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「焼け跡世代」の版間の差分

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*[http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/111106.html 東京新聞1999年11月6日付夕刊「2つの焼け跡派世代」]


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2009年3月13日 (金) 13:42時点における版

焼け跡世代(やけあとせだい)とは、幼少期と少年期を第二次世界大戦中に過ごした世代である。

概要

語源は野坂昭如が用いた「焼け跡派」である。第二次大戦中に小学校(当時は国民学校)に入学したか、第二次大戦中に生まれた世代に当たる。

狭義では、第二次大戦中に小学校に入った1935年から1939年3月までに生まれた世代を指す事が多い。この場合、第二次大戦中に生まれて戦後に小学校に入った1942年から1945年(或いは終戦の翌年である1946年まで)に生まれた世代は「戦中生まれ世代」と呼ばれる場合もある。学生運動との関連では、真珠湾攻撃以前(1935年~1941年)に生まれた者を安保闘争に関わった「安保闘争世代」、真珠湾攻撃以後(1942年~1946年)に生まれた者を全共闘に関わった「プレ団塊世代」「全共闘世代」と呼ぶ場合もある。

この焼け跡世代の前後を見ると、親は明治末期から大正一桁の生まれ(1907年1920年生まれ)、祖父母は1870年代終盤から1890年代序盤の生まれ(1877年1892年生まれ)、子供は1960年代中盤から1970年代前半の生まれ、孫は1990年代から2000年代前半の生まれが多いが、「真珠湾攻撃以前」と「真珠湾攻撃以後」という2つの層がある。

  1. 1935年~1941年生まれ(真珠湾攻撃以前の生まれ):親が明治末期から大正初期の生まれ(1907年1915年生まれ)、祖父母が明治10年代生まれ(1877年1886年生まれ)、子供がバブル世代[1]、孫が1990年代生まれ。
  2. 1942年~1946年生まれ(真珠湾攻撃以後の生まれ):親が大正一桁生まれ(1912年1920年生まれ)、祖父母が1880年代中盤から1890年代序盤の生まれ(1883年1892年生まれ)、子供が団塊ジュニア[2]、孫が1990年代終盤から2000年代前半の生まれ(1998年2004年生まれ)。

という2つの層である。親世代(1907年~1920年生まれ)は、日中戦争と第二次世界大戦で多くが徴兵された世代である。祖父母世代(1877年~1892年生まれ)は、日露戦争の時代に青年期を過ごし、第一次世界大戦の時代に壮年期を過ごした世代である。

成長過程

焼け跡世代の人々は、幼少期と少年期を防空壕と焼け跡の中で過ごし、飢餓や経済的困窮、放射性被害など戦争による被害に苦しんだ。

中でも1935年~1939年3月生まれまでの人々は、第二次大戦中に小学校に入り、小学時代には国民学校における軍国主義教育と、敗戦後の墨塗り教科書・民主主義教育の両方を経験したため、第二次大戦の記憶を持つ最後の世代である。都市部の焼け跡世代には、青空教室闇市を経験した者もいる。第二次大戦の終結と米ソ冷戦の勃発という焼け跡の中で小学校時代を過ごした世代であり、サンフランシスコ講和条約が締結された時期(1951年)には概ね中学生であった。

一方で、1939年4月~1945年までに生まれた人々は、幼少期を防空壕と焼け跡の中で過ごし、第二次大戦の終結後に小学校に入ったため、「戦後教育第一世代」と呼ばれる場合もある[3]。この世代は、東京裁判朝鮮戦争やサンフランシスコ講和条約締結といった、米ソ冷戦が勃発した戦後の混乱期に小学校時代を送った。

大学進学者はまだまだ少なかったが、戦後新制大学が生まれてから大学進学率は徐々に上昇し、大学卒業者がエリートと見なされていた世代と大学教育が大衆化した世代の狭間にある。この世代は、学生運動が盛り上がった時期に大学生となり、真珠湾攻撃以前の生まれは1960年安保闘争を担い、真珠湾攻撃以後の生まれは団塊の世代と同じく全共闘運動を担った[4]

脚注

  1. ^ 親が2人とも第二次大戦中に小学校に入った者である場合、バブル世代の子供が多い。又、第二次大戦中に小学校に入った女性には、昭和一桁生まれの夫や、新人類の子供を持つ者も少なくない。
  2. ^ 但し、戦中生まれの男性には、第二次ベビーブームというよりも1970年代中盤生まれ(1974年1977年生まれ)の子供を持つ者も少なくない。これは、1975年当時にはまだ30歳前後だったため。
  3. ^ 国民学校が「小学校」の名称に復った年は1947年4月以後である。
  4. ^ 1941年生まれがストレートで大学に入学した年は1960年で、安保闘争の年である。一方で、第二次大戦終結の年である1945年生まれは、一浪を経て1969年に大学を出た者も少なからずおり、全共闘運動に遭遇した者が多い。

リンク

関連項目

先代
昭和一桁
1926年-1934年
日本の世代
焼け跡世代
1935年-1946年
戦中生まれ世代
1942年-1946年
次代
団塊の世代
1947年-1949年