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「元朗 (北魏)」の版間の差分

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2010年4月22日 (木) 12:59時点における版

後廃帝 元朗
北魏
13皇帝
王朝 北魏
在位期間 531年 - 532年
姓・諱 元朗
仲哲
諡号 順文皇帝
生年 513年
没年 532年
章武王・元融(第3子)
程氏
年号 中興 531年 - 532年

元朗(げん ろう、513年 - 532年)は、北朝北魏の第13代皇帝(在位:531年 - 532年)。北魏の後廃帝、あるいは安定王と史称される。順文帝諡号で呼ばれることもある。

生涯

高祖父は太武帝の拓跋燾の長男である皇太子拓跋晃廟号は恭宗、諡号は景穆帝)で、曾祖父は章武王の拓跋太洛文成帝の弟)、実曾祖父は南安王の拓跋楨文成帝の弟)、祖父は章武王の元彬、章武王元融の三男として生まれた。生母は程氏。531年1月、渤海太守に任ぜられた。6月に高歓が信都で反爾朱氏の兵を起こすと、10月に元朗は高歓に擁立されて信都の西で北魏の皇帝として即位した。中興と改元した。高歓を侍中丞相・都督中外諸軍事・大将軍録尚書事に、高乾司空に任じた。このとき洛陽には爾朱世隆らが擁立した元恭(節閔帝)が在位しており、北魏に2人の皇帝が併存することとなった。532年2月、高歓を大丞相・柱国大将軍・太師に任じた。同年4月、元朗は河陽で孝武帝に帝位を譲り、5月に安定郡王に封ぜられた後、11月に門下外省で殺害された。翌533年の西南の野馬崗に埋葬された。

伝記資料

  • 魏書』巻十一 帝紀第十一
  • 北史』巻五 魏本紀第五
先代
節閔帝(前廃帝)
北魏皇帝
第13代:531年 - 532年
次代
孝武帝