「長野峠 (三重県)」の版間の差分
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2009年8月9日 (日) 23:54時点における版
伊賀街道長野峠(いがかいどうながのとうげ)(旧名 馬野峠)は三重県津市と伊賀市の間にある峠。国道163号の旧道であり、急カーブなど危険箇所が多く存在するため改良が望まれていたが、新長野トンネル (1,966m) 開通により解消され峠の通過時間が約10分短縮された。
歴史
- 飛鳥奈良時代 大和朝廷と伊勢神宮を結ぶ為に造られた奈良街道の途中にある峠 12代景行天皇の第七皇女五百野姫(斎王)は峠近くの五百野の地で都に帰る途中 若き生涯をとじた。五百野の地名は五百野姫からきている。 古くは馬野峠と呼ばれていたが鎌倉時代後期 長野工藤氏の勢力が増すにつれて 長野峠と呼ぶようになった。
- 徳川家康は本能寺の変が起こったとき 堺から長野峠を越えて(伊賀越え)岡崎に帰城したという説がある。
- 1608年豊臣方の押さえとしてこの地に入府してきた藤堂高虎は津城と伊賀上野城を結ぶ重要街道として街道の整備を行ったが長野峠は豊臣方の侵攻に備えて整備をしなかった。藤堂藩が長野峠の拡幅工事を行ったのは豊臣氏滅亡後である。それまで奈良街道と呼ばれていたが伊賀街道と呼ばれるようになった。
- 元禄2年(1689) 俳人松尾芭蕉は伊勢神宮参拝を終え伊賀に帰る途中 峠の茶屋(犬塚茶屋)に立ち寄り 俳句を読んでいる。初しぐれ 猿も小蓑をほしげ也 この名句は峠から伊賀方向に500mぐらい下った猿蓑塚に芭蕉句碑として残っている。芭蕉の生れ故郷 伊賀では芭蕉句碑を句碑ではなく芭蕉塚と呼んでいる。
- 長野峠は桐原書店発行 井出孫六編 日本百名峠に選ばれている。
- 長野峠は歴史上記録に残っている最も古い峠の一つである。
長野峠四つのルート
- 飛鳥奈良時代から明治時代までの旧峠のルート 通行可能(車は不可)
- 明治18年に造られた旧長野トンネル長さ216m(初代長野トンネル)ルート トンネルは崩壊 通行不可 利用廃止トンネル
- 昭和14年に造られた長野トンネル長さ約300m(二代目長野トンネル)ルート トンネル内通行禁止 利用廃止トンネル
- 平成20年に造られた新長野トンネル長さ1966m(三代目長野トンネル)ルート 現在の国道163号線
各種データ
長野トンネルギャラリー
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旧長野トンネル津側
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長野トンネル 津側
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長野トンネル伊賀側
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新長野トンネル 津側
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新長野トンネル 伊賀側
峠と関わりがある名所・旧跡 観光地
- 犬塚 義犬伝説発祥地 自分の命を落してまでも主人を守った義犬の話。
- 蛙石 新長野トンネル津市側入り口付近に存在する蛙の形に似た石
- 青山高原 青山高原には現在8基の超大型風車(2,000KW) 24基の大型風車(750KW)が稼動中さらに20基の超大型風車建設中
- 経が峰 地元登山愛好家に人気あり 山頂には登山者用の展望台と山小屋がある。
- 大山田新大仏寺 源頼朝公が後鳥羽法皇の勅願寺(ちょくがんじ)として開創 開山は重源上人
- 馬野渓谷 夏場の海水浴 秋の紅葉 の人気スポット
- 大山田温泉地元三重で超人気の温泉地。県外からも多くの観光客が訪れる。
- 長野氏城跡 鎌倉時代長野工藤氏の居城 1982年 国の史跡名勝天然記念物に指定される。
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犬塚
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峠の茶店跡にある芭蕉座 芭蕉はここに座って俳句を読んでいる。