コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「パブリックドメイン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Chobot (会話 | 投稿記録)
m robot Adding: ast, fi, gu, id, no, ru, sv, th, uk
編集の要約なし
(同じ利用者による、間の4版が非表示)
1行目: 1行目:
'''パブリックドメイン''' (public domain) とは、[[著作物]]や[[発明]]などの知的創作物について、[[著作者]]や[[発明者]]などが排他的な[[権利]](特に[[著作権]])を主張できず、一般公衆に属する状態にあることをいう。パブリックドメインの状態になった知的創作物については、[[知的財産権]]が誰にも帰属しない。そのため、所有権を侵害するような態様である場合などを除き、その利用を排除する権限を有する者は存在せず、誰でも自由に利用することができる。
'''パブリックドメイン'''('''public domain'''、略して'''PD''')とは、[[著作権]]が放棄された若しくは消滅した著作物こと。日本語訳として'''公有'''という語が用いられることが多い。ただし、日本の法令上、地方公共団体が所有する財産のことを「公有財産」ということもあり、訳語として適切ではないという意見もある。また別の意味として英語のpublic domainには国有地という意味もあるので、注意を要する


日本においては、1990年代以前のいわゆる[[パソコン通信]]において単なる無料のソフトウェアをPDSと呼んでいたことなどもあり、パブリックドメインに関する理解は伝統的にあまり広がっていない。場合によっては、パブリックドメインと宣言しつつも著作権表示を行っている場合も多い。
もっとも、[[日本]]の[[著作権法]](昭和45年法律第48号)では、広義の著作権(狭義の著作権である著作財産権と著作者人格権を合わせた概念)のうち[[著作者人格権]]につき、「著作者の一身に専属し、譲渡することができない。」と定めている(同法59条)。これを根拠として、日本では、著作権を放棄したと表明した場合でも、著作者人格権に関しては実際に放棄することはできないと一般的に解されている。したがって、厳密に法的な文脈でいえば、日本でパブリックドメインといえるものは、[[法令]]や判決など著作権の目的とならないもの(同法13条参照)か、著作権(著作財産権)が消滅しかつ著作者の死後に著作者人格権を行使できる遺族(同法116条参照)がいなくなった著作物に限られる。


なお、パブリックドメインの日本語訳として'''公有'''という語が用いられることが多い、日本の法令上、地方公共団体が所有する財産のことを「公有財産」ということもあり、訳語として適切ではないという意見もある。もっとも、英語の public domain には国有地という意味もあり、フランス語の domaine public は行政法学上の[[公物]]に近い意味もあることから、必ずしも日本語だけ問題はない
また、日本においてパブリックドメイン理解はあまり広がっておらず、パブリックドメインと宣言しつつも著作権表示を行っている場合も多い。


== パブリックドメインになる場合 ==
なお、政府発行の文書につきパブリックドメインであるという主張がされることがある。しかし、少なくとも日本の場合、国や地方公共団体が私権の主体になり得ることを前提とした法体系を採用している上、国が著作権者になることは著作権法上否定されていない。
そもそも創作性を欠くなどの理由により保護すべき知的創作物にならない場合もあるが、著作物や発明でありながらパブリックドメインになる場合としては、以下のような場合がある。


=== 権利取得に必要な手続・方式を踏んでいない場合 ===
また[[アメリカ]]などでは、[[キャラクター・ビジネス]]など著作権とそこから派生する権利によって事業を行っている企業が、著作権の消滅とパブリックドメイン化によってその経営基盤が失われるとして、著作権法制の強化によって事実上の「著作権の永続化」を求める声もある。(参照:[[ウォルト・ディズニー・カンパニー#著作権とウォルト・ディズニー社|ウォルト・ディズニー・カンパニー]])
例えば、[[特許権]]は、発明の新規性などについて公の機関による審査を経なければ、権利を取得することができない。

また、著作権についても、その取得について方式主義を採用している場合([[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]加盟前の[[アメリカ合衆国]]など)には、法で必要とされている方式の履行(著作権の表示、登録など)をしなければ、その成立は認められないことになる。なお、日本の[[著作権法]]は無方式主義を採用しているので、何らの方式をも採らず著作権を取得できる。

=== 法が権利付与を否定している場合 ===
いわゆる著作物などには該当するが、何らかの理由により法が権利の付与を否定している場合がある。多く見られるのは国の著作物と考えられるものについて著作権の成立を否定する形態である。

例えば、日本の[[著作権法]]13条は、憲法、その他の法令、通達、判決などについて著作権や[[著作者人格権]]の対象とはならない旨規定している。また、[[イタリア]]では、イタリア及び外国又は官公庁の公文書には著作権法の規定を適用しない旨の規定がある。その他、[[アメリカ合衆国]]著作権法は、連邦政府の職員が職務上作成した著作物は、著作権の保護を受けないとしている。もっとも、連邦政府の職員ではない者による著作物を連邦政府が譲り受けた場合は連邦政府による著作権の保有を否定されないし、連邦政府とは異なり、州政府の職員が職務上作成した著作物については、法は著作権の付与を否定していない。

=== 保護期間を経過した場合 ===
著作権についても、特許権についても、法が予定している保護期間が経過した場合には、権利者がいなくなるためパブリックドメインの状態になる。創作活動は先人の成果の上に成り立っていることは否定できないため、創作後一定の期間が経過した場合は恩恵を受けた社会の発展のために公有の状態に置くべきとの価値判断によるものである。

もっとも、法制によっては、著作物に関し、財産権としての著作権のほかに人格権としての[[著作者人格権]]の制度を設けている場合がある。そのような場合には、著作者人格権を主張し得る地位を有する者が消滅することも、パブリックドメインの要件として要求される。例えば、日本では著作者人格権の[[相続]]は否定されるものの([[民法]]896条但書)、法は一定範囲の遺族や遺言で指定された者に対して故人の人格的利益の請求権を有することを認めている(著作権法116条)。そのため、[[著作権の保護期間]]が経過するほか、法が認めた範囲の遺族や遺言で指定した者が死亡しない限り、著作物は厳密にはパブリックドメインの状態になったとは言えないことになる。

=== 外国人法により保護が否定される場合 ===
外国人の私権の享有を制限している法制が存在し(民法3条2項参照)、この点については知的財産権についても同様である(著作権法6条、特許法25条など参照)。

もっとも、[[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]、[[万国著作権条約]]、[[工業所有権の保護に関するパリ条約|パリ条約]]などにおいて、'''内国民待遇'''が採られているため、これらの条約の加盟国間においては、外国人であるというだけの理由により知的財産権の享有が否定されることはない。つまり、これらの条約に加盟していない国との関係で問題になるに過ぎない。

=== 権利放棄をした場合 ===
元の権利者が権利放棄をすれば、法による保護を認める必要性はないので、他者の権利を侵害しない限り権利放棄は有効と認められ、パブリックドメインの状態になる。

ただし、著作物に関し人格権の一種としての[[著作者人格権]]を認めている法制においては、[[一身専属性]]を理由に当該権利の処分可能性を否定している場合が多い。日本の著作権法においても、著作者人格性は譲渡できない旨の規定があり(著作権法59条)、明文はないものの放棄もできないと解されている。したがって、日本においては著作権を放棄しただけでは、厳密にはパブリックドメインの状態になったとは言えないことになる。もっとも、著作者人格権の譲渡可能性を否定しつつも放棄の可能性は肯定する法制も存在する([[イギリス]]など)。

== 外国著作物に関する問題 ==
外国を本国とする者による著作物や外国で最初に発行された著作物につき、当該国では著作権による保護を受けずパブリックドメインの状態にあると解されるにもかかわらず、内国の著作権法によれば形式的には著作権が発生すると解される場合に、当該著作物が内国においてもパブリックドメインの状態にあると言えるかという問題がある。

このような問題が起きるのは、著作権の効力については一般的に'''属地主義'''が妥当し、著作権の内容や著作物の利用が著作権侵害に該当するか否かは、著作者の本国法や著作物の最初の発行地の法ではなく、利用行為があった地の法により判断されるという考え方('''保護国法説''')が[[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]や[[万国著作権条約]]で採用されているためである。また、これらの条約は、保護すべき著作物につき'''内国民待遇'''を要求しつつも、[[著作権の保護期間]]については'''相互主義'''(内国の保護期間より外国の保護期間が短い場合は、当該外国に属する著作物の著作権は当該外国法が保護している期間しか保護しない)を認めている。そのため、この二つの考え方の優先関係をどう考えるかが結論に影響を及ぼすことになる。

先に指摘したとおり、万国著作権条約では、著作権の保護期間については'''相互主義'''を採用しているが、著作権が最初から付与されない著作物については、保護期間がゼロの著作物として扱われるという公定解釈がされている。そのため、当該外国で最初からパブリックドメインの状態にある著作物については、著作権の保護期間に関する相互主義により、内国でも最初からパブリックドメインの状態にあることになる。日本においても、その解釈を前提に国内法を整備している(万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律3条2項)。

ベルヌ条約でも著作権の保護期間につき相互主義が採用されているが、最初からパブリックドメインの状態にある著作物の扱いにつき万国著作権条約と同様の解釈ができるか否かについては公的な解釈が確立されていない。同様の解釈ができるという見解もないわけではないが、ベルヌ条約では同様の解釈はできず(つまり著作権の保護期間の問題ではない)、内国民待遇の原則を維持すべきとの見解の方が支配的である。後者の解釈によると、万国著作権条約とベルヌ条約の双方に加盟している国との間ではベルヌ条約が優先して適用されるので、両条約に加盟している国間では、ある国ではパブリックドメインの状態にあるとされながら、別の国では著作権の保護を受ける状態にあるという解釈が採用されることになる。

したがって、外国を本国とする者による著作物や外国で最初に発行された著作物につき、当該国ではパブリックドメインとして扱われるとしても、必ずしも内国でパブリックドメインとして扱われるとは限らない。つまり、ある著作物について全世界的にパブリックドメインであると断言するためには、あらゆる国の法制を調べなければならない。

== 著作者人格権不行使の契約 ==
前述のとおり、著作権者が著作権を放棄した場合であっても、[[著作者人格権]]の制度を設けかつその放棄を認めない法制の下では、それだけでは厳密にはパブリックドメインの状態にあるとは言えないことになる。

このような問題を回避するため、著作物の利用許諾契約の中に著作者人格権を行使しない旨の条項を置くことが試みられる場合がある。また、それをさらに進め、著作物の自由な利用の促進を目的としたライセンスを模索していく中で、不特定の相手方に対して著作者人格権を行使しない旨の[[意思表示]]をする旨のライセンス形態を認めることにより著作者人格権の放棄を有効ならしめる解釈論も提唱されている。もっとも、法解釈の限界を超えているのではないかという問題もあり、なお課題が残っていると言える。


== 関連ページ ==
== 関連ページ ==
13行目: 53行目:
*[[Wikipedia:パブリックドメインの画像資源]]
*[[Wikipedia:パブリックドメインの画像資源]]


== 関連用語 ==
== 関連項目 ==
* [[パブリックドメインソフトウェア]]
* [[パブリックドメインソフトウェア]]
* [[著作権フリー]]
* [[著作権フリー]]
* [[自由利用マーク]]
* [[自由利用マーク]]

[[Category:知的財産法|はふりつくとめいん]]
[[Category:知的財産法|はふりつくとめいん]]
[[Category:パブリックドメイン|*はふりつくとめいん]]
[[Category:パブリックドメイン|*はふりつくとめいん]]

2005年10月2日 (日) 02:17時点における版

パブリックドメイン (public domain) とは、著作物発明などの知的創作物について、著作者発明者などが排他的な権利(特に著作権)を主張できず、一般公衆に属する状態にあることをいう。パブリックドメインの状態になった知的創作物については、知的財産権が誰にも帰属しない。そのため、所有権を侵害するような態様である場合などを除き、その利用を排除する権限を有する者は存在せず、誰でも自由に利用することができる。

日本においては、1990年代以前のいわゆるパソコン通信において単なる無料のソフトウェアをPDSと呼んでいたことなどもあり、パブリックドメインに関する理解は伝統的にあまり広がっていない。場合によっては、パブリックドメインと宣言しつつも著作権表示を行っている場合も多い。

なお、パブリックドメインの日本語訳として公有という語が用いられることが多いが、日本の法令上、地方公共団体が所有する財産のことを「公有財産」ということもあり、訳語として適切ではないという意見もある。もっとも、英語の public domain には国有地という意味もあり、フランス語の domaine public は行政法学上の公物に近い意味もあることから、必ずしも日本語だけの問題ではない。

パブリックドメインになる場合

そもそも創作性を欠くなどの理由により保護すべき知的創作物にならない場合もあるが、著作物や発明でありながらパブリックドメインになる場合としては、以下のような場合がある。

権利取得に必要な手続・方式を踏んでいない場合

例えば、特許権は、発明の新規性などについて公の機関による審査を経なければ、権利を取得することができない。

また、著作権についても、その取得について方式主義を採用している場合(ベルヌ条約加盟前のアメリカ合衆国など)には、法で必要とされている方式の履行(著作権の表示、登録など)をしなければ、その成立は認められないことになる。なお、日本の著作権法は無方式主義を採用しているので、何らの方式をも採らず著作権を取得できる。

法が権利付与を否定している場合

いわゆる著作物などには該当するが、何らかの理由により法が権利の付与を否定している場合がある。多く見られるのは国の著作物と考えられるものについて著作権の成立を否定する形態である。

例えば、日本の著作権法13条は、憲法、その他の法令、通達、判決などについて著作権や著作者人格権の対象とはならない旨規定している。また、イタリアでは、イタリア及び外国又は官公庁の公文書には著作権法の規定を適用しない旨の規定がある。その他、アメリカ合衆国著作権法は、連邦政府の職員が職務上作成した著作物は、著作権の保護を受けないとしている。もっとも、連邦政府の職員ではない者による著作物を連邦政府が譲り受けた場合は連邦政府による著作権の保有を否定されないし、連邦政府とは異なり、州政府の職員が職務上作成した著作物については、法は著作権の付与を否定していない。

保護期間を経過した場合

著作権についても、特許権についても、法が予定している保護期間が経過した場合には、権利者がいなくなるためパブリックドメインの状態になる。創作活動は先人の成果の上に成り立っていることは否定できないため、創作後一定の期間が経過した場合は恩恵を受けた社会の発展のために公有の状態に置くべきとの価値判断によるものである。

もっとも、法制によっては、著作物に関し、財産権としての著作権のほかに人格権としての著作者人格権の制度を設けている場合がある。そのような場合には、著作者人格権を主張し得る地位を有する者が消滅することも、パブリックドメインの要件として要求される。例えば、日本では著作者人格権の相続は否定されるものの(民法896条但書)、法は一定範囲の遺族や遺言で指定された者に対して故人の人格的利益の請求権を有することを認めている(著作権法116条)。そのため、著作権の保護期間が経過するほか、法が認めた範囲の遺族や遺言で指定した者が死亡しない限り、著作物は厳密にはパブリックドメインの状態になったとは言えないことになる。

外国人法により保護が否定される場合

外国人の私権の享有を制限している法制が存在し(民法3条2項参照)、この点については知的財産権についても同様である(著作権法6条、特許法25条など参照)。

もっとも、ベルヌ条約万国著作権条約パリ条約などにおいて、内国民待遇が採られているため、これらの条約の加盟国間においては、外国人であるというだけの理由により知的財産権の享有が否定されることはない。つまり、これらの条約に加盟していない国との関係で問題になるに過ぎない。

権利放棄をした場合

元の権利者が権利放棄をすれば、法による保護を認める必要性はないので、他者の権利を侵害しない限り権利放棄は有効と認められ、パブリックドメインの状態になる。

ただし、著作物に関し人格権の一種としての著作者人格権を認めている法制においては、一身専属性を理由に当該権利の処分可能性を否定している場合が多い。日本の著作権法においても、著作者人格性は譲渡できない旨の規定があり(著作権法59条)、明文はないものの放棄もできないと解されている。したがって、日本においては著作権を放棄しただけでは、厳密にはパブリックドメインの状態になったとは言えないことになる。もっとも、著作者人格権の譲渡可能性を否定しつつも放棄の可能性は肯定する法制も存在する(イギリスなど)。

外国著作物に関する問題

外国を本国とする者による著作物や外国で最初に発行された著作物につき、当該国では著作権による保護を受けずパブリックドメインの状態にあると解されるにもかかわらず、内国の著作権法によれば形式的には著作権が発生すると解される場合に、当該著作物が内国においてもパブリックドメインの状態にあると言えるかという問題がある。

このような問題が起きるのは、著作権の効力については一般的に属地主義が妥当し、著作権の内容や著作物の利用が著作権侵害に該当するか否かは、著作者の本国法や著作物の最初の発行地の法ではなく、利用行為があった地の法により判断されるという考え方(保護国法説)がベルヌ条約万国著作権条約で採用されているためである。また、これらの条約は、保護すべき著作物につき内国民待遇を要求しつつも、著作権の保護期間については相互主義(内国の保護期間より外国の保護期間が短い場合は、当該外国に属する著作物の著作権は当該外国法が保護している期間しか保護しない)を認めている。そのため、この二つの考え方の優先関係をどう考えるかが結論に影響を及ぼすことになる。

先に指摘したとおり、万国著作権条約では、著作権の保護期間については相互主義を採用しているが、著作権が最初から付与されない著作物については、保護期間がゼロの著作物として扱われるという公定解釈がされている。そのため、当該外国で最初からパブリックドメインの状態にある著作物については、著作権の保護期間に関する相互主義により、内国でも最初からパブリックドメインの状態にあることになる。日本においても、その解釈を前提に国内法を整備している(万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律3条2項)。

ベルヌ条約でも著作権の保護期間につき相互主義が採用されているが、最初からパブリックドメインの状態にある著作物の扱いにつき万国著作権条約と同様の解釈ができるか否かについては公的な解釈が確立されていない。同様の解釈ができるという見解もないわけではないが、ベルヌ条約では同様の解釈はできず(つまり著作権の保護期間の問題ではない)、内国民待遇の原則を維持すべきとの見解の方が支配的である。後者の解釈によると、万国著作権条約とベルヌ条約の双方に加盟している国との間ではベルヌ条約が優先して適用されるので、両条約に加盟している国間では、ある国ではパブリックドメインの状態にあるとされながら、別の国では著作権の保護を受ける状態にあるという解釈が採用されることになる。

したがって、外国を本国とする者による著作物や外国で最初に発行された著作物につき、当該国ではパブリックドメインとして扱われるとしても、必ずしも内国でパブリックドメインとして扱われるとは限らない。つまり、ある著作物について全世界的にパブリックドメインであると断言するためには、あらゆる国の法制を調べなければならない。

著作者人格権不行使の契約

前述のとおり、著作権者が著作権を放棄した場合であっても、著作者人格権の制度を設けかつその放棄を認めない法制の下では、それだけでは厳密にはパブリックドメインの状態にあるとは言えないことになる。

このような問題を回避するため、著作物の利用許諾契約の中に著作者人格権を行使しない旨の条項を置くことが試みられる場合がある。また、それをさらに進め、著作物の自由な利用の促進を目的としたライセンスを模索していく中で、不特定の相手方に対して著作者人格権を行使しない旨の意思表示をする旨のライセンス形態を認めることにより著作者人格権の放棄を有効ならしめる解釈論も提唱されている。もっとも、法解釈の限界を超えているのではないかという問題もあり、なお課題が残っていると言える。

関連ページ

関連項目