=16317313476260
| edition = 増補・新装版(デジタル大辞泉)
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| publisher = [[小学館]]
| language = 日本語
}}</ref>。最初のドライビールは[[1987年]]に[[アサヒビール]]が発売した『[[アサヒスーパードライ]]』である。その後、「ドライビール」と名打たれたビールが各社から続々と発売され、熾烈な販売合戦が行われた。これは'''ドライ戦争'''と呼ばれ、この言葉は1988年の[[新語・流行語大賞]]流行語部門の銀賞を受賞した<ref>{{Cite web
|url=http://singo.jiyu.co.jp/nendo/1988.html
|title=新語・流行語大賞 第5回
|publisher=[[自由国民社]]
|work=「[[現代用語の基礎知識]]」選 新語・流行語大賞 全授賞記録
|language=日本語
|accessdate=2010-12-01
}}</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
ドライビールには明確な定義はなく、条件として原材料で麦芽を従来に比べ少なくし、[[米]]や[[コーンスターチ]]など他の規定品を高めに配合して新開発した醸造法や[[酵母]]を用いてアルコール度数を高くし<ref name="daijisen" /><ref name="oishinbo18">{{Cite book|和書|author=雁屋哲|coauthors=花咲アキラ|title=[[美味しんぼ]]|year=1988|month=12|publisher=[[小学館]]|series=ビッグコミックス|language=日本語|isbn=978-4-09-181408-1|volume=第18巻|chapter=ドライビールの秘密(前編・後編)}}</ref>、味として「コク・キレ」や「辛口」が特徴になっている<ref name="dai7kai" /><ref name="dohto" />、などの要素を用いたビールを指している。例として『アサヒスーパードライ』は原料に占める[[麦芽]]の割合を低くすることでアルコール度数を上げている<ref name="miyamoto">{{Cite book|和書
当時、ビールメーカーの最大手だった[[麒麟麦酒|キリンビール]]は、それまで日本国内シェアの50%以上を保持していたが、アサヒビールが『アサヒスーパードライ』をヒットさせたことにより、1988年にシェア50%を割ってしまった。同年2月『'''キリンドライ'''』を発売し(CMに俳優の[[ジーン・ハックマン]]を起用し、CMソングにはミュージシャンの[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]を起用)、[[1989年]][[4月]]麦芽100%のオールモルト生ドライビール『'''キリンモルトドライ'''』を発売して反撃を試みたが功を奏さなかった。[[1990年]]に発売した『'''[[キリン一番搾り生ビール|一番搾り]]'''』は、『アサヒスーパードライ』の独走にブレーキをかけるヒット商品となったが、同社の最大銘柄である『[[キリンラガービール]]』の売り上げも食ってしまうという[[共食い]]現象を起こし、シェア50%の回復はできなかった。
|title=アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則
|author=宮本紘太郎
|isbn=4396611579
|edition=初版第1刷
|date=2002-09-10
}}</ref>。1989年には麦芽比率を高めたドライビールも登場した([[#ドライ戦争|後述]])。


[[公正取引委員会]]と[[消費者庁]]が認定するビールに関する[[公正競争規約]]「ビールの表示に関する公正競争規約<ref name="beerkiyaku">{{PDFlink|[http://www.jfftc.org/cgi-bin/data/bunsyo/C-1.pdf ビールの表示に関する公正競争規約]}}</ref>」にもドライビールに関する規定はない<ref name="beerkiyaku"/>。
[[サッポロビール]]は、1988年2月に『'''サッポロドライ'''』を発売した(CMに当初[[吉田拓郎]]を起用。のちに[[広岡達朗]]、[[石田えり]]を起用)が惨敗。[[1989年]]5月に主力商品の『黒ラベル』を『サッポロドラフト』としてリニューアル発売(CMに当初[[坂本龍一]]を起用。のちに[[桜田淳子]]などが起用される)したが従来の『黒ラベル』のファンの不評を買い、それぞれ発売2年足らずで生産を中止した。のち『サッポロドラフト』は元の『黒ラベル』に戻った。


[[発泡酒]]や[[第三のビール]]でもドライの要素や表現を用いた商品が展開されており、発泡酒ではサントリー「MDゴールデンドライ」やアサヒ「クールドラフト」が、第三のビールではキリン「本格<辛口麦>」やサントリー「ジョッキのみごたえ辛口<生>」やオリオン「スペシャルエックス」がドライタイプに分類されている。
[[サントリー]]は1988年2月、『[[モルツ]]』のCMで「私はドライではありません」と謳う一方、『'''サントリードライ'''』を発売し、「アサヒスーパードライ」の生産が需要に追いつかないという状況下における代替品としてそこそこの成績を上げ、アルコール度を5.5%に高めた改良品『'''サントリードライ5.5'''』にはボクサーの[[マイク・タイソン]]が出演し、話題になった。


ドライビールのように、アルコール度数を高めたビールの仲間として、[[エール (ビール)#ペール・エール|ペール・エール]]を挙げる人もいる<ref name="oishinbo18"/>。
結果は『アサヒスーパードライ』の一人勝ちというべきもので、他社はその後、[[発泡酒]]や[[第三のビール]]にチャンスを見いだしていくことになる。


「ドライ」という言葉は1988年ごろ一種の流行語となり、ソフトドリンクでは[[キリンビバレッジ]]が「[[キリンレモン|キリンレモンドライ]]」を発売、またファストフード業界では[[ファーストキッチン]]が「ドライバーガー」を発売した。
当時発表された漫画『[[美味しんぼ]]』(単行本18巻に収録)に、ドライビールブームを批判するエピソードがある。


== 備考 ==
== 歴史 ==
=== アサヒスーパードライ発売 ===
*『キリンドライビール』のCMに曲を提供した鈴木雅之、『サッポロドライ』のCMに出演した吉田拓郎はその後、アサヒビールの『'''DUNK'''』(鈴木雅之)、『'''アサヒ黒生'''』(吉田拓郎)のCMに出演した。また、『サッポロドラフト』のCMに出演した坂本龍一はその後、キリンビールの『'''キリンラガービール'''』&『'''キリンクラシックラガー'''』のCMに出演している(「ラガー ハ カワルナ」篇。ただし[[YMO]]のメンバーとして)。
アサヒビールは[[1980年代]]前半から中盤にかけて低迷していたが、さまざまな改革を試みていた<ref name="dai7kai">{{Cite web
|author=清水信年
|coauthors=[[流通科学大学]]
|date=1996-09
|url=http://www2.umds.ac.jp/sem/SemNShimizu/shimizu1996_asahi.pdf
|title=アサヒビール 〜ビール市場の創造と適応〜
|format=PDF
|work=現代経営学研究学会 第7回シンポジウム資料
|publisher=清水信年ゼミナール
|language=日本語
|accessdate=2010-12-04
}}</ref>。
そして1984年と1985年の市場調査の結果、消費者はビールに「軽快」「飲みやすさ」「コク・キレ」を求めていると判断し<ref name="dai7kai" /><ref name="nagai2002-41">{{Cite book|和書
|title=ビール15年戦争 すべてはドライから始まった
|author=永井隆
|authorlink=永井隆 (ジャーナリスト)
|publisher=日本経済新聞社
|series=日経ビジネス人文庫
|date=2002-08-01
|edition=第1刷
|id=ISBN 4-532-19139-4
|pages=41から44ページ
|chapter=第1章 消費者が飲みたいビールが日本にはなかった
}}</ref>、それを基に「コクキレビール」と名打った『アサヒ生ビール』を1986年に発売、シェア10%台に回復した<ref name="dai7kai" />。この「コク・キレ」のコンセプトを進展させたのが、1987年に発売された世界初の辛口ビール『アサヒスーパードライ』である<ref name="dai7kai" /><ref name="food20090203">[http://www.foodrink.co.jp/backnumber/200902/090203.php 【酒類大手4社の2009年】不況で定番返り。スーパードライが強さを増しそう。アサヒビール株式会社] - フードリンクニュース 2009年2月3日</ref>。
新しい日本の食生活に対応した、軽快で飲みやすいビールを目指して開発されたもので、CMには国際ジャーナリストの[[落合信彦]]を起用した。同年の販売数量実績は1350万ケースで、それまでサントリーのモルツが持っていた新商品初年度の販売記録200万ケースを大幅に更新する大ヒットとなった<ref name="dai7kai" />。


== その他 ==
=== ドライ戦争 ===

*「ドライ」という名称はビール以外にも使われ、ソフトドリンクでは[[キリンビバレッジ]]が「[[キリンレモン|キリンレモンドライ]]」を発売し、またファストフード業界では[[ファーストキッチン]]が「ドライバーガー」を発売したこともあった。
『アサヒスーパードライ』のヒットを受け、アサヒビール以外の大手ビールメーカー3社も、翌1988年1月に続々と「ドライビール」の発売を発表。これに対し、アサヒビールは「名称・ラベルがスーパードライに似すぎており消費者に誤解を与える」という抗議文を[[内容証明]]でキリンとサッポロに送付するなど、ドライビールの名称について議論(ドライ論争)が行われたが、両者が譲歩しあうことで同月中に収束した<ref name="dai7kai" />。2月以降から各社からドライビールが発売された。他社のドライビール発売がスーパードライ新発売から約1年遅れた理由として、ビール新商品の開発・試作・生産には時間が掛かることや、1980年代において主力新商品の発売は本格シーズン到来前の春が恒例であったことが挙げられている<ref name="dai7kai" />。アサヒ以外の3社の動向は次の通りだった。
* 2000年代にサントリーが使用していた『スーパーマグナムドライ』(発泡酒)、『スーパーチューハイドライ』(缶チューハイ)などの名称が、『アサヒスーパードライ』に酷似との理由で、アサヒが商品名の使用中止を求め提訴、これに対しサントリーが「営業上の信用を害された」との理由で逆提訴していた問題が発生していたが、サントリーが2003年5月末までに表記を変更することで和解、サントリーの逆提訴についてもアサヒとの和解が成立し、両社は相手方に対する損害賠償請求を放棄した<ref>[http://www.47news.jp/CN/200303/CN2003031401000295.html 「ドライ戦争」が収束 サントリーが商品名変更] [[47NEWS]] 2003年3月14日</ref>。

; キリンビール
: 1988年2月に『キリンドライ』(CMに俳優の[[ジーン・ハックマン]]を起用し、CMソングにはミュージシャンの[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]を起用)、[[1989年]]4月に麦芽100%のオールモルト生ドライビール『キリンモルトドライ』を発売。販売数量はキリンドライが1988年4000万ケース、1989年1750万ケースで、モルトドライが1989年350万ケース<ref name="dai7kai" />。しかし『アサヒスーパードライ』の独走を止めることはできず、1988年にはそれまで維持していた日本国内シェア50%を割っている。
; [[サッポロビール]]
: 1988年2月に『サッポロドライ』(CMに[[吉田拓郎]]、[[広岡達朗]]、[[石田えり]]を起用)を発売。販売数量は1988年2300万ケース、1989年950万ケース<ref name="dai7kai" />。しかし、それまでの同社のファンからは不評で発売2年足らずで生産を中止。さらにドライ感を強めた『サッポロハーディ』や『サッポロクールドライ』を1989年に発売するも、短期間で生産を終了している。
; [[サントリー]]
: 1988年2月、『[[モルツ]]』のCMで「私はドライではありません」と謳う一方、『サントリードライ』を発売。販売数量は1988年1300万ケース、1989年750万ケース<ref name="dai7kai" />。差別化戦略としてアルコール度数を5.5%に高めた『サントリードライ5.5』も発売し、CMにボクサーの[[マイク・タイソン]]を起用したことが話題になった。販売数量は1988年200万ケース<ref name="dai7kai" />。1989年には二条大麦と六条大麦のダブルモルトを使用した麦芽100%ドライの『冴』を発売し、こちらは和風のイメージで差別化を図った。

他社が発売したドライビールの売上で1988年は従来の新製品と比べると好調の部類に入り、1988年のドライビール市場は1億5000万ケースの規模となり全ビール市場における割合は前年の3%(アサヒのみ)から34%(全社合計)と急上昇した<ref name="dai7kai" /><ref name="dohto">{{PDFlink|[http://www.dohto.ac.jp/~mtanaka/image/re_041120.pdf アサヒビールの経営革新]}} - [[道都大学]] 田中求ゼミナール 2004年11月20日</ref>。一方でドライ以外の銘柄が売上低下する共食い現象も発生したり、前年に「ドライビール=アサヒスーパードライ」のイメージが消費者にて形成されていたことで、他社がドライビールを宣伝しても客は元祖のアサヒスーパードライに流れる状況となっていた<ref name="dai7kai" />。

ドライ戦争の結果は販売数量実績で7500万ケース(1988年)を記録した『アサヒスーパードライ』の一人勝ちと言うべきもので、他社は1988年後半になるとドライビールに集中する戦略を終了し、新たな次期主力商品を模索し始め<ref name="dai7kai" />、その後は[[発泡酒]]や[[第三のビール]]にチャンスを見いだしていくことになる。

またドライ戦争でドライビール以上に売り上げを伸ばしたのが[[亀田製菓]]の[[柿の種]]で、ビールに合うおつまみとしての需要からか売り上げがそれまでの3倍弱に伸びたという<ref name="longseller">{{Cite web
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|title=ニッポン・ロングセラー考 Vol.074 ピーナッツ入り柿の種
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=== ポスト・ドライ戦争 ===

ドライ戦争の勝者となったアサヒビールはスーパードライが一時期停滞したものの1993年から2000年まで成長を続け、2000年代後半においてもビール類市場において高い比率を誇る定番ブランドとなっている<ref name="food20090203" /><ref>{{PDFlink|[http://merc.e.u-tokyo.ac.jp/mmrc/dp/pdf/MMRC221_2008.pdf アサヒビールの経営革新]}} - [[東京大学]] COE ものづくり経営研究センター 2008年6月</ref>。発泡酒市場において、1990年代後半までに他社は参入して活発な展開を行う中、同社だけ参入が2001年と遅れたのは『スーパードライ』と類似する面がある(麦芽使用率の低い)節税型発泡酒との競合を恐れたという一説もある<ref name="miyamoto" />。実際にアサヒ初の発泡酒「本生」発売後の初期段階でスーパードライの売上が10%以上減少し、自社製品同士の競合状態となっていたが<ref>[http://www.watch.impress.co.jp/finance/report/articles/economy/note/010326.htm 「スーパードライ」を飲み干す「アサヒ本生」 ] - FINANCE Watch 2001年3月26日</ref>、結果的に本生効果(2001年発泡酒シェアでアサヒ2位)によって2001年のビール類(当時はビールと発泡酒が該当)[[市場占有率]]においてアサヒがキリンを抜き首位となった<ref>{{PDFlink|[http://www.asahibeer.co.jp/ir/event/pdf/presentation/2008_in_factory.pdf アサヒビールグループの概要と事業方針]}} - アサヒビール 2008年10月<br/>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20071009/137115/ 衝撃的シェア逆転から失地回復] - 日経ビジネスオンライン 2007年10月12日</ref>。

2000年代に入って、サントリーが使用していた『スーパーマグナムドライ』(発泡酒)、『スーパーチューハイドライ』(缶チューハイ)などの名称が、『アサヒスーパードライ』に酷似との理由で、アサヒが商品名の使用中止を求め提訴、これに対しサントリーが「営業上の信用を害された」との理由で逆提訴していた問題が発生していたが、サントリーが2003年5月末までに表記を変更することで和解、サントリーの逆提訴についてもアサヒとの和解が成立し、両社は相手方に対する損害賠償請求を放棄した<ref>{{Cite web|date=2003-03-14|url=http://www.47news.jp/CN/200303/CN2003031401000295.html|title=「ドライ戦争」が収束 サントリーが商品名変更|works=共同ニュース|publisher=[[47NEWS]]|language=日本語|accessdate=2010-12-01}}</ref>。

ドライ戦争のように、アサヒが新要素を前面に出した新商品を発売し、好調な売上を記録して新たな市場が形成され先行優位状態となった後に他社が同類の新商品で追随するパターンは2000年代後半にも発生しており、機能性発泡酒で「糖質ゼロ」を前面に出した「アサヒスタイルフリー」を2007年3月に発売し好調であったことから2008年にはキリン「キリンゼロ」、サントリー「ゼロナマ」、サッポロ「ビバライフ」が発売されており、この事例を一部では「糖質ゼロ戦争」と表現している<ref>[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20080219/1007235/ 「糖質ゼロ」戦争勃発! さて、どの“ゼロ発泡酒”がうまいか?] - [[日経トレンディ]]ネット 2008年2月21日<br/>[http://president.jp.reuters.com/article/2009/10/14/B2C9EAE6-B30A-11DE-9375-46073F99CD51-1.php “ドライ”“ゼロ”戦争で実現「アサヒ勝ちパターン」] - プレジデントロイター 2009年10月14日</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[落合信彦]](スーパードライのCMに起用され、人気を博した)


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
*「たかがビールされどビール—アサヒスーパードライ、18年目の真実」 (B&Tブックス)  松井康雄、日刊工業新聞社、2005年。 ISBN 4526055212
|author=松井康雄
*「ビール15年戦争—すべてはドライから始まった」 (日経ビジネス人文庫) 永井隆、日本経済新聞社、2002年。 ISBN 4532191394
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|publisher=[[日刊工業新聞社]]
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* {{Cite book|和書
|author=永井隆
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2010年12月9日 (木) 12:08時点における版

ドライビールは、アルコール度数を従来のビールより高め[1]、辛口(英語では"DRY")に仕上げたビールのことである[2]。最初のドライビールは1987年アサヒビールが発売した『アサヒスーパードライ』である。その後、「ドライビール」と名打たれたビールが各社から続々と発売され、熾烈な販売合戦が行われた。これはドライ戦争と呼ばれ、この言葉は1988年の新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞した[3]

概要

ドライビールには明確な定義はなく、条件として原材料で麦芽を従来に比べ少なくし、コーンスターチなど他の規定品を高めに配合して新開発した醸造法や酵母を用いてアルコール度数を高くし[2][4]、味として「コク・キレ」や「辛口」が特徴になっている[5][6]、などの要素を用いたビールを指している。例として『アサヒスーパードライ』は原料に占める麦芽の割合を低くすることでアルコール度数を上げている[7]。1989年には麦芽比率を高めたドライビールも登場した(後述)。

公正取引委員会消費者庁が認定するビールに関する公正競争規約「ビールの表示に関する公正競争規約[8]」にもドライビールに関する規定はない[8]

発泡酒第三のビールでもドライの要素や表現を用いた商品が展開されており、発泡酒ではサントリー「MDゴールデンドライ」やアサヒ「クールドラフト」が、第三のビールではキリン「本格<辛口麦>」やサントリー「ジョッキのみごたえ辛口<生>」やオリオン「スペシャルエックス」がドライタイプに分類されている。

ドライビールのように、アルコール度数を高めたビールの仲間として、ペール・エールを挙げる人もいる[4]

「ドライ」という言葉は1988年ごろ一種の流行語となり、ソフトドリンクではキリンビバレッジが「キリンレモンドライ」を発売、またファストフード業界ではファーストキッチンが「ドライバーガー」を発売した。

歴史

アサヒスーパードライ発売

アサヒビールは1980年代前半から中盤にかけて低迷していたが、さまざまな改革を試みていた[5]。 そして1984年と1985年の市場調査の結果、消費者はビールに「軽快」「飲みやすさ」「コク・キレ」を求めていると判断し[5][9]、それを基に「コクキレビール」と名打った『アサヒ生ビール』を1986年に発売、シェア10%台に回復した[5]。この「コク・キレ」のコンセプトを進展させたのが、1987年に発売された世界初の辛口ビール『アサヒスーパードライ』である[5][10]。 新しい日本の食生活に対応した、軽快で飲みやすいビールを目指して開発されたもので、CMには国際ジャーナリストの落合信彦を起用した。同年の販売数量実績は1350万ケースで、それまでサントリーのモルツが持っていた新商品初年度の販売記録200万ケースを大幅に更新する大ヒットとなった[5]

ドライ戦争

『アサヒスーパードライ』のヒットを受け、アサヒビール以外の大手ビールメーカー3社も、翌1988年1月に続々と「ドライビール」の発売を発表。これに対し、アサヒビールは「名称・ラベルがスーパードライに似すぎており消費者に誤解を与える」という抗議文を内容証明でキリンとサッポロに送付するなど、ドライビールの名称について議論(ドライ論争)が行われたが、両者が譲歩しあうことで同月中に収束した[5]。2月以降から各社からドライビールが発売された。他社のドライビール発売がスーパードライ新発売から約1年遅れた理由として、ビール新商品の開発・試作・生産には時間が掛かることや、1980年代において主力新商品の発売は本格シーズン到来前の春が恒例であったことが挙げられている[5]。アサヒ以外の3社の動向は次の通りだった。

キリンビール
1988年2月に『キリンドライ』(CMに俳優のジーン・ハックマンを起用し、CMソングにはミュージシャンの鈴木雅之を起用)、1989年4月に麦芽100%のオールモルト生ドライビール『キリンモルトドライ』を発売。販売数量はキリンドライが1988年4000万ケース、1989年1750万ケースで、モルトドライが1989年350万ケース[5]。しかし『アサヒスーパードライ』の独走を止めることはできず、1988年にはそれまで維持していた日本国内シェア50%を割っている。
サッポロビール
1988年2月に『サッポロドライ』(CMに吉田拓郎広岡達朗石田えりを起用)を発売。販売数量は1988年2300万ケース、1989年950万ケース[5]。しかし、それまでの同社のファンからは不評で発売2年足らずで生産を中止。さらにドライ感を強めた『サッポロハーディ』や『サッポロクールドライ』を1989年に発売するも、短期間で生産を終了している。
サントリー
1988年2月、『モルツ』のCMで「私はドライではありません」と謳う一方、『サントリードライ』を発売。販売数量は1988年1300万ケース、1989年750万ケース[5]。差別化戦略としてアルコール度数を5.5%に高めた『サントリードライ5.5』も発売し、CMにボクサーのマイク・タイソンを起用したことが話題になった。販売数量は1988年200万ケース[5]。1989年には二条大麦と六条大麦のダブルモルトを使用した麦芽100%ドライの『冴』を発売し、こちらは和風のイメージで差別化を図った。

他社が発売したドライビールの売上で1988年は従来の新製品と比べると好調の部類に入り、1988年のドライビール市場は1億5000万ケースの規模となり全ビール市場における割合は前年の3%(アサヒのみ)から34%(全社合計)と急上昇した[5][6]。一方でドライ以外の銘柄が売上低下する共食い現象も発生したり、前年に「ドライビール=アサヒスーパードライ」のイメージが消費者にて形成されていたことで、他社がドライビールを宣伝しても客は元祖のアサヒスーパードライに流れる状況となっていた[5]

ドライ戦争の結果は販売数量実績で7500万ケース(1988年)を記録した『アサヒスーパードライ』の一人勝ちと言うべきもので、他社は1988年後半になるとドライビールに集中する戦略を終了し、新たな次期主力商品を模索し始め[5]、その後は発泡酒第三のビールにチャンスを見いだしていくことになる。

またドライ戦争でドライビール以上に売り上げを伸ばしたのが亀田製菓柿の種で、ビールに合うおつまみとしての需要からか売り上げがそれまでの3倍弱に伸びたという[11]

ポスト・ドライ戦争

ドライ戦争の勝者となったアサヒビールはスーパードライが一時期停滞したものの1993年から2000年まで成長を続け、2000年代後半においてもビール類市場において高い比率を誇る定番ブランドとなっている[10][12]。発泡酒市場において、1990年代後半までに他社は参入して活発な展開を行う中、同社だけ参入が2001年と遅れたのは『スーパードライ』と類似する面がある(麦芽使用率の低い)節税型発泡酒との競合を恐れたという一説もある[7]。実際にアサヒ初の発泡酒「本生」発売後の初期段階でスーパードライの売上が10%以上減少し、自社製品同士の競合状態となっていたが[13]、結果的に本生効果(2001年発泡酒シェアでアサヒ2位)によって2001年のビール類(当時はビールと発泡酒が該当)市場占有率においてアサヒがキリンを抜き首位となった[14]

2000年代に入って、サントリーが使用していた『スーパーマグナムドライ』(発泡酒)、『スーパーチューハイドライ』(缶チューハイ)などの名称が、『アサヒスーパードライ』に酷似との理由で、アサヒが商品名の使用中止を求め提訴、これに対しサントリーが「営業上の信用を害された」との理由で逆提訴していた問題が発生していたが、サントリーが2003年5月末までに表記を変更することで和解、サントリーの逆提訴についてもアサヒとの和解が成立し、両社は相手方に対する損害賠償請求を放棄した[15]

ドライ戦争のように、アサヒが新要素を前面に出した新商品を発売し、好調な売上を記録して新たな市場が形成され先行優位状態となった後に他社が同類の新商品で追随するパターンは2000年代後半にも発生しており、機能性発泡酒で「糖質ゼロ」を前面に出した「アサヒスタイルフリー」を2007年3月に発売し好調であったことから2008年にはキリン「キリンゼロ」、サントリー「ゼロナマ」、サッポロ「ビバライフ」が発売されており、この事例を一部では「糖質ゼロ戦争」と表現している[16]

脚注

  1. ^ たとえばそれまでの主要銘柄であるキリンラガービールは4.5%、アサヒスーパードライは5%である。
  2. ^ a b 松村明 編『大辞泉』(増補・新装版(デジタル大辞泉))小学館(原著2006年)http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=163173134762602010年12月1日閲覧 
  3. ^ 新語・流行語大賞 第5回”. 現代用語の基礎知識」選 新語・流行語大賞 全授賞記録. 自由国民社. 2010年12月1日閲覧。
  4. ^ a b 雁屋哲、花咲アキラ「ドライビールの秘密(前編・後編)」『美味しんぼ』 第18巻、小学館〈ビッグコミックス〉、1988年12月。ISBN 978-4-09-181408-1 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 清水信年; 流通科学大学 (1996年9月). “アサヒビール 〜ビール市場の創造と適応〜” (PDF). 現代経営学研究学会 第7回シンポジウム資料. 清水信年ゼミナール. 2010年12月4日閲覧。
  6. ^ a b アサヒビールの経営革新 (PDF) - 道都大学 田中求ゼミナール 2004年11月20日
  7. ^ a b 宮本紘太郎『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』(初版第1刷)、2002年9月10日。ISBN 4396611579 
  8. ^ a b ビールの表示に関する公正競争規約 (PDF)
  9. ^ 永井隆「第1章 消費者が飲みたいビールが日本にはなかった」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』(第1刷)日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、41から44ページ頁。ISBN 4-532-19139-4 
  10. ^ a b 【酒類大手4社の2009年】不況で定番返り。スーパードライが強さを増しそう。アサヒビール株式会社 - フードリンクニュース 2009年2月3日
  11. ^ ニッポン・ロングセラー考 Vol.074 ピーナッツ入り柿の種”. COMZINE. NTTコムウェア (2009年6月24日). 2010年12月8日閲覧。
  12. ^ アサヒビールの経営革新 (PDF) - 東京大学 COE ものづくり経営研究センター 2008年6月
  13. ^ 「スーパードライ」を飲み干す「アサヒ本生」 - FINANCE Watch 2001年3月26日
  14. ^ アサヒビールグループの概要と事業方針 (PDF) - アサヒビール 2008年10月
    衝撃的シェア逆転から失地回復 - 日経ビジネスオンライン 2007年10月12日
  15. ^ 「ドライ戦争」が収束 サントリーが商品名変更”. 47NEWS (2003年3月14日). 2010年12月1日閲覧。
  16. ^ 「糖質ゼロ」戦争勃発! さて、どの“ゼロ発泡酒”がうまいか? - 日経トレンディネット 2008年2月21日
    “ドライ”“ゼロ”戦争で実現「アサヒ勝ちパターン」 - プレジデントロイター 2009年10月14日

参考文献