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===全金属製飛行船===
===全金属製飛行船===
米海軍は戦前実際に全長44.5mの全金属製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時はジュラルミンの薄板を300万本のリベットで接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる<ref>は後日記載</ref>。
米海軍は戦前実際に全長44.5mの全金属製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時はジュラルミンの薄板を300万本のリベットで接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる<ref>「航空用語辞」Airshipの項目より(鳳文書林出版。同名の本があるので注意。)。および外部リンク参照。</ref>。


== 日本国内での飛行船を用いた広告 ==
== 日本国内での飛行船を用いた広告 ==
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* [http://www.nac-airship.com/ 株式会社日本飛行船(日本の飛行船運用会社)]
* [http://www.nac-airship.com/ 株式会社日本飛行船(日本の飛行船運用会社)]
* [http://www.zeppelin-nt.com/ ツェッペリン社(ドイツの飛行船建造会社)]
* [http://www.zeppelin-nt.com/ ツェッペリン社(ドイツの飛行船建造会社)]
* http://www.nac-airship.com/corporate/president2.html/(全金属製について)


[[Category:飛行船|*]]
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2009年1月25日 (日) 08:48時点における版

ツェッペリンNT飛行船
(日本飛行船所属 JA101Z)
USSロサンゼルス号
1924-1932年頃のニューヨーク市南マンハッタン上空

飛行船(ひこうせん、英:airship)とは、空気より比重の小さい気体をつめた気嚢によって機体を浮揚させ、これに推進用の動力をつけて操縦可能にした航空機である。

概要

機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)には水素もしくはヘリウムがつめられている。通常、ガス袋は空気抵抗を低減させるため細長い形状をしており、乗務員や旅客を乗せるゴンドラや、エンジンおよびプロペラなどの推進装置が外部に取り付けられている。また、機体後部には尾翼があり、方向安定を得るとともに、取り付けられた舵面を動かして機首の方向を変えることができる。

20世紀前半には、大西洋横断航路などに就航していたが、1937年に発生した「ヒンデンブルク号」の墜落事故を契機に飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。その後、広告宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性のヘリウムガスを利用した飛行船が小規模に使われている。

以上は有人飛行船であるが、最近ではラジコン飛行船の用途分野も広がり、中でも大規模プロジェクトである、地上局・人工衛星と並ぶ第三の情報通信網としての「成層圏プラットフォーム」飛行船が注目されている。地上20kmの成層圏に全長300m以上の大型無人飛行船を停留させ、無線通信の基地局として用いるというものである。基地局として必要な電力は飛行船上面に取り付けられた太陽電池でまかなう。地上局に比べ広範囲をカバーでき、人工衛星に比べ遅延時間が短く運用コストが低いという利点がある。「成層圏プラットフォーム」実用化に向けた取り組みは世界各国でなされており、日本では政府による「ミレニアムプロジェクト」の一つとして、成層圏滞空飛行船を利用した通信・放送サービスが計画された。2004年には、大規模に税金が投入され、北海道大樹町多目的航空公園で、全長60mの実験機(ラジコンの軟式飛行船)の飛行試験が行われた。しかしながら、参加した専門家が少ない上に、多くのプロジェクト同様資金不足に陥り中止。現在、この時に使われた格納庫と運用場が残されている。

これとは別に、違法電波の発信源を特定する活動に飛行船を活用する実験が現在首都圏で行われており、実用化に向けて準備が進められている。

近年では、構造上不可能とされていた完全な球体型の飛行船も開発され、「ボール・オブ・ドリーム」という名で知られている。

歴史

航空に関する年表も参照。

ツェッペリンの飛行船 (1900)
  • 1891年ドイツでは、ツェッペリン伯爵が退役後に独力で硬式飛行船の開発に乗り出し、1900年には飛行に成功。1909年にはドイツ海軍に飛行船を納入し、1911年にはドイツ国内民間航路(ヴィルヘルムスハーフェン~ベルリン)を開設した。ツェッペリン伯爵の成功によりツェッペリンは飛行船の代名詞となった。
  • 1911年9月20日に、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が東京上空一周飛行に成功した。
  • 第一次世界大戦においては、ドイツ軍により軍用飛行船が用いられ、ロンドン空襲などを行った。
  • 第一次大戦後、ツェッペリン伯爵の跡を継いだエッケナーは、ツェッペリン飛行船を使った長距離・国際的な民間航路の開設に乗り出した。
  • 1924年に大陸縦断航路(ストックホルム~ベルリン~ローマ~カイロ~ケープタウン)を開設。
  • 1925年に太平洋横断航路(上海霞ヶ浦サンフランシスコ)開設
  • 1929年にはツェッペリン伯爵号で世界一周飛行を行い、当時の飛行機の限界をはるかに超える長距離・長時間の飛行性能を見せ付けた。ドイツは第一次世界大戦の敗戦国ではあったが、飛行船の製造および運用技術ではアメリカやイギリスなどを引き離していた。
  • 1930年10月5日早朝、イギリスの飛行船R101フランス北部のボーヴェにて墜落。乗員乗客48名が死亡(生存者6名)した。以後、イギリスは飛行船計画を全面的に破棄した。
  • 1933年 アメリカ合衆国ニューイングランド沖合にて、アメリカ海軍の硬式飛行船アクロン号が墜落。乗員73名が死亡(生存者3名)する、飛行船史上最悪の死亡事故となった。
  • 1937年に大西洋横断航路に就航していたドイツのヒンデンブルク号が、アメリカ合衆国ニュージャージー州のレイクハースト空港に着陸する際に、原因不明の出火事故を起こし爆発炎上。この事故の後、航空機(固定翼機)の発達もあり、民生用飛行船は使われなくなっていった(→ヒンデンブルク号爆発事故)。
  • 第二次世界大戦中のアメリカ海軍は偵察用の軟式飛行船の運用を活発化、終戦時には160機以上の飛行船を運用していた。
  • 1959年 冷戦が激化。北極海方面から戦略爆撃機の侵入を危惧したアメリカ海軍が、大型飛行船を4基製造し、輪番制で警戒に当たらせた。こうした飛行船は1960年代中頃には、早期警戒機の登場や地上レーダー網の構築により運用は解消され、民生用に払い下げられた。民生用に転用された飛行船の多くは、広告用途などに広く用いられ、知名度の向上や安全性へのアピールに貢献したとされ、次世代の飛行船構想に繋がったと考えられる。

ヒンデンブルク号爆発事故

ヒンデンブルク号爆発の瞬間

当時、ヘリウムアメリカでしか生産されておらず、アメリカがヘリウムの供給を拒否したため、爆発の危険を冒しながらも水素ガスを利用していた。そのため、この事故は水素ガスによるものと推測され、水素ガスを使用する飛行船の安全性に対する信用は失墜し、飛行船が使われなくなる原因となった。
しかし、NASAの元研究者アディスン・ベインは研究により、この事故は水素ガス爆発ではなく、ヒンデンブルク号の機体に使われていた布に酸化鉄と酸化アルミニウムをふくんだ塗料が使われており、これがおりからの雷による帯電・放電によって火がつきテルミット反応がおきたのではないか、という説を提唱している。
理由はいくつかあるが、主として

  • 当時目撃者の証言や写真から、炎の色がオレンジ色だったということ(水素が燃えるときは無色)
  • 当時の気象条件として雷雲が発生していて、ヒンデンブルク号はその中を突っ切るようなコースを取っていたこと

があげられている。

種類

軟式飛行船

浮揚のためのガスを詰めた気嚢と船体が同一で、ガスの圧力で船体の形を維持する形式。重量やコストの面で有利であり、現代の飛行船はほとんどがこのタイプである。しかし、ガスの放出によって圧力が弱まると船体を維持できなくなる。突風などによって船体が変形するとコントロールを失ってしまう。また、一旦気嚢に穴が開くとガスの漏出が全体に影響するなどの欠点もある。また、船体の剛性が確保できなくなるため大型化に適しない。

硬式飛行船

金属の枠組みを作ってそれに外皮を貼り、複数の気嚢をその内部に収納する形式。金属製の枠組みにより船体の重量が増加する欠点があるが、船体の強度が高くなるため大型化、高速飛行が可能。

ツェッペリン伯による飛行船がこの型である。

半硬式飛行船

ゴンドラを吊り下げる部分など一部分にのみ金属等による骨格を用いた軟式飛行船。たとえば骨格が3本しかなく第一次大戦時の飛行船と比べて明らかに少ないツェッペリンNTがこのタイプである。

また、イタリアの飛行船『イタリア号』[1]。のように、気嚢の下半分のみに枠を持ったものもあった。これも半硬式飛行船と呼ばれていた。

現在、ツェッペリンNTが『半硬式』と呼ばれるように、ただ単に構造上において気嚢の半分だけが枠組みを持っているわけではないことに注意が必要である。

半硬式の利点として、硬式よりも骨格が少なく軽量化できるにもかかわらず、硬式飛行船と同様に大型化が可能である事、硬式同様に枠組みにエンジンや船室を取り付けられるので設計に柔軟性があり制約が少ない事がある。

たとえばエンジンと船室を離れた場所に設置できるので、船室内の環境が快適である利点がある。

全金属製飛行船

米海軍は戦前実際に全長44.5mの全金属製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時はジュラルミンの薄板を300万本のリベットで接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる[2]

日本国内での飛行船を用いた広告

飛行船を用いた富士フイルム広告
1984年のロサンゼルスオリンピックの際にフジフィルムがコダックを差し置いてオリンピック公式フィルムの権利を取得し、合衆国上空をフジカラーのロゴが描かれた飛行船が飛んだ。アメリカ国民及びコダック社はさすがにプライドが傷ついたようで、その後オリンピックの公式記録フィルムは全てコダックが権利を得ている。
フジカラー号の宣伝効果に対抗してコダック社も1980年代後半にコダックの宣伝飛行船を飛ばしている。1号が事故で失われ、2号も造船された。
上記2社に対抗すべくコニカも小西六からコニカへのCIの時期に飛行船を建造している。いずれもバブル経済華やかな時期であった。
はるばるドイツから日本に来た。当初はロシア上空を飛行して日本に到着する予定だったが、諸事情から運搬は途中、コンテナ船に乗せられた。愛・地球博の閉会式でも飛ばされた。日本飛行船所属の Zeppelin LZ N07-100型(機体記号 JA101Z)。
Yokoso JAPAN 号同様、日本飛行船所属の Zeppelin LZ N07-100型。

飛行船が出てくる作品等

関連項目

脚注

  1. ^ 1928年建造。全長80m。小学館「国際版少年少女世界伝記全集第23巻-<ワシントン/ツェッペリン>」P125、昭和57年9/10刊行
  2. ^ 「航空用語辞典」Airshipの項目より(鳳文書林出版。同名の本があるので注意。)。および外部リンク参照。

参考文献

  • マイケル・マクドナルド『悲劇の飛行船 ヒンデンブルク号の最後』平凡社、1973年
  • 柘植久慶『ツェッペリン飛行船』、中央公論社、1998年、ISBN 4-12-002744-9
  • 天沼春樹『夢みる飛行船 イカロスからツェッペリンまで』時事通信社、2000年、ISBN 4-7887-0074-3
  • ヘニング・ボエティウス『ヒンデンブルク炎上』(フィクション)天沼春樹 訳、新潮社、2004年、ISBN 4-10-215021-8

外部リンク

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