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(相違点なし)
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2010年4月22日 (木) 12:51時点における版
東海王 元曄 | |
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北魏 | |
11皇帝 | |
王朝 | 北魏 |
在位期間 | 530年 - 531年 |
姓・諱 | 元曄 |
字 | 華興 |
生年 | 不詳 |
没年 | 532年 |
父 | 扶風王・拓跋怡 |
母 | 衛氏 |
年号 | 建明 : 530年 - 531年 |
元曄(げん よう、? - 532年)は、北朝北魏の第11代皇帝(在位:530年 - 531年)。諡号、廟号はなく、廃位後の王号で東海王と呼ばれる。曾祖父は太武帝の拓跋燾の長男である皇太子の拓跋晃(廟号は恭宗、諡号は景穆帝)で、祖父は南安王の拓跋楨(文成帝の弟)、父は扶風王の拓跋怡である。
生涯
北魏の宗室として、起居郎から通直散騎常侍に昇進した。孝荘帝の代に長広王に封ぜられ、また太原太守として赴任し、行并州事をも兼ねていた。
530年、当時の北魏の実力者であった爾朱栄が孝荘帝によって殺害され、その後孝荘帝が爾朱栄の一族の手で殺害された後、爾朱栄の一族の爾朱世隆(栄の甥)らによって北魏の皇帝として擁立された。代わって庶長兄の元賜が長広王に封じられたという。
だが宗室の傍系であり、また人望にも欠如していたため、爾朱世隆らによって531年に廃され、その後即位した元恭(節閔帝)によって東海王に封じられた。翌532年に後難を除くべく、爾朱世隆らが孝武帝の承認を得て殺害したという。
宗室
后妃
- 爾朱皇后
息子
- 元光(長平王→東海王)
(『魏書』本紀巻十一 帝紀第十一)
娘
不詳
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