「キリスト教の新宗教」の版間の差分
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#REDIRECT [[キリスト教系の新宗教]] |
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[[ユダヤ教]]内の改革運動として始まった'''[[キリスト教]]'''は、[[伝統宗教]]として確立する以前から、絶えず[[正統教義|正統]]と[[異端]]の対立によって自己規定を更新してきた。伝統宗教としてのキリスト教内部では、[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]を[[告白]]する宗教集団がキリスト教であり、この中にあってキリスト教としての自己認識を保ちつつ正統教義から自覚的に逸脱するものを異端、教団外部にあるものを異教と呼ぶ。これに対して宗教学の立場からは、広義のキリスト教、すなわち聖書を経典とし[[キリスト]]を唯一の救世主と認める宗教を一般にキリスト教と認めようとする立場もある。またそのような広義のキリスト教に対して、聖書より上位の立場にある経典をもつ教団を「キリスト教系」または「キリスト教派生」という場合もある。 |
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後者の立場からは、[[伝統宗教]]としてのキリスト教から分岐した、もしくはなんらかの影響を受けて成立したと考える[[新宗教]] (いわゆる新興宗教) は、'''キリスト教の新宗教(新興宗教)'''であると表現される。 |
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これに対して前者の立場からは、伝統宗教の外部に多数の「異教」こと新宗教があると考えられる。内部に多数の宗派がある仏教とは逆といえよう。 |
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キリスト教系の新宗教の中には、歴史的連続性をもつ伝統宗教は本来の教義から離れており、その教団設立の歴史とは別の信仰の次元で、自分たちの教義は初期キリスト教との連続性を持っており、自分たちこそ唯一正統な「キリスト教」であると考えるものも多く見られる。なおこの「非歴史的連続性・教義的連続性」の意識の傾向は一般にキリスト教と見られる一部プロテスタント教会にもしばしば見出される。 |
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なおニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する教会の間では、互いの教説を異端とみなしつつも宗教運動としての同根性を認め、関係を修復しようとする試みが千年以上に渡って持たれて来たが、それらの試みは近代に到るまでほとんど実効を有さなかった。しかし[[20世紀]]後半より、差異よりも同根性や類似性に着目し、相互理解を促進し継続的な対話をもち、キリスト教としての一体性を回復しようとする傾向が見られる。例えばカトリックの第2ヴァティカン公会議には多教派の神学者もオブザーバーとして招待されている。東方教会においては、単性論教会と東方正教会の交流がもたれている。なかでも[[ローマ教皇]]と[[コンスタンティノポリス総主教]]の相互破門の解消は、いまだ教義上の一致を見ないとはいえ、[[大シスマ]]解消に向けた、キリスト教史上特筆すべき事柄といえる。 |
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また[[2000年]]の[[ローマ・カトリック]]の[[聖年]]では、カトリック、プロテスタント連盟、[[東方正教会]]が合同で『[[ルカによる福音書]]』の多言版を作成しイタリア国内のホテルに備え付けるという試みがなされている。 |
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このような動きは、新宗教の隆盛に際して伝統宗教の側が自らの伝統性を再確認する動きともいえ、新宗教の影響のひとつとみなすこともできるだろう。 |
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==成立史についての考察== |
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[[マルティン・ルター]]の「聖書のみ」は教会の伝統という解釈の準拠枠を外して「純粋なテクスト」としての福音を取り出そうとする企図であった。この解釈戦略はほとんどの[[プロテスタント]]教会に採用される。 |
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[[グーテンベルク]]の活版印刷によって供給された大量の聖書は、このため基本的に解説を持たない。たとえば[[ルター訳聖書]]は、聖書文書それぞれに序文を付すのみで、本文には特段の注釈をつけていない。テクスト生成過程を離れて提供されたこのような「聖書」テクストは、またルターやカルヴァンといったプロテスタント[[神学者 (近世)|神学者]]の聖書解釈に飽き足らない、独自の読みを立てる集団、すなわち数々の教派を生み出していく。 |
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近世以降の西ヨーロッパにおける、聖書解釈のこのような多様性に、キリスト教派生の新興宗教の数が多い一因はもとめられよう。 |
2004年4月7日 (水) 00:34時点における版
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