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大阪テレビ放送(おおさかてれびほうそう)は現在の[[朝日放送]]テレビ([[ABCテレビ]])の前身にテレビ放送局である。
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==概要==
大阪テレビ放送は、1956年に、近畿地方ではじめて開局した民放テレビ局であり、現在の朝日放送の前身のひとつである。当初[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]とラジオ東京(現在の[[TBSテレビ]])のクロスネットであったが、資本の関係や、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ(ytv)]]の開局準備などで、事実上ラジオ東京寄りの編成となっていた。
*新日本放送ほかとの合弁企業である同局は[[1956年]][[12月1日]]、テレビ放送を開始したが、間もなくABCとの合併を決定。新日本放送改め毎日放送が独自にテレビ放送を開始することになり、合弁は2年あまりで解消された。
:この際、既存の大阪テレビを朝日放送と新日本放送のどちらが継承するかについては「両社の社長同士が[[ジャンケン]]して決めた」という証言がある<ref>[[山内久司]](元朝日放送プロデューサー、現同社顧問・[[花園大学]]客員教授)の証言。2007年3月10日[[テレビ大阪|TVO]]放送「やしきたかじんプロデュース(やっぱ。OSAKA)」にて。[[田中角栄]]の前で行ったことになっている。</ref><ref>『毎日放送四十年史』や南木淑郎『楊梅は孤り高く-毎日放送の二十五年』といった毎日放送側の記録では、「両者の社長がジャンケンをした後籤引きをして決めた。」としている。この件に関し、『朝日放送五十年史』では当時のABC飯島社長がこれを事実であると認めている。</ref>。
*社章は"OTV"の文字を幾何学的に合成したマークが使用され、そのデザインから「猫の目」とも呼ばれていた。

====大阪テレビ放送開局====
*[[1952年]][[8月]]、[[毎日放送|新日本放送]]・[[毎日新聞]]・[[朝日新聞]]と共同で「大阪テレビジョン放送」の名でテレビ免許を申請。
*[[1953年]][[3月]]、大阪テレビ設立準備委員会を設置。
*8月、社名を「大阪テレビ放送株式会社」と定め、略称を「OTV」と正式決定。
*[[1954年]][[12月3日]]、テレビ予備免許取得。
*[[1955年]][[5月25日]]、会社設立。
*[[1956年]][[12月1日]]、テレビ放送を開始(JOBX-TV 6ch、[[中部日本放送]]も同日に開局)。
*[[1958年]]5月、日本で初めて[[2インチVTR]]を、米アンペックス社から導入する。
*[[1958年]][[6月1日]]、日本で始めてVTRを使った番組を放送する。
*[[1958年]][[6月8日]]、「京都南座中継」にて、2回目のVTR録画による番組を放送。これが、日本においてVTRを使った初めてのネット番組となる。(但し、東京にはネットされなかった)

====朝日放送への合併====
*[[1958年]][[8月28日]]、読売テレビの開局に伴い、大阪テレビ放送はラジオ東京との単独ネットになった。
*[[12月23日]]、大阪テレビ放送は、ABCとの合併契約を調印。
*[[1959年]][[1月26日]]、大阪テレビ放送における毎日放送(新日本放送を改称)の出資分をABCが肩代わりし、毎日放送側役員は翌日大阪テレビ放送から退陣した。
*[[3月1日]]、毎日放送のテレビ放送開始に伴い、大阪テレビ放送の呼称が「朝日放送大阪テレビ」となり、略称も「OTV」より「ABC-OTV」に変更となる。
*[[6月1日]]、ABCと大阪テレビ放送が合併。中波・テレビジョン兼営のABCが誕生した(同時にコールサインをJOBX-TVを廃止し<ref>JOBX-TVのコールサインはのちに[[大分朝日放送]]に再度割り当てられた。</ref>、JONR-TVに変更)。
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==大阪テレビ閉局とその後==
*大阪テレビが朝日放送に継承されたことに伴い同社のテレビ部門がKRT系列となり毎日放送がNETテレビ(現、[[テレビ朝日]])とネットワークを組まざる得ずその後の東阪腸捻転の原因ともなった。
*OTVの略称は当局閉局直後に、開局した[[沖縄テレビ放送]]の略称となった。
*またコールサインのJOBXは、閉局後34年間未使用であったが、[[1993年]]に開局した[[大分朝日放送]]が使用することとなった。
<references />
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[[Category:毎日放送]]
[[Category:過去のTBS系列局]]
[[Category:かつて存在した大阪府の企業]]

2009年6月3日 (水) 17:16時点における版

大阪テレビ放送(おおさかてれびほうそう)は現在の朝日放送テレビ(ABCテレビ)の前身にテレビ放送局である。

大阪テレビ放送
放送対象地域 京阪神周辺
ニュース系列 KRT系列[1]
番組供給系列 KRT系
略称 OTV
愛称 大阪テレビ
呼出符号 JOBX-TV-DTV
開局日 1956年12月1日
本社 大阪府大阪市北区堂島
特記事項:
1959年6月に朝日放送と合併
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概要

大阪テレビ放送は、1956年に、近畿地方ではじめて開局した民放テレビ局であり、現在の朝日放送の前身のひとつである。当初日本テレビとラジオ東京(現在のTBSテレビ)のクロスネットであったが、資本の関係や、読売テレビ(ytv)の開局準備などで、事実上ラジオ東京寄りの編成となっていた。

  • 新日本放送ほかとの合弁企業である同局は1956年12月1日、テレビ放送を開始したが、間もなくABCとの合併を決定。新日本放送改め毎日放送が独自にテレビ放送を開始することになり、合弁は2年あまりで解消された。
この際、既存の大阪テレビを朝日放送と新日本放送のどちらが継承するかについては「両社の社長同士がジャンケンして決めた」という証言がある[2][3]
  • 社章は"OTV"の文字を幾何学的に合成したマークが使用され、そのデザインから「猫の目」とも呼ばれていた。

大阪テレビ放送開局

  • 1952年8月新日本放送毎日新聞朝日新聞と共同で「大阪テレビジョン放送」の名でテレビ免許を申請。
  • 1953年3月、大阪テレビ設立準備委員会を設置。
  • 8月、社名を「大阪テレビ放送株式会社」と定め、略称を「OTV」と正式決定。
  • 1954年12月3日、テレビ予備免許取得。
  • 1955年5月25日、会社設立。
  • 1956年12月1日、テレビ放送を開始(JOBX-TV 6ch、中部日本放送も同日に開局)。
  • 1958年5月、日本で初めて2インチVTRを、米アンペックス社から導入する。
  • 1958年6月1日、日本で始めてVTRを使った番組を放送する。
  • 1958年6月8日、「京都南座中継」にて、2回目のVTR録画による番組を放送。これが、日本においてVTRを使った初めてのネット番組となる。(但し、東京にはネットされなかった)

朝日放送への合併

  • 1958年8月28日、読売テレビの開局に伴い、大阪テレビ放送はラジオ東京との単独ネットになった。
  • 12月23日、大阪テレビ放送は、ABCとの合併契約を調印。
  • 1959年1月26日、大阪テレビ放送における毎日放送(新日本放送を改称)の出資分をABCが肩代わりし、毎日放送側役員は翌日大阪テレビ放送から退陣した。
  • 3月1日、毎日放送のテレビ放送開始に伴い、大阪テレビ放送の呼称が「朝日放送大阪テレビ」となり、略称も「OTV」より「ABC-OTV」に変更となる。
  • 6月1日、ABCと大阪テレビ放送が合併。中波・テレビジョン兼営のABCが誕生した(同時にコールサインをJOBX-TVを廃止し[4]、JONR-TVに変更)。

大阪市北区堂島1丁目42番地にあった旧大阪テレビ放送の本社社屋は、合併後はABC堂島社屋(テレビ社屋)となり、1966年に大淀社屋へ移転するまで引き続きTV放送をそこから放送した[5]

大阪テレビ閉局とその後

  • 大阪テレビが朝日放送に継承されたことに伴い同社のテレビ部門がKRT系列となり毎日放送がNETテレビ(現、テレビ朝日)とネットワークを組まざる得ずその後の東阪腸捻転の原因ともなった。
  • OTVの略称は当局閉局直後に、開局した沖縄テレビ放送の略称となった。
  • またコールサインのJOBXは、閉局後34年間未使用であったが、1993年に開局した大分朝日放送が使用することとなった。
  1. ^ 当時、JNNは未発足
  2. ^ 山内久司(元朝日放送プロデューサー、現同社顧問・花園大学客員教授)の証言。2007年3月10日TVO放送「やしきたかじんプロデュース(やっぱ。OSAKA)」にて。田中角栄の前で行ったことになっている。
  3. ^ 『毎日放送四十年史』や南木淑郎『楊梅は孤り高く-毎日放送の二十五年』といった毎日放送側の記録では、「両者の社長がジャンケンをした後籤引きをして決めた。」としている。この件に関し、『朝日放送五十年史』では当時のABC飯島社長がこれを事実であると認めている。
  4. ^ JOBX-TVのコールサインはのちに大分朝日放送に再度割り当てられた。
  5. ^ 現在、跡地にはANAクラウンプラザホテル大阪(旧・大阪全日空ホテル)が建っている。