「日本の歴史」の版間の差分
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[[日本]]という国号が成立したのは7世紀後半と推定され、現存する文献での登場は、[[701年]]の[[遣唐使]]が最初となる。[[日本]]の最初の用例は、[[645年]]7月に[[高句麗]]や[[百済]]の使者に示した詔の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」という語である(「[[日本書紀]]」大化元年七月の条)。なお、[[日本]]という国名が最初に定められたのは、[[701年]]施行の[[大宝律令]]とされる。 |
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2005年8月22日 (月) 06:27時点における版
日本の歴史(にほんのれきし、History of Japan)
日本の歴史とは
日本という国号が成立したのは7世紀後半と推定され、現存する文献での登場は、701年の遣唐使が最初となる。日本の最初の用例は、645年7月に高句麗や百済の使者に示した詔の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」という語である(「日本書紀」大化元年七月の条)。なお、日本という国名が最初に定められたのは、701年施行の大宝律令とされる。
日本の意味は中国大陸に対しての「日の本」の意であり、外交上、大陸と対等な立場であることの宣言であったとされる。ただし、当時の日本国は畿内を中心とした周辺地域のみであり、関東以北・九州以南は大和朝廷の支配の外にあった。
その後、日本は周辺の蝦夷や隼人などの民族を掃討・吸収することにより徐々に拡大を続ける。その間対外戦争は朝鮮半島や元との間にそれぞれ数度あったのみである。こうして1871年の廃藩置県と翌1872年の琉球処分を通じて、ほぼ現在の領土が確定した。
時代区分
「日本の歴史」の流れは以下のように区分されている。詳細については各時代の項目を参照。
- 日本の旧石器時代
- 日本の古代
- 日本の中世
- 日本の近世
- 日本の近代・現代
その他の時代区分
各時代の関係を対照するために、日本史時代区分表がある。