「幻視芸術」の版間の差分
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Visionary Art は欧米においてFantastic Artとほぼ同じ芸術のジャンルを指す言葉であるが、Fantastic Artが幻想文学との相互影響を含むニュアンスがあるのに対し、Visionary Artはアウトサイダーアートやシャーマニズムから生まれたアートも意味 |
Visionary Art は欧米においてFantastic Artとほぼ同じ芸術のジャンルを指す言葉であるが、Fantastic Artが幻想文学との相互影響を含むニュアンスがあるのに対し、Visionary Artはアウトサイダーアートやシャーマニズムから生まれたアートも意味することがある。しばしば[[アウトサイダー・アート]]とヴィジョナリーアートは相互に言い換えられる場合があり、そのためウィーン幻想派のように伝統技術を重視する芸術と、障害者の芸術を含むアウトサイダー アートとの歴然とした違いに対する認知が不明瞭になりうるという問題もある。アメリカ ボルチモアにあるアメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムにおけるヴィジョナリー アートの定義は「正式な教育を受けない独学の個人によって生み出された芸術作品であり、それは内なる個人のヴィジョンの中から現われた、とりわけ創造的な活動そのものを最大限に楽しむものである。」 といったものである。しかしながら多くのヴィジョナリー アーティスト達は正式な教育を受けており、なおかつ彼らの多くは西洋美術史の中核をなしてきた伝統技術や想像力を重視している。そのため、アウトサイダー アートを多く含むアメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムの趣旨と多くのヴィジョナリー アーティスト達と方向性が必ずしも一致しているわけではない。アメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムでは著名なヴィジョナリー アーティスト、アレックス・グレイの作品が展示された記録はあるものの、ウィーン幻想派やHR ギーガーをふくむ現代のヴイジョナリー アート シーンを積極的に紹介する活動は今のところ確認できない。 |
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ヴィジョナリー アートという言葉がごく早い時期に使用されたケースとしては、1967年にニューヨークのイーストハンプトン ギャラリーで企画され、Paul Laffoleyが参加した「The Visionaries」という展覧会がある。この展覧会はアメリカの出版社グローヴ プレスから出た「サイケデリック アート」という書籍の元になったものであるが、Paul Laffoleyのような芸術家は全くドラッグには関与していないため、企画者のCharles Giulianoが展覧会の方向性としてサイケデリック アートよりもヴィジョナリー アートという言葉のほうが相応しいものとして提案し主張したと思われる。 |
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1960年代後半にアメリカにおけるサイケデリックなファンタジーアートムーブメントを指す言葉としてVisionary Artという言葉が生まれたという説があり、あるいはドラックと無縁なアーティストによる作品をサイケデリックアートと呼ぶのは相応しくないという配慮からヴィジョナリー アートという言葉が使用されたというケースも存在している。 |
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また、1960年代後半から1970年代初めにかけてアメリカ西海岸におけるサイケデリックなファンタジーアートムーブメントを指す言葉としてVisionary Artという言葉が使われていた。 |
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基本的にヴィジョナリーアートはアメリカを発端とした言い方であるが、幻想的な芸術分野に対する呼称として現在ではヨーロッパを含め広く国際的に使用されている。 |
基本的にヴィジョナリーアートはアメリカを発端とした言い方であるが、幻想的な芸術分野に対する呼称として現在ではヨーロッパを含め広く国際的に使用されている。 |
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2010年4月26日 (月) 08:54時点における版
ヴィジョナリーアート Visionary Artとは現実を超えた世界、もしくは意識の拡張を描き出す芸術である。霊的な、あるいは神話的な主題や体験に基づく内容を含んだヴィジョンの表現を目的とする。
ヴィジョナリーアートは独学の芸術家(アウトサイダー)と専門教育を受けた芸術家の双方によって制作が続けられている。多くのヴィジョナリーアーティストが積極的に霊的な訓練に取り組み、そしてなんらかのサイケデリックな体験による霊感を描いている。
ミュンスター大学のWalter Schurian教授はヴィジョナリーアートというジャンルについて語ることの難しさを賢明に指摘している。それはあたかも不連続で一貫性のないものであるかのように、どこで始まり、どこで終わるのかも分からないからである。歴史上評価されてきた様々なスタイルは全て幻想的な要素を備えており、境界線が曖昧であることが多いのである。
このような曖昧さにも関わらず、「コンテンポラリー ヴィジョナリー アート シーン」を構成する何らかの輪郭が現れつつあるようである。そしてどのような芸術家が特に影響力があるかということも明らかになってきている。 コンテンポラリー ヴィジョナリー アーティスト達は自らに先行する存在として、Hieronymous Bosch、William Blake、Morris Graves、Emil Bisttram、Gustave Moreau を挙げている。象徴主義、超現実主義、サイケデリックアートも コンテンポラリー ヴィジョナリー アートにとって直接的な先駆である。
Ernst FuchsやArik Brauerを含めたウィーン幻想派は、コンテンポラリー ヴィジョナリー カルチャーにとって重要なものと看做されている。それは技術的、哲学的にコンテンポラリー ヴィジョナリー アート カルチャーにとって強い影響力のある触媒となっている。ウィーン幻想派は「ヴィジョナリー」のヨーロッパ版の名称として扱い得るものである。無数のヴィジョナリー アーティストがウィーン幻想派のもとで学んでいる。Mati Klarwein、Robert Venosa、Laurence Caruana、A. Andrew Gonzalez 、Philip Rubinov-Jacobsonらは、北アメリカにおいて、入れ替わり立ち代り、ウィーンでの研鑽をもとに後進を教えている。
欧米における 主なネットワークおよび組織
アート オブ イマジネーション
http://www.artofimagination.org/
ジョン ベイナート インターナショナル アート コレクティヴ http://beinart.org/info/jon-beinart.php
イマジナリー レアリスム http://www.imaginaryrealism.com/
ヴィジョナリーアート ギャラリー http://visionaryartgallery.weebly.com/
「ヴィジョナリー アート」の言葉の起源とその扱われ方
Visionary Art は欧米においてFantastic Artとほぼ同じ芸術のジャンルを指す言葉であるが、Fantastic Artが幻想文学との相互影響を含むニュアンスがあるのに対し、Visionary Artはアウトサイダーアートやシャーマニズムから生まれたアートも意味することがある。しばしばアウトサイダー・アートとヴィジョナリーアートは相互に言い換えられる場合があり、そのためウィーン幻想派のように伝統技術を重視する芸術と、障害者の芸術を含むアウトサイダー アートとの歴然とした違いに対する認知が不明瞭になりうるという問題もある。アメリカ ボルチモアにあるアメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムにおけるヴィジョナリー アートの定義は「正式な教育を受けない独学の個人によって生み出された芸術作品であり、それは内なる個人のヴィジョンの中から現われた、とりわけ創造的な活動そのものを最大限に楽しむものである。」 といったものである。しかしながら多くのヴィジョナリー アーティスト達は正式な教育を受けており、なおかつ彼らの多くは西洋美術史の中核をなしてきた伝統技術や想像力を重視している。そのため、アウトサイダー アートを多く含むアメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムの趣旨と多くのヴィジョナリー アーティスト達と方向性が必ずしも一致しているわけではない。アメリカン ヴィジョナリー アート ミュージアムでは著名なヴィジョナリー アーティスト、アレックス・グレイの作品が展示された記録はあるものの、ウィーン幻想派やHR ギーガーをふくむ現代のヴイジョナリー アート シーンを積極的に紹介する活動は今のところ確認できない。
ヴィジョナリー アートという言葉がごく早い時期に使用されたケースとしては、1967年にニューヨークのイーストハンプトン ギャラリーで企画され、Paul Laffoleyが参加した「The Visionaries」という展覧会がある。この展覧会はアメリカの出版社グローヴ プレスから出た「サイケデリック アート」という書籍の元になったものであるが、Paul Laffoleyのような芸術家は全くドラッグには関与していないため、企画者のCharles Giulianoが展覧会の方向性としてサイケデリック アートよりもヴィジョナリー アートという言葉のほうが相応しいものとして提案し主張したと思われる。
また、1960年代後半から1970年代初めにかけてアメリカ西海岸におけるサイケデリックなファンタジーアートムーブメントを指す言葉としてVisionary Artという言葉が使われていた。
基本的にヴィジョナリーアートはアメリカを発端とした言い方であるが、幻想的な芸術分野に対する呼称として現在ではヨーロッパを含め広く国際的に使用されている。
戦後から今世紀初頭までの動向
ファンタスティック、ヴィジョナリー アートの分野の代表的な欧米の組織としては世界中に数百人の会員をもつAOI (The Society of Art of Imagination)がある。戦前の悪夢を担って生まれたウィーン幻想派の成果を国際的に共有するために、60年代前半に結成されたInscapeというイギリスを起点としたグループがAOI の前身である。彼らの主張は何世紀にも渡って培った西洋美術の伝統を重視するものであり、モダニズムによって滅亡しかけている霊的な想像力と伝統技術の継承と復活を目指すものであった。
ヴィジョナリーアートに関わるアーティスト達が共同体を形成し、そのコンテクストを強化してきた背景としてインターネットの存在は無視できない。政治的、経済的に運営されてきた通常のメディアをネットによって飛び越えることが可能になり、人々が本来何を切実に渇望していたのかが急速に鮮明になってきたのである。 インターネットを中心として短期間で国際的に知られるようになった主要な活動の一つにオーストラリアのジョン ベイナートJon Beinartによるオンラインギャラリーの編集と出版活動がある。彼が対象としてきたものはアメリカのローブローアートも含めた世界のアンダーグラウンドアート全般であり、極めて広範囲な視野でもってウェブ上のキュレーションと論考を実現し、それはネットを超えて芸術家どうしを結びつけ実際のグループ展活動を活発化させた。またネットは芸術のメッカとしての都市拠点の重要性を弱め、かつての美術運動のように必ずしも組織的政治的な流派を必要としなくなった。こういったインターネットによる芸術家達の活動は、視覚的衝撃力の弱い通常の現代美術よりも入念に描かれた率直な幻想的表現を支持するネットユーザーや美術愛好家が国際的に拡大する一要因となった。
日本における動向と変遷
ローブローアートやヴィジョナリーアートといった欧米における幻想的表現のムーブメントは全体としては国際メインストリームとしての現代美術へのアンチテーゼであると同時にキリスト教文明に対するリアクションであるとも考えられる。そのため、しばしば欧米のアーティスト達はシャーマニズムやアジア密教にインスピレーションを求め、あるいはダークで魔術的な表現を追求している。
しかし日本のようにモダニズムやキリスト教が体制を完全支配していない場所では事情が異なってくると思われる。
仏文学者の巌谷 國士 氏によれば日本の幻想表現は60年代の大学闘争のような反体制運動と連動しながら、階級的牙城としてのアカデミックな具象的リアリズムに対する反発として始まったのだという。このことは抽象芸術に対する反動として起こった欧米の幻想芸術ムーブメントとは事情が反対である。
1971年に朝日新聞社主催によって開催された「現代の幻想絵画展」の出品者は、平山郁夫、近藤弘明、工藤甲人、といった日本画家、そして前田常作、山本文彦、藤林叡三といった洋画家達であり、彼らは後々も日本の美術界においても教育界においても強い影響力をもち続け、アンダーグラウンドでもアウトサイダーでもなかった。このことは以後、幻想美術と呼びうるスタイルを日本のアカデミズムが吸収する結果をもたらした。
日本は欧米におけるような具象美術の危機を経験したことがなく、教育においても市場においても具象表現が中心的であったと看做すことができ、具象美術を支持、実践する無数の一般庶民によって多くの美術団体が運営されてきた。そして具象美術団体は国を動かし380億円の公共事業として国立新美術館を建設することも可能にした。
こういった事情から、日本の美術界ではFantastic Artの訳語としての幻想芸術あるいは幻想絵画というカテゴリーが曖昧であり、またハイブローとしての現代美術とローブローとしての幻想的具象美術という欧米における構図が必ずしも当てはまらないと考えられる。