「ケネディ宇宙センター第39発射施設」の版間の差分
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'''ケネディ宇宙センター集合発射施設39'''(英称:'''Launch Complex 39'''、略称:'''LC-39''')は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]]メリット島にある[[ケネディ宇宙センター]]内の[[ロケット]][[射場|発射場]]である。もともとは[[アポロ計画]]に使用する主力ロケット[[サターンVロケット]]の打ち上げを行うために建設された。アポロ計画終了後は一部が改良されて、[[スペースシャトル]]の運用に利用されている。2007年には、次期の[[コンステレーション計画]]ヘ適合させるため、[[NASA]]による39Bの再改造が始まった。 |
'''ケネディ宇宙センター集合発射施設39'''(英称:'''Launch Complex 39'''、略称:'''LC-39''')は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]]メリット島にある[[ケネディ宇宙センター]]内の[[ロケット]][[射場|発射場]]である。もともとは[[アポロ計画]]に使用する主力ロケット[[サターンVロケット]]の打ち上げを行うために建設された。アポロ計画終了後は一部が改良されて、[[スペースシャトル]]の運用に利用されている。2007年には、次期の[[コンステレーション計画]]ヘ適合させるため、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]による39Bの再改造が始まった。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
2008年12月14日 (日) 10:11時点における版
上空から見た集合発射施設39 上空から見た集合発射施設39 | |
基地名 | ケネディ宇宙センター |
---|---|
位置 | 北緯28度36分30.23秒 西経80度36分15.64秒 / 北緯28.6083972度 西経80.6043444度 |
略称 | LC-39 |
運営者 | NASA |
総打ち上げ回数 |
140 (サターンV 13回、 サターン1B 4回、 スペースシャトル 123回) |
発射台数 | 2 |
最小/最大 軌道傾斜角 | 28度 - 62度 |
LC-39A 打ち上げ歴 | |
状態 | アクティブ |
打ち上げ回数 |
82回 (サターンV 12回、 スペースシャトル 70回) |
初打ち上げ | アポロ4号(1967年11月9日) |
最終打ち上げ | STS-124(2008年5月31日) |
関連ロケット |
サターンV サターン INT-21 スペースシャトル(現行) アレスV(予定) |
LC-39B 打ち上げ歴 | |
状態 | スタンバイ |
打ち上げ回数 |
58回 (サターンV 1回、 サターン1B 4回、 スペースシャトル 53回) |
初打ち上げ | アポロ10号(1969年5月18日) |
最終打ち上げ | STS-116(2006年12月10日) |
関連ロケット |
サターンV サターン IB スペースシャトル アレスI(予定) |
ケネディ宇宙センター集合発射施設39(英称:Launch Complex 39、略称:LC-39)は、アメリカ合衆国フロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センター内のロケット発射場である。もともとはアポロ計画に使用する主力ロケットサターンVロケットの打ち上げを行うために建設された。アポロ計画終了後は一部が改良されて、スペースシャトルの運用に利用されている。2007年には、次期のコンステレーション計画ヘ適合させるため、NASAによる39Bの再改造が始まった。
歴史
現在の集合発射施設39周辺一帯の用地開発は、1890年に少数のハーバード大学出身の資産家が1エーカーあたり1ドルの地価で18,000エーカー (73km²) の土地を購入したことに始まる。資産家たちは39A発射場のそばに、クラブ会員向けに20室を備えた3階建てのマホガニー製クラブハウスを建設した。施設内には、広い食堂、ワイン貯蔵庫、トロフィールーム、そして大量の武器や弾薬の保管庫も備え付けられていた。また、クラブハウスの上からの大西洋と周囲の湿地に群がる野生生物の眺めは壮観であった。1920年代に入ると、当時、水道・歩道・街灯・庭園などを完備した保養都市開発計画が推し進められていたこの土地の買い手を誘致しようと、スチュードベーカー社の創業者の息子であったP.E.スチュードベーカーによって、カナベラル灯台の北13kmにあるデ・ソト・ビーチに小さなカジノが建てられた。集合発射施設が建設される以前は、用地の東側を州道A1A号線が通っており、その道沿いには1885年からアメリカ沿岸警備隊の部署が置かれていた。
1963年の集合発射施設の初期構想では、5基の発射台 (39A~39E) が、発射台での爆発などの損害を避けるために、2700m間隔で均等に配置されることになっていた。そのうちの3基 (39A・39B・39C) は実際に建設する計画が持ち上がったが、残る2基は保留となった。当時、発射台の番号は北から南へと順につけられており、北端が39A、南端が39Cであった。ところが、この39Aは結局建設されることはなく、のちに当初の39Cは39Aに名称変更された。それ以後、北側が39B、南側が39Aとなっている。現在の39A・39Bの2基態勢が整ったのは1965年のことであった。
スペースシャトル計画での運用
シャトルの組み立て
スペースシャトルを軌道に投入するために必要な推力は、固体燃料ロケットブースタ (Solid Rocket Booster, SRB) とスペースシャトルのメインエンジン (SSME) の双方によって生み出される。SRBはその名の通り、固体燃料を使用している。スペースシャトルのメインエンジンは、外部燃料タンク (ET) 内の液体水素と液体酸素を配合して使用される。これは、オービタ本体にはメインエンジン用の燃料タンクが備わっていないためである。通常打ち上げの数ヶ月前には、スペースシャトルを構成する3つの主要な構成要素となるオービタ、SRB、外部燃料タンクがシャトル組立棟 (VAB) に運び込まれる。そこで組み立て上げられたスペースシャトルは移動式発射装置 (MLP) に載せられる。SRBはユタ州の製造工場からセグメント毎に鉄道で輸送され、外部燃料タンクはルイジアナ州の製造工場から船舶で輸送される。この間、スペースシャトル・オービタはオービタ整備施設 (OPF) で待機する。まずSRBが取り付けられ、次に巨大なクレーンを用いて完成したスペースシャトルが下ろされ、外部燃料タンクがオービタとSRBの間に接続される。
発射台への輸送
組み立てや整備の完了したスペースシャトルは、クローラ・トランスポータ(無限軌道輸送車両)に載せられ、8時間近くかけて5~6km離れた発射台まで運ばれる。発射台では移動式発射装置 (MLP) が下ろされ、クローラ・トランスポータは発射台から離れていく。また、ペイロード(搭載物)はスペースシャトルとは独立して、ペイロード輸送キャニスタの中に入れられて発射台まで運ばれる。
消音システム
それぞれの発射台近くには、打ち上げ時に発生する騒音を抑え、機体を衝撃波から保護するために利用する大量の水を溜めておく給水タンクが設置されている。この水を用いた消音システム (Sound Suppression System) では、高さ88mの給水塔に1.1メガリットルの水を蓄えておき、エンジン点火直前に水を放出する。発射台への放水によってスペースシャトルのエンジンから発生する強烈な音波は打ち消される。この際、放出された水は周囲の熱により大量の水蒸気となる。
発射台からの避難
万一の発射台での事故に備えて、緊急時にシャトル乗組員が迅速に避難できるように、集合発射施設では特別なエレベータ・システムが用いられる。発射台で爆発などの事故が起きた際は、乗組員はスペースシャトル・オービタから退出して、すぐさまこの非常エレベータに駆け込む。すると、エレベータは地上に急降下し、その速度は時速88kmにも達する。乗組員たちは地上に降りると、次に改良型のM113装甲兵員輸送車に乗り込み、発射台から60m離れたヘリポートへと向かう。そして、そこから集合発射施設から離れた安全な区域へと退避する。NASAの安全規則では、乗組員以外の全職員は、打ち上げ時には発射台から十分離れた安全な場所にいなければならないことになっているため、乗組員たちには一切外部からの援助なしで避難行動をとるこのが要求されている。